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12.文武抗争編
59文武抗争 ⑤
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***
その炯眼は、戦慄さえ感じさせるものだった。
朝季たちの前で見せていた澄まし顔はない。ミストの隣で見せていたお茶目さもない。犬の軍勢をひれ伏せさせ、カラスの大軍を地に落としたときの威圧感に似て、それを上回る冷徹さ。
発動した猫力が声の温度さえ凍らせた言葉で、雷奈たちを問いただす。
「なぜあなたたちまでここにいるの」
「私が」
すかさず、雷奈が胸に手を当てて一歩進み出た。
「私がガオンに対抗できる切り札やけん……美雷が、この辺にチエアリがいる可能性があって、もしかしたら倒し切れてなかったガオンかもしれんって言ってたけん。それで希兵隊の派遣組に連れてきてもらったと。……氷架璃と芽華実は呼ばれとらんかったけど、アワとフーに連れてこさせちゃっただけで……」
「ここにチエアリなんていないわ」
ふん、と鼻を鳴らすせつなに、勇気を振り絞った芽華実が尋ねる。
「さっき、希兵隊本部から連絡が来て……その、シルクやうららも来てて、希兵隊員が学院の研究妨害をしたって言われたって……」
「それなら話が早いわね。その通りよ。だから私たちは彼らの代理でデータを再収集しようとして、かつそれを再び妨害しに来るであろう希兵隊を現行犯で押さえようとして来たのよ」
「あたしたち、そんなことしないよっ!」
波音が最前列で抗議する。しかし、せつなには全く響かなかった。
「言い訳は飛壇に帰ってからゆっくり聞くわ。あなたたちがこのタイミングでここへ来たのは事実。どう説明してくれるのか知らないけど、まずは撤退しなさい。データ収集の邪魔よ」
「そんなわけにはいかないよっ! だって、センサーに引っかからない何かが、空に向けて炎を立ち昇らせたんだもん! チエアリの可能性が高いじゃん!」
「雷奈」
さらに言い返す波音の言葉を受けて、せつなは本人ではなく雷奈に目を向けた。意図せず、雷奈の背筋がぴりっと伸びる。
「この前見せてくれた、希兵隊から借りてるチエアリ検出センサーは、今も持ってる?」
「えっ……あ、うん、ポケットに……」
「それは反応しているの?」
淡々と問われ、雷奈は素直に首を横に振った。「でしょう」とせつなは波音に流し目をよこす。
「チエアリは今、ここにはいない。わかったでしょう。さっさと帰ってちょうだい」
けんもほろろに、せつなはその姿勢を崩さない。研究科は異なるものの、総造学研究科に親しい人物がいるのかもしれない。あるいは、「学院」という同じ集団の一員としての使命感からかもしれない。とかく、彼女は件の研究プロセスが滞らされていることを快く思っていないようだ。
それはわかるのだが――雷奈の中で、何かが引っかかる。
「あなたこそ、この場を離れて。希兵隊の業務妨害だよ」
「こっちのセリフよ。学院の業務妨害。あなたが望むなら、強硬手段に出てもいいのよ?」
せつなが一歩踏み出す。その一歩ぶん動いた空気に押されるように、波音の足が一歩退く。
ただの脅しであると思いたい。波音の戦闘能力は不明だが、せつなは自身の体さえ顧みなければ、チエアリさえ葬る実力の持ち主だ。喧嘩していい相手ではない。
きっと、彼女に太刀打ちできるのはコウくらいだ。誰もが彼の帰還を願う中、それが叶わないまま事態は動いた。
せつなが、やおらポケットに手を突っ込んだ。引き抜かれたその手の中で、スマホが震えていた。
「ミスト。何かあった?」
雷奈たちから視線を外さずに、せつなはスマホを耳に当てて平坦に言った。その冷静さは、勝利を確信した者のそれだ。
だが、ほどなくして、揺らがぬ氷細工のような彼女の表情が、融けて崩れた。
「…………え?」
その表情に、声色に、雷奈たちは戸惑いを覚えた。だが、最も動揺していたのは、他でもないせつなだった。
その手から、スマホを滑り落としそうになって、慌ててつかみなおす。その時に指が触れたのか、スピーカーフォンモードになったスマホから、雷奈たちの耳にも聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『もう一度言う。ユキナ、これ以上抗っちゃダメ。希兵隊と学院がぶつかった明確な証拠がない以上、もし勘違いだとしたら、ケンカを吹っかけた学院が責任を負うことになる。それは学院長かもしれないし、主導者のユキナかもしれないんだよ』
「何言って……」
相当動転しているのか、せつなはスピーカーフォンを戻そうともしないまま、相手を問い詰める。
「どういう意味、ミスト。裏切る気?」
『うららとシルクにも伝えて。もう誰とも戦っちゃダメ。誰も傷つけちゃダメ』
「ミスト」
『……何もしなくても、じきに終わるから』
「ミストッ!」
割れそうな呼号に対する返事はなかった。
せつなは呆然と、通話の切れたスマホを見下ろしていた。
氷架璃が挑発気味に言う。
「どうした、仲間割れか?」
直後、真冬のような寒波が吹き荒れた。先頭に立っていた波音が身を縮こまらせ、雷奈たちも震え上がる。
爛々と戦意のたぎる赤い瞳が、彼女らを見据えた。
「私は、やめない」
左手に、氷霧として目視できるほどの冷気が集結する。
「私は抗うのをやめない。学院代表として、その営みを侵す希兵隊に抗う。ペンと剣の抗争に人間はいらない。そして私のペンは剣を折る!」
せつなが大きく腕を振りぬくと、放射状に並んだ鋭いつららが波音に向かった。小さくても素直に攻撃を受ける希兵隊員ではなく、波音はすばやく結界を展開する。半透明の壁に激突したつららは、細かく砕け散った。
だが、その直後から、結界越しの視界に異変が生じた。まるで霧の中に飛び込んだかのように、真っ白く染まり出したのだ。
「冷気で……!」
「あの子、どこいっただろ!?」
きょろきょろと見回していた波音は、次の瞬間、ハッと右手を振り返った。
前方からの攻撃に備えた結界は、完全な半球の形をしておらず、側面を欠いていた。その防壁のない右横から、冷気の煙に紛れて長物が振り抜かれる。
「……っ!」
思わず目をつぶる波音。しかし、打擲の衝撃は彼女の想定より前方上で炸裂した。
同時に、硬質な音が響き渡る。
「なんば……するとか!」
「……雷奈」
氷の刃のついていない、柄のみのなぎなたと切り結び、それを押さえ込んだのは、希兵隊の訓練用木刀。その柄を握るは、ミス・道場破りだ。
「あなたは中立ではなく、希兵隊についているのね」
「ついてるとか、中立とか、そんなこと言ってる場合やなくてっ!」
大きく息を吸い、吐き出す勢いでせつなを押し戻す。意地を張らず、力を逃がすように後退したせつなに、雷奈は中段の構えになって叫ぶ。
「落ち着いて、ちゃんと話し合おう!? こんな暴力で解決するんやなくて!」
「あなたたちが撤退してくれたら、私たちも飛壇に戻る。話し合いはそれからよ。まずはここから立ち去るのが先」
くるくるっ、と手元でなぎなたを回し、構えなおす。さすが、慣れた手つきだ。半回転に見えて、実際は二回転はしただろう。
雷奈に守られた波音は、しばらく委縮した様子だったが、正当性を胸に再度、声を張り上げる。
「さっきも言ったでしょ! この森にはチエアリがいるかもしれないの! 撤退するわけにはいかないの!」
「さっきも言ったでしょう。この森にチエアリなんていない。あなたのところが開発したセンサーがそう言ってるのよ。それなのに、聞き分けがないからこうして強硬手段に出ているの」
穏やかな口調と裏腹に、波音を見据えるせつなは鋭く地面を蹴った。そうはさせじと、またも雷奈は木刀で応戦する。ガキン、と硬質な音が響き、押し相撲にもつれこんだ。
互いの顔は、それぞれの得物越しに至近距離に見つめあっている。猫力を解放した、戦闘態勢のせつなに、相手の呼吸さえ感じられる近さで雷奈は糾弾した。
「だからって、戦わなくても!」
「別にあなたと戦いたいわけじゃないわ。あの希兵隊員に一撃食らわせたいだけよ。だって」
両手でなぎなたの柄を握っていたせつなが、左手をほどき、柄に接したまま滑らせるようにして支点を左肘に移す。せつなの行動の意図を察した雷奈はハッと肩をこわばらせた。
冷気を集める手のひらは、雷奈の肩越しの向こうに向けられていた。
「ケガをしたら、帰ってくれるでしょう?」
冷たい鋭利な物体が、雷奈の左耳に戦慄を注ぎ込みながら、後方へと飛び去って行った。雷奈の後方で、波音は向かってきた楔形の氷塊に甲高い悲鳴を上げ、頭を抱えて地に伏せた。幸い、氷の牙は波音の頭上を通過し、地面に鋭角に突き刺さったが、見ている氷架璃や芽華実たちも、ぞっとしたではすまない。
「やめて、せつな。こんなことをしている場合じゃないでしょう!」
芽華実は波音を助け起こしながら、軽いステップで雷奈から距離をとったせつなに訴える。
「敵がいるかもしれないのよ。データ収集なんて、研究なんて後で……」
いいでしょう、と言いかけた芽華実の喉は、凍てつく突風に震わされて、その先を禁じられた。
せつなの赤い目が、友愛とは程遠い苛烈な視線で芽華実を射抜いた。
「研究なんてですって? 二度と言わないで!」
まるで照準線のような赤い視線を、芽華実だけでなく氷架璃、アワ、フー、波音にまで突き刺して、銃声を上げるがごとく叫ぶ。
「研究を馬鹿にしないで。全てが失敗に終わるかもしれない、手を伸ばした先には何もないかもしれない、それでもこの世界に新たなものを見出そうとするひとたちを軽く見ないで。試行錯誤を繰り返して、あるかどうかも分からない一縷の可能性をつかもうとする研究者を……あるとわかっているゴールを目指すあなたたちに軽んじられる筋合いはないわ!」
炸裂したせつなの怒号は、残響を土にしみこませて消えた。荒々しい呼吸音を余韻のように聞きながら、雷奈は静かに言った。
「せつな」
なぎなたの柄を固く握り、肩で呼吸をするせつなに、短く告げる。
「それは、私達も一緒ばい」
身の回りに研究職の人間などいなかった。せつなや、それ以前に会ったシルクやうららと出会うまでは、研究者という立場の者と関わることはなかった。
けれど、彼女らと邂逅する前から、フィライン・エデンに巻き込まれたその時から、雷奈達は同じ気持ちを味わっていた。
「突然、時が進まんようになって、同じ一年ば繰り返して……その理由が、仕組みが、私たち人間にはおろか、アワにもフーにもわからん。ばってん、雲をつかむようにでも、私達はその謎を解き明かそうとしとる」
「……じゃあ、私達研究者の気持ちもわかるでしょう」
「うん……きっと、今の私達と、せつな達研究者は、一緒」
だからこそ、雷奈は木製の柄をいっそう強く握る。
「五里霧中でもがくのも一緒なら……死んだら全部おしまいなのも一緒ったい」
その趣旨を解し、せつなは失望のため息をついた。
「しつこいわね。この森にそんな脅威はいないのよ。あなたが持っているチエアリ検出センサーは、反応していないでしょう? 少なくとも今、ここに、チエアリはいないの。死にはしないわ」
まただ。
また、得体のしれない違和感が、雷奈の思考の歯車に砂利のように引っかかる。
チエアリ検出センサー。
かたわらで、ぼんやりと、さっきのせつなの言葉を反芻する。
試行錯誤を繰り返して、あるかどうかも分からない一縷の可能性をつかもうとする。
きっとそれは、希兵隊の開発部も同じだ。木雪を筆頭とした部員の猫たちは、そんな挑戦だらけの毎日を送っている。
フィライン・エデンの猫は、チエアリを察知することはできない――フィライン・エデンの歴史の中で不変だったそんな常識を、覆せるかもわからないまま覆そうと奮起する。
そうやって一日一日、薄い成果を一枚ずつ重ねて、重ねて、やっとたどり着いたのが、雷奈の今のスマホストラップ。それさえも、チエアリの出現に応じてきちんと作動するという最終関門を突破できなければ、一瞬でただのガラクタへと化す。つかんだと思った新たな未来は、幻だったのだと悟る――。
「……そっか」
すとん、と腑に落ちることがあった。からからと軽快に回りだした歯車が、雷奈の口からよどみなく言葉を滑り出させる。
「ずっと引っかかってた。せつなのその言葉。なんでかわからんかったけど……今、やっとわかったばい」
その炯眼は、戦慄さえ感じさせるものだった。
朝季たちの前で見せていた澄まし顔はない。ミストの隣で見せていたお茶目さもない。犬の軍勢をひれ伏せさせ、カラスの大軍を地に落としたときの威圧感に似て、それを上回る冷徹さ。
発動した猫力が声の温度さえ凍らせた言葉で、雷奈たちを問いただす。
「なぜあなたたちまでここにいるの」
「私が」
すかさず、雷奈が胸に手を当てて一歩進み出た。
「私がガオンに対抗できる切り札やけん……美雷が、この辺にチエアリがいる可能性があって、もしかしたら倒し切れてなかったガオンかもしれんって言ってたけん。それで希兵隊の派遣組に連れてきてもらったと。……氷架璃と芽華実は呼ばれとらんかったけど、アワとフーに連れてこさせちゃっただけで……」
「ここにチエアリなんていないわ」
ふん、と鼻を鳴らすせつなに、勇気を振り絞った芽華実が尋ねる。
「さっき、希兵隊本部から連絡が来て……その、シルクやうららも来てて、希兵隊員が学院の研究妨害をしたって言われたって……」
「それなら話が早いわね。その通りよ。だから私たちは彼らの代理でデータを再収集しようとして、かつそれを再び妨害しに来るであろう希兵隊を現行犯で押さえようとして来たのよ」
「あたしたち、そんなことしないよっ!」
波音が最前列で抗議する。しかし、せつなには全く響かなかった。
「言い訳は飛壇に帰ってからゆっくり聞くわ。あなたたちがこのタイミングでここへ来たのは事実。どう説明してくれるのか知らないけど、まずは撤退しなさい。データ収集の邪魔よ」
「そんなわけにはいかないよっ! だって、センサーに引っかからない何かが、空に向けて炎を立ち昇らせたんだもん! チエアリの可能性が高いじゃん!」
「雷奈」
さらに言い返す波音の言葉を受けて、せつなは本人ではなく雷奈に目を向けた。意図せず、雷奈の背筋がぴりっと伸びる。
「この前見せてくれた、希兵隊から借りてるチエアリ検出センサーは、今も持ってる?」
「えっ……あ、うん、ポケットに……」
「それは反応しているの?」
淡々と問われ、雷奈は素直に首を横に振った。「でしょう」とせつなは波音に流し目をよこす。
「チエアリは今、ここにはいない。わかったでしょう。さっさと帰ってちょうだい」
けんもほろろに、せつなはその姿勢を崩さない。研究科は異なるものの、総造学研究科に親しい人物がいるのかもしれない。あるいは、「学院」という同じ集団の一員としての使命感からかもしれない。とかく、彼女は件の研究プロセスが滞らされていることを快く思っていないようだ。
それはわかるのだが――雷奈の中で、何かが引っかかる。
「あなたこそ、この場を離れて。希兵隊の業務妨害だよ」
「こっちのセリフよ。学院の業務妨害。あなたが望むなら、強硬手段に出てもいいのよ?」
せつなが一歩踏み出す。その一歩ぶん動いた空気に押されるように、波音の足が一歩退く。
ただの脅しであると思いたい。波音の戦闘能力は不明だが、せつなは自身の体さえ顧みなければ、チエアリさえ葬る実力の持ち主だ。喧嘩していい相手ではない。
きっと、彼女に太刀打ちできるのはコウくらいだ。誰もが彼の帰還を願う中、それが叶わないまま事態は動いた。
せつなが、やおらポケットに手を突っ込んだ。引き抜かれたその手の中で、スマホが震えていた。
「ミスト。何かあった?」
雷奈たちから視線を外さずに、せつなはスマホを耳に当てて平坦に言った。その冷静さは、勝利を確信した者のそれだ。
だが、ほどなくして、揺らがぬ氷細工のような彼女の表情が、融けて崩れた。
「…………え?」
その表情に、声色に、雷奈たちは戸惑いを覚えた。だが、最も動揺していたのは、他でもないせつなだった。
その手から、スマホを滑り落としそうになって、慌ててつかみなおす。その時に指が触れたのか、スピーカーフォンモードになったスマホから、雷奈たちの耳にも聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『もう一度言う。ユキナ、これ以上抗っちゃダメ。希兵隊と学院がぶつかった明確な証拠がない以上、もし勘違いだとしたら、ケンカを吹っかけた学院が責任を負うことになる。それは学院長かもしれないし、主導者のユキナかもしれないんだよ』
「何言って……」
相当動転しているのか、せつなはスピーカーフォンを戻そうともしないまま、相手を問い詰める。
「どういう意味、ミスト。裏切る気?」
『うららとシルクにも伝えて。もう誰とも戦っちゃダメ。誰も傷つけちゃダメ』
「ミスト」
『……何もしなくても、じきに終わるから』
「ミストッ!」
割れそうな呼号に対する返事はなかった。
せつなは呆然と、通話の切れたスマホを見下ろしていた。
氷架璃が挑発気味に言う。
「どうした、仲間割れか?」
直後、真冬のような寒波が吹き荒れた。先頭に立っていた波音が身を縮こまらせ、雷奈たちも震え上がる。
爛々と戦意のたぎる赤い瞳が、彼女らを見据えた。
「私は、やめない」
左手に、氷霧として目視できるほどの冷気が集結する。
「私は抗うのをやめない。学院代表として、その営みを侵す希兵隊に抗う。ペンと剣の抗争に人間はいらない。そして私のペンは剣を折る!」
せつなが大きく腕を振りぬくと、放射状に並んだ鋭いつららが波音に向かった。小さくても素直に攻撃を受ける希兵隊員ではなく、波音はすばやく結界を展開する。半透明の壁に激突したつららは、細かく砕け散った。
だが、その直後から、結界越しの視界に異変が生じた。まるで霧の中に飛び込んだかのように、真っ白く染まり出したのだ。
「冷気で……!」
「あの子、どこいっただろ!?」
きょろきょろと見回していた波音は、次の瞬間、ハッと右手を振り返った。
前方からの攻撃に備えた結界は、完全な半球の形をしておらず、側面を欠いていた。その防壁のない右横から、冷気の煙に紛れて長物が振り抜かれる。
「……っ!」
思わず目をつぶる波音。しかし、打擲の衝撃は彼女の想定より前方上で炸裂した。
同時に、硬質な音が響き渡る。
「なんば……するとか!」
「……雷奈」
氷の刃のついていない、柄のみのなぎなたと切り結び、それを押さえ込んだのは、希兵隊の訓練用木刀。その柄を握るは、ミス・道場破りだ。
「あなたは中立ではなく、希兵隊についているのね」
「ついてるとか、中立とか、そんなこと言ってる場合やなくてっ!」
大きく息を吸い、吐き出す勢いでせつなを押し戻す。意地を張らず、力を逃がすように後退したせつなに、雷奈は中段の構えになって叫ぶ。
「落ち着いて、ちゃんと話し合おう!? こんな暴力で解決するんやなくて!」
「あなたたちが撤退してくれたら、私たちも飛壇に戻る。話し合いはそれからよ。まずはここから立ち去るのが先」
くるくるっ、と手元でなぎなたを回し、構えなおす。さすが、慣れた手つきだ。半回転に見えて、実際は二回転はしただろう。
雷奈に守られた波音は、しばらく委縮した様子だったが、正当性を胸に再度、声を張り上げる。
「さっきも言ったでしょ! この森にはチエアリがいるかもしれないの! 撤退するわけにはいかないの!」
「さっきも言ったでしょう。この森にチエアリなんていない。あなたのところが開発したセンサーがそう言ってるのよ。それなのに、聞き分けがないからこうして強硬手段に出ているの」
穏やかな口調と裏腹に、波音を見据えるせつなは鋭く地面を蹴った。そうはさせじと、またも雷奈は木刀で応戦する。ガキン、と硬質な音が響き、押し相撲にもつれこんだ。
互いの顔は、それぞれの得物越しに至近距離に見つめあっている。猫力を解放した、戦闘態勢のせつなに、相手の呼吸さえ感じられる近さで雷奈は糾弾した。
「だからって、戦わなくても!」
「別にあなたと戦いたいわけじゃないわ。あの希兵隊員に一撃食らわせたいだけよ。だって」
両手でなぎなたの柄を握っていたせつなが、左手をほどき、柄に接したまま滑らせるようにして支点を左肘に移す。せつなの行動の意図を察した雷奈はハッと肩をこわばらせた。
冷気を集める手のひらは、雷奈の肩越しの向こうに向けられていた。
「ケガをしたら、帰ってくれるでしょう?」
冷たい鋭利な物体が、雷奈の左耳に戦慄を注ぎ込みながら、後方へと飛び去って行った。雷奈の後方で、波音は向かってきた楔形の氷塊に甲高い悲鳴を上げ、頭を抱えて地に伏せた。幸い、氷の牙は波音の頭上を通過し、地面に鋭角に突き刺さったが、見ている氷架璃や芽華実たちも、ぞっとしたではすまない。
「やめて、せつな。こんなことをしている場合じゃないでしょう!」
芽華実は波音を助け起こしながら、軽いステップで雷奈から距離をとったせつなに訴える。
「敵がいるかもしれないのよ。データ収集なんて、研究なんて後で……」
いいでしょう、と言いかけた芽華実の喉は、凍てつく突風に震わされて、その先を禁じられた。
せつなの赤い目が、友愛とは程遠い苛烈な視線で芽華実を射抜いた。
「研究なんてですって? 二度と言わないで!」
まるで照準線のような赤い視線を、芽華実だけでなく氷架璃、アワ、フー、波音にまで突き刺して、銃声を上げるがごとく叫ぶ。
「研究を馬鹿にしないで。全てが失敗に終わるかもしれない、手を伸ばした先には何もないかもしれない、それでもこの世界に新たなものを見出そうとするひとたちを軽く見ないで。試行錯誤を繰り返して、あるかどうかも分からない一縷の可能性をつかもうとする研究者を……あるとわかっているゴールを目指すあなたたちに軽んじられる筋合いはないわ!」
炸裂したせつなの怒号は、残響を土にしみこませて消えた。荒々しい呼吸音を余韻のように聞きながら、雷奈は静かに言った。
「せつな」
なぎなたの柄を固く握り、肩で呼吸をするせつなに、短く告げる。
「それは、私達も一緒ばい」
身の回りに研究職の人間などいなかった。せつなや、それ以前に会ったシルクやうららと出会うまでは、研究者という立場の者と関わることはなかった。
けれど、彼女らと邂逅する前から、フィライン・エデンに巻き込まれたその時から、雷奈達は同じ気持ちを味わっていた。
「突然、時が進まんようになって、同じ一年ば繰り返して……その理由が、仕組みが、私たち人間にはおろか、アワにもフーにもわからん。ばってん、雲をつかむようにでも、私達はその謎を解き明かそうとしとる」
「……じゃあ、私達研究者の気持ちもわかるでしょう」
「うん……きっと、今の私達と、せつな達研究者は、一緒」
だからこそ、雷奈は木製の柄をいっそう強く握る。
「五里霧中でもがくのも一緒なら……死んだら全部おしまいなのも一緒ったい」
その趣旨を解し、せつなは失望のため息をついた。
「しつこいわね。この森にそんな脅威はいないのよ。あなたが持っているチエアリ検出センサーは、反応していないでしょう? 少なくとも今、ここに、チエアリはいないの。死にはしないわ」
まただ。
また、得体のしれない違和感が、雷奈の思考の歯車に砂利のように引っかかる。
チエアリ検出センサー。
かたわらで、ぼんやりと、さっきのせつなの言葉を反芻する。
試行錯誤を繰り返して、あるかどうかも分からない一縷の可能性をつかもうとする。
きっとそれは、希兵隊の開発部も同じだ。木雪を筆頭とした部員の猫たちは、そんな挑戦だらけの毎日を送っている。
フィライン・エデンの猫は、チエアリを察知することはできない――フィライン・エデンの歴史の中で不変だったそんな常識を、覆せるかもわからないまま覆そうと奮起する。
そうやって一日一日、薄い成果を一枚ずつ重ねて、重ねて、やっとたどり着いたのが、雷奈の今のスマホストラップ。それさえも、チエアリの出現に応じてきちんと作動するという最終関門を突破できなければ、一瞬でただのガラクタへと化す。つかんだと思った新たな未来は、幻だったのだと悟る――。
「……そっか」
すとん、と腑に落ちることがあった。からからと軽快に回りだした歯車が、雷奈の口からよどみなく言葉を滑り出させる。
「ずっと引っかかってた。せつなのその言葉。なんでかわからんかったけど……今、やっとわかったばい」
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王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
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