フィライン・エデン Ⅰ

夜市彼乃

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3.雷奈逃亡編

11見えざる予感 後編

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 しばらく集中していた一同は、誰からともなく水ようかんに手を伸ばし始め、暗黙の了解で休憩タイムとなった。
 少しずつ始まった歓談の中で、ルシルが先ほどの会話の延長線で問いを呈す。
「上京といえば……雷奈もそうだと言っていたな。種子島だったか?」
「うん。やけん、なんか、ルシルとコウには親近感わくばい。ばってん、二人とも標準語やね?」
「フィライン・エデンには方言というものがないからな。だが、これでも田舎者なんだ」
「二人は上京する前から友達と?」
「ああ、幼馴染なんだ。物心ついたころには、一緒にいた」
 その言葉に、三人は心の中で深くうなずいた。こうして並んで座るルシルとコウは、ただの同僚という風には見えない。物理的な距離しかり、会話からうかがえる心の距離しかり、気の置けない仲の者特有の、いい意味での無遠慮さがある。兄妹のように連れ添って育ったのだろう二人の姿は、微笑ましいくらいに調和していた。
「幼馴染かあ~。本当にそれだけかな?」
「な、なんだよ、水晶」
「べっつに~」
 意地の悪い笑みを見せる氷架璃。表面だけ撫でるようにからかって、にやにやしたまま水ようかんを口に運ぶ。
「そういえば、そもそも雷奈は、なぜ一人で上京したんだ? 皇学園が志望校だったのか?」
 ルシルの言葉を聞いて、シャーペンを握る氷架璃の手にわずかに力がこもり、芽華実の表情に緊張が走った。当の雷奈は穏やかに微笑んでいる。友人二人は慣れないようだが、本人にとっては何度も話して気にならなくなった話題だ。ただ、この和やかな空気を壊してしまうのがはばかられるだけで。
「ううん、違うと。私の親父が、母さんば殺したけん、私たちも危ない、ってなって。身ば隠すために親戚のもとに転がり込んだと。私ば引き取ってくれた親戚が、たまたま東京の人で、彼らも外国に行っちゃったけん、神社に居候してるってわけ」
 事情を知らなかったルシルとコウは驚きを隠せないようで、しばらく言葉を失っていた。雷奈は笑って見せると、立ち上がり、鏡台の上の写真を手に取った。家族の集合写真だ。
「見て、ルシル、コウ。昔はこんなに仲良かったと。まあ、親父が笑ったり楽しそうにしたりしとるとこは見たことないけど、不愛想ながらも頼もしかったばい」
 真ん中で笑っているのは幼い雷奈だ。彼女を挟んで姉と妹も笑っている。その後ろで、母親と父親が並んで写っていた。母親は雷奈と同じ富士額で、やや童顔なのを差し引いても若い。長めの前髪の下、仏頂面を浮かべる父親も同じく若い。どうやら、富士額でない姉と妹は、父からの遺伝らしい。
 気づけば、全員が写真をのぞき込んでいた。沈黙が訪れると、誰からともなく身を引き、元の姿勢に戻る。
 氷架璃が、静かに言った。
「家族、って感じだな。親子でよく似てる」
「ええ、そうね」
 ルシルもうなずいて、
「ああ。雷奈は――父親似なのだな」
 ――その言葉に、氷架璃と芽華実は耳を疑った。
「え? なんだって?」
「雷奈は父親似だと言ったんだ」
「どこが!?」
 氷架璃は再度写真をのぞき込んだ。雷奈、父親、雷奈、母親と視線を巡らせ、首を振る。
「いやいや、どう見たってお母さん似だろ! ほら、この前髪の生え際!」
「む……確かに」
「っていうか、どこ見てお父さん似だと思ったわけ?」
「それは……」
 口を開きかけたルシルは、声をなくしたように固まった。怪訝そうな顔で瞳を揺らす。
「……なぜだろう……?」
「おいおい、人を見る目ないんじゃないの? 芽華実はどう思った?」
「え、私もお母さんにそっくりだなって思ったんだけど……」
「ほら、やっぱりルシルがおかしいんじゃん」
「いや」
 コウがあごに手を当ててまったをかけた。しかし、その表情は懐疑的だ。
「オレも……父親似だと思ったんだ。けど……確かに、何が似てるのかって言われても、答えられねえ」
「何だよ、それ。ルシルとコウだけ……。まるで……」
 猫と人間とで、意見が分かれている。それが、単なる偶然ではないとしたら。
 ――「動物の勘」という言葉が、誰もの頭をちらついた。
「……あ、あはは。思い過ごしだよね。単に二対二になっただけだよね」
「そうね。それに、どこが、って言えなくても、直感的にお父さんに似てると思ってもおかしくないわ。だって、親子ですもの」
 もっと精査しようと思えば、写真をほかの人間や猫に見せて、意見を聞くという手もあったが、誰もあえてそれを発案しなかったのは、思いつかなかったからではない。
「そ、そうだ、雷奈。明日、妹さんに会うんだよね?」
「あ、うん!」
 芽華実の問いに、雷奈は飛びつくように答えた。
「写真の、私の左に写っとる子が妹の雷帆らいほばい。リーフとさくらの一件で、会いたくなって、連絡してみたら、夏休みなら会えるって言ったけん」
「……そうなのか」
「どうなっとるかねー。変わっとらん気がする」
「まあ、身長は抜かされてるだろうな」
「氷架璃、ひどか! 私の低身長は母さん譲りやけん、雷帆も小さい可能性は十分あるったい!」
「私にも妹が一人いるんだけど、ルシルとコウは、きょうだいとか……」
 芽華実の笑顔が、何かに気づいて消える。のぞきこんで、小さな声で問う。
「……ルシル? どうしたの?」
「……いや」
 うつむき加減だった顔を上げる。黒い前髪のかかる整った顔は、いつもより白く見えた。
「なんか、顔色悪くなか?」
「もしかして、気分悪い? お茶で冷えたのかしら」
「どうせまたご飯抜かしただけだろ?」
「氷架璃ったら、『どうせ』なんて言わないの。……本当に大丈夫?」
 優しく尋ねる芽華実を上目遣いに見るルシル。瑠璃色の瞳が、わずかにうるんで揺れた。大丈夫、と肯定しようと口を開きかけた時、
「ルシル」
 彼女の背に置かれた大きな手が、言葉を制した。緩慢に、幼馴染を見上げる。
「コウ……?」
「主体になれ」
「え……?」
「いいから」
 静かな声の中に、有無を言わさぬ力があった。ルシルはおとなしく白猫の姿へと変化する。コウはルシルの脇に手を入れて、その体を持ち上げると、自分の左肩に乗せるように抱いた。
「邪魔したな、三日月。今日は帰るわ。ルシルはいったん連れて帰る。また点滴だな」
「えっ……あ、そう? お大事に……?」
 コウは左手でルシルを支え、右手で彼女のノートや問題集を源子化すると、開けっ放しの出入り口から縁側に出た。外に置いてあるルシルのローファーも源子化する。コウの後ろを向くように肩に乗せられたルシルは、ずっと目を伏せたままだ。
 一歩、二歩と歩き出したコウは、ふいに足を止めた。
「三日月」
「な、なんね?」
「言い忘れてたから、これだけ伝えておく。波音から聞いたぜ。なぜ自分だけ猫術に目覚めないのか疑問に思ってると。……今となっては、なぜ自分だけ覚醒が遅れたのか、だがな」
 肩越しに振り返り、切れ長の目を向ける。
「オレは全部関係あると思ってる。水晶や美楓と比べて覚醒が遅れたのも、希兵隊長に匹敵するほどの猫術を放ったのも――”選ばれなかった「選ばれし人間」”であることも、な」
 それだけ言うと、彼は振り返ることなく神社を後にした。
(全部、つながっとる……?)
 覚醒の遅れ、猫術の威力、そして神託なしの「選ばれし人間」。それらはすべて、雷奈にのみ当てはまるイレギュラーだ。もし全部がつながっているとすれば、それが意味するところは何か。
 コウの後ろ姿を見送る雷奈の脳裏を、ふいに、幸せそうな五人の一幕を切り取った写真がかすめた。

***

 木漏れ日が踊る希兵隊舎の敷地内を、コウはゆっくりと歩いていた。目的地へ行くためではなく、ただ足を踏み出し続けることで時間を後ろへ後ろへと送るような歩み。時間にしてそう長くはなかったが、二人の中では半日もそうしているような心地だった。木陰で立ち止まったコウは、肩のルシルを両手で抱き、ゆっくりと地面に下ろした。
「気分はどうだ?」
「……別に、最初から悪くなどない。過保護が」
「そうかよ」
 そっぽを向いて言うルシルに、コウは気を悪くする様子もなく軽い調子で答えた。
「……ただ」
「……」
「やはり、思い出してしまう……な」
「……」
 ルシルはしばらく黙った後、コウを見上げると、彼のすねをしっぽで撫でた。
「……気にしないでくれ。私は大丈夫だ」
「そうか。……なら、自分のタイミングで戻りな。あ、でも点滴打ったってことになってんだから、その所要時間を考えろよ。すぐ戻ったら、『こいつ点滴飲んだな』って思われるからよ」
「飲むか!」
 牙を見せてツッコむルシルに、コウはわずかに笑ってひらっと手を振り、隊舎へと足を向けた。
「……コウ」
 去ろうとする背中に呼び掛ける。
「いつかは、言おうと思うよ。彼女らは、私の……友人たちだから」
「……そうか」
「ああ」
 穏やかに答えると、ルシルは踵を返してワープフープへと歩いて行った。コウは振り返って、その後ろ姿を見守る。そして、小さくつぶやいた。
「……変わったな、ほんと。人間に対しても、……過去に対しても」
 一瞬、コウの瞳が陰った。暗い過去に思いをはせるまなざしだ。
 だが、それも次の瞬間には幻のように消え、いつもの彼に戻ると、「暑い」とぼやいて隊舎の中へと入っていった。
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