生活と思考の巡り

青野 冬湖

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私の人生と死

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私の人生には「死」がずっとついてまわっているように思う。
小学生の時、祖父と伯母が亡くなった。中学生の時、祖母が亡くなった。大学生の時、祖父が亡くなった。私に祖父母はもう1人しかのこっていない。
他にも慕っていた大人たちが何人も亡くなっていて、人生で何度もお焼香をあげ、悲しい顔を向けられた。

ご愁傷様という言葉が嫌いだ。
知らない人が亡くなったと聞かされてなんと言えばいいかわからない友人が私にかける言葉だ。

映画やドラマで誰かが死んだシーンを観ると、鼻の奥がツンとなる。
それは私の経験を元にしたものなのか、ただ私がもらい泣きしかできないからなのか、わからない。泣きたい時には人が死ぬ映画を観るが、最近はもらい泣きすらできなくなった。
泣きたい時に泣くことさえできない。それが無性に寂しい。

小学生の時に、母に手紙を書いた。二分の一成人式の時だ。
死ぬまで元気でいて、というようなことを書いて、母は「こういうときの手紙では死ぬとか書かないほうがいい。」と言った。
きっとその当時から私は、人間は死んだら終わりなんだということを実感しすぎてしまっていたのだろう。どうしても、母だけは死んでほしくなかった。

小学生時代は自分でもびっくりするくらい記憶が薄れていて、友達がはさみを落とした瞬間や、くだらないことを言った声だけ鮮明に覚えていたりする。
記憶は薄いが、父と離れて暮らすようになったあたりから、私の性格が大きく変わっていった気がする。
私と母は祖母の隣に引っ越し、父は父の両親の元に残った。すぐに会える距離だが、しばらく会えなかった。会う気にもなれず、会わせてももらえなかった。そういう離れ方をした。
当時は何が何だか分かっていなかったが、中学生になって段々と社会や他者からの見られ方を知り始めた頃、自分の状況が世間一般とは悪い方向に違っているということを自覚した。
周りの人の言葉ひとつひとつに対して悪意を含んでいないか気にするようになり、誰かに吐き出してしまいたいのに誰にも言えないジレンマに苦しんだ。
1人、先生が私の異変に気づいて話を聞いてくれた。私はやっと泣くことができた。
同じく家庭の悩みで病んでいる友達とトイレで集まって話を聞き合い、放課後は先生の部屋で一緒に泣いた。あのとき先生や友達がいなかったら、私は今もっとボロボロで、もしかするとこの世にいなかったかもしれない。

高校に入って、先生とも友達とも離れた。
私はまたひとりで抱え込むことになった。
さらに自分の親族たちの聞きたくもなかった話を母親から打ち明けられ、いよいよ私は絶望した。一生この重荷を背負い、しかも背負っているのを隠しながら生きていかなければならないことに、絶望した。
私が信頼している少数の友達にも、全ては言えない。
私が今背負っている重荷を軽くしようと人に話すことは、その人と重みを分け合うということだ。それはいわば押しつけでもあるということに気づいて、ますます誰にも言えなくなった。
私の問題を、人に押し付けることはできない。してはいけない。
これまでの友達、これから出会う大切な人たちに、私は私の背負っているものを隠して、自分の中の暗い部分を偽っていかなければければならないのだろうか。
いつかそれを打ち明けなければならない時が来て、もし関係を断たれたら。
もう二度と、以前と同じように話すことができなくなったら。
私はきっと立ち直れない。

こういう話をすると、人は「あなたは悪くない」と言う。
そんなことは私にも分かっている。私はなんの悪いこともしていないのだから。
「あなたは悪くない」と言われたら、私は「そうだよね、ありがとう」と答える。
でも、私はその先に対して苦しんでいるのだ。
私は悪くないのに、なんでこんなに苦しまなければならないのか。そこに苦しんでいる。


いつか、私の背景も含めて全てを受け入れてくれる人が現れるだろうか。
私の背中に重くのしかかっているコレを、私はちゃんと受け入れられるようになるだろうか。

今はまだ、ただの重荷で負の塊としか思えないけれど、いつか考えは変わるのだろうか。



家の目の前に大きな葬儀場が建つらしい。
私の一軒家の実家は無くなってしまうようだ。
また、人の死が私の人生に現れた。
陰りが見える。
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