【完結】観察者、愛されて壊される。

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【最終章】だいすきなひと

5-4

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部屋の空気が、いつもより重たい。

薄暗い照明に照らされた寮の一室、窓のカーテンは閉じられ、孝はベッドに座らされていた。
両手首はネクタイで背後に縛られ、首には薄い紐が一重に巻かれている。

少しでも動けば、軋む。
締めすぎていないはずの紐が、存在を主張してくる。
孝はまるで、指先すら動かせないように俯いていた。

 

コンコン、と扉が鳴った。

俺が開けると、そこにいたのは天瀬晴人だった。白い袋を抱えて、笑っている。


「やあ。」
「……何しに来た」
「プレゼントを持ってきたんだよ。君に、ね」

そう言って、晴人は遠慮もなく部屋に入ってくる。
視線は真っ直ぐベッドの上の孝に向かっていた。孝の肩が、ビクリと大きく跳ねたのが分かった。

 

「体の支配がしたいならさ、もう調教しちゃえば?」
「……もう、してる」
「そういう生温いのじゃなくてさ。もっと、こう……“恐怖”を植え付ける方法だよ」

 
どさ、と音を立てて、白い袋を床に置く。
晴人が器用に袋の口を解くと、中からいくつもの黒や銀のパッケージがこぼれ出した。

何かが軋んだような音がして、孝の顔がさらに青くなる。

 

「……お前、これ……」
「うん?」
「なんで、こんなもの……」
「美咲くんが陥落しなかったら、最終手段にしようと思ってたんだ」
「……根津が可哀想だろ」
「いいじゃん。使わなかったんだから」

まるで旅行の土産話でもしているかのような調子で、晴人は一つずつ品物を並べていく。

 
「これは?」
「尿道ブジー」
「これは」
「エネマグラ」
「これは?」
「プロステートチップ」
「これは……ローションと……ガーゼ?」
「あ、それは使いやすいかもね。暴れられても安全だし」
「訳がわからないものが多すぎる……」
「説明書見たら?」

晴人は無邪気な口調でそう言いながら、荷物の整理を続けている。

孝は、恐怖を隠せない表情をしていた。
俺しか知らない、あの風紀委員室で初めてあいつを暴いた時にみた顔。

渦のような目が見開いたまま動かない。
視線は宙を見て、口は一文字に引きしばっているのに奥歯を震わせている。
泣きそうなようにも、怒り出しそうなようにも見える。壊れる瞬間のあいつの表情。
迷子の子供のような顔をしながら、ただ肩が、微かに揺れていた。

 

その顔を、晴人がじっと見下ろしていた。
笑っていなかった。
いつもの王子様の仮面を脱いだ、無表情の顔。
口端がわずかに歪んでいた。

 

「——君も、そういう顔、できたんだね。」

囁くような声で、まるで感慨深そうに呟かれたその一言が、澪の耳に触れた瞬間。

澪は、晴人の肩を掴んでいた。


「見るな。もう出てけ」
「……うん、僕も、もう満足したし」

晴人は手を引き、肩をすくめてドアへと向かう。


「″それ″はあげるよ。僕には美咲くんがいるから」

そう言って晴人が視線を向けたのはあいつが持ってきた″荷物″。孝のことじゃない、分かっている。
なのに焦燥感は拭えなくて、澪は鋭い目で晴人を睨んだ。


ドアが閉まる音がしても、しばらくは何も動かなかった。
室内には、孝の荒い呼吸だけが、静かに、かすかに、微かな音を立てていた。

俺はその呼吸を聴きながら、孝の髪に触れる。
誰にもやらない。触れさせない。見させない。 


「暴れたら、首の紐が締まるから……」


こいつは、俺のだ。
壊すのも、治すのも、俺がする。


「——暴れるなよ。」


無理だと分かっている言葉を、ハッキリと口にした。










***








いやだ、
いやだいやだいやだいやだ、
やめて、もういやだ、
もう、いやだ、壊れる、あたまが、俺が
おかしくなる。
やめて、お願い、澪。
お願い、おねがい、たすけて。みおちゃん、
いやだ、やめて、もう、やめて。
まだ?
ねえ、終わらない。いつまで、
いやだ、もう、死んだほうがましだ。たすけて、みおちゃん、みおちゃん、みおちゃん、みお———………







「ごめ、ごめんなさい……ごめん……なさ……みお、ごめんなさい……」

自分の口から出ているのに、まるで他人の声みたいだった。

言葉が途切れる。喉が詰まって、舌がうまく動かない。
息が苦しくて、なのに懺悔だけは止まらない。


「ごめんなさい……もう、無理、むり……みおちゃん、ごめん、ごめん、ごめんなさい……おねが……ゆるして……」

 
涙が止まらなかった。
何度謝っても、心の底から絞り出しても、俺の中の何かはまだ叫び続けていた。
身体中が限界を叫んでいて、心はそれ以上にもう、壊れている。
 

視界がぼやける。
体が熱いのか寒いのかもわからない。
頭の中が真っ白で、気づけば——

 

——俺は、自分から、澪に口付けをしていた。

 

ぎこちなく、震えながら。
額が澪の胸に触れて、呼吸が乱れて、どうしようもなく惨めな姿で。

 

それでも澪は、何も言わず、そのキスを受け入れてくれた。

 

「……よく頑張ったな」

 

優しい声だった。
何もかもを肯定するような、あまりにも優しすぎる声音。

 

「もうお前が嫌なことはしないから、安心しろよ。お前が“いい子”にしてる間は、大事にしてやるから」

 

その言葉に、胸がぎゅうっと苦しくなる。

苦しいのに、ほっとする。
怖いのに、救われたような気がする。

 

(……ああ、そうか)

 

もう、逆らわなければいいんだ。
最初から、そうしていればよかった。

怖い思いもしなくて済んだ。
捨てるものもなかった。

俺が“いい子”でいれば、
澪は優しい。
俺を撫でてくれる。
抱きしめてくれる。
俺の名前を呼んでくれる。

そうやって——俺を“生かしてくれる”。

 

それで、いいじゃないか。

そうだろ?

 

朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
鳥の声が遠くで鳴いていた。

普通の朝みたいだった。
けれど、俺の中では何かが完全に折れていて、
その欠けた空洞に、澪の言葉がすうっと入り込んできた。

 

これが、最後の選択肢だったのかもしれない。

“自分で歩くこと”を諦めた俺に、
与えられた、もう一つの“優しい世界”。

 

——そうして、その日から。


澪は、何もかも与えてくれるようになった。

 

服を着せてくれる。
食事を用意してくれる。
俺の顔を撫でてくれる。
「大丈夫だよ」と、毎晩耳元で囁いてくれる。

 

優しさが、支配に変わっていく音も聞こえなくなった。

俺の中の“俺”は、もう何も言わない。

ただ、微笑んでいた。






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