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【最終章】
4
しおりを挟む燃え盛る音が、空気を裂くように響いていた。
それは焚火の音などではない。人の心を溶かすような、生々しい業火だった。
「……逃げ出そうとしていたようだ」
ユリウスは、倒された祭壇の前で腕を組む。
憲兵に押さえ込まれた老いた男たち、教会の中枢にいた大司祭たちは、目を見開いたままうめき声を上げていた。
幾人かは泣き、幾人かは天に祈るように目を閉じていた。
だが、もはやその祈りに応える神はいない。
「これが、“聖域”……ですか」
憲兵がかすれた声で呟く。
ユリウスの隣に立つ彼の足元には、今まさに燃え広がろうとする無数の石楠花の茂みがあった。
石造りの礼拝堂の裏、地下へと続く小道の先。
そこに存在したのは、もはや自然の域を超えた花の牢獄だった。
……見渡す限りの石楠花。
赤、白、紫、薄桃色、そして鮮やかな青。
密集しすぎて地面が見えないほどの花が、風もないのに揺れている。
あまりにも美しく、悍ましい光景だった。
いったいどれほどの年月世話をすれば、ここまで株を増やせるのか。
聖女が愛し、世話した花々が彼女を地獄に落としていたなんて、
「……皮肉だね。聖域が、毒の温床だったとは」
ユリウスは冷ややかに言い放ち、ひとつ息をついた。
炎の揺らめきが、その端整な顔を照らし、まるで異端審判者のようだった。
「燃やせ。全部だ」
その命令に、憲兵たちが火を投げ込む。
花の香りと、蜜の甘い匂いが焦げた空気に混じって、なんとも言えない異臭が広がった。
蒸し焼きにされるような熱の中で、石楠花の色が変わっていく。
咲き誇っていた毒花たちは、やがて灰の粉となり、重く地面に降り積もっていく。
「……きれい、だ」
誰かが、ぽつりと呟いた。
あまりにも、皮肉な言葉だった。
花の楽園。毒の巣窟。
人の心を奪い、国の頂点さえも狂わせた″聖域″は、今こうして音もなく崩れていく。
「見ておくといいよ。これが、君たちが見れる最後の教会だからね。」
ユリウスの声に、大司祭たちは誰一人反論できなかった。
その瞳に浮かぶのは、崩れ去った“奇跡”の正体。
そして、自分たちが積み上げてきたものが、虚構であったことの証明だった。
「……それでも、彼女は神を信じていたんだろうな」
口からこぼれた声に、ユリウスはただ目を細めた。
燃え尽きる花の香りは、どこか懐かしく、
それでも確かに、世界の終わりを告げるように、痛烈なまでに甘かった。
「……尋問室にはいかない。
君たちの悲鳴を、彼女たちは聞きたくないだろうからね…、
だから、話してもらおうか。 今ここで、全て。」
***
王城の応接間は、夜の帳に包まれていた。
外では衛兵が松明を掲げて巡回しているが、この部屋にはそれを打ち消すような重苦しい静寂が満ちていた。
ソファに腰を下ろすレティシアは、グラスの水を一口だけ含み、静かに目を伏せる。
隣のユリウスもまた無言のまま、書類を一枚机に広げていた。
向かいには、黒い礼服のアルフォンス。
教会の火は消えた。
ユリウスが、ゆっくりと語りだす。
———ことの真相は聖域に咲いた″石楠花の花″。
その蜜を使って幼いころセラフィーヌがクッキーを焼いたことが発端だった。
石楠花の幻覚作用に気がついた教会関係者は
教会と王家の政治バランスを覆すため、彼女を″未来が見える聖女″として祭り上げる。
実際は未来など見えるはずもなく、聖女に適当な言葉を言わせ教会の力で事実を捻じ曲げてきた。
そして王家は教会との力関係のため、聖女に接触する。
近づいてきた男たちに何も知らない聖女は無邪気に″毒″を与えて中毒者にしていった。
レティシアの喉がひくりと動く。
「……聖女は、何も知らずに。ただお菓子を作っていただけ……?」
「そうだよ。……でも、それが国を蝕んだ」
ユリウスの声が、どこか遠くを見ているように響いた。
「教会は聖女の″蜜″を政治の駒にした。王族の心を支配することで、実権を奪うために。」
「……彼女は、……セラフィーヌは……、尋問されてもなお、教会のことは話そうとしなかったわ……!」
レティシアの肩が、激情に震える。
「こんな……っ、……あまりに、惨い……っ」
それは、初めて見る顔だった。
——そうか。
彼女は、悪意ある人間を裁くことには慣れていても、
悪意のない人間には慣れていない。
彼女はまだ世の不条理を、飲み込むことができない。
「レティシア。君がかつて誘拐された事件、覚えているね?」
「——っ」
私は思わず息を飲む。ユリウスの目は、真っ直ぐにこちらを見ていた。
「調査記録が見つかった。あれは事故ではなかった。
王家とヴァルデューラ家の繋がりを阻止するために、大司祭が仕組んだ計画だった」
「……そ、んな……」
「君は″マッドハニー″の実験台にされ、洗脳される予定だった。
……″国の暗部”として教会は君を傀儡にして、導き手の聖女と裁き手の君で国を掌握したかったんだろうね。」
レティシアの目が大きく揺れる。
背筋に冷たいものが走り、思わず両手を膝に押しつけた。
「…だから、彼女に同情するなと? むしろ逆効果ですわ!…私は、私は無罪の人間に尋問なんて——」
「無罪ではない」
会話を遮ったのは、ずっと無言を貫いていたアルフォンス殿下だった。
彼は目を伏せ、しかし芯のある声でハッキリと否定する。
「セラフィーヌも、俺も、無罪ではない。
たとえ意図がなかったとしても、俺たちは国を歪めた。その始末は、負わなければならない」
「……でも、それでは……!」
「君だって、分かっているはずだ。
これは“過失”では済まされない。信仰を楯に、国家を揺るがした。……罪は、罪だ」
レティシアは、目を伏せた。
胸の奥に積もる、どうしようもない無力感。
誰も救えないまま、秩序だけが人を裁いていく。
セラフィーヌは、断罪される。
大司祭たちと同様、斬首刑が言い渡される。
あの子の笑顔と最後に聞いた声が今も耳に残って離れない。
尋問して、彼女を正面から見て、嫌というほど分かった。
あの子は被害者だと。
なのに救えないなんて、この秩序は不条理だ。
「泣いていいんだよ、レティシア」
彼の手が、そっと肩を抱く。
温かく、逃げ道のような、安堵のぬくもりだった。
「……彼女が、悪人だったらよかったのに……」
絞り出すような声。
それでも、泣いてはならぬと歯を食いしばるレティシアの胸の奥で、何かが静かに崩れていった。
『無罪ではない』
アルフォンス殿下の言葉が、深く突き刺さる。
彼の言葉は正しい。
聖女を誰よりも愛しているのに、
彼は一度捨てた秩序を今度は守ろうとしている。
私は、ヴァルデューラ家の継承者として、
正しい選択をしなくてはいけない。
いいえ、選択なんてそもそも存在しない。
彼女の罪は、既に詳らかになったのだから。
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