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第1章 盗まれた瞳
第5話
伯爵は、いとも簡単に罠にかかってくれた。
「その伝説なら、私も聞いたことがあります。さらに、その石は持ち主を命の危険から守ってくれる、持ち主に危機が近づけばその色の変化をもって知らせるという言い伝えがあります」
「ええ。確かにこの本にもそう書いてありますわ」
ユリウスは本を抱えて言った。
「それにしてもよくご存じですわね、ラトゥール様。一体どちらでそのお話を?」
「実は、私の母から聞いたのです」
「お母様から?」
ユリウスは、気づかれないようにゴクリと唾を飲み込んだ。
エオミールたちの調べによれば、教会によって没収された『魔女の瞳』はその後国王のものとなり、国王の手からラトゥールの父親、つまり先代のエステバリス伯爵の手へと移ったのだ。
「ええ。実は私の母はその宝石を持っていたのですよ。父が武勲をたてたときに、恐れ多くも国王陛下から直々に、ご褒美としていただいたのです」
ラトゥールは胸を張って得意げに言った。
男が自慢話好きなのは、古今東西どこでも同じである。聞き上手は、それを更に持ち上げることも忘れない。
「まあ、国王陛下から? 素敵! とてもご立派なお父上でしたのね。でも、その石は今はどちらへ?」
「母が亡くなってからは、身につけるものがいなくなったので、城の地下倉庫に保管してあります」
地下倉庫? それはどこにあるのだろう。アージュが以前忍び込んでさんざん探しても見つからなかったと言っていたが。
そこでユリウスは「おねだり作戦」に出た。
「そうですか。きっととても美しい石なんでしょうね。大きさはどのぐらいなのかしら? 色は血のように赤いんですって? 暗闇でも輝くって本当ですの?」
ユリウスは、さも興味津々な風を装った。目をきらきらと輝かせ、ラトゥールに顔を近づけ、首を傾げて見上げる。おねだりでも、はっきり『見せてほしい』と言わないところがコツだ。
そんなユリウスを見て、ラトゥールは可愛くてたまらないというような表情を浮かべた。
「見たいのでしたら、お見せしますよ」
このように、相手の方から言わせるのがプロである。
「まあ、本当に?」
ユリウスは胸の前で両手を組み合わせ、精一杯、歓喜の表情を作る。
ラトゥールは、ユリウスを中庭に面したテラスから城内へと招き入れた。そしてユリウスの手を取り、階段を上っていく。
「地下倉庫にあるのではなかったんですの?」
「ええ。ですがそこへ行く通路の入り口は上の階にあるのです」
連れて行かれたのは、城の最上階。城主の部屋だった。
「ここは……」
「ええ、私の寝室です」
凝った木彫りに金箔を貼ってある豪奢な扉を開き、部屋の奥へと入る。
壁際の本棚の縁に、ラトゥールは手をかけた。両手で思いっきり横に引くと、棚が動いた。中は空洞になっていて、よく見ると足元には階段がある。
ラトゥールは燭台に火を灯すと、それを持って、秘密の通路に片足を踏み入れた。
そのまま振り返って、ユリウスを見る。
「ここで少し待っていてください。すぐに戻りますから」
ユリウスはハッとして、ラトゥールの腕に取りすがった。
「いいえ、わたくしもご一緒に参ります」
ここで置いていかれては、宝石のはっきりした隠し場所がわからない。
「でも、中は暗いし階段は急で危ないですよ」
ラトゥールは不思議そうな顔をした。
「でも、一緒に行きたいんです。その、地下室ってわたくし、行ったことがなくて。どんなふうになっているのか、一度行ってみたかったんです」
ユリウスはラトゥールの腕を両腕で抱き締めるようにして縋りついた。
惚れた女にここまでされては、きかないわけにはいかないだろう。
「わかりましたよ。では、そのまましっかりつかまっていてくださいね」
好奇心旺盛な女の可愛い我が儘に、伯爵は笑みをこぼした。
地下へと通じる階段には、窓ひとつなく、足元を照らすのは頼りない蝋燭の炎のみ。その先は深い暗闇で、どうなっているのか全く見えない。
そんな中を、ラトゥールは一歩一歩、ゆっくりと進んで行く。ユリウスも彼に体を支えられながら降りていく。
「それにしても、どうしてこんな地下なんかにしまっておくのですか? 持ち主の危機を教えてくれるという石なのですから、お側に置いておけばよいのではありませんか?」
歩きながら、ユリウスは素朴な疑問を口にしてみた。
すると、ラトゥールは少しの間、黙り込んでしまった。
「あの、ラトゥール様?」
何か気に障ることでも言ってしまったのかと思い、ユリウスは彼の顔をのぞき込んだ。
蝋燭の明かりに照らされたラトゥールの表情には、ほんのわずかだが悲しみの色が見えた。
「ああ、すみません。少し考え事をしていたもので」
それからラトゥールは、ためらうように少々間を置いてから、言った。
「確かに、あの石が持ち主に及ぶ危機を知らせてくれるというのは本当です。私もこの目で見ましたから。父と母が病に倒れる前の日、あの石は本当に色を変えたのです。不吉な闇の色にね。でも、私にはどうすることも出来なかった。両親の命の危機が目前にせまっていると知っても、それを食い止めることはできなかったのです」
悔しげな声で言う。ユリウスは、自分を支えてくれている腕がかすかに震えているのに気づいた。
「だから、両親の死後、あの石は封印してあるのです。持ち主に危機が迫っているとはわかっても、その危機の正体がなんなのかわからないのでは、意味がありませんからね」
知っていたのに、救えなかった。その悔しさを、もう二度と味わいたくないということなのだろう。
ユリウスも、境遇は違うが両親を亡くしている。あの頃の自分はまだ、今のラトゥールよりも若かった。目の前で両親が殺されているのに、何も出来なかった。それが悔しくて、強くなろうと決めた。剣に頼らない素手での武術を習い始めたのはその後だった。
両親を一度に失った悲しさ、そして近くにいながらそれを救えなかったつらさは、痛いほどわかる。
だがここでそれを言うわけにはいかない。ユリウスが演じているのは公爵令嬢のミレーヌであり、彼女は両親とも健在なのだから。
言葉の代わりに、ユリウスはラトゥールの手をとり、両手でぎゅっと握り締めた。
「ミレーヌ?」
甘い響きを持った声で呼ばれて、ユリウスはハッと我に返った。
やばい。ほだされかけているどころじゃない。すっかり情が移ってしまっている。
今、彼に同情などしてどうするんだ。
宝石の在りかがわかったら、そいつを奪って、おさらばだ。それっきり、もう二度と会うことはない。
───もう、二度と?
頭の中でそう言葉にした瞬間、ユリウスの胸がズキンと痛んだ。
なんなんだ、この痛みは。
思わず胸元を手でぎゅっと握り締める。
そうだ、自分はきっとこの城での生活が気に入っているのだ。だからここを離れるのが嫌なだけだ。そうに違いない。
綺麗な城で、おいしい御馳走を食べて、面倒な事はなんでも召使いにやらせて、優雅にのんびりと過ごす毎日。そして伯爵との楽しい会話。美しいと誉められもてはやされ、惜しみない愛情を注がれる日々。それがあまりに居心地が良すぎたから。
まるでお姫様のように大事に大事に扱われて、いい気分になっていた。
それだけだ。別にこの男を気に入ったわけじゃない。
必死で自分にそう言い聞かせる。だが、ユリウスの胸の痛みは収まらない。
それにしても、長い階段だ。最上階から地下へ降りるのだから、時間がかかって当然だろうが。
しばらく沈黙が続いた後、ラトゥールが言った。
「ところで、昨夜はあなたの召使いを勝手に追い出してしまってすみません。何かお困りのことはございませんでしたか?」
「え? いいえ、今のところは何も……」
「そうですか。なんでも城の者に遠慮なく申し付けてくださいね。皆、あなたを好いているようですし」
「そうなんですか?」
「ええ。あなたがこの城にずっといてくれたらいいと、皆言っておりますよ。もちろん、私も心からそう思っています」
そうできたら、どんなにいいだろう。そう思ってしまい、ユリウスは唇を噛んだ。
そんなことできるわけがない。エオミールたちは早く宝石を手に入れたいだろうし、いずれはばれてしまうに決まっている。自分が本物の公爵令嬢ではないことも、そして、男だということも。
だいたい、男の自分が、このまま女として生きることが幸せなわけがないではないか。一体何を血迷っているのだろう。
やがて、二人は地下室へたどり着いた。
ラトゥールは自分の首にかけてあった細い銀の鎖を、襟元から引きずり出す。その先端についている鍵を、扉の鍵穴に差し込んだ。
鍵を回すと、ガチャリという音がした。そしてラトゥールが扉を押すと、重く軋んだ音とともに、扉が開く。
中はかびくさいにおいと湿った空気が充満していた。
部屋の奥の暗闇に、何かキラリと光るものがある。
「あっ!」
ユリウスは思わず声をあげた。
その赤い光はまるで獣の目のようだが、ネズミのものにしては大きすぎる。それに、一つしか見えない。
「これが、その宝石ですよ」
ラトゥールはユリウスの手を引きながらそれに近づいて行き、蝋燭の明かりをかざす。
その石は、確かに自らが輝いていた。
「まあ……なんて綺麗なの!」
その石は男の親指の先ほどの大きさで、全体がぼんやりと赤い光を放ち、さらにその中心から十字の形に白い光の筋を浮き上がらせていた。
周りは小さな白い石をちりばめた金細工で、首飾りになっている。
こんなに美しい宝石を、ユリウスは初めて見た。しかもこの不思議な十字の形の輝きといい大きさといい、とても珍しいものに違いない。外国の富豪にでも売れば一生遊んで暮らせるほどの大金が手に入るだろう。
「あの……触ってみてもいいかしら?」
「どうぞ」
ユリウスはその首飾りを手にとって眺めた。
「お気に召しましたか?」
問われて、ユリウスは素直な気持ちでうなずく。
「ええ。まさか本当に、こんなに美しい石だったなんて」
するとラトゥールは、首飾りを持ったままのユリウスの両手に両手を重ねて言った。
「私と結婚してください、ミレーヌ。そうすれば、この首飾りはあなたに差し上げましょう。……いいえ、それだけではありません。あなたが嫁いできてくださるのなら、私の財産もこの城も、すべて私とあなたの共有の物になるのです」
ユリウスは、思わず息を飲んだ。
首飾りは欲しい。だが結婚はできない。
台の上に置かれた燭台の炎に照らされて、ラトゥールの真摯な表情が見える。
───俺なんかにまんまと騙されて、結婚を申し込むほど骨抜きにされて。この男がもし真実を知ったら、どんなに衝撃を受けることだろう。
そう思うと、やはり同情してしまう。
「ありがとうございます、ラトゥール様。お気持ちはうれしいのですが、少し考えさせていただけませんか?」
「かまいませんよ。良いお返事を期待しています」
ラトゥールはにっこりと微笑んでそう言ってくれた。
騙した相手に同情するなんて、初めてだった。
あの真冬の日に、雪の舞う中で騙した女の泣き顔を見た時でさえ、彼女を哀れだとは思わなかった。そう思うことの出来ない自分に、ひどく苛立っただけで。
お人よしで純粋で、ユリウスを心の底から信じきっているということは、彼女もラトゥールも同じなのに。
一体何が違うというのだろう。
「その伝説なら、私も聞いたことがあります。さらに、その石は持ち主を命の危険から守ってくれる、持ち主に危機が近づけばその色の変化をもって知らせるという言い伝えがあります」
「ええ。確かにこの本にもそう書いてありますわ」
ユリウスは本を抱えて言った。
「それにしてもよくご存じですわね、ラトゥール様。一体どちらでそのお話を?」
「実は、私の母から聞いたのです」
「お母様から?」
ユリウスは、気づかれないようにゴクリと唾を飲み込んだ。
エオミールたちの調べによれば、教会によって没収された『魔女の瞳』はその後国王のものとなり、国王の手からラトゥールの父親、つまり先代のエステバリス伯爵の手へと移ったのだ。
「ええ。実は私の母はその宝石を持っていたのですよ。父が武勲をたてたときに、恐れ多くも国王陛下から直々に、ご褒美としていただいたのです」
ラトゥールは胸を張って得意げに言った。
男が自慢話好きなのは、古今東西どこでも同じである。聞き上手は、それを更に持ち上げることも忘れない。
「まあ、国王陛下から? 素敵! とてもご立派なお父上でしたのね。でも、その石は今はどちらへ?」
「母が亡くなってからは、身につけるものがいなくなったので、城の地下倉庫に保管してあります」
地下倉庫? それはどこにあるのだろう。アージュが以前忍び込んでさんざん探しても見つからなかったと言っていたが。
そこでユリウスは「おねだり作戦」に出た。
「そうですか。きっととても美しい石なんでしょうね。大きさはどのぐらいなのかしら? 色は血のように赤いんですって? 暗闇でも輝くって本当ですの?」
ユリウスは、さも興味津々な風を装った。目をきらきらと輝かせ、ラトゥールに顔を近づけ、首を傾げて見上げる。おねだりでも、はっきり『見せてほしい』と言わないところがコツだ。
そんなユリウスを見て、ラトゥールは可愛くてたまらないというような表情を浮かべた。
「見たいのでしたら、お見せしますよ」
このように、相手の方から言わせるのがプロである。
「まあ、本当に?」
ユリウスは胸の前で両手を組み合わせ、精一杯、歓喜の表情を作る。
ラトゥールは、ユリウスを中庭に面したテラスから城内へと招き入れた。そしてユリウスの手を取り、階段を上っていく。
「地下倉庫にあるのではなかったんですの?」
「ええ。ですがそこへ行く通路の入り口は上の階にあるのです」
連れて行かれたのは、城の最上階。城主の部屋だった。
「ここは……」
「ええ、私の寝室です」
凝った木彫りに金箔を貼ってある豪奢な扉を開き、部屋の奥へと入る。
壁際の本棚の縁に、ラトゥールは手をかけた。両手で思いっきり横に引くと、棚が動いた。中は空洞になっていて、よく見ると足元には階段がある。
ラトゥールは燭台に火を灯すと、それを持って、秘密の通路に片足を踏み入れた。
そのまま振り返って、ユリウスを見る。
「ここで少し待っていてください。すぐに戻りますから」
ユリウスはハッとして、ラトゥールの腕に取りすがった。
「いいえ、わたくしもご一緒に参ります」
ここで置いていかれては、宝石のはっきりした隠し場所がわからない。
「でも、中は暗いし階段は急で危ないですよ」
ラトゥールは不思議そうな顔をした。
「でも、一緒に行きたいんです。その、地下室ってわたくし、行ったことがなくて。どんなふうになっているのか、一度行ってみたかったんです」
ユリウスはラトゥールの腕を両腕で抱き締めるようにして縋りついた。
惚れた女にここまでされては、きかないわけにはいかないだろう。
「わかりましたよ。では、そのまましっかりつかまっていてくださいね」
好奇心旺盛な女の可愛い我が儘に、伯爵は笑みをこぼした。
地下へと通じる階段には、窓ひとつなく、足元を照らすのは頼りない蝋燭の炎のみ。その先は深い暗闇で、どうなっているのか全く見えない。
そんな中を、ラトゥールは一歩一歩、ゆっくりと進んで行く。ユリウスも彼に体を支えられながら降りていく。
「それにしても、どうしてこんな地下なんかにしまっておくのですか? 持ち主の危機を教えてくれるという石なのですから、お側に置いておけばよいのではありませんか?」
歩きながら、ユリウスは素朴な疑問を口にしてみた。
すると、ラトゥールは少しの間、黙り込んでしまった。
「あの、ラトゥール様?」
何か気に障ることでも言ってしまったのかと思い、ユリウスは彼の顔をのぞき込んだ。
蝋燭の明かりに照らされたラトゥールの表情には、ほんのわずかだが悲しみの色が見えた。
「ああ、すみません。少し考え事をしていたもので」
それからラトゥールは、ためらうように少々間を置いてから、言った。
「確かに、あの石が持ち主に及ぶ危機を知らせてくれるというのは本当です。私もこの目で見ましたから。父と母が病に倒れる前の日、あの石は本当に色を変えたのです。不吉な闇の色にね。でも、私にはどうすることも出来なかった。両親の命の危機が目前にせまっていると知っても、それを食い止めることはできなかったのです」
悔しげな声で言う。ユリウスは、自分を支えてくれている腕がかすかに震えているのに気づいた。
「だから、両親の死後、あの石は封印してあるのです。持ち主に危機が迫っているとはわかっても、その危機の正体がなんなのかわからないのでは、意味がありませんからね」
知っていたのに、救えなかった。その悔しさを、もう二度と味わいたくないということなのだろう。
ユリウスも、境遇は違うが両親を亡くしている。あの頃の自分はまだ、今のラトゥールよりも若かった。目の前で両親が殺されているのに、何も出来なかった。それが悔しくて、強くなろうと決めた。剣に頼らない素手での武術を習い始めたのはその後だった。
両親を一度に失った悲しさ、そして近くにいながらそれを救えなかったつらさは、痛いほどわかる。
だがここでそれを言うわけにはいかない。ユリウスが演じているのは公爵令嬢のミレーヌであり、彼女は両親とも健在なのだから。
言葉の代わりに、ユリウスはラトゥールの手をとり、両手でぎゅっと握り締めた。
「ミレーヌ?」
甘い響きを持った声で呼ばれて、ユリウスはハッと我に返った。
やばい。ほだされかけているどころじゃない。すっかり情が移ってしまっている。
今、彼に同情などしてどうするんだ。
宝石の在りかがわかったら、そいつを奪って、おさらばだ。それっきり、もう二度と会うことはない。
───もう、二度と?
頭の中でそう言葉にした瞬間、ユリウスの胸がズキンと痛んだ。
なんなんだ、この痛みは。
思わず胸元を手でぎゅっと握り締める。
そうだ、自分はきっとこの城での生活が気に入っているのだ。だからここを離れるのが嫌なだけだ。そうに違いない。
綺麗な城で、おいしい御馳走を食べて、面倒な事はなんでも召使いにやらせて、優雅にのんびりと過ごす毎日。そして伯爵との楽しい会話。美しいと誉められもてはやされ、惜しみない愛情を注がれる日々。それがあまりに居心地が良すぎたから。
まるでお姫様のように大事に大事に扱われて、いい気分になっていた。
それだけだ。別にこの男を気に入ったわけじゃない。
必死で自分にそう言い聞かせる。だが、ユリウスの胸の痛みは収まらない。
それにしても、長い階段だ。最上階から地下へ降りるのだから、時間がかかって当然だろうが。
しばらく沈黙が続いた後、ラトゥールが言った。
「ところで、昨夜はあなたの召使いを勝手に追い出してしまってすみません。何かお困りのことはございませんでしたか?」
「え? いいえ、今のところは何も……」
「そうですか。なんでも城の者に遠慮なく申し付けてくださいね。皆、あなたを好いているようですし」
「そうなんですか?」
「ええ。あなたがこの城にずっといてくれたらいいと、皆言っておりますよ。もちろん、私も心からそう思っています」
そうできたら、どんなにいいだろう。そう思ってしまい、ユリウスは唇を噛んだ。
そんなことできるわけがない。エオミールたちは早く宝石を手に入れたいだろうし、いずれはばれてしまうに決まっている。自分が本物の公爵令嬢ではないことも、そして、男だということも。
だいたい、男の自分が、このまま女として生きることが幸せなわけがないではないか。一体何を血迷っているのだろう。
やがて、二人は地下室へたどり着いた。
ラトゥールは自分の首にかけてあった細い銀の鎖を、襟元から引きずり出す。その先端についている鍵を、扉の鍵穴に差し込んだ。
鍵を回すと、ガチャリという音がした。そしてラトゥールが扉を押すと、重く軋んだ音とともに、扉が開く。
中はかびくさいにおいと湿った空気が充満していた。
部屋の奥の暗闇に、何かキラリと光るものがある。
「あっ!」
ユリウスは思わず声をあげた。
その赤い光はまるで獣の目のようだが、ネズミのものにしては大きすぎる。それに、一つしか見えない。
「これが、その宝石ですよ」
ラトゥールはユリウスの手を引きながらそれに近づいて行き、蝋燭の明かりをかざす。
その石は、確かに自らが輝いていた。
「まあ……なんて綺麗なの!」
その石は男の親指の先ほどの大きさで、全体がぼんやりと赤い光を放ち、さらにその中心から十字の形に白い光の筋を浮き上がらせていた。
周りは小さな白い石をちりばめた金細工で、首飾りになっている。
こんなに美しい宝石を、ユリウスは初めて見た。しかもこの不思議な十字の形の輝きといい大きさといい、とても珍しいものに違いない。外国の富豪にでも売れば一生遊んで暮らせるほどの大金が手に入るだろう。
「あの……触ってみてもいいかしら?」
「どうぞ」
ユリウスはその首飾りを手にとって眺めた。
「お気に召しましたか?」
問われて、ユリウスは素直な気持ちでうなずく。
「ええ。まさか本当に、こんなに美しい石だったなんて」
するとラトゥールは、首飾りを持ったままのユリウスの両手に両手を重ねて言った。
「私と結婚してください、ミレーヌ。そうすれば、この首飾りはあなたに差し上げましょう。……いいえ、それだけではありません。あなたが嫁いできてくださるのなら、私の財産もこの城も、すべて私とあなたの共有の物になるのです」
ユリウスは、思わず息を飲んだ。
首飾りは欲しい。だが結婚はできない。
台の上に置かれた燭台の炎に照らされて、ラトゥールの真摯な表情が見える。
───俺なんかにまんまと騙されて、結婚を申し込むほど骨抜きにされて。この男がもし真実を知ったら、どんなに衝撃を受けることだろう。
そう思うと、やはり同情してしまう。
「ありがとうございます、ラトゥール様。お気持ちはうれしいのですが、少し考えさせていただけませんか?」
「かまいませんよ。良いお返事を期待しています」
ラトゥールはにっこりと微笑んでそう言ってくれた。
騙した相手に同情するなんて、初めてだった。
あの真冬の日に、雪の舞う中で騙した女の泣き顔を見た時でさえ、彼女を哀れだとは思わなかった。そう思うことの出来ない自分に、ひどく苛立っただけで。
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