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第一部

1-4.ムカつくあいつの裏事情

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 学生寮が完全に静まりかえった時間に、ロシュの部屋にノックが響いた。
 返事の前に扉を開けたのは、白衣を着たクレメントだった。

「授業時間中に来てんじゃねぇよ」

「この時間、僕の受け持ちはないからね」

 クレメントは本の間にある椅子に座ると、古びた精霊図鑑を手に取る。
 手慣れた様子でページをめくり、アリシアに見せた次のページを開いた。
 そこには雄々しい男性の裸体が描かれており、見たことのある紋章が描かれている。

「サキュバスの呪いはどうなった?」

 インキュバスではなくサキュバス。
 アリシアに伝えられた名前とは違うものに、ロシュは小さく舌打ちをした。
 淫魔と呼ばれる存在は一つだけではない。
 その代表的なものが、インキュバスとサキュバスだった。

「ああ、アリシアさんにはインキュバスって言ってあるんだっけ。
 女の淫魔が女の子に取り憑くはずないのに、よく騙せたものだね」

「あいつの知識にねぇんだから疑いようがないだろ」

「それもそうだけどね。騙しつづけたいなら、お腹のミミズ腫れも重ねておきなよ?
 君は魔力量が人の数倍あるんだから、回復力も桁違いだからね」

 クレメントの言葉にシャツをめくれば、昨日付けた傷はほとんど消えてしまっていた。
 淫魔に紋章を刻まれたのは、本当はアリシアだけだった。
 それなのにわざわざこんな偽装をしたのは、呪いの性質を知っていたからだ。
 生気を集めるための傀儡として、燐光を使って無条件に男性を惹きつけ理性を破壊してしまう。
 そんな男どもと交渉するなんて許せない。
 ただそれだけのために、ロシュは自らを傷つけアリシアを騙した。

「召喚魔術の専門部門に相談しようか?」

「話を大きくすんな。あいつの将来が傷つくような真似はやめろ」

「健気だね」

 からかうような声に、ロシュはレポートを思いっきりぶつけてやった。

「まぁ、何かあったら言ってよね。僕は君たちの教師である前に、君の監督役なんだから」

「うるせぇ。素直に監視って言えよ」

 ロシュの身勝手な行動が許されているのは、成績だけの話ではなかった。
 魔術師の名門の家庭に生まれたロシュは、類い希なる魔法の才能を持っていた。
 そのため、監視という名目を隠すために魔術研究学園に入れられたと言っても過言ではない。

「俺よりあいつを見てやれ。あの馬鹿、危機感なんてまるでないだろ」

「はいはい、心配で堪らないんでしょう? いつもはあんなにいがみ合ってみせてるくせに」

「あいつが噛み付いてくるだけだ」

 問題児であることで人を遠ざけようとしていたのに、アリシアはそれを突破してきた。
 小さな身体で自分を追いかけ、何かをするたびにどんぐりみたいな瞳を向けられる。
 そんな少女に見つめられ、嫌な気がする男など居るものか。
 見栄や家柄で入学した生徒とは違う、遠慮のない関係が心地よかった。
 悔しげに教えを請いながら、ひたむきに将来を夢見る姿勢が眩しかった。
 悪態をつきながら一緒に居れば、すぐに恋に落ちていた。
 ただ、それを伝える気など毛頭なかった。
 面倒な立場の自分が彼女に近付けるわけがない。
 その決意を壊してしまったのが、今回の淫魔の呪いだった。

「今さら他の男に持ってかれるなんて、許せるはずねぇだろ……」

 小さな呟きは自分にしか聞こえていないはずだ。
 同じ呪いを受けた相手なら、他の男より近い立場にいられる。
 それも一度身体を繋げたのだから、次があっても他には行かないだろう。
 色恋に現を抜かさないアリシアならそんなことはないと思うが。

「君は分かってると思うけど、紋章が消えない限り呪いは終わらないよ。
 これからどうするつもりだい?」

 クレメントの言葉に、ロシュは皮肉な笑みを浮かべる。
 今も身体に残るアリシアの感触は、決して味わうはずがなかったものだ。
 しかし、それに対して感謝など浮かばない。
 呪いのせいで身体を繋げたことが、真っ直ぐなアリシアの枷になったらどうしてくれる。
 身を焦がすような怒りは魔力として立ち上り、狭い部屋を息苦しくさせる。
 僅かに身を引いたクレメントを、ロシュは細めた赤い瞳で睨み付けた。

「俺が絶対に解いてやる。あいつに呪いなんかかけやがったこと、後悔させてやるからな」

 紋章を刻んでアリシアを穢すなど、許せるはずがない。
 決してアリシアに見せることのない冷徹な瞳は、長年見守っていたクレメントすら震わせた。

「分かったらさっさとあいつを見ておけ。もしも呪いが発動したら連れてこい。
 燐光にやられでもしてみろ、お前から殺してやる」

「物騒なことはやめようね。そんなに大事なら君がずっと一緒に居てあげればいいのに」

「淫魔の活動時間は夜だろ。昼の間だけ任せるって言ってんだよ」

「ああ、素直じゃないね。はいはい、君の大事なお姫様はちゃんと守りますよ。
 だから妙な気は起こさないでよね。僕にも、他の子にも」

 そう言って、クレメントはそそくさと出て行った。
 今夜も呪いは発動してしまうのだろうか。
 ロシュは一人で頭を抱え、深いため息をついた。

「……あいつ、可愛すぎだろ。これ以上好きになったらどうすんだ」

 青年の深刻な呟きは、誰の耳に入ることもなかった。
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