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第一部

5-4.ムカつくあいつの孤独な決意

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 嵐が去った夜、教師棟の一室に目映い光が立ちこめる。
 それが魔法陣の光だと気付いた時には、術者はとっくにその部屋に入り込んでいた。

「よう、クレメント」

「ロシュくん……せめて普通に来てくれないかい? 一応僕は教師なのだけど」

「てめぇが勝手に転移陣を仕掛けたんだろ。俺の部屋のものを使って何が悪い」

「普通は他人の魔法陣に干渉するなんてできないんだけどね」

 呆れながら受け入れるのは長い付き合いからか。
 大量の書類に向かっていたクレメントだが、諦めたようにロシュと顔を合わせる。
 普段ならばもう少し小言を続けているところだが、いつもと違う様子に目を細めた。

「それで? こんな夜更けに来るんだ、何かあったのかい?」

「しばらくアリシアのこと見とけ。てめぇなら燐光くらい弾けんだろ」

「そりゃあ、多少は大丈夫だろうけど……君はどうするつもりだい?」

「ちょっと出掛けてくる。生気はたんまりやっておいたから二日くらいはもつだろ」

「生徒同士のそういう話、聞きたくないんだけどな……。
 あとねぇ、僕は教師である前に君の監督役なんだけど?」

「必要ねぇよ。行くのはあの家だ」

 ロシュの言葉に、二人の間に緊迫した空気が流れる。
 実家を毛嫌いしているロシュにとって、自主的に帰るなどありえないことだった。
 しかしそれを覆すということは、相応の覚悟を持っているのだろう。

「アリシアさんのこと、何か分かったのかい?」

「ああ。淫魔の野郎の目的は……俺だ」

「……どういうことだい?」

 ロシュがそう結論づけたなら間違いはないのだろう。
 だとしても、その答えに行き着いた理由が分からなかった。
 
「アリシアが夢で聞いたんだとよ。俺の魔力を捧げろって。
 サキュバスじゃ同性の俺に取り憑けねぇからな。アリシアを経由して吸い取るって魂胆だろ」

「まさか……いや、でもそうか。あの時は君の魔力もあちらに届いていたから」
 
 補助者として魔法陣に触れていたロシュの魔力を嗅ぎつけたのかもしれない。
 何がきっかけだとしても、実際に紋章を刻まれてしまったのはアリシアだ。
 ローブの中で傷の残る拳を握ると、ロシュは僅かに息を吸った。

「あいつの負担がでかすぎる。あのままじゃあと数日しか持たねぇ」

「分かっているならすぐにでも専門機関に……」

「連れて行ってどうする? 追い出せなきゃ結局変わんねぇだろ」

「なら、外科手術で紋章を……」

「あの紋章は皮膚で留まってねぇから無理。内臓ごと抉るつもりか?」

「それじゃあ、もう何も……っ」

 できることといえば延命措置のようなものだ。
 有史以来、精霊の呪いは幾度となく魔術師に襲いかかってきた。
 しかしそれを解けた者など数えるほどしか居ないのだ。
 それでも、ただアリシアが弱っていくのを見ているなどできるはずがなかった。

「あの家から使えそうなもんかっぱらってくる。てめぇは俺が戻るまであいつを守ってろ」

「前にも言っただろう? 人間が精霊に力業で勝つなんて不可能だ。
 いくら君が無上の魔術師と呼ばれていても、一人の人間には限界があるんだよ」

 サキュバスが求めていた魔力の持ち主。
 この者よりも上は無い、故の無上。
 現存する魔術師の中で最上位の敬称に、ロシュは苦い笑みを浮かべた。

「……好きな奴一人守れないで、そんな二つ名背負えるかよ」

 転移用の魔法陣を広げ、クレメントの制止を振り切って魔力を込める。
 人間の身で精霊に戦いを挑むなど無謀でしかない。
 しかし、それでもロシュは戦うという選択肢しかなかった。
 自分の身体などどうなったっていい。
 今のロシュにとって一番重要なのは、アリシアを巻き込み、傷つけてしまったことだけだ。
 これまでのことなどすべて呪いのせいにすればいい。
 起こってしまったことはアリシアの意思ではなく、淫魔のせいでしかないのだから。
 それで……俺のことを、嫌ってほしい。
 そのために考え得る限り最低の行為に及んだ。
 アリシアを見下し、辱め、貶め、嘲笑う。
 暴虐の限りを振るった理由など、それだけでしかなかった。
 あれだけのことをすれば自分のことを恨んでくれるだろう。
 そして、呪いのせいで植え付けられた間違った感情も捨ててくれるだろう。
 自分で望んだことなのに、そうなったらと考えると腹の奥底が冷たくなる。
 しかし今さらなかったことになどできない。
 自分への戒めのため、ロシュは小さく呟いた。

「こんな男……あいつにはふさわしくねぇだろ」

 青年の苦痛に塗れた言葉は、夜の闇に消えていった。
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