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第二部

4-1.ムカつくあいつと留学生が仲良くなって

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「ラティーファ」

 聞き慣れた声が自分ではない名前を呼ぶ。
 耳に届いた瞬間、アリシアは呼吸をすることすら忘れてしまった。
 そんなことはありえない。
 信じられない気持ちで振り返ると、クラスメイトも同じ思いだったらしい。
 全員の後ろ姿の先には、親しげな男女の姿があった。
 一番後ろの席にいたのはロシュとラティーファ。
 隣り合って座り、昨日までの棘々とした雰囲気はまるでなかった。
 ラティーファはさも当然とばかりに接しているし、ロシュは薄い笑みまで浮かべている。
 その様子は美男美女の語らいにしか見えず、アリシアは慌てて顔を前へと戻した。
 どうしていきなりあんな風になったのか。
 突然の事態に頭が混乱してしまう。
 もしかして……昨日、ロシュを拒んだから?
 意識した途端に胸がどきりとし、耳の奥がざわざわとしてくる。
 何もしていないのに息が苦しく、胸や喉に何かが詰まっているように感じる。
 こめかみが強く脈打っているのは、血流が増えているからなのか。
 そうやって自身を分析してみたところで、熱く冷たく乱れる身体はどうにもならない。
 すぐに教師がやってきたものの、授業なんて上の空だ。
 集中しようとしても後ろばかりが気になり、無意識に全神経を向けてしまう。
 静まり返った教室の中で二人の声は聞こえない。
 それは話していないからか、はたまた顔を寄せて囁きあっているからか。
 自然と浮かんだ姿に胸が締め付けられ、下唇を小さく噛んだ。
 気にする資格なんて、あたしにはない。
 ロシュがラティーファを選んだのならば、それは誰にとってもいい選択のはずなのだから。

 二人がともに過ごしたのはその授業だけでなく、昼休みを迎える頃には噂で持ち切りになっていた。
 元から目立つことの多い二人なのだから当たり前だろう。
 そしてその二人を引き立てるかのように自分の名前も囁かれる。
 ロシュはアリシアからラティーファに乗り換えた。
 面白おかしく語られる噂には、不特定多数が抱く印象も載せられていた。
 我が国で一番の魔術師の家系と、友好国の筆頭魔術師の家系。
 至るべくして至った結果だという意見とともに、今までがおかしかったのだと揶揄される。
 遊ばれた庶民という立ち位置には、哀れみや嘲りの視線が突き刺さる。
 しかし遠くで何を囁かれても、見知らぬ誰かに視線を向けられても、アリシアはもはや痛くも痒くもない。
 自分に影響を与える人物は一握りであって、名前すら知らない相手に何を思うこともなかった。

「アリシアさん!」

 なんとなく脚が向いた中庭でぼんやりしていると、焦ったような声で呼びかけられた。
 のろのろと振り返った先には白衣姿のクレメントが居て、僅かに息が上がっていた。

「クレメント先生……どうかしました?」

 あえて笑ってみせるが続く言葉はないらしい。
 気まずそうな表情が浮かび、なんだか悪いことをしてしまった気分になる。
 何を言うでもなく見つめていると、クレメントは思い切ったように口を開いた。

「おそらく、何か事情があるんだ。ロシュくんがアリシアさんから離れるなんて、絶対に……」

「いいんですよ」

 アリシアの言葉にクレメントは口をつぐみ、青空のような瞳を濁らせた。
 自分たちの関係を最初から知っているのだから、きっと心配してくれたのだろう。
 しかしそんなものは求めていない。
 入学当初から自分たちに寄り添ってくれた担任に対し、これ以上の気苦労をかけたいわけもない。

「お似合いの二人ですよね。やっぱり、あたしとは住む世界が違うみたいです」

 ごくごく普通の家に生まれた身では、ロシュやラティーファの苦労など分かるわけもない。
 だから、これでいい。
 そう視線で訴えると、クレメントは肩を落としてため息をつく。
 きっと、慰めや励ましの言葉を与えてくれようとしたのだろう。
 この優しさに憧れを抱いたが、それは恋心ではないと気づいたのはいつだったか。
 それは今も変わらず、胸が高まることもまるでない。
 本当に好きな気持ちを知ってしまったから。
 けれど、その気持ちはもう捨てるべきなのだ。
 アリシアの頑なな態度を理解したのか、クレメントはそのまま無言で立ち去った。
 冷え切った空気の中、一人きりで膝を抱える。

「これが正しいんだから」

 そう言い聞かせるように呟いた言葉は、高すぎる空に吸い込まれていった。
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