73 / 92
挿話⑩. ルシアン・フォン・レスティア③
『醜くなんかないよ。この傷跡は勲章だ。貴方は国の為に戦った。名誉の負傷だね。人の目が気になるのなら外では眼帯をしててもいいけれど、僕の前では隠さないで。お願いだよ?』
初めて会った日、跪いたルシアンの失われた左眼の傷跡に口付けながら、シエルが言った言葉ー。
ルシアンの事をよく知らない、知ろうともしない者が一様に「醜い」と断じた傷痕。ルシアンの顔と公爵令息という肩書を見て鬱陶しいくらいに寄ってきていた令嬢達も、ルシアンが傷跡を隠さずに公の場に姿を現した瞬間、まるで化け物を見るような目で見て次の瞬間には顔を背け、以降、清々しいくらいに寄ってこなくなった。それ自体は気にならない。周りが静かになっただけだ。ルシアンの家族や王家の方達、共に前線に立った騎士団の仲間達さえ分かっていてくれれば、それでいい。ただ、この日からルシアンは眼帯で左眼を隠す事にした。不用意に初対面の人間に不快な思いをさせるのは本意ではない。
だから、シエルが初めて別邸に来る日、ルシアンはいつものように眼帯をして出迎えたのである。
『名誉の負傷』ー。
そう言われたのは一度や二度じゃない。父も、兄達も、恐れ多くも国王陛下も言ってくださった。
でも…。
なぜか、わずか10歳のシエルに言われた瞬間が一番、胸にすーっと染み込んだ気がしすた。もしかしたらこの瞬間が『始まり』だったのかもしれない。
ルシアンは若き主に永遠の忠誠を誓った。
シエルは聡明で優しい主だった。少年らしい可愛らしい容姿を持ちながら、その芯は強く、その心は清らかで美しく…。
シエルはルシアンにとっては命を賭しても守るべき主。それは変わらない。だが、その忠誠心の中にある感情が芽生えている事に、あるとき気付く。気付いてしまった。決して抱いてはいけない感情に。歳の差15歳。許されざる想い。
ルシアンは想いを封印する。決して悟られないように。決して言葉にしないように。言葉にしなければ…胸の奥深くでひっそりと抱えるだけならば『罪』にはならない。
それからも別邸での穏やかな日々は過ぎ、シエルが13歳になった頃。月に一度しかシエルの様子を見に来ないシエルの養父(当時の伯爵)が、シエルに告げた。「嫁ぎ先が決まった。1週間後に婚家に行け」、と。その時の衝撃ははかり知れない。シエルが結婚する事に対してではない。養子とはいえ、シエルは貴族。加えて、第二性はΩ。いずれはどこかに嫁がなければならない。ルシアンは、その時も出来れば輿入れに同行させてもらい、近くでシエルの幸せを見守りたいと思っていた。たとえずっと、αの本能を抑え込む事になろうとも…。
だが、シエルはまだ13歳。発情期も迎えていない。当のシエルは無言。何も言えず立ち尽くすルシアンの近くで、執事のトーマが伯爵に意見しているが…。1週間後、結局シエルは別邸を…トリトン伯爵家から追い出される形で、同行を許された5人の使用人を連れて嫁ぎ先に向かう。その使用人の中にはルシアンも含まれていた。予定は早まったが、見守る意思に変わりはない。変わりはないが、その思いがより強固なものになったのは、トーマからシエルの結婚相手を聞いた時だった。
カイラス・ランスター侯爵ー。
侯爵の『噂』は知っていた。なぜそんな男に…と思ったが、今さら婚姻が覆るものでもない。侯爵が本当に噂通りの人物なら、何を犠牲にしてもシエルを守る。強く思った。
かくして、侯爵家に着き、応接室で対面したカイラス・ランスターなる人物は…。
あまりに噂通りの男で、しかも、彼がシエルに示す婚姻の条件がクズすぎて、何度声を上げそうになったか…。だが、トーマに視線で制されたのもあるが、何より淡々と、毅然とした態度と言葉で侯爵と対話をするシエルの姿に、主の思いを無にしてはいけないと、ルシアンは言葉を飲み込んだ。
本邸にはなぜか愛人が 住んでいた為、シエルは別邸に伯爵家から同行した使用人達と共に押し込まれたが、別邸での生活は、使用人が半分になった事以外は伯爵家の別邸にいた頃と変わらず、穏やかに過ぎていった。侯爵や愛人が突撃してくる事もなく…。用がある時はトーマが本邸に足を運ぶか、本邸の執事が別邸を訪れた。
このまま穏やかに日々が過ぎていけばいいと思っていた。たとえ限られた敷地内から出る事が叶わない生活の中でも、シエルが健やかに、心穏やかに過ごせるのなら…。いつまでも傍でお支えしよう。
そのルシアンの願いは叶わなかった。
侯爵家の別邸に押し込まれてから1年半あまり。
シエルに初めての発情期の兆候が現れたー。
あなたにおすすめの小説
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
公爵家の五男坊はあきらめない
三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。
生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。
冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。
負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。
「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」
都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。
知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。
生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。
あきらめたら待つのは死のみ。
【完結】Restartー僕は異世界で人生をやり直すー
エウラ
BL
───僕の人生、最悪だった。
生まれた家は名家で資産家。でも跡取りが僕だけだったから厳しく育てられ、教育係という名の監視がついて一日中気が休まることはない。
それでも唯々諾々と家のために従った。
そんなある日、母が病気で亡くなって直ぐに父が後妻と子供を連れて来た。僕より一つ下の少年だった。
父はその子を跡取りに決め、僕は捨てられた。
ヤケになって家を飛び出した先に知らない森が見えて・・・。
僕はこの世界で人生を再始動(リスタート)する事にした。
不定期更新です。
以前少し投稿したものを設定変更しました。
ジャンルを恋愛からBLに変更しました。
また後で変更とかあるかも。
完結しました。
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
完結しました!ありがとうございました。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です
柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。
そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。
真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。
けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。
「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」
彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。
アンリは実は、亡き国王の婚外子。
皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。