公爵夫人の気ままな家出冒険記〜「自由」を真に受けた妻を、夫は今日も追いかける〜

平山和人

文字の大きさ
7 / 22

7

しおりを挟む
ダンジョン攻略の成功により、「疾風の爪」の評判はテオリアのギルド内で一時的に上昇した。それは、ひとえに治癒士シエル(フィリア)の規格外の治癒能力によるものだ。


フィリアは翌日、ギルドで次の依頼を探していた。その時、彼女に近づいてきた一人の男性がいた。


彼は周囲とは明らかに異質な存在感を放っていた。黒髪に端正な顔立ち、そして何よりも、彼が纏う上質なレザー装備と、腰に吊るされた古びた大剣は、彼が並の冒険者ではないことを示唆していた。


「君が、シエルさんだね」


男性は穏やかながら、有無を言わせぬ力強さを持つ声でフィリアに話しかけた。


「私はアレン。Sランク冒険者だ」


フィリアは驚いた。Sランクといえば、王都でも数えるほどしかいない、国家級の英雄たちだ。


「初めまして、シエルと申します」フィリアは緊張しながら挨拶を返す。


アレンはフィリアを観察するように見つめた。「君の治癒魔法の噂を聞いた。毒を浄化し、重傷を瞬時に治癒する、規格外のヒーラーだと。君のパーティーの『疾風の爪』では、その能力を活かしきれない」


フィリアは、アレンの直接的な物言いに少し戸惑った。「それは……」


アレンは続けた。「私のパーティーに来ないか。君の魔力と才能は、国家級の依頼、高難度のダンジョンでこそ輝くべきだ。私たちなら、君の才能を最大限に引き出せる」


それは、フィリアの冒険者としての目標を、一足飛びに達成できる誘いだった。しかし、フィリアはすぐに首を横に振った。


「申し訳ありません、アレン様。お誘いは光栄ですが、私は『疾風の爪』の皆さんと地道にレベルアップしていきたいのです。私はまだ、Sランクパーティーに貢献できる技術も経験も持っていません。それに、私は、私のペースで、冒険者生活を楽しみたいんです」


フィリアの返答は、野心的な冒険者としては異例だった。アレンは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに納得したように微笑んだ。


「なるほど。君はただ力を求めるのではなく、過程を大切にするタイプか。素晴らしい決断だ。だが、もし君の心が揺らいだらいつでも声をかけてくれ。私のパーティーの門は、常に開いている」


アレンはそう言って、フィリアに別れを告げ、ギルドを去っていった。フィリアは、一流の冒険者の迫力に圧倒されながらも、自分の決断が正しかったと確信した。彼女が本当に求めているのは、名声や栄光ではなく、自立した充実感なのだ。


一方、テオリアに到着したルカは、変装を完璧に行っていた。


彼は公爵の威厳を隠し、全身黒いローブを纏った、**「黒い旅人」**という名の、謎の魔法使いとしてギルド周辺に潜伏した。彼の正体を知るのは、「影」の極秘部隊数名だけだ。


ルカはギルドの影から、フィリアとアレンの会話をすべて盗み聞きしていた。


アレンがフィリアを誘った瞬間、ルカの心臓は締め付けられ、体内の魔力が暴走しそうになった。


(あの男……! 私のフィリアを、危険な冒険に引きずり込もうと誘惑したのか!)


ルカの嫉妬の炎は凄まじかった。Sランク冒険者という地位は、ルカにとっては何の脅威でもない。彼の問題は、フィリアが他の男に興味を持たれること、そして彼女が自分から離れていく可能性だった。


ルカは、アレンが去った後、フィリアから少し離れた酒場に入った。彼は、安酒を飲むフリをしながら、フィリアの様子を観察した。


フィリアは、アレンに誘われたことなどすっかり忘れ、パーティーメンバーと楽しそうに次の依頼について話している。彼女の顔は、公爵邸にいた時よりも遥かに生き生きとしていた。


その光景を見たルカは、またしても心に深い痛みを覚えた。


『フィリアは、私から離れて、本当に幸せそうだ……。私の愛と安全は、彼女にとって、それほど息苦しいものだったのか。』


ルカは、自己嫌悪と嫉妬の渦に巻き込まれながら、心の中で固く誓った。


「フィリア。君の自由を奪うことはしない。だが、君の傍から離れることも許さない。私はこの街で、君の冒険者生活を、安全なものに完全に作り変えてやる」


ルカは、公爵としての権力と、最強の魔法使いとしての能力を、フィリアを「回収」するためではなく、フィリアの生活に潜入し、支配するために使うことを決意した。


彼はまず、フィリアが滞在している宿と、彼女のパーティーの動向について、細かく情報収集を始めた。彼の目的は、フィリアの安全確保と、彼女に近づく全ての男たちを無言の圧力で排除すること。そして、彼女が公爵邸に戻りたいと思うような、極上の安息の場を、このテオリアに作り出すことだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

貴方が私を嫌う理由

柴田はつみ
恋愛
リリー――本名リリアーヌは、夫であるカイル侯爵から公然と冷遇されていた。 その関係はすでに修復不能なほどに歪み、夫婦としての実態は完全に失われている。 カイルは、彼女の類まれな美貌と、完璧すぎる立ち居振る舞いを「傲慢さの表れ」と決めつけ、意図的に距離を取った。リリーが何を語ろうとも、その声が届くことはない。 ――けれど、リリーの心が向いているのは、夫ではなかった。 幼馴染であり、次期公爵であるクリス。 二人は人目を忍び、密やかな逢瀬を重ねてきた。その愛情に、疑いの余地はなかった。少なくとも、リリーはそう信じていた。 長年にわたり、リリーはカイル侯爵家が抱える深刻な財政難を、誰にも気づかれぬよう支え続けていた。 実家の財力を水面下で用い、侯爵家の体裁と存続を守る――それはすべて、未来のクリスを守るためだった。 もし自分が、破綻した結婚を理由に離縁や醜聞を残せば。 クリスが公爵位を継ぐその時、彼の足を引く「過去」になってしまう。 だからリリーは、耐えた。 未亡人という立場に甘んじる未来すら覚悟しながら、沈黙を選んだ。 しかし、その献身は――最も愛する相手に、歪んだ形で届いてしまう。 クリスは、彼女の行動を別の意味で受け取っていた。 リリーが社交の場でカイルと並び、毅然とした態度を崩さぬ姿を見て、彼は思ってしまったのだ。 ――それは、形式的な夫婦関係を「完璧に保つ」ための努力。 ――愛する夫を守るための、健気な妻の姿なのだと。 真実を知らぬまま、クリスの胸に芽生えたのは、理解ではなく――諦めだった。

おさななじみの次期公爵に「あなたを愛するつもりはない」と言われるままにしたら挙動不審です

ワイちゃん
恋愛
伯爵令嬢セリアは、侯爵に嫁いだ姉にマウントをとられる日々。会えなくなった幼馴染とのあたたかい日々を心に過ごしていた。ある日、婚活のための夜会に参加し、得意のピアノを披露すると、幼馴染と再会し、次の日には公爵の幼馴染に求婚されることに。しかし、幼馴染には「あなたを愛するつもりはない」と言われ、相手の提示するルーティーンをただただこなす日々が始まり……?

短編 跡継ぎを産めない原因は私だと決めつけられていましたが、子ができないのは夫の方でした

朝陽千早
恋愛
侯爵家に嫁いで三年。 子を授からないのは私のせいだと、夫や周囲から責められてきた。 だがある日、夫は使用人が子を身籠ったと告げ、「その子を跡継ぎとして育てろ」と言い出す。 ――私は静かに調べた。 夫が知らないまま目を背けてきた“事実”を、ひとつずつ確かめて。 嘘も責任も押しつけられる人生に別れを告げて、私は自分の足で、新たな道を歩き出す。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。 ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。 ※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。 ※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。 ※新作です。アルファポリス様が先行します。

白い結婚に、猶予を。――冷徹公爵と選び続ける夫婦の話

鷹 綾
恋愛
婚約者である王子から「有能すぎる」と切り捨てられた令嬢エテルナ。 彼女が選んだ新たな居場所は、冷徹と噂される公爵セーブルとの白い結婚だった。 干渉しない。触れない。期待しない。 それは、互いを守るための合理的な選択だったはずなのに―― 静かな日常の中で、二人は少しずつ「選び続けている関係」へと変わっていく。 越えない一線に名前を付け、それを“猶予”と呼ぶ二人。 壊すより、急ぐより、今日も隣にいることを選ぶ。 これは、激情ではなく、 確かな意思で育つ夫婦の物語。

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

婚約者が私のことをゴリラと言っていたので、距離を置くことにしました

相馬香子
恋愛
ある日、クローネは婚約者であるレアルと彼の友人たちの会話を盗み聞きしてしまう。 ――男らしい? ゴリラ? クローネに対するレアルの言葉にショックを受けた彼女は、レアルに絶交を突きつけるのだった。 デリカシーゼロ男と男装女子の織り成す、勘違い系ラブコメディです。

処理中です...