海怪

五十鈴りく

文字の大きさ
22 / 58
饅頭

饅頭 ―後日譚―

しおりを挟む
「マル先生、これ、お礼のまんじゅうだよ。嘉助さんが改良したから、ますますマル先生によく似てらぁ」

 戻って早々、甚吉はマル公の鼻先にまんじゅうを差し出した。甚吉の助言通り、点眉がいい味を出している。
 マル公はまんじゅうと同じまん丸い顔でケッと吐き捨てた。

「だから、オイラはこんなブサイクじゃねぇってんだ」

 そう言い、まんじゅうをじっくり眺めることをせずにひと思いに食いついた。まぐまぐ、美味そうに食う。

 甚吉はこれから魚を仕入れたりと仕事をこなさなくてはならない。いつもよりも朝の大事な時を費やしてしまったのだから、急がなければ。
 けれど、マル公にはちゃんと報告をしておくべきだろう。

「マル先生の言った通り、真砂太夫がまんじゅうを買って食っただけで噂なんか吹き飛んだよ。真砂太夫はちゃんとそれをわかっててやってくれたんだろうなぁ」

 すると、マル公はフフン、と鼻を鳴らした。

「あのねぇちゃんは自分の商品価値をよぉく知ってらぁな。自分の振る舞いで周囲がどうなるか、ちゃんと読んでやがる。芸人としちゃあっぱれだ。この一座にゃあ張り合える芸人はいやしねぇな」

 ケケ、とひどいことを言った。しかし、真砂太夫のようにはなかなかなれないのも事実だ。

「例えばな、市松模様いちまつもよう観世水かんぜみず団十郎茶だんじゅうろうちゃ芝翫茶しかんちゃ、吉弥結びに水木結び――こう、人気の歌舞伎役者を真似て流行りが生まれた。平々凡々なヤツらはな、派手な偶像に憧れんのさ。で、すぐに影響されやがる。あのねぇちゃんは打ってつけよぅ」

 本当に、熱海の海から来たマル公が何故そんなことを知っているのかと言いたくなるけれど、事実マル公の言う通りである。
 マル公のまんじゅうが巷に出回っているのも同じことだ。人気者にはそれだけの影響力がある。平凡な甚吉には縁のない話ではあるけれど。

「そうかぁ。まあきっかけはどうあれ、食ったお人が嘉助さんのまんじゅうのよさに気づいてくれたら、きっと巽屋は今に屋台じゃなくて店を構えるんじゃねぇのかな。そうなったらいいな」

 まだ当分先のことではあるけれど、いつかそんな日が来る。
 甚吉はそうした予感を胸に今日も仕事に精を出した。


     ●


 それから数日後。
 笹屋が暖簾を下したという話を噂で聞いた。あまりの衝撃に、甚吉が仕事を放り出して笹屋まで走って行きそうになったのをマル公が止めたくらいだった。

 ただ、その後、甚吉のもとを粂太が訪れたのだ。それは見世じまいの時分であった。
 父親と二人、甚吉を訪ねてきた。

「話は粂太から聞いた。すまなかったな、坊や」

 皺の寄った目元を忙しなく動かしながら笹屋の主はそう言った。

「いや、おれは何も――」
「巽屋さんにも詫びてきた。そうしたら、怒るどころか――」

 粂太はもじもじと手をこすり合わせている。その頭に視線を落としつつ、笹屋は言った。

「このところ忙しくて手が足りねぇから、よかったら手伝ってくれって」
「へ?」

 甚吉はあんぐりと口を開けてしまった。

「あっしはどうせ売れねぇって端から諦めて、それでも店を畳まずに適当な商いを続けた。そのせいで、粂太につらい思いをさせちまったんだ。あっしはもう、まんじゅうは作らねぇつもりで店を畳んだって断ったら、じゃあ粂太だけでもって」

 あれだけの仕打ちをした粂太を雇うと言う。所詮は子供のしたことと、思うところがないからこそだろうか。
 それとも――

 粂太が子供だからこそ、この先のことを案じた。同じような過ちをせぬように、関わり合った自分がいっぱしの職人として粂太を育てようと思ったのか。
 嘉助は見た目に寄らず、こせこせしたところもなくて豪気だ。嘉助ならばそれもあり得るような気がした。それを笹屋の主も感じたのかもしれない。

「あの嘉助さんってお人は変わってる。変わってるけれど、不思議と目が離せなくなるようなお人だ。嘉助さんが作る菓子はきっといいものなんだろうって、そう思うよ。そんなお人のそばで学べるなら、粂太にとってもありがたい話だ。あっし一人くれぇなら木っ端こっぱ売りでもしてなんとか食い繋ぐさ」

 笹屋の言葉には棘もなく、いっそ清々しくさえあった。未練らしきものはそこには見当たらず、むしろ新たな門出と感じているのだろうか。
 粂太はというと、いつも赤い頬をさらに赤くして甚吉を見上げた。小さな目がそれでもキラリと光る。

「おいら、嘉助さんのもとで学ばせてもらったら、いつか笹屋の暖簾をもう一度掲げてぇ。甚吉兄ちゃんにもいつか、笹屋のまんじゅうを美味いって言ってもらいてぇから」

 将来に希望を見出し、前へと進む粂太が、甚吉にはどこか眩しくさえ感じられた。
 粂太の頭にぽんと手を載せ、甚吉はそっと笑った。

「ああ、頑張れ」


 不思議な巡り合わせ。
 世とはなんとも不可解なところである。
 甚吉とマル公の巡り合わせもまた、この世の不思議であるのだから。


     【饅頭】 完。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

処理中です...