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饅頭
饅頭 ―後日譚―
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「マル先生、これ、お礼のまんじゅうだよ。嘉助さんが改良したから、ますますマル先生によく似てらぁ」
戻って早々、甚吉はマル公の鼻先にまんじゅうを差し出した。甚吉の助言通り、点眉がいい味を出している。
マル公はまんじゅうと同じまん丸い顔でケッと吐き捨てた。
「だから、オイラはこんなブサイクじゃねぇってんだ」
そう言い、まんじゅうをじっくり眺めることをせずにひと思いに食いついた。まぐまぐ、美味そうに食う。
甚吉はこれから魚を仕入れたりと仕事をこなさなくてはならない。いつもよりも朝の大事な時を費やしてしまったのだから、急がなければ。
けれど、マル公にはちゃんと報告をしておくべきだろう。
「マル先生の言った通り、真砂太夫がまんじゅうを買って食っただけで噂なんか吹き飛んだよ。真砂太夫はちゃんとそれをわかっててやってくれたんだろうなぁ」
すると、マル公はフフン、と鼻を鳴らした。
「あのねぇちゃんは自分の商品価値をよぉく知ってらぁな。自分の振る舞いで周囲がどうなるか、ちゃんと読んでやがる。芸人としちゃあっぱれだ。この一座にゃあ張り合える芸人はいやしねぇな」
ケケ、とひどいことを言った。しかし、真砂太夫のようにはなかなかなれないのも事実だ。
「例えばな、市松模様に観世水、団十郎茶に芝翫茶、吉弥結びに水木結び――こう、人気の歌舞伎役者を真似て流行りが生まれた。平々凡々なヤツらはな、派手な偶像に憧れんのさ。で、すぐに影響されやがる。あのねぇちゃんは打ってつけよぅ」
本当に、熱海の海から来たマル公が何故そんなことを知っているのかと言いたくなるけれど、事実マル公の言う通りである。
マル公のまんじゅうが巷に出回っているのも同じことだ。人気者にはそれだけの影響力がある。平凡な甚吉には縁のない話ではあるけれど。
「そうかぁ。まあきっかけはどうあれ、食ったお人が嘉助さんのまんじゅうのよさに気づいてくれたら、きっと巽屋は今に屋台じゃなくて店を構えるんじゃねぇのかな。そうなったらいいな」
まだ当分先のことではあるけれど、いつかそんな日が来る。
甚吉はそうした予感を胸に今日も仕事に精を出した。
●
それから数日後。
笹屋が暖簾を下したという話を噂で聞いた。あまりの衝撃に、甚吉が仕事を放り出して笹屋まで走って行きそうになったのをマル公が止めたくらいだった。
ただ、その後、甚吉のもとを粂太が訪れたのだ。それは見世じまいの時分であった。
父親と二人、甚吉を訪ねてきた。
「話は粂太から聞いた。すまなかったな、坊や」
皺の寄った目元を忙しなく動かしながら笹屋の主はそう言った。
「いや、おれは何も――」
「巽屋さんにも詫びてきた。そうしたら、怒るどころか――」
粂太はもじもじと手をこすり合わせている。その頭に視線を落としつつ、笹屋は言った。
「このところ忙しくて手が足りねぇから、よかったら手伝ってくれって」
「へ?」
甚吉はあんぐりと口を開けてしまった。
「あっしはどうせ売れねぇって端から諦めて、それでも店を畳まずに適当な商いを続けた。そのせいで、粂太につらい思いをさせちまったんだ。あっしはもう、まんじゅうは作らねぇつもりで店を畳んだって断ったら、じゃあ粂太だけでもって」
あれだけの仕打ちをした粂太を雇うと言う。所詮は子供のしたことと、思うところがないからこそだろうか。
それとも――
粂太が子供だからこそ、この先のことを案じた。同じような過ちをせぬように、関わり合った自分がいっぱしの職人として粂太を育てようと思ったのか。
嘉助は見た目に寄らず、こせこせしたところもなくて豪気だ。嘉助ならばそれもあり得るような気がした。それを笹屋の主も感じたのかもしれない。
「あの嘉助さんってお人は変わってる。変わってるけれど、不思議と目が離せなくなるようなお人だ。嘉助さんが作る菓子はきっといいものなんだろうって、そう思うよ。そんなお人のそばで学べるなら、粂太にとってもありがたい話だ。あっし一人くれぇなら木っ端売りでもしてなんとか食い繋ぐさ」
笹屋の言葉には棘もなく、いっそ清々しくさえあった。未練らしきものはそこには見当たらず、むしろ新たな門出と感じているのだろうか。
粂太はというと、いつも赤い頬をさらに赤くして甚吉を見上げた。小さな目がそれでもキラリと光る。
「おいら、嘉助さんのもとで学ばせてもらったら、いつか笹屋の暖簾をもう一度掲げてぇ。甚吉兄ちゃんにもいつか、笹屋のまんじゅうを美味いって言ってもらいてぇから」
将来に希望を見出し、前へと進む粂太が、甚吉にはどこか眩しくさえ感じられた。
粂太の頭にぽんと手を載せ、甚吉はそっと笑った。
「ああ、頑張れ」
不思議な巡り合わせ。
世とはなんとも不可解なところである。
甚吉とマル公の巡り合わせもまた、この世の不思議であるのだから。
【饅頭】 完。
戻って早々、甚吉はマル公の鼻先にまんじゅうを差し出した。甚吉の助言通り、点眉がいい味を出している。
マル公はまんじゅうと同じまん丸い顔でケッと吐き捨てた。
「だから、オイラはこんなブサイクじゃねぇってんだ」
そう言い、まんじゅうをじっくり眺めることをせずにひと思いに食いついた。まぐまぐ、美味そうに食う。
甚吉はこれから魚を仕入れたりと仕事をこなさなくてはならない。いつもよりも朝の大事な時を費やしてしまったのだから、急がなければ。
けれど、マル公にはちゃんと報告をしておくべきだろう。
「マル先生の言った通り、真砂太夫がまんじゅうを買って食っただけで噂なんか吹き飛んだよ。真砂太夫はちゃんとそれをわかっててやってくれたんだろうなぁ」
すると、マル公はフフン、と鼻を鳴らした。
「あのねぇちゃんは自分の商品価値をよぉく知ってらぁな。自分の振る舞いで周囲がどうなるか、ちゃんと読んでやがる。芸人としちゃあっぱれだ。この一座にゃあ張り合える芸人はいやしねぇな」
ケケ、とひどいことを言った。しかし、真砂太夫のようにはなかなかなれないのも事実だ。
「例えばな、市松模様に観世水、団十郎茶に芝翫茶、吉弥結びに水木結び――こう、人気の歌舞伎役者を真似て流行りが生まれた。平々凡々なヤツらはな、派手な偶像に憧れんのさ。で、すぐに影響されやがる。あのねぇちゃんは打ってつけよぅ」
本当に、熱海の海から来たマル公が何故そんなことを知っているのかと言いたくなるけれど、事実マル公の言う通りである。
マル公のまんじゅうが巷に出回っているのも同じことだ。人気者にはそれだけの影響力がある。平凡な甚吉には縁のない話ではあるけれど。
「そうかぁ。まあきっかけはどうあれ、食ったお人が嘉助さんのまんじゅうのよさに気づいてくれたら、きっと巽屋は今に屋台じゃなくて店を構えるんじゃねぇのかな。そうなったらいいな」
まだ当分先のことではあるけれど、いつかそんな日が来る。
甚吉はそうした予感を胸に今日も仕事に精を出した。
●
それから数日後。
笹屋が暖簾を下したという話を噂で聞いた。あまりの衝撃に、甚吉が仕事を放り出して笹屋まで走って行きそうになったのをマル公が止めたくらいだった。
ただ、その後、甚吉のもとを粂太が訪れたのだ。それは見世じまいの時分であった。
父親と二人、甚吉を訪ねてきた。
「話は粂太から聞いた。すまなかったな、坊や」
皺の寄った目元を忙しなく動かしながら笹屋の主はそう言った。
「いや、おれは何も――」
「巽屋さんにも詫びてきた。そうしたら、怒るどころか――」
粂太はもじもじと手をこすり合わせている。その頭に視線を落としつつ、笹屋は言った。
「このところ忙しくて手が足りねぇから、よかったら手伝ってくれって」
「へ?」
甚吉はあんぐりと口を開けてしまった。
「あっしはどうせ売れねぇって端から諦めて、それでも店を畳まずに適当な商いを続けた。そのせいで、粂太につらい思いをさせちまったんだ。あっしはもう、まんじゅうは作らねぇつもりで店を畳んだって断ったら、じゃあ粂太だけでもって」
あれだけの仕打ちをした粂太を雇うと言う。所詮は子供のしたことと、思うところがないからこそだろうか。
それとも――
粂太が子供だからこそ、この先のことを案じた。同じような過ちをせぬように、関わり合った自分がいっぱしの職人として粂太を育てようと思ったのか。
嘉助は見た目に寄らず、こせこせしたところもなくて豪気だ。嘉助ならばそれもあり得るような気がした。それを笹屋の主も感じたのかもしれない。
「あの嘉助さんってお人は変わってる。変わってるけれど、不思議と目が離せなくなるようなお人だ。嘉助さんが作る菓子はきっといいものなんだろうって、そう思うよ。そんなお人のそばで学べるなら、粂太にとってもありがたい話だ。あっし一人くれぇなら木っ端売りでもしてなんとか食い繋ぐさ」
笹屋の言葉には棘もなく、いっそ清々しくさえあった。未練らしきものはそこには見当たらず、むしろ新たな門出と感じているのだろうか。
粂太はというと、いつも赤い頬をさらに赤くして甚吉を見上げた。小さな目がそれでもキラリと光る。
「おいら、嘉助さんのもとで学ばせてもらったら、いつか笹屋の暖簾をもう一度掲げてぇ。甚吉兄ちゃんにもいつか、笹屋のまんじゅうを美味いって言ってもらいてぇから」
将来に希望を見出し、前へと進む粂太が、甚吉にはどこか眩しくさえ感じられた。
粂太の頭にぽんと手を載せ、甚吉はそっと笑った。
「ああ、頑張れ」
不思議な巡り合わせ。
世とはなんとも不可解なところである。
甚吉とマル公の巡り合わせもまた、この世の不思議であるのだから。
【饅頭】 完。
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