1 / 10
天使と宝石
しおりを挟む
教会の鐘が丘の上まで響くとき。それが子供たちの合図です。
「帰らなきゃ、カリエル」
桃色の羽根を持つ女の子が、いまだ動かない友達の腕を引きました。
カリエルと呼ばれた男の子は、とても不服そうにこちらを振り返ります。
「きみだけ先に帰れよ、マリーナ」
「……どうして? 早く帰らなきゃお父様に怒られちゃうわ。それにいつも言っているじゃない、お月様は悪いものを連れて来るって。お月様と目が合うと、きっと連れ攫われてしまう」
だから、ね?
マリーナは自身の羽根を広げて、ぱたと飛んでみせました。
「帰りましょう」
「いやだ」
ですが、カリエルは一向に言うことを聞きません。
そうこうしているうちに、最後の鐘が鳴り終わりました。途端に、頭の上が見たこともない色で染まっていきます。
「ラピスラズリだ」
カリエルが呟きました。
そう、これが、夜です。
初めて夜を見たマリーナは、あまりの出来事に目を瞬かせると「ほぅ」と溜め息を吐きました。
けれど、はたと思い直して、また友達の名前を呼びます。「カリエル!」
「早く帰らなきゃ! お月様が来ちゃう!」
「……ぼくは帰らない」
カリエルが大きく羽根を広げました。
闇に紛れるほどの、真っ黒な羽根です。
ふわり、ふわりと、カリエルは蒼空へ近づいていきました。
「きみはもう帰った方がいい。きみまで宝石になってしまう」
「いや! あなたも一緒じゃなきゃわたしは帰らない!」
「帰るんだ」
カリエルは「とん」っと彼女の肩を押し出しました。
同時に、夜の狭間から大きな弓の形をした宝石が現れました。この世の何よりも淡く白く美しく輝いています。
この宝石こそ、月なのです。
「引き留めてくれて、ありがとう」
カリエルは言います。
「さようなら、愛しき天使。願わくば、永遠の別れを」
そうしてそのまま、何よりも優しい笑顔を浮かべて、空高く上ってゆきました。
◆ ❖ ◇ ◇ ❖ ◆
誰の話ですか。そう先生に問い掛けてみたけれど、一向に満足のいく返答はこなかった。
「可哀想だろう」
先生が言う。
「知っても不幸、知らぬでも不幸、何方も大差無いのなら、より酷な道を人は選ぶのさ。なぜだかわからないけれど」
窓際から差し込む陽の光が、先生の寝台を照らす。吹いてくる風がカーテンを揺らして軽快な音楽を奏でた。
「無知に救いを求めるのが俗世に塗れた人間の儚いところだよ。わたしはそれが滑稽で堪らない。けれど……そうさ、それでいいんだ。万人が意義を唱えても、たったひとりの理解者が居てくれるだけでいい」
「……先生には居るのですか。その、理解者が」
「居るよ、ひとり。……居るはずだった」
つまらない話をしてしまったね。先生はそう言いながら万年筆の蓋を閉め、執筆に関係する全てを片付けた。
終
「帰らなきゃ、カリエル」
桃色の羽根を持つ女の子が、いまだ動かない友達の腕を引きました。
カリエルと呼ばれた男の子は、とても不服そうにこちらを振り返ります。
「きみだけ先に帰れよ、マリーナ」
「……どうして? 早く帰らなきゃお父様に怒られちゃうわ。それにいつも言っているじゃない、お月様は悪いものを連れて来るって。お月様と目が合うと、きっと連れ攫われてしまう」
だから、ね?
マリーナは自身の羽根を広げて、ぱたと飛んでみせました。
「帰りましょう」
「いやだ」
ですが、カリエルは一向に言うことを聞きません。
そうこうしているうちに、最後の鐘が鳴り終わりました。途端に、頭の上が見たこともない色で染まっていきます。
「ラピスラズリだ」
カリエルが呟きました。
そう、これが、夜です。
初めて夜を見たマリーナは、あまりの出来事に目を瞬かせると「ほぅ」と溜め息を吐きました。
けれど、はたと思い直して、また友達の名前を呼びます。「カリエル!」
「早く帰らなきゃ! お月様が来ちゃう!」
「……ぼくは帰らない」
カリエルが大きく羽根を広げました。
闇に紛れるほどの、真っ黒な羽根です。
ふわり、ふわりと、カリエルは蒼空へ近づいていきました。
「きみはもう帰った方がいい。きみまで宝石になってしまう」
「いや! あなたも一緒じゃなきゃわたしは帰らない!」
「帰るんだ」
カリエルは「とん」っと彼女の肩を押し出しました。
同時に、夜の狭間から大きな弓の形をした宝石が現れました。この世の何よりも淡く白く美しく輝いています。
この宝石こそ、月なのです。
「引き留めてくれて、ありがとう」
カリエルは言います。
「さようなら、愛しき天使。願わくば、永遠の別れを」
そうしてそのまま、何よりも優しい笑顔を浮かべて、空高く上ってゆきました。
◆ ❖ ◇ ◇ ❖ ◆
誰の話ですか。そう先生に問い掛けてみたけれど、一向に満足のいく返答はこなかった。
「可哀想だろう」
先生が言う。
「知っても不幸、知らぬでも不幸、何方も大差無いのなら、より酷な道を人は選ぶのさ。なぜだかわからないけれど」
窓際から差し込む陽の光が、先生の寝台を照らす。吹いてくる風がカーテンを揺らして軽快な音楽を奏でた。
「無知に救いを求めるのが俗世に塗れた人間の儚いところだよ。わたしはそれが滑稽で堪らない。けれど……そうさ、それでいいんだ。万人が意義を唱えても、たったひとりの理解者が居てくれるだけでいい」
「……先生には居るのですか。その、理解者が」
「居るよ、ひとり。……居るはずだった」
つまらない話をしてしまったね。先生はそう言いながら万年筆の蓋を閉め、執筆に関係する全てを片付けた。
終
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる