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天使と宝石
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教会の鐘が丘の上まで響くとき。それが子供たちの合図です。
「帰らなきゃ、カリエル」
桃色の羽根を持つ女の子が、いまだ動かない友達の腕を引きました。
カリエルと呼ばれた男の子は、とても不服そうにこちらを振り返ります。
「きみだけ先に帰れよ、マリーナ」
「……どうして? 早く帰らなきゃお父様に怒られちゃうわ。それにいつも言っているじゃない、お月様は悪いものを連れて来るって。お月様と目が合うと、きっと連れ攫われてしまう」
だから、ね?
マリーナは自身の羽根を広げて、ぱたと飛んでみせました。
「帰りましょう」
「いやだ」
ですが、カリエルは一向に言うことを聞きません。
そうこうしているうちに、最後の鐘が鳴り終わりました。途端に、頭の上が見たこともない色で染まっていきます。
「ラピスラズリだ」
カリエルが呟きました。
そう、これが、夜です。
初めて夜を見たマリーナは、あまりの出来事に目を瞬かせると「ほぅ」と溜め息を吐きました。
けれど、はたと思い直して、また友達の名前を呼びます。「カリエル!」
「早く帰らなきゃ! お月様が来ちゃう!」
「……ぼくは帰らない」
カリエルが大きく羽根を広げました。
闇に紛れるほどの、真っ黒な羽根です。
ふわり、ふわりと、カリエルは蒼空へ近づいていきました。
「きみはもう帰った方がいい。きみまで宝石になってしまう」
「いや! あなたも一緒じゃなきゃわたしは帰らない!」
「帰るんだ」
カリエルは「とん」っと彼女の肩を押し出しました。
同時に、夜の狭間から大きな弓の形をした宝石が現れました。この世の何よりも淡く白く美しく輝いています。
この宝石こそ、月なのです。
「引き留めてくれて、ありがとう」
カリエルは言います。
「さようなら、愛しき天使。願わくば、永遠の別れを」
そうしてそのまま、何よりも優しい笑顔を浮かべて、空高く上ってゆきました。
◆ ❖ ◇ ◇ ❖ ◆
誰の話ですか。そう先生に問い掛けてみたけれど、一向に満足のいく返答はこなかった。
「可哀想だろう」
先生が言う。
「知っても不幸、知らぬでも不幸、何方も大差無いのなら、より酷な道を人は選ぶのさ。なぜだかわからないけれど」
窓際から差し込む陽の光が、先生の寝台を照らす。吹いてくる風がカーテンを揺らして軽快な音楽を奏でた。
「無知に救いを求めるのが俗世に塗れた人間の儚いところだよ。わたしはそれが滑稽で堪らない。けれど……そうさ、それでいいんだ。万人が意義を唱えても、たったひとりの理解者が居てくれるだけでいい」
「……先生には居るのですか。その、理解者が」
「居るよ、ひとり。……居るはずだった」
つまらない話をしてしまったね。先生はそう言いながら万年筆の蓋を閉め、執筆に関係する全てを片付けた。
終
「帰らなきゃ、カリエル」
桃色の羽根を持つ女の子が、いまだ動かない友達の腕を引きました。
カリエルと呼ばれた男の子は、とても不服そうにこちらを振り返ります。
「きみだけ先に帰れよ、マリーナ」
「……どうして? 早く帰らなきゃお父様に怒られちゃうわ。それにいつも言っているじゃない、お月様は悪いものを連れて来るって。お月様と目が合うと、きっと連れ攫われてしまう」
だから、ね?
マリーナは自身の羽根を広げて、ぱたと飛んでみせました。
「帰りましょう」
「いやだ」
ですが、カリエルは一向に言うことを聞きません。
そうこうしているうちに、最後の鐘が鳴り終わりました。途端に、頭の上が見たこともない色で染まっていきます。
「ラピスラズリだ」
カリエルが呟きました。
そう、これが、夜です。
初めて夜を見たマリーナは、あまりの出来事に目を瞬かせると「ほぅ」と溜め息を吐きました。
けれど、はたと思い直して、また友達の名前を呼びます。「カリエル!」
「早く帰らなきゃ! お月様が来ちゃう!」
「……ぼくは帰らない」
カリエルが大きく羽根を広げました。
闇に紛れるほどの、真っ黒な羽根です。
ふわり、ふわりと、カリエルは蒼空へ近づいていきました。
「きみはもう帰った方がいい。きみまで宝石になってしまう」
「いや! あなたも一緒じゃなきゃわたしは帰らない!」
「帰るんだ」
カリエルは「とん」っと彼女の肩を押し出しました。
同時に、夜の狭間から大きな弓の形をした宝石が現れました。この世の何よりも淡く白く美しく輝いています。
この宝石こそ、月なのです。
「引き留めてくれて、ありがとう」
カリエルは言います。
「さようなら、愛しき天使。願わくば、永遠の別れを」
そうしてそのまま、何よりも優しい笑顔を浮かべて、空高く上ってゆきました。
◆ ❖ ◇ ◇ ❖ ◆
誰の話ですか。そう先生に問い掛けてみたけれど、一向に満足のいく返答はこなかった。
「可哀想だろう」
先生が言う。
「知っても不幸、知らぬでも不幸、何方も大差無いのなら、より酷な道を人は選ぶのさ。なぜだかわからないけれど」
窓際から差し込む陽の光が、先生の寝台を照らす。吹いてくる風がカーテンを揺らして軽快な音楽を奏でた。
「無知に救いを求めるのが俗世に塗れた人間の儚いところだよ。わたしはそれが滑稽で堪らない。けれど……そうさ、それでいいんだ。万人が意義を唱えても、たったひとりの理解者が居てくれるだけでいい」
「……先生には居るのですか。その、理解者が」
「居るよ、ひとり。……居るはずだった」
つまらない話をしてしまったね。先生はそう言いながら万年筆の蓋を閉め、執筆に関係する全てを片付けた。
終
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