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第七十七話:戦場に生きる者の運命
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夕風は風向きが変わるごとに冷たさを増すが、吐く息はまだ透明だった。
川辺と森に挟まれた狭い空間には見知らぬ人々であふれていた。
凛々しい姿の修道騎士たち。酒臭い無精ひげの男たち。
正反対の人間がここには同居していた。
本営のまわりは騒々しく、とても休める雰囲気ではない。
おれは人混みを避け森に入った。
よく目立つところに一本の老いた巨木があった。
気は死にかけで表面には緑色のコケがこびりつき、樹皮はあちこち剥げている。
あたりには学校裏のような湿っぽい香りが漂っていた。
おれは老木に身を持たれた。
木の表面は予想以上に冷え冷えとしていた。
おれは一瞬震えあがり、それからほっと溜息をついた。
見上げると、影に染まる枝葉に切り取られたギザギザの空があった。
空は昼間の戦いの返り血を浴びたかのように赤い。
黒い鳥の群れが耳障りな泣き声とともに家路を目指す。
あかね空を横切る筋雲はステーキに走る脂身のようであった。
おれは不吉の前兆としか思えない黄昏の空をただぼんやりと見えていた。
思考は渦のように回転し堂々巡りし、また同じところに戻ってきた。
おれの胸の内にはなにがある――? 恐怖か――?
なにに対して――?
影も形もない想像力が作り上げた敵について――?
それともたったひとりで知らないところを行動することに――?
バカな。そんな子供じみた不安は成績表と一緒に捨てたはずだ。
まさか――目の前で鎧武者が大河ドラマさながらに撃ち殺されたことに動揺している?
鉛弾を喰らい、落馬したアイツはもう甦らない。
ここは作中で壮絶に死んだキャラがアイキャッチの後にぴんぴんしてCMに登場するフィクションの世界じゃない。
壮絶に死んだキャラが笑いながら座談会に出てくるフィクションの世界じゃない。
あの白銀の若造は起き上がることもなければ、飯を喰うこともない。
土の下で永遠の退屈な眠りを享受するほかないのだ。
おれは暗く冷たい土の中を想像し、身震いした。
「ルー殿」
呼びかけられてわれに返った。
声の主はアストレアだった。先ほどの戦いで兜をなくしていた。素顔をさらしている。
「なんて声をかければいいのかわからないが、大丈夫か?」
――うん。
「となり、いいか?」
――構わない。
アストレアは腕を組むと、背中を巨木につけた。
「なかなか戻ってこないので心配して追いかけてきた」
「おれ、そんな長い時間ここにいたか?」
「すまない、ウソいった。ルー殿が小屋を飛び出してすぐに不安になったから追いかけてきた」
「将軍は正直だなあ」
この世に存在するとは思えない、あきれるほどウソのつけない女だ。
おれはくっくと笑った。
将軍は頭のてっぺんから足先まで謹厳実直、武人の鑑だ。
「ルー殿、あなたが不安に思うのも無理はない。変装するとはいえ敵地のど真ん中をウロウロするんだからな」
将軍は続ける。
「安心してほしい。戦地にはそういう風体の知れぬものなどごろごろしている。いちいち身元の確認なんかせんよ」
そんなこといわれないでもわかっている。
「――ところでおれ、不安そうに見えた?」おれはアストレアにたずねた。
将軍はうなずく。
「見えたよ。オオカミを前にした子ウサギのように震えていたぞ」
「あの場にいる全員がそう思った?」
「たぶん、な」
――恥ずかしいところを見られたな。
おれは古木の表面に背中を滑らせ、木の根に腰を下ろした。
「怖いと思うなら怖いといえばいい。恐怖は人間のもっとも自然な感情だからな。恥じ入ることはないよ。――わたしだって正直いうと怖い」
将軍は胸の前に持ち上げた手のひらをじっと見つめた。
「すでに血は流れた。血は血を呼ぶ。部下をむざむざ殺されて黙って指をくわえている王太子ではなかろう。必ず報復に来る。わが軍と王太子の軍は衝突する。フォルザ閣下の意地と王太子の意地。どちらが勝つかは運命の女神のみぞ知る。だがおびただしい血が流れるのはだけ間違いない。パスティリア川が真っ赤に染まるだろう。死の覚悟はできているとはいえ、それでも明日のことを考えるだけで憂鬱だよ」
将軍は両の手のひらで頬をおおった。
「長であるわたしが臆病風に吹かれてはいかんな。戦場に生きる者は戦場で死ぬのが運命であり誉れなのだ」
将軍もおれのとなりに腰を下ろし、膝を腕で抱え込んだ。
「格好つけたわりには吐いた言葉は月並みっていいたいのか? そんな目で見るな」
おれは右手で将軍の手の甲に触れた。
将軍の右手がぴくりと震える。
「この仕事、請けたぜ。おれは怖えから逃げたって思われるのが一番シャクなんだ。世の中なめられたら終わりだからな」
「ふふふ、その意見には同感だよ。人は虚栄心の支えなしでは生きられない」
アストレアが難しいこといった。
「おっと、口が滑ったな。人の上に立つもの、小難しいこと語るべからず、と」
「将軍の人間らしいところが見れてよかったよ」
「からかうな。わたしはあまりにも人間臭い人間だよ」
アストレアが先に立ち上がった。
「さあ行こうか」
笑いながら手を差し伸べる。
おれは彼女の手をつかんだ。
その手は大きくごつくて頼れるおっさんの手そのものだった。
アストレアはおれの身体を引っ張り上げる。
「修道騎士の団長が男とイチャついていていいのか?」
「病人の看護なら大目にみてくれるだろう。まだ腹は痛むのだろう?」
アストレアがおれにたずねた。
「いや、もう大丈夫だ」
将軍がチャーミングにウィンクした。
「そこは痛いってことにしておいてくれ。わたしにも立場というものがある」
「さっきまで痛かったけど将軍に手を握られたら治った」
「このバカ者めが!」
おれと将軍はお互い顔を見合わせ、押し殺した声で笑った。
「安心してほしい、フォルザ閣下にも秘策がある。それに……それにルー殿……そなたの危機にはなにがあってもわたしが救い出す。修道騎士団長の名誉にかけて、な」
アストレア、それは盛大なフラグだよ。
「将軍、危機とか危険とか縁起でもないことを口走らないでくれ。本当にそういうことが起りそうな気がする」
「言霊を信じるのか?」将軍は少し考えたあと、いった。
「そうだな、その通りだ。すまなかった」
川辺と森に挟まれた狭い空間には見知らぬ人々であふれていた。
凛々しい姿の修道騎士たち。酒臭い無精ひげの男たち。
正反対の人間がここには同居していた。
本営のまわりは騒々しく、とても休める雰囲気ではない。
おれは人混みを避け森に入った。
よく目立つところに一本の老いた巨木があった。
気は死にかけで表面には緑色のコケがこびりつき、樹皮はあちこち剥げている。
あたりには学校裏のような湿っぽい香りが漂っていた。
おれは老木に身を持たれた。
木の表面は予想以上に冷え冷えとしていた。
おれは一瞬震えあがり、それからほっと溜息をついた。
見上げると、影に染まる枝葉に切り取られたギザギザの空があった。
空は昼間の戦いの返り血を浴びたかのように赤い。
黒い鳥の群れが耳障りな泣き声とともに家路を目指す。
あかね空を横切る筋雲はステーキに走る脂身のようであった。
おれは不吉の前兆としか思えない黄昏の空をただぼんやりと見えていた。
思考は渦のように回転し堂々巡りし、また同じところに戻ってきた。
おれの胸の内にはなにがある――? 恐怖か――?
なにに対して――?
影も形もない想像力が作り上げた敵について――?
それともたったひとりで知らないところを行動することに――?
バカな。そんな子供じみた不安は成績表と一緒に捨てたはずだ。
まさか――目の前で鎧武者が大河ドラマさながらに撃ち殺されたことに動揺している?
鉛弾を喰らい、落馬したアイツはもう甦らない。
ここは作中で壮絶に死んだキャラがアイキャッチの後にぴんぴんしてCMに登場するフィクションの世界じゃない。
壮絶に死んだキャラが笑いながら座談会に出てくるフィクションの世界じゃない。
あの白銀の若造は起き上がることもなければ、飯を喰うこともない。
土の下で永遠の退屈な眠りを享受するほかないのだ。
おれは暗く冷たい土の中を想像し、身震いした。
「ルー殿」
呼びかけられてわれに返った。
声の主はアストレアだった。先ほどの戦いで兜をなくしていた。素顔をさらしている。
「なんて声をかければいいのかわからないが、大丈夫か?」
――うん。
「となり、いいか?」
――構わない。
アストレアは腕を組むと、背中を巨木につけた。
「なかなか戻ってこないので心配して追いかけてきた」
「おれ、そんな長い時間ここにいたか?」
「すまない、ウソいった。ルー殿が小屋を飛び出してすぐに不安になったから追いかけてきた」
「将軍は正直だなあ」
この世に存在するとは思えない、あきれるほどウソのつけない女だ。
おれはくっくと笑った。
将軍は頭のてっぺんから足先まで謹厳実直、武人の鑑だ。
「ルー殿、あなたが不安に思うのも無理はない。変装するとはいえ敵地のど真ん中をウロウロするんだからな」
将軍は続ける。
「安心してほしい。戦地にはそういう風体の知れぬものなどごろごろしている。いちいち身元の確認なんかせんよ」
そんなこといわれないでもわかっている。
「――ところでおれ、不安そうに見えた?」おれはアストレアにたずねた。
将軍はうなずく。
「見えたよ。オオカミを前にした子ウサギのように震えていたぞ」
「あの場にいる全員がそう思った?」
「たぶん、な」
――恥ずかしいところを見られたな。
おれは古木の表面に背中を滑らせ、木の根に腰を下ろした。
「怖いと思うなら怖いといえばいい。恐怖は人間のもっとも自然な感情だからな。恥じ入ることはないよ。――わたしだって正直いうと怖い」
将軍は胸の前に持ち上げた手のひらをじっと見つめた。
「すでに血は流れた。血は血を呼ぶ。部下をむざむざ殺されて黙って指をくわえている王太子ではなかろう。必ず報復に来る。わが軍と王太子の軍は衝突する。フォルザ閣下の意地と王太子の意地。どちらが勝つかは運命の女神のみぞ知る。だがおびただしい血が流れるのはだけ間違いない。パスティリア川が真っ赤に染まるだろう。死の覚悟はできているとはいえ、それでも明日のことを考えるだけで憂鬱だよ」
将軍は両の手のひらで頬をおおった。
「長であるわたしが臆病風に吹かれてはいかんな。戦場に生きる者は戦場で死ぬのが運命であり誉れなのだ」
将軍もおれのとなりに腰を下ろし、膝を腕で抱え込んだ。
「格好つけたわりには吐いた言葉は月並みっていいたいのか? そんな目で見るな」
おれは右手で将軍の手の甲に触れた。
将軍の右手がぴくりと震える。
「この仕事、請けたぜ。おれは怖えから逃げたって思われるのが一番シャクなんだ。世の中なめられたら終わりだからな」
「ふふふ、その意見には同感だよ。人は虚栄心の支えなしでは生きられない」
アストレアが難しいこといった。
「おっと、口が滑ったな。人の上に立つもの、小難しいこと語るべからず、と」
「将軍の人間らしいところが見れてよかったよ」
「からかうな。わたしはあまりにも人間臭い人間だよ」
アストレアが先に立ち上がった。
「さあ行こうか」
笑いながら手を差し伸べる。
おれは彼女の手をつかんだ。
その手は大きくごつくて頼れるおっさんの手そのものだった。
アストレアはおれの身体を引っ張り上げる。
「修道騎士の団長が男とイチャついていていいのか?」
「病人の看護なら大目にみてくれるだろう。まだ腹は痛むのだろう?」
アストレアがおれにたずねた。
「いや、もう大丈夫だ」
将軍がチャーミングにウィンクした。
「そこは痛いってことにしておいてくれ。わたしにも立場というものがある」
「さっきまで痛かったけど将軍に手を握られたら治った」
「このバカ者めが!」
おれと将軍はお互い顔を見合わせ、押し殺した声で笑った。
「安心してほしい、フォルザ閣下にも秘策がある。それに……それにルー殿……そなたの危機にはなにがあってもわたしが救い出す。修道騎士団長の名誉にかけて、な」
アストレア、それは盛大なフラグだよ。
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