月と奏でて・1

秋雨薫

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3 吸血鬼の少女

不審な事件

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 ある日の放課後。教室の中で奏は不機嫌最高潮の顔で目の前の紙切れを見つめていた。その紙切れに書かれた数字を、見間違いではないかと何回も確認する。しかし、それは何回見ても同じで、自分の持つ紙切れよりも点数が高い。

 「なぁ、そろそろ返せよ」

 そう言いながらミツキが紙を引ったくる。奏は不服そうにミツキを見上げた。
 球技大会が行われた日から数週間後、学校で期末テストが行われた。奏はまあまあの成績を残せたのだが―問題はミツキ。
 最初は授業という意味も理解していなかったからテストなどやったら赤点で埋め尽くされると思ったのだが。

「…何で私より成績がいいの!?」

 ミツキの手中にある自身のテストは、ほとんど丸で埋め尽くされていた。国語以外は90点台ばかりで、社会はなんと満点を取っていた。

「ジュギョーで習ったのをそのまま書いただけだけど。…あとキョーカショに書いてあるやつを覚えたからかな」
「……あんた、カンニングしたんじゃないでしょうね?」
「かんにんぐ?」

 妙なイントネーションで言ったので、カンニングの存在も知らないのだろう。しかし、腑に落ちない。何故この無知男に成績でも負けるのだろうか。その意味合いを込めてミツキを睨み付けると、ミツキはわざとらしく肩を竦めた。

「俺、物覚えがかなりよくてね」
「何それ嫌味?」
「ま、そう捉えてもいいよ」
「あんたねぇ!」

 ミツキの余裕な表情に苛立ち、今にも殴りかかりそうになった時―

「まあまあ、奏落ち着いてよ!」

 皐が二人の間に入り、仲裁した。皐にあやすように撫でられ、奏は口を尖らせたが大人しくなった。
 ミツキが転校してきてから、ミツキと奏が口喧嘩して皐が仲裁するというのが日常茶飯事だったので、クラスメイト達は特に気にせずにそれぞれ過ごしていた。

「奏、落ち着いた?」
「……うん」

 何度か頷いて見せると、皐はふんわりと微笑んだ。

「じゃあ、もう連れてきても大丈夫かな?あのね、今奏に会いたいっていう人が来ているの」
「私に会いたい人?」
「今連れて来るね!」

 奏の返事も聞かず、皐は小走りで扉を開けた。
 一体誰が自分に用があるのだろう、と考える奏。皐が普通に連れてくるのだから喧嘩目的の人ではないと思うし、ファンクラブの人達でもないはずだ。

「入っても大丈夫だよ!」

 皐が扉の外に向かってそう言うと、その人物はひょっこりと顔を出した。その人物の顔を見て、奏は非常に嫌な顔をする。金に近い茶髪で前髪を赤いピンで止めた姿はお馴染みの男だ。

「よー!原田奏!」

 佐々等和希だ。皐は何でか佐々等を面白い人だと思っており、あまり警戒心を持っていないようだ。
 佐々等の登場で、周りの人々がざわめく。球技大会の一件で一気に認知度が上がった佐々等。皐のように名前しか知らなかったという人はいなくなっていた。

「わざわざこんな所まで何の用?」

 嫌悪感を露にしながら聞くと、佐々等はひょこひょこと歩いて奏の目の前に立つと、にぱっと明るく笑った。

「いやいや、ちょっと小耳に入れて欲しい事があってさ!」

 言いながら、佐々等は視線をミツキに移した。

「ミッキーも聞いた方がいいかな。最近ここで通り魔事件があるの知っているだろ?」
「「……通り魔?」」

 奏とミツキが同時に首を傾げる。すると佐々等はぎょっとした表情で二人の表情を見比べた。

「ま、まさかお前ら知らないのかよー!?深夜に若い奴等が倒れているっていう事件だ!」
「何それ。事件でも何でもないじゃない」

 何を馬鹿な事を言っているんだろうか。馬鹿だから仕方がないかと内心納得している奏の横で、皐が「ああ!」と声を上げて手を叩いた。

「それ知っているよ。被害者の人、傷も負っていないし、倒れていた理由を覚えていないってやつでしょ?」
「そう!それそれ!」

 頬を膨らませてふてくされていた佐々等だったが、皐の言葉で表情を明るくさせて何度も頷いた。

「お酒を飲んでいたわけじゃないのに記憶がぶっ飛んでいるなんて変な話だろー?」
「まあ確かに。―でも、何で私にそれを話すわけ?」

 その現象が人為的なものだとしても、そこら辺の男よりも強い奏にわざわざ訪ねてまで伝えるものではない。自分を勝手にライバル視している佐々等が気を使って言いに来たとも思えない。
 佐々等の行動の理由が全く分からず、奏は眉を潜める。すると佐々等は歯を見せて笑った。

「原田奏だったら何か知っているかなって思ってさ!」
「何でそう思うわけ?」
「んー、何となく!」

 佐々等の適当な答えに、奏は疲れて呆れた表情も作れない。

「あはは、佐々等君面白いねー」
「おっ、さっちゃん俺のユーモアが分かる!?」

 暢気に笑う皐の言葉で、調子に乗った佐々等が嬉しそうに両手を合わせた。和やかな雰囲気の二人を見て、ため息を吐く奏。
 この状況はどうしたものか。皐が楽しそうなので、あまり妨害はしたくないが、正直佐々等には帰って欲しい。
 そういえば。一番佐々等を邪険にしているミツキが先程から全く喋っていない。奏は何気なくミツキを盗み見た。
 ミツキは眉間に皺を寄せ、目を細めて何かを考えている様子だった。顎に手を添え、思考の中をさ迷っている為、景色を映していない瞳。初めて見る、ミツキの深刻な顔。

「…暗野?」

 奏は思わずミツキの名を呼んでいた。ミツキはピクリと反応してゆっくりと奏を瞳に映した。

「ん?…呼んだ?」

 何処かひきつった表情で返事をするミツキに、奏は違和感を覚える。

「あんた、ぼうっとしているけどどうしたの?」
「別に?考え事なんてしてないけど?」

 絶対に嘘だ。ミツキは隠しているつもりだろうが、ひきつった表情は笑顔で隠しきれていない。けれどそれを追求する事が出来なかった。

「な、ミッキーはこの事件、どう思う!?」

 ―能天気な佐々等のせいで。佐々等は皐と喋っていたが、突然こちらを向いて話題を振ってきたのだ。

「……何で俺に聞くんだよ」

 ミツキは心底嫌そうに佐々等の方へ顔を向ける。完全に話の腰を折られ、追求するタイミングを失った奏は佐々等をキッと勢いよく睨んだ。
 奏の瞬殺しかねない視線に気付かない鈍感な佐々等はヘラヘラと笑った。

「何となくだな!あ、じゃあ被害者の共通点を教えてやろうか!記憶がない以外のやつ!」
「共通点?」

 これは初耳なのか、皐はきょとんとして首を傾げた。

「そう!これはあまり知られていないんじゃないか!?俺の独断捜査で発見したものだ!」

 佐々等は誇らしげに胸を張った。  独断の捜査というものが少々気になったが、それよりも共通点の方が優先だ。奏は「共通点って何?」と先を促す。佐々等はわざとらしい不敵な笑みを見せた。

「ふっふっふー。実はな?被害者は起きたらみんな同じ症状を訴えたんだ!」
「…症状?」

 ミツキの眉が片方跳ね上がる。佐々等は微妙な不敵な笑みを浮かべたままミツキに瞳を合わせた。そして血色の良い唇を開く。

「貧血、だ」
「………!」

 ミツキの瞳が、微かに揺らいだ。奏はその様子を見逃さなかった。

「貧血?何でそんな症状が出るんだろう…」

 皐が不思議そうに呟く。すると佐々等はいつもの笑顔で皐の方に顔を向けた。

「被害者達の中には貧血になった事がない人もいるみたいなんだ。……なのに、事件の夜の後に貧血になっていた。―これってさ」

 佐々等は一瞬だけ目を細めた。

「何者かに血を吸われたから…とかって思わない?」
「……!」

 この言葉で、奏はやっと佐々等の言いたい事が分かった。
 佐々等の幼馴染みが吸血鬼に血を吸われた後、吸血鬼に会った記憶を失っていたと言っていた。牙で傷つけられたはずの首筋も痕が残っていなかったという。
 記憶の消失と無傷。今回の事件は、佐々等の幼馴染みの話にそっくりだった。
 佐々等は、奏に会いに来たのではない。
 佐々等は視線をまたミツキに戻した。笑っているが、何処か冷たさを感じる表情で。

「例えば、吸血鬼に」

 ―吸血鬼だと疑っているミツキに、会いに来たのだ。

「吸血鬼?面白い例えをするね!確かに吸血鬼の仕業みたいだよね!…でもそんな物語にしかでないものが現実にいないからなぁ……ね、奏?」

 状況を一番理解していない皐が、間の抜けた声で復唱してから、声を上げて笑った。

「え、あ、うん…そうだね」

 急に振られて、奏はしどろもどろになりながらもなんとか答える。
 その物語にしかでないはずの吸血鬼、すぐ側にいますよ、なんて言えるはずがない。奏は隣にいる物語から出てきてしまった吸血鬼の顔を盗み見る。
 ミツキは無表情で腕を組んでいた。動揺もせず、ただ目の前にいる佐々等を見据えている。やがて―ミツキの薄い唇がゆっくりと開いた。

「とりあえず言っておくが、俺はそれに全く関係していない」
「んお?それは当然だろー?何を言っているんだミッキー!」

 そう言ってにへらと笑う佐々等。しかし、それは本心から言っているのかは定かでない。

「昨夜も、お巡りさんが倒れていたんだぞ!……確か、三日月公園の近くだったかな」
「三日月公園…?」

 聞き慣れた公園の名に、奏は眉を潜める。三日月公園は家の近くの公園だ。以前、ミツキとキャッチボールをした事がある場所だ。そんな近くで事件が起きていたなんて。

「……なぁ。その被害者は、性別はどっちが多いんだ?」

 突然変な事を聞くミツキ。奏は何を言っているんだと訝しげにミツキを見上げるが、本人は至って真面目だ。

「んん?全員男だったぞ!」
「…そうか」

 佐々等の言葉に、ミツキは何故か少々険しい表情を浮かべた。

「……暗野?」

 様子のおかしいミツキに奏はまた名前を呼ぶ。ミツキは応じる事はせず、ゆっくりと目を閉じて―突然、目を開いて不思議そうに扉の方を見た。
 奏もつられて扉に目を向ける。特に、変わった所はないと思っていたのだが―

「ああ!こんな所にいたのか!」

 突然勢いよく扉が開いたかと思うと、がたいの良い髭面の男が顔を出した。現代文を担当している塚原だ。塚原の姿を見て、佐々等が「げっ!」と顔を強張らせた。

「佐々等!お前こんな所まで逃げ込んでいたな!お前は全ての教科で赤点を取ったんだから今日から夏休みまで俺と補習づくしの日々を送るんだって言っただろ!」

ずかずかと教室に入り込み、佐々等の首にたくましい腕を回す。塚原の太い腕の中、佐々等は必死にもがき出した。

「い、嫌だ!何が嬉しくって髭もじゃの先生と夏休みまで過ごさなくちゃいけないんだ!俺は女の子と一緒に過ごすんだ!」
「それはお前の頑張り次第だ!女の子と遊びたいならさっさと補習の課題を終わらせる事だな!」
「は、原田奏―!」

 塚原に強制連行させられ、佐々等は嵐のように去っていった。

「賑やかな人だね。本当に」

 皐が微笑みながら呟く。
 佐々等が去って行った方向を見つめながら、ミツキは表情を変えずに突っ立っていた。奏はそんなミツキを、不審そうに見上げた。

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