庵の中の壊れ人

秋雨薫

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坂本あんな(21)

自慢の恋人

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 私は利恵と彼氏の彼方を以前と同じファミリーレストランでランチしようと誘った。利恵は直ぐに了承した。また彼氏を自慢出来ると思っているのだろう。――そうはいかないと私は内心ほくそ笑んでいた。誰よりも美しい男の顔を手に入れた私を見たら、一体どういう反応をするのだろう。

 そして数日が経って約束の日。私達は同じレストランへと来ていた。偶然にもこの前と同じ席だった。

「もう、達喜ったら」
「あはは、ごめん」

 私は冗談を言った達喜の腕を軽く叩き、自分の腕を絡めた。他にも客はいるが、視線なんて全く気にならない。恐らく皆私の事を羨ましく思っているのだろう。――目の前の親友のように。
 しばらく達喜と仲良さげに話してから、利恵に視線を戻す。

「どうしたの、利恵? 何か元気ないじゃない」
「――別に」

 私が笑顔で利恵に問い掛けると、彼女は不機嫌そうに目を逸らした。そんな利恵の隣には前と変わらず、容姿の整ったモデルの彼方。
 だけど、今の達喜の容姿には遥かに劣る。所詮作り物の顔が天然物に敵うはずがないのだ。利恵も達喜の方が格上だという事に気が付いているからこんなにも悔しそうなのだろう。
 彼方も顔が引きつっている。自分よりも顔が良い人がいるなんて思っていなかったような表情。――随分狭い世界で生活をしていたようだ。
 私は心中で見下しながら、達喜の隣で勝ち誇った笑みを見せた。

「何か皆元気ないね? どうしたの?」
「……あのさ、達喜君って前からそんな感じだったっけ?」
「何言っているのよ、前に会った時と変わらないでしょう?」
「……そうなんだけどさ」

 利恵は腑に落ちないようで、訝しげに達喜の顔をジロジロと見つめる。この空気を理解していない達喜はオレンジジュースを啜りながら不思議そうに首を傾げた。その姿すら様になる。
 まあ、利恵が不審に思うのはおかしくない。明らかに達喜の方が上なのに、何故数日前は彼方を自慢していたのか不思議で仕方がないのだろう。その時は彼方の方が上だったからというのと、達喜の元の顔を覚えているのは私だけなのだ。

「ねえ、達喜。貴方は何も変わっていないよね?」
「当たり前だろう。俺はずっとこのままだよ」

 達喜はオレンジジュースを啜るのを止めて無邪気な笑顔を渡しに見せた。
 ――違う。
 彼の綺麗な笑顔にときめくはずだったのに、私の心は何故か否定をした。私の脳裏にこびりついた本物の彼ならばそんな笑顔はしないからだ。

 ―ようこそ、坂本あんなさん……―

 そう言ったイオリは目を細めて静かに笑っていた。そう、あの彼ならもっと怪しく、魅惑的に笑うのだ。そんな子供のように笑ったりしない――
 だけど、今そんな事を言えるわけもなく、私はもやもやしたまま利恵達と過ごした。


**


 利恵達と別れ、私は達喜の車で家へ送ってもらっていた。

「いつもありがとうね、達喜」
「いいのいいの、気にしないで」

 達喜はいつものようにはにかむ。だけどいつもと違う笑顔。
 車内は嗅ぎ慣れた芳香剤の爽やかな匂いが充満していて、少し前に流行った曲が申し訳程度に聞こえる。私の好きな曲だ。私の為に用意してくれていたのだろう。運転している達喜の顔をチラリと盗み見る。
 私の欲した顔だ。誰がどう見ても綺麗な顔なのに、今の私の心はもやもやしていた。
 ――どうして?最初はあんなに嬉しくてたまらなかったのに、達喜の一挙一動に何かが引っかかる。

(私の欲しかったものって違っていた……?)

 そう考えるが、すぐに否定をする。私はイオリの顔が欲しかった。――それとも、他にも欲しい物が――?

「ん?」
「あ、何でも無い」

 私の視線に気付いた達喜が前を向いたまま聞いて来たので、私は慌てて目を逸らした。
 赤信号で車が止まると、それを見計らったかのように達喜がこちらに顔を向けた。

「あんな、大丈夫か? 今日も元気が無い感じだったけれど」
「え、そんな事ないけれど……」

 流石の達喜でも私の様子がおかしかった事に気が付いたようだった。私は悟られないようにわざと驚いた表情を見せる。
 達喜は納得できないようで、じぃっと私の顔を見つめる。――真っ黒な瞳で。
 やめて。そんな瞳の色で私を見ないで。おの綺麗な琥珀色の瞳で見てよ。

「あ、ほら青信号だよ」

 タイミング良く信号が青に変わったので発進させるように促すと、達喜は「ああ……」と力無い返事をしてから運転を再開した。
 黒い瞳の呪縛から解かれ、私はホッと胸を撫で下ろす。これ以上見られていたら気がおかしくなりそうだった。
 イオリのようでイオリじゃないこの顔を見ていると――言い表せない感情が溢れ出て来る。真っ黒な瞳と茶髪をワックスで跳ねさせた髪型を見ていると目を逸らしたくなる。その顔で馬鹿な事を言われると耳を塞ぎたくなる。
 もしかして私は本物のイオリが欲しいのかもしれない。容姿だけではなく全部――
 不気味で、けれども魅惑的なあの魔法使いが。でもその願いはかなえられないと言われた。
 それならば私は――

「――なあ、あんな」

 不意に呼ばれてハッとする。私の悪い癖だ。すぐに自分の世界に入り込んでしまう。
 達喜は私が上の空だった事に気が付いていなかったようだ。前を見つめながら、難しい表情を浮かべている。

「最近、周りが俺に変な事を聞くんだ。最近お前変わった? って」

 ドキリと胸が鳴る。思い当たる点があり過ぎる。
 例え前とは変わっていないという設定になっていたとしても、周りの人達は前の顔の達喜と普通に接していたのだ。こんなに綺麗な顔の奴だったかと不思議に思うに違いない。女だって何でこんなに良い男を放っておいたのかと疑問に思うだろう。

「皆変だよな、俺は何も変わっていないのに」

 私は同意をしなかった。
 いいえ、達喜は大分変わっている。貴方が知らないだけ。だけどそれは貴方が一生知らなくて良い事――

「俺は変わっていないよな、あんな」

 達喜は目を細めて笑う。その仕草がイオリに非常に似ていて私は胸を焦がした。
 私の脳裏にイオリが浮かぶ。琥珀色から不気味な程真っ赤な色の瞳に変わったあの姿が。そして私は決心をした。
 イオリが手に入らないのならば、イオリを造ればいいだけ。

「達喜。貴方髪が茶色いよね」

 私は達喜の髪を優しく触る。達喜は私の突然の行動に少し目を見開いたが、すぐに無邪気な笑顔を見せる。

「ああ。この色気に入っていてさ。あんなも良いって思う?」
「髪、金髪にしてみれば?」
「え?」

 突然の提案に達喜は私の方へと首を捻ったが、運転中だという事に気が付いて慌てて前を向いた。私は気にせずに髪を撫で続ける。

「金髪にして、軽くパーマとかかけてみたら? 達喜絶対似合うよ」
「……そ、そう? でも金髪はなあ……」
「おかしくないよ。今時金髪の人なんて珍しくないし」
「うーん。じゃあ、いつかしてみるよ」

 達喜のいつかはずっと来ない。気が進まない話を直ぐに終わらせる為にいつも使う。だけど、今回はそうはさせない。

「達喜、格好いいから絶対に似合う。今度一緒に美容院に行くから絶対にしようね」
「でも……」
「ね?」
「……おう」

 私の勢いに押されたようで、達喜は渋々承諾した。その瞬間、私はバッグからスマートフォンを取り出した。

「じゃあ私が予約しておくから。今度の土曜日で良いよね。私の行きつけの所なの。すごく腕の良い人がいるからその人に頼んであげるね。大丈夫、達喜に似合うような髪型にしてもらうからさ、私も一緒に行くし――」
「なあ、お前どうしたんだよ?」
「――え? どうしたって何が?」
「最近のあんな、おかしいよ」

 私は意味が分からなくて首を傾げる。達喜は憂いを帯びた表情でずっと前を向いていた。

「前は俺の髪型に何も言って来なかった。格好いいって言葉も」

 だって、貴方の前の顔は格好良くなかったもの。格好良い顔に格好良いと言って何が悪いのだろう。髪型だって、貴方がより素敵になる為に言ってあげているのに。――私の愛情が分からないという事だろうか。
 達喜は不安げな表情を浮かべている。
 やめてやめてやめて。イオリはそんな顔をしない。その瞬間、私の何かが爆発した。

「なあ、あんな――」
「うるさい!!」

 私の大声に達喜はビクリと肩を跳ね上げて驚いた表情でこちらを見たが、慌てて前を確認してから車を路肩に止め、今度は身体ごと私に向けた。

「あんな……?」
「何も言わないで! 私に逆らわないで!」

 止まらない。止められない。私の胸の奥から現れた黒い感情は薄れる処か、どんどんと濃くなっていく。私は身を乗り出して達喜の胸倉を掴んだ。

「あんたは私の言う通りに動いていれば良いの!!」
「あんな……」

 達喜は顔を青ざめさせてどこか絶望した表情で至近距離にある私の顔を見つめた。そんな表情にすら、私は苛立つ。
 違う、違う、違う!!こんな表情イオリはしない!やめて!
 この苛立ちをまたぶつけようとした時――

「分かったよ、あんな」

 やけに落ち着いた声に、ドキリと私の胸が高鳴った。
 至近距離にある達喜の顔には薄い笑みが貼りついていて、イオリにそっくりだった。

「あんなの言う事聞く。だからそんなに怒らないで」

 あやすように言って私の頭を撫でる。その口調、表情。イオリにそっくりだ。私は顔を赤らめて達喜の村ぐらから手を離した。赤くなった私の頬を触って、達喜は優しく笑う。

「俺、あんなの為だったら何でもする。髪型を変えろって言うのなら変えるし、性格を直せと言うなら直すよう努力する。あんなが好きだから、俺はあんなの好みに合わせるようにする。」

 照れ屋の達喜なら簡単に言わない言葉がスラスラと出てくる。でも私は不思議に思わなかった。私の瞳は、達喜ではなくイオリとして見つめていたから――

「あんなも俺の事……好きか?」
「勿論」

 不安そうに尋ねてきた達喜に、私は無駄な心配はかけまいと笑って頷いた。
私は達喜の頬を両手で包む。少し、熱い。達喜も気持ちが高揚しているのかもしれない。私は満面の笑みを見せた。

「私は、好きだよ」

 貴方の、その顔が――
 達喜の――いや、イオリの端正な顔が近付いてくる。私はゆっくりと目を閉じた。柔らかい物が私の唇に重なる。私は胸の高鳴りを感じながら達喜の唇を受け入れた。

 
 ――だから、達喜がどんな表情で私にキスをしていたのなんて知る由もなかった――


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