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6.厄災の魔女と一人の人間
ミレジカの王
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「じょ、冗談はやめて、ライジル…」
じわりと視界が滲む。ライジルの鋭い目は瞼によって閉じられていて開く気配が無い。堪らず思い切り揺すってみたらライジルの頭が大きく揺れ、そのまま階段に倒れてしまった。ラビィの薄白い肌が青く染まる。
「嫌!! ライジル、起きてよ…!!」
ライジルの額から滴り落ちる血が階段を徐々に赤く染めていく。ラビィは平静を失いつつも彼の血を止めなくては、と思い立ち自分のワンピースの端を持つと躊躇なく引き裂いた。その切れ端をライジルの額に巻いて止血すると、桃色の布にじわりと赤い血が滲む。浅黒い顔はいつもより白い気がした。心臓の音を確認しようと胸板に手を置いたが、これが自分の震えなのか鼓動なのか分からず、ラビィの瞳から涙が零れ落ちる。
「馬鹿、死なないでよ!! 私、あんたに言わなくちゃいけない事があるんだから!!」
ラビィはライジルの胸を叩く。いつもならすぐに反論する口も動かず、彼は何も言わない。
自分の気持ちに向き合おうと決めた矢先に、その想い人は血を流し倒れている。
細く吊り上がった眉も瞳孔の細く金色の瞳も笑った時に見える犬歯も自分よりも大きな体躯も全て大好きなのに、その人の命の灯は今にも消えてしまいそうで。ただ揺さぶる事しか出来ない自分の無力さに涙が溢れる。ラビィから溢れた涙は、ライジルの頬に落ちる。
「お願い死なないで……好きなの。ずっと一緒にいたいの……」
揺さぶるのを止め、ライジルのごつごつした手を両手で取り、祈るように自分の額に寄せる。どうか、どうかこの人を生かしてと胸中でずっと唱え続ける。ラビィにはとても気の長い時が流れている感覚だった。温かい手に自分の気力を与えるかのように強く握る。脳裏に浮かぶのは文句を言いながらも歯を見せて笑うライジルの顔。その姿を思い浮かべるだけで涙が止まらない。
どれくらい願っていただろう。彼の力無い手が、ピクリと動いたのを感じた。
「……え?」
先程までだらんとしていた手が握り返してきたので、ラビィは涙でぐしゃぐしゃの顔を上げる。彼は眉を痙攣させてからゆっくりと目を開いた。金色の瞳と目が合う。ライジルは呻き声を上げてから頭を押えて上体を起こした。
「…ラビィ」
ライジルはラビィに微笑みかけると、大きな手で彼女の頭を撫でた。
ラビィはライジルの手から両手を離した。瞳からもう涙は零れなかった。彼の姿を見て、自分に違和感を覚える。あれ程ライジルが目を醒ます事を切望していたのに、ラビィの心はちっとも喜びに満ち溢れなかったからだ。
意識を取り戻したライジルは自分の手の平を見つめて握り締める動作を何回かする。立ち上がって何度か屈伸もする。
「ライジル…?」
ラビィが声を掛けると、ライジルはニコリと目を細めて笑った。
その瞬間、ラビィは違和感の正体に気が付いた。ラビィは瞬時に立ち上がると、階段を数歩下がって距離を取る。そして彼を睨みつけると、噛みつくように声を上げた。
「ライジルじゃない…! 誰……!?」
ライジルは目を細めて笑う男では無い。こんなにも優しい表情は浮かべない。頭を打ったから性格が変わってしまったとかではない。この男はライジルではない。長年彼を見てきたラビィだから、それを確信していた。ライジルはきょとんとしたが、再度彼らしくない笑みを見せる。
「さすがラビィ。長年ライジルを想ってきただけあるね」
「な…!」
ラビィは赤面した。ライジルではないと隠す様子もなくあっさり白状する言い方だったが、想い人の顔でそんな事を言われてしまうととても恥ずかしい。先程まではライジルだったのに、目を醒ましたら彼ではなくなっていた。目の前に得体の知れない男がいるというのに、ラビィの警戒心はそこまで無かった。ライジルの姿の男は隙だらけで、こちらに危害を加えそうではなかったからだ。彼には全く似合わない人の良さそうの笑みは、何だか気が抜けてしまう。
「あなた、誰なの…!?」
再度問うと、男はゆっくりと口を開いた。―その時だった。
突然階下の瓦礫が大きな音を立てたかと思うと、そこから鋭い鳥の爪がにゅっと現れて金髪の青年が顔を出した。
「俺はこんな所で死なん!!」
「シェルバー!」
ラビィが安堵の声を上げた。リュラの尾の風圧で瓦礫と共に階段を転げ落ちてしまったシェルバーだったが、大事無かったようだ。とはいっても、切り傷は頬にいくつもあり、軍服は所々破れてしまっている。額から血が派手に出ていたが、傷は浅いようで本人はピンピンとしていた。
少しヤケになっているのか、声を上げて笑いながら瓦礫の山から這い出る。自分の身体を叩いて埃を払い、額の血を袖で拭う。
「二人とも無事で良かった!」
「うん、シェルもね」
ライジルが穏やかな笑みを浮かべたままそう言う。彼の異変にすぐに気が付いたシェルバーは目を丸くして顔を覗き込む。外見は桃色の布を額に巻き付けているくらいで全く変わっていない。しかし、彼の放つ雰囲気は明らかに違っている。怪訝そうにしばらく見つめていると、ライジルが「久しぶり、シェル」と一言。
その瞬間、シェルバーの表情が驚愕に染まり、そしてその瞳からポロポロと涙が零れる。横で見ていたラビィはぎょっとする。
「ど、どうしたのシェルバー!! この人に何かされた!?」
「…俺の事をシェルって呼ぶのは一人いかいない…」
涙を流しながら、でも、どうして、と動揺した様子のシェルバー。ただならぬ雰囲気にラビィはシェルバーとライジルの顔を交互に見る。突然様子が変わったライジルは、優しく笑ってシェルバーを泣かす。一体、何者なのか。
やがてライジルの姿をした男は困ったように笑うと、気を取り直してゆっくりと口を開いた。
「僕は……ヒュウだよ。久しぶりだね、二人とも」
「ひゅ、ヒューオ!?」
ラビィは驚きの声を上げた。ライジルの顔をした男は、自分をミレジカの王ヒュウを名乗ったのだ。魔女の呪いによって二年も眠り続けた男。その男が、ライジルの姿で微笑んでいる。
「どうして…だってヒューオは寝たままだし、何でライジルの中にいるの!?」
ラビィは混乱状態だった。ライジルの姿のヒュウは落ち着いてと言い、彼女に深呼吸を促した。素直に従い、少しだけ気持ちの落ち着いたラビィに説明をする。
寝たままの自分には意識があり、霊体のような形で城の中を行き来出来た事。その姿はウィルと燈にしか見えない事。そして意識の失ったライジルの身体に入り込ませて貰った事。
リュラの夢の中に入って会話をする事はしていたが、今回のように誰かの身体を借りるのは初めての事らしい。
「そんなわけで、今僕はライジルの身体を借りさせてもらっているんだ。やるべき事を終えたら身体はライジルに返すよ」
「本当に? そのままライジルの身体を貰っちゃわない?」
「あはは、それもいいかもね。僕の身体よりも頑丈そうだし……冗談だよ、ラビィ。そんなに怖い顔しないで」
目の据わったラビィに、ヒュウは慌てもせず暢気に謝った。
そんな中、未だに泣いている者がいた。従者のシェルバーだ。彼は大粒の涙を袖で乱暴に拭うと、ライジルの手を右手で取った。
「王、ようやく話が出来た…。二年振りだ…」
「ごめんね、シェル。君には迷惑をかけている。この事態を収める事が出来れば、僕は目を醒ます事が出来ると思う」
ヒュウは誰にも見えない姿でずっと城の中を見ていた。奮闘しているシェルバーも勿論見守っていた。眠り続ける王を待つ従者。従者に認知されずひたすら見つめるだけしか出来ない王。その視線が、ようやく交わる事が出来たのだ。姿も声も違うが、シェルバーは王と話が出来ただけで感無量だった。従者は王の手にしがみつき、また涙を流した。
再会の喜びに浸っていたいが、リュラの咆哮で現実に引き戻される。すぐ側にいる彼女の叫びは、鼓膜が破れてしまうのではないかという程の威力だ。耳を塞いでも脳の奥まで響いている感覚。
咆哮が止み、すぐに静寂が戻る。ここにいる全員が耳鳴りを感じた。何度も聞いていると頭が痛くなってくる。こちらも急がなくてはならない、と言ってヒュウは妻がいるであろう方向を見つめてから二人に向き直った。
「きっとこの騒ぎで、クレイスが檻から出ているだろう。その様子は燈達が見に行っている」
ヒュウの発言に、ラビィとシェルバーは酷く動揺した。リュラを止める事しか考えていなかった二人にとって、厄災の魔女クレイスが逃げ出したかもしれないという情報は寝耳に水だった。
「え、え…!? どうしよう、燈がクレイスの元へ行っているなんて……危険だよ!」
「ま、まさかオロロンもそっちに行っているんじゃあ…」
「僕は燈達がクレイスの元へ向かう所までは見ていたのだけれど、オロロンはいなかったよ。…でも、彼ならきっと来るだろうね」
ヒュウの言葉に兄の顔はみるみるうちに青くなった。仕える女王を止める為に奔走していたシェルバーだが、弟がクレイスの元へ向かっていると聞き、彼の中でどちらかを選べない天秤が揺れる。女王を救いたいし、オロロンも助けたい。どうして自分の身体は一つなのかと自身を責める。葛藤から、シェルバーは歯を思い切り噛み締めて鋭い爪の左手で自分の右腕を持つ。強く握り過ぎて爪が皮膚に当たり、服がじんわりと血で濡れた。
ヒュウはそんなシェルバーの腕を優しく持ってそれを止めさせる。オロロンはそんな事はしていないと言葉を濁して宥めるより、はっきりした考えを伝えた方がいい、とヒュウは自分の思いを伝えた。それはシェルバーとの信頼関係があっての事。
「大丈夫、あちらにはウィルやクラリスが行くだろう。燈やオロロンが危険な目に遭う事は無いと思う」
「でもその二人が行ったらクレイスを殺しちゃうんじゃ…! 元はと言えば、私達はウィル達がクレイスを殺さないようにって先廻りして来たんだよ…!」
「大丈夫。それは燈が何とかしてくれるよ。あの子の言葉には力がある。ウィルにもその言葉は届くだろう」
根拠は無いけどね、とヒュウはライジルの顔で微笑んだ。
燈はヒュウと同じ人間で、ミレジカに来て一ヶ月も経っていない。ウィルの魔法のお陰とはいえ、誰も見てくれなかったヒュウに気が付いた。そして、感情を失ったウィルの心に深く入り込んでいる。もしかしたら、あの厄災の魔女の心も動かしてくれるかもしれないと思ってしまう。燈には人を信じる心、人を惹きつける力がある。
「そして、僕の言葉はきっとリュラに届く」
ライジルの姿をしたヒュウは瓦礫を避けながらゆっくりと階段を上る。外へと出る窓はリュラによって破壊されてしまった。塔の最上階にぽっかりと開いた穴から風が吹き込む。あの穴の向こうに、龍の姿をしたリュラがいるのだろう。初めて会った時と変わらない姿で。
ヒュウは真っ直ぐ見据えながら優しく微笑んだ。
「僕達は僕達の出来る事をしよう。…さあ、皆の女王の正気を取り戻そう」
じわりと視界が滲む。ライジルの鋭い目は瞼によって閉じられていて開く気配が無い。堪らず思い切り揺すってみたらライジルの頭が大きく揺れ、そのまま階段に倒れてしまった。ラビィの薄白い肌が青く染まる。
「嫌!! ライジル、起きてよ…!!」
ライジルの額から滴り落ちる血が階段を徐々に赤く染めていく。ラビィは平静を失いつつも彼の血を止めなくては、と思い立ち自分のワンピースの端を持つと躊躇なく引き裂いた。その切れ端をライジルの額に巻いて止血すると、桃色の布にじわりと赤い血が滲む。浅黒い顔はいつもより白い気がした。心臓の音を確認しようと胸板に手を置いたが、これが自分の震えなのか鼓動なのか分からず、ラビィの瞳から涙が零れ落ちる。
「馬鹿、死なないでよ!! 私、あんたに言わなくちゃいけない事があるんだから!!」
ラビィはライジルの胸を叩く。いつもならすぐに反論する口も動かず、彼は何も言わない。
自分の気持ちに向き合おうと決めた矢先に、その想い人は血を流し倒れている。
細く吊り上がった眉も瞳孔の細く金色の瞳も笑った時に見える犬歯も自分よりも大きな体躯も全て大好きなのに、その人の命の灯は今にも消えてしまいそうで。ただ揺さぶる事しか出来ない自分の無力さに涙が溢れる。ラビィから溢れた涙は、ライジルの頬に落ちる。
「お願い死なないで……好きなの。ずっと一緒にいたいの……」
揺さぶるのを止め、ライジルのごつごつした手を両手で取り、祈るように自分の額に寄せる。どうか、どうかこの人を生かしてと胸中でずっと唱え続ける。ラビィにはとても気の長い時が流れている感覚だった。温かい手に自分の気力を与えるかのように強く握る。脳裏に浮かぶのは文句を言いながらも歯を見せて笑うライジルの顔。その姿を思い浮かべるだけで涙が止まらない。
どれくらい願っていただろう。彼の力無い手が、ピクリと動いたのを感じた。
「……え?」
先程までだらんとしていた手が握り返してきたので、ラビィは涙でぐしゃぐしゃの顔を上げる。彼は眉を痙攣させてからゆっくりと目を開いた。金色の瞳と目が合う。ライジルは呻き声を上げてから頭を押えて上体を起こした。
「…ラビィ」
ライジルはラビィに微笑みかけると、大きな手で彼女の頭を撫でた。
ラビィはライジルの手から両手を離した。瞳からもう涙は零れなかった。彼の姿を見て、自分に違和感を覚える。あれ程ライジルが目を醒ます事を切望していたのに、ラビィの心はちっとも喜びに満ち溢れなかったからだ。
意識を取り戻したライジルは自分の手の平を見つめて握り締める動作を何回かする。立ち上がって何度か屈伸もする。
「ライジル…?」
ラビィが声を掛けると、ライジルはニコリと目を細めて笑った。
その瞬間、ラビィは違和感の正体に気が付いた。ラビィは瞬時に立ち上がると、階段を数歩下がって距離を取る。そして彼を睨みつけると、噛みつくように声を上げた。
「ライジルじゃない…! 誰……!?」
ライジルは目を細めて笑う男では無い。こんなにも優しい表情は浮かべない。頭を打ったから性格が変わってしまったとかではない。この男はライジルではない。長年彼を見てきたラビィだから、それを確信していた。ライジルはきょとんとしたが、再度彼らしくない笑みを見せる。
「さすがラビィ。長年ライジルを想ってきただけあるね」
「な…!」
ラビィは赤面した。ライジルではないと隠す様子もなくあっさり白状する言い方だったが、想い人の顔でそんな事を言われてしまうととても恥ずかしい。先程まではライジルだったのに、目を醒ましたら彼ではなくなっていた。目の前に得体の知れない男がいるというのに、ラビィの警戒心はそこまで無かった。ライジルの姿の男は隙だらけで、こちらに危害を加えそうではなかったからだ。彼には全く似合わない人の良さそうの笑みは、何だか気が抜けてしまう。
「あなた、誰なの…!?」
再度問うと、男はゆっくりと口を開いた。―その時だった。
突然階下の瓦礫が大きな音を立てたかと思うと、そこから鋭い鳥の爪がにゅっと現れて金髪の青年が顔を出した。
「俺はこんな所で死なん!!」
「シェルバー!」
ラビィが安堵の声を上げた。リュラの尾の風圧で瓦礫と共に階段を転げ落ちてしまったシェルバーだったが、大事無かったようだ。とはいっても、切り傷は頬にいくつもあり、軍服は所々破れてしまっている。額から血が派手に出ていたが、傷は浅いようで本人はピンピンとしていた。
少しヤケになっているのか、声を上げて笑いながら瓦礫の山から這い出る。自分の身体を叩いて埃を払い、額の血を袖で拭う。
「二人とも無事で良かった!」
「うん、シェルもね」
ライジルが穏やかな笑みを浮かべたままそう言う。彼の異変にすぐに気が付いたシェルバーは目を丸くして顔を覗き込む。外見は桃色の布を額に巻き付けているくらいで全く変わっていない。しかし、彼の放つ雰囲気は明らかに違っている。怪訝そうにしばらく見つめていると、ライジルが「久しぶり、シェル」と一言。
その瞬間、シェルバーの表情が驚愕に染まり、そしてその瞳からポロポロと涙が零れる。横で見ていたラビィはぎょっとする。
「ど、どうしたのシェルバー!! この人に何かされた!?」
「…俺の事をシェルって呼ぶのは一人いかいない…」
涙を流しながら、でも、どうして、と動揺した様子のシェルバー。ただならぬ雰囲気にラビィはシェルバーとライジルの顔を交互に見る。突然様子が変わったライジルは、優しく笑ってシェルバーを泣かす。一体、何者なのか。
やがてライジルの姿をした男は困ったように笑うと、気を取り直してゆっくりと口を開いた。
「僕は……ヒュウだよ。久しぶりだね、二人とも」
「ひゅ、ヒューオ!?」
ラビィは驚きの声を上げた。ライジルの顔をした男は、自分をミレジカの王ヒュウを名乗ったのだ。魔女の呪いによって二年も眠り続けた男。その男が、ライジルの姿で微笑んでいる。
「どうして…だってヒューオは寝たままだし、何でライジルの中にいるの!?」
ラビィは混乱状態だった。ライジルの姿のヒュウは落ち着いてと言い、彼女に深呼吸を促した。素直に従い、少しだけ気持ちの落ち着いたラビィに説明をする。
寝たままの自分には意識があり、霊体のような形で城の中を行き来出来た事。その姿はウィルと燈にしか見えない事。そして意識の失ったライジルの身体に入り込ませて貰った事。
リュラの夢の中に入って会話をする事はしていたが、今回のように誰かの身体を借りるのは初めての事らしい。
「そんなわけで、今僕はライジルの身体を借りさせてもらっているんだ。やるべき事を終えたら身体はライジルに返すよ」
「本当に? そのままライジルの身体を貰っちゃわない?」
「あはは、それもいいかもね。僕の身体よりも頑丈そうだし……冗談だよ、ラビィ。そんなに怖い顔しないで」
目の据わったラビィに、ヒュウは慌てもせず暢気に謝った。
そんな中、未だに泣いている者がいた。従者のシェルバーだ。彼は大粒の涙を袖で乱暴に拭うと、ライジルの手を右手で取った。
「王、ようやく話が出来た…。二年振りだ…」
「ごめんね、シェル。君には迷惑をかけている。この事態を収める事が出来れば、僕は目を醒ます事が出来ると思う」
ヒュウは誰にも見えない姿でずっと城の中を見ていた。奮闘しているシェルバーも勿論見守っていた。眠り続ける王を待つ従者。従者に認知されずひたすら見つめるだけしか出来ない王。その視線が、ようやく交わる事が出来たのだ。姿も声も違うが、シェルバーは王と話が出来ただけで感無量だった。従者は王の手にしがみつき、また涙を流した。
再会の喜びに浸っていたいが、リュラの咆哮で現実に引き戻される。すぐ側にいる彼女の叫びは、鼓膜が破れてしまうのではないかという程の威力だ。耳を塞いでも脳の奥まで響いている感覚。
咆哮が止み、すぐに静寂が戻る。ここにいる全員が耳鳴りを感じた。何度も聞いていると頭が痛くなってくる。こちらも急がなくてはならない、と言ってヒュウは妻がいるであろう方向を見つめてから二人に向き直った。
「きっとこの騒ぎで、クレイスが檻から出ているだろう。その様子は燈達が見に行っている」
ヒュウの発言に、ラビィとシェルバーは酷く動揺した。リュラを止める事しか考えていなかった二人にとって、厄災の魔女クレイスが逃げ出したかもしれないという情報は寝耳に水だった。
「え、え…!? どうしよう、燈がクレイスの元へ行っているなんて……危険だよ!」
「ま、まさかオロロンもそっちに行っているんじゃあ…」
「僕は燈達がクレイスの元へ向かう所までは見ていたのだけれど、オロロンはいなかったよ。…でも、彼ならきっと来るだろうね」
ヒュウの言葉に兄の顔はみるみるうちに青くなった。仕える女王を止める為に奔走していたシェルバーだが、弟がクレイスの元へ向かっていると聞き、彼の中でどちらかを選べない天秤が揺れる。女王を救いたいし、オロロンも助けたい。どうして自分の身体は一つなのかと自身を責める。葛藤から、シェルバーは歯を思い切り噛み締めて鋭い爪の左手で自分の右腕を持つ。強く握り過ぎて爪が皮膚に当たり、服がじんわりと血で濡れた。
ヒュウはそんなシェルバーの腕を優しく持ってそれを止めさせる。オロロンはそんな事はしていないと言葉を濁して宥めるより、はっきりした考えを伝えた方がいい、とヒュウは自分の思いを伝えた。それはシェルバーとの信頼関係があっての事。
「大丈夫、あちらにはウィルやクラリスが行くだろう。燈やオロロンが危険な目に遭う事は無いと思う」
「でもその二人が行ったらクレイスを殺しちゃうんじゃ…! 元はと言えば、私達はウィル達がクレイスを殺さないようにって先廻りして来たんだよ…!」
「大丈夫。それは燈が何とかしてくれるよ。あの子の言葉には力がある。ウィルにもその言葉は届くだろう」
根拠は無いけどね、とヒュウはライジルの顔で微笑んだ。
燈はヒュウと同じ人間で、ミレジカに来て一ヶ月も経っていない。ウィルの魔法のお陰とはいえ、誰も見てくれなかったヒュウに気が付いた。そして、感情を失ったウィルの心に深く入り込んでいる。もしかしたら、あの厄災の魔女の心も動かしてくれるかもしれないと思ってしまう。燈には人を信じる心、人を惹きつける力がある。
「そして、僕の言葉はきっとリュラに届く」
ライジルの姿をしたヒュウは瓦礫を避けながらゆっくりと階段を上る。外へと出る窓はリュラによって破壊されてしまった。塔の最上階にぽっかりと開いた穴から風が吹き込む。あの穴の向こうに、龍の姿をしたリュラがいるのだろう。初めて会った時と変わらない姿で。
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