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6.厄災の魔女と一人の人間
魔法使いの焦燥
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ウィルは静かに空中からレイアスの城を見下ろしていた。城が半壊状態でも、銀色の龍が塔の上で咆哮を上げていても彼の表情が変わる事は無い。龍に目もくれず、ウィルは厄災の魔女の元へと向かう。ゆっくりと高度を下げて城前に立つ。城の外には避難した従者と様子を見に来たミレジカの国民で溢れかえっていた。ウィルの姿に気が付いた一人が声を上げる。
「魔法使いのウィルだ! 一体何をしに来たんだ?」
ウィルは何も答えず、灰色のフードを被り直して壊れた扉を開けて中に入ろうとする。すると背後から何人もの声が聞こえる。
「おい、ウィル! 何か答えろ! この騒ぎも、お前の母親のせいなのだろう!?」
「女王は厄災の魔女に操られているんだ!」
「そうだ! あの女王がこんな事をするはずもないんだ! まさか、お前達親子で何かを企んでいるんじゃ…」
その言葉に、ウィルはピタリと足を止めた。その瞬間、国民は黙ってしまい水を打ったかのように静まり返る。彼は振り返ると、城前にいる国民に視線を送る。その瞳に感情は籠っていない。
「…お前らに構っている暇は無い。そこで黙って見ていろ」
そう冷たく言い放つと、ウィルは城の中へ入った。城の中は酷いものだった。あちこち瓦礫の残骸が転がっている。何かが崩壊する音が何処からか聞こえるが、中に人はもういないようだった。周りの様子をよく見もせずにウィルは先を進む。龍の咆哮が鼓膜を刺激したので、思わず耳を塞ぐ。感情を失ったとはいえ、自分の身体を危ぶませる事があれば防衛反応をする。ウィルはパチリと指を鳴らして耳に見えない栓をする。何も聞こえない世界。彼は一人で廊下を歩く。
地下牢への道は勿論覚えている。何度も行った。行く度に母の憎らしい顔を見て殺意に溢れた。それでも今まで思いとどまっていたのは、ヒュウが殺意のままに殺す事は虚しさを覚えるだけだと言ったから。感情の無いウィルにはそんな思いは抱かないと思ったが、彼が譲らなかったから今まで我慢をしていただけ。
だが、クラリスが魔女を殺すと聞いて、その我慢は解かれた。あの女が誰かに殺されるくらいなら、先に殺してしまおうと。今は引き止めるヒュウもいない。
奥の角を曲がれば地下牢の階段が見える。その角を目指していると、突然背後から強い力で肩を引かれた。
「!」
見えない耳栓をしていたので、後ろの気配に気が付かなかった。目を見開いて素早く振り返ると、そこにいたのは紫髪を再度で緩く結った魔女の妹、クラリスだった。彼女は息を整えながら口をパクパクとさせている。最初は何をしているんだと怪訝そうに眉を潜めたが、耳栓をしているからだと気が付き、指を鳴らしてそれを消した。
「―るんだよ!!」
「ああ、ごめんクラリス。耳栓をしていたから聞こえなかった。もう一度言ってくれる?」
「…何でお前がここにいるんだよ、ウィル!」
「それはクラリスより先にあの女を先に殺す為だよ」
「お前、何で知って…」
言いかけて、クラリスは唇を噛み締めた。息が上がっている所を見ると、城外の国民にウィルが入っていったとでも言われたのだろう。綺麗な紫髪は少々乱れていた。
「そうだよ…。あたしは今日、クレイスを殺しに来た。…でも、何なんだよこの騒ぎは…! リュラは龍になっているし、城はボロボロだし…! ああ、本当に何なんだ!!」
訳が分からない、とクラリスはローブのステンドグラス型の留め具を握り締めた。ここまで取り乱したクラリスはクレイスが捕らえられた時以来だ。それをぼうっと見つめてから、ウィルは踵を返して歩き出そうとする。
「私には関係ない。それよりもクラリスよりも先に殺さないと」
その歩みはクラリスが前に割って入って来た事によって止められる。彼女の表情は悲しみに歪んでいて、ウィルを哀れんでいた。
「こんな時でも…お前はそれしか考えられないんだな。…なあ、もし燈がここにいたとしてもお前の態度はそのままなのか…?」
「ここにいるのか?」
燈の名前が出た途端、ウィルの無感情の瞳に焦りが浮かぶ。それを目の当たりにしたクラリスは驚く。彼の瞳に感情が映ったのを目の当たりにしたのは久しぶりだった。
「いるわけがないだろう。あの子は人間だ。もしここにいたら無事じゃ済まない」
「それならいい」
燈がここにいないと聞くと瞳の感情はすぐに消え、クラリスを避けて先へ進もうとする。だが、それをクラリスが許すはずがなく、すれ違う直前に彼の肩を掴んだ。
「ちょっと待て! あたしはウィルにクレイスを殺して欲しくないんだ! あんたにとってクレイスは最低な女かもしれないが、たった一人の母親だろう!?
あたしはあんたに親殺しをして欲しくない!!」
「…」
ウィルの目が据わる。彼の冷たい視線は牢に囚われた姉にそっくりで気圧されてしまう。しかし、それでも今回は譲れない。
クレイスを殺す事できっとウィルの心が戻る。感情が戻った瞬間、ウィルは自分の犯した罪に後悔し苦悩の日々を送るに決まっていると思っていたからだ。彼にはここに留まってもらうしかない。クラリスはウィルに気が付かれないようにローブの中で紫色の光を手中で形成する。彼の意識がまた地下牢に向いた隙をついて捕縛の魔法を使って捕らえる。
そんなクラリスの思惑を知らず、ウィルの視線が地下牢のある方へ向いた。今だ、とクラリスが捕縛の魔法を使おうとした時だった。
地下牢がある方向から何かが壊れる音が聞こえた。そして誰かの小さな悲鳴。その声は聞き覚えがあった。
「!」
聞き覚えのある声に、クラリスの表情が強張った。その声の持ち主は、ここにはいないはずの人だったからだ。ウィルとクラリスは同時に動き、地下牢がある廊下の前へ飛び出した。
「リック、オロロン…?」
そこにいたのはリックとオロロンだった。オロロンは鳥型では無く、人型になってリックを抱えて必死に何かを避けている。目を凝らしてよく見ると、宙に妖精が浮かんでいた。青髪をポニーテールにした妖精。厄災の魔女の分身、セイラだ。彼女はリックとオロロンに向けて容赦なく攻撃を放っている。虚ろな表情を見るに魔女に操られているのだろう。
「ウィル!」
リックがウィルの姿に気が付き、声を上げる。それに反応し、セイラも視線を送る。以前燈と約束していた時の優しい表情は何処にもない。セイラは攻撃対象をウィルに返ると両手に蒼い光の球を浮かび上がらせる。
「あの妖精は…」
「魔女の分身だ」
クラリスの問いに答えたのと同時に、ウィルは体勢を低くして動き出す。セイラの両手から光の球が放たれたが、ウィルはそれを手で振り払う動作をしてその軌道を逸らした。セイラが次の攻撃を放とうとしている間に、ウィルは両の指先を合わせてから顔前で手をクロスさせるように動かす。するとその両手の指先から蒼い光の線が現れ、網目状に交差された形に浮かびあがる。それは捕獲用の網のようだった。ウィルは両腕で丸を描くように外側に大きく動かすと、蒼色の網も同じような動きをして更に大きくなった。
セイラが攻撃を放ってきたが、それをしゃがんで避け、ウィルはその網状の光をセイラに向けて放つ。それは虫取り網のようにひとりでに動き出し、セイラを蝶のように捕まえる。
「…!」
セイラは逃げ出そうとしたが、網が出口を塞いだ為それは不可能になる。飛ぶ事も出来なくなった妖精はそのまま地面に力無く落ちる。
「すごい、さすがウィル!」
ウィルの手際の良さに、リックが感嘆の声を漏らした。地面に落ちた妖精はそれでも逃げようともがいている。セイラを拾おうとウィルが腰を屈めたが、それよりも先にクラリスが妖精をひったくった。奪われた形になったウィルだが、特に怒りを見せるわけでもなく紫髪の魔女を一瞥した。
クラリスは網の中で暴れるセイラを手のひらに乗せた。大切なものを扱うかのように、優しく。
「ああ、お前がクレイスの分身なのか…。本当にそっくりだ」
セイラはクレイスの分身なので瓜二つだ。妖精に姉の面影を感じ、妹は泣きそうになりながらも笑う。網の上からセイラの小さな頭を指で撫でる。すると、今まで暴れていたセイラは睨みつけるようにクラリスを見上げた。
セイラに興味を無くしたウィルは、リックとオロロンに目を向ける。オロロンは両膝を持って肩を大きく上下させていて、リックは心配そうに彼の背中に手を当てて気遣っている。
「リック、オロロン。何でここにいるんだ。君達は屋敷にいるはずだろう」
「ウィルがクレイスを殺すかもしれないって聞いたから先回りしたんだよ!」
「……それは、燈から聞いたんだね」
そもそもの始まりは燈が持っていた不思議な本に書いてある物語だった。燈に説明されなくてもあの本は誰かの物語を見せるものだと知っていた。どうしてだかは、思い出せない。
それよりも引っかかる事があった。
「まさか、燈も来ているのか?」
燈から聞いてリックやオロロンがいるという事は、彼女もこの場にいる可能性がある。ウィルはぐるりと辺りを見渡すが、燈の姿は無い。杞憂かと一瞬だけ安堵したが、オロロンの次の言葉に表情を一変させた。
「燈は築野専務と一緒に地下牢に行った!」
ウィルは地下牢の方を見る。地下牢に続くはずの階段は途切れており大きな穴が開いている。
どうして燈をクレイスの元へ行かせてしまったのか、と二人を責める余裕も無かった。ウィルは脇目も振らずに地下牢への闇に身を投じ、途中から通じていた階段に着地すると一気に駆け降りた。
「ぼ、僕らも追いかけよう…!」
「待て、お前ら。後もう少しで終わるから」
「何をしているの、クラリス」
慌てて追いかけようとしたオロロンを制止したクラリス。リックが彼女に尋ねると、クラリスは網の中のセイラに手をかざして何か魔法をかけているようだった。紫色の光がセイラを優しく包んでいる。先程まで網の中で暴れていた妖精だったが、紫の光を浴び続けて少しずつ動きが鈍くなる。
「……う」
紫色の光が消えたと同時に、セイラはクラリスの手の中でガクリと膝を折った。それを見て安堵したような表情を見せて、クラリスは蒼い色の網を指で千切る動作をした。すると、網は色を失って消える。
「ちょっとクラリス…! 魔女の分身を自由にしたら…!」
「大丈夫だ、リック。妖精の意識を一時的にクレイスと離した。少しの間なら自由に動けるはずだ。…クレイスに会うなら、少しでも協力者がいてくれると助かる」
ミレジカ一の魔力を持つクレイスの分身の意識を切り離す事は遥かに難しい事だった。―もし、クレイスがセイラに魔力を定期的に注いでいれば。セイラへの魔力の供給はほとんど無い状態だった。なので、クラリスの魔力でもセイラの意識を取り戻す事が出来たのだ。
もしかして姉はこの分身に興味を失ってしまったのだろうか、と考えを巡らせていると、手中の妖精がこちらに顔を向けた。その表情には色が宿っていて、クレイスの呪縛から解放されたのだと悟った。セイラが目を細めてから口を開く。
「ありがとう、クラリス…」
「何であたしの名前…」
「…きっと、クレイスの記憶の一部が私にもあるのでしょうね。あなたはクレイスの妹、クラリスでしょう?」
「ああ。…声までそっくりだな」
優しく諭すように話すセイラの声はクレイスにそっくりで。13年前の姉を見ているようで、目頭が熱くなる。しかし、今は感傷に浸っている場合ではない。
「地下牢に行くぞ。燈達が心配だ」
「燈…!」
燈の名前に、セイラが血相を変えた。そしてふわりと羽ばたくと一目散に地下牢への闇へと入っていった。
「リック、オロロン! あたし達も行くぞ!」
「…うん!」
「わ、分かった…!」
クラリスの言葉に、二人は待ってましたとばかりに穴へと飛び下りる。クレイスは何度も来た地下牢への道を見て、一度深呼吸をするとその中へと身を入れた。姉との決着を付ける為に。
「魔法使いのウィルだ! 一体何をしに来たんだ?」
ウィルは何も答えず、灰色のフードを被り直して壊れた扉を開けて中に入ろうとする。すると背後から何人もの声が聞こえる。
「おい、ウィル! 何か答えろ! この騒ぎも、お前の母親のせいなのだろう!?」
「女王は厄災の魔女に操られているんだ!」
「そうだ! あの女王がこんな事をするはずもないんだ! まさか、お前達親子で何かを企んでいるんじゃ…」
その言葉に、ウィルはピタリと足を止めた。その瞬間、国民は黙ってしまい水を打ったかのように静まり返る。彼は振り返ると、城前にいる国民に視線を送る。その瞳に感情は籠っていない。
「…お前らに構っている暇は無い。そこで黙って見ていろ」
そう冷たく言い放つと、ウィルは城の中へ入った。城の中は酷いものだった。あちこち瓦礫の残骸が転がっている。何かが崩壊する音が何処からか聞こえるが、中に人はもういないようだった。周りの様子をよく見もせずにウィルは先を進む。龍の咆哮が鼓膜を刺激したので、思わず耳を塞ぐ。感情を失ったとはいえ、自分の身体を危ぶませる事があれば防衛反応をする。ウィルはパチリと指を鳴らして耳に見えない栓をする。何も聞こえない世界。彼は一人で廊下を歩く。
地下牢への道は勿論覚えている。何度も行った。行く度に母の憎らしい顔を見て殺意に溢れた。それでも今まで思いとどまっていたのは、ヒュウが殺意のままに殺す事は虚しさを覚えるだけだと言ったから。感情の無いウィルにはそんな思いは抱かないと思ったが、彼が譲らなかったから今まで我慢をしていただけ。
だが、クラリスが魔女を殺すと聞いて、その我慢は解かれた。あの女が誰かに殺されるくらいなら、先に殺してしまおうと。今は引き止めるヒュウもいない。
奥の角を曲がれば地下牢の階段が見える。その角を目指していると、突然背後から強い力で肩を引かれた。
「!」
見えない耳栓をしていたので、後ろの気配に気が付かなかった。目を見開いて素早く振り返ると、そこにいたのは紫髪を再度で緩く結った魔女の妹、クラリスだった。彼女は息を整えながら口をパクパクとさせている。最初は何をしているんだと怪訝そうに眉を潜めたが、耳栓をしているからだと気が付き、指を鳴らしてそれを消した。
「―るんだよ!!」
「ああ、ごめんクラリス。耳栓をしていたから聞こえなかった。もう一度言ってくれる?」
「…何でお前がここにいるんだよ、ウィル!」
「それはクラリスより先にあの女を先に殺す為だよ」
「お前、何で知って…」
言いかけて、クラリスは唇を噛み締めた。息が上がっている所を見ると、城外の国民にウィルが入っていったとでも言われたのだろう。綺麗な紫髪は少々乱れていた。
「そうだよ…。あたしは今日、クレイスを殺しに来た。…でも、何なんだよこの騒ぎは…! リュラは龍になっているし、城はボロボロだし…! ああ、本当に何なんだ!!」
訳が分からない、とクラリスはローブのステンドグラス型の留め具を握り締めた。ここまで取り乱したクラリスはクレイスが捕らえられた時以来だ。それをぼうっと見つめてから、ウィルは踵を返して歩き出そうとする。
「私には関係ない。それよりもクラリスよりも先に殺さないと」
その歩みはクラリスが前に割って入って来た事によって止められる。彼女の表情は悲しみに歪んでいて、ウィルを哀れんでいた。
「こんな時でも…お前はそれしか考えられないんだな。…なあ、もし燈がここにいたとしてもお前の態度はそのままなのか…?」
「ここにいるのか?」
燈の名前が出た途端、ウィルの無感情の瞳に焦りが浮かぶ。それを目の当たりにしたクラリスは驚く。彼の瞳に感情が映ったのを目の当たりにしたのは久しぶりだった。
「いるわけがないだろう。あの子は人間だ。もしここにいたら無事じゃ済まない」
「それならいい」
燈がここにいないと聞くと瞳の感情はすぐに消え、クラリスを避けて先へ進もうとする。だが、それをクラリスが許すはずがなく、すれ違う直前に彼の肩を掴んだ。
「ちょっと待て! あたしはウィルにクレイスを殺して欲しくないんだ! あんたにとってクレイスは最低な女かもしれないが、たった一人の母親だろう!?
あたしはあんたに親殺しをして欲しくない!!」
「…」
ウィルの目が据わる。彼の冷たい視線は牢に囚われた姉にそっくりで気圧されてしまう。しかし、それでも今回は譲れない。
クレイスを殺す事できっとウィルの心が戻る。感情が戻った瞬間、ウィルは自分の犯した罪に後悔し苦悩の日々を送るに決まっていると思っていたからだ。彼にはここに留まってもらうしかない。クラリスはウィルに気が付かれないようにローブの中で紫色の光を手中で形成する。彼の意識がまた地下牢に向いた隙をついて捕縛の魔法を使って捕らえる。
そんなクラリスの思惑を知らず、ウィルの視線が地下牢のある方へ向いた。今だ、とクラリスが捕縛の魔法を使おうとした時だった。
地下牢がある方向から何かが壊れる音が聞こえた。そして誰かの小さな悲鳴。その声は聞き覚えがあった。
「!」
聞き覚えのある声に、クラリスの表情が強張った。その声の持ち主は、ここにはいないはずの人だったからだ。ウィルとクラリスは同時に動き、地下牢がある廊下の前へ飛び出した。
「リック、オロロン…?」
そこにいたのはリックとオロロンだった。オロロンは鳥型では無く、人型になってリックを抱えて必死に何かを避けている。目を凝らしてよく見ると、宙に妖精が浮かんでいた。青髪をポニーテールにした妖精。厄災の魔女の分身、セイラだ。彼女はリックとオロロンに向けて容赦なく攻撃を放っている。虚ろな表情を見るに魔女に操られているのだろう。
「ウィル!」
リックがウィルの姿に気が付き、声を上げる。それに反応し、セイラも視線を送る。以前燈と約束していた時の優しい表情は何処にもない。セイラは攻撃対象をウィルに返ると両手に蒼い光の球を浮かび上がらせる。
「あの妖精は…」
「魔女の分身だ」
クラリスの問いに答えたのと同時に、ウィルは体勢を低くして動き出す。セイラの両手から光の球が放たれたが、ウィルはそれを手で振り払う動作をしてその軌道を逸らした。セイラが次の攻撃を放とうとしている間に、ウィルは両の指先を合わせてから顔前で手をクロスさせるように動かす。するとその両手の指先から蒼い光の線が現れ、網目状に交差された形に浮かびあがる。それは捕獲用の網のようだった。ウィルは両腕で丸を描くように外側に大きく動かすと、蒼色の網も同じような動きをして更に大きくなった。
セイラが攻撃を放ってきたが、それをしゃがんで避け、ウィルはその網状の光をセイラに向けて放つ。それは虫取り網のようにひとりでに動き出し、セイラを蝶のように捕まえる。
「…!」
セイラは逃げ出そうとしたが、網が出口を塞いだ為それは不可能になる。飛ぶ事も出来なくなった妖精はそのまま地面に力無く落ちる。
「すごい、さすがウィル!」
ウィルの手際の良さに、リックが感嘆の声を漏らした。地面に落ちた妖精はそれでも逃げようともがいている。セイラを拾おうとウィルが腰を屈めたが、それよりも先にクラリスが妖精をひったくった。奪われた形になったウィルだが、特に怒りを見せるわけでもなく紫髪の魔女を一瞥した。
クラリスは網の中で暴れるセイラを手のひらに乗せた。大切なものを扱うかのように、優しく。
「ああ、お前がクレイスの分身なのか…。本当にそっくりだ」
セイラはクレイスの分身なので瓜二つだ。妖精に姉の面影を感じ、妹は泣きそうになりながらも笑う。網の上からセイラの小さな頭を指で撫でる。すると、今まで暴れていたセイラは睨みつけるようにクラリスを見上げた。
セイラに興味を無くしたウィルは、リックとオロロンに目を向ける。オロロンは両膝を持って肩を大きく上下させていて、リックは心配そうに彼の背中に手を当てて気遣っている。
「リック、オロロン。何でここにいるんだ。君達は屋敷にいるはずだろう」
「ウィルがクレイスを殺すかもしれないって聞いたから先回りしたんだよ!」
「……それは、燈から聞いたんだね」
そもそもの始まりは燈が持っていた不思議な本に書いてある物語だった。燈に説明されなくてもあの本は誰かの物語を見せるものだと知っていた。どうしてだかは、思い出せない。
それよりも引っかかる事があった。
「まさか、燈も来ているのか?」
燈から聞いてリックやオロロンがいるという事は、彼女もこの場にいる可能性がある。ウィルはぐるりと辺りを見渡すが、燈の姿は無い。杞憂かと一瞬だけ安堵したが、オロロンの次の言葉に表情を一変させた。
「燈は築野専務と一緒に地下牢に行った!」
ウィルは地下牢の方を見る。地下牢に続くはずの階段は途切れており大きな穴が開いている。
どうして燈をクレイスの元へ行かせてしまったのか、と二人を責める余裕も無かった。ウィルは脇目も振らずに地下牢への闇に身を投じ、途中から通じていた階段に着地すると一気に駆け降りた。
「ぼ、僕らも追いかけよう…!」
「待て、お前ら。後もう少しで終わるから」
「何をしているの、クラリス」
慌てて追いかけようとしたオロロンを制止したクラリス。リックが彼女に尋ねると、クラリスは網の中のセイラに手をかざして何か魔法をかけているようだった。紫色の光がセイラを優しく包んでいる。先程まで網の中で暴れていた妖精だったが、紫の光を浴び続けて少しずつ動きが鈍くなる。
「……う」
紫色の光が消えたと同時に、セイラはクラリスの手の中でガクリと膝を折った。それを見て安堵したような表情を見せて、クラリスは蒼い色の網を指で千切る動作をした。すると、網は色を失って消える。
「ちょっとクラリス…! 魔女の分身を自由にしたら…!」
「大丈夫だ、リック。妖精の意識を一時的にクレイスと離した。少しの間なら自由に動けるはずだ。…クレイスに会うなら、少しでも協力者がいてくれると助かる」
ミレジカ一の魔力を持つクレイスの分身の意識を切り離す事は遥かに難しい事だった。―もし、クレイスがセイラに魔力を定期的に注いでいれば。セイラへの魔力の供給はほとんど無い状態だった。なので、クラリスの魔力でもセイラの意識を取り戻す事が出来たのだ。
もしかして姉はこの分身に興味を失ってしまったのだろうか、と考えを巡らせていると、手中の妖精がこちらに顔を向けた。その表情には色が宿っていて、クレイスの呪縛から解放されたのだと悟った。セイラが目を細めてから口を開く。
「ありがとう、クラリス…」
「何であたしの名前…」
「…きっと、クレイスの記憶の一部が私にもあるのでしょうね。あなたはクレイスの妹、クラリスでしょう?」
「ああ。…声までそっくりだな」
優しく諭すように話すセイラの声はクレイスにそっくりで。13年前の姉を見ているようで、目頭が熱くなる。しかし、今は感傷に浸っている場合ではない。
「地下牢に行くぞ。燈達が心配だ」
「燈…!」
燈の名前に、セイラが血相を変えた。そしてふわりと羽ばたくと一目散に地下牢への闇へと入っていった。
「リック、オロロン! あたし達も行くぞ!」
「…うん!」
「わ、分かった…!」
クラリスの言葉に、二人は待ってましたとばかりに穴へと飛び下りる。クレイスは何度も来た地下牢への道を見て、一度深呼吸をするとその中へと身を入れた。姉との決着を付ける為に。
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