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短編
クラリスと妖精の旅 -空の町-
しおりを挟む翌日。海の町を後にし、次に向かうのは空の町だ。空の町は雲の上にあるそうで、空気が薄いからとクラリスに魔法で頭がすっぽりと入る丸型の透明な被り物を貰った。頭を入れると、首元まで覆われて空気が入ってくるのが分かった。セイラの羽根では行きづらいかもしれないから、と言われ、セイラはクラリスの肩に乗る事にした。
「空の町は、大樹の上にあるんだ。見たら驚くぞ」
そう言って笑うクラリスの耳元で、ステンドグラスで出来た月型のイヤリングが揺れる。それはクレイスが地下牢へと幽閉される前に身に着けていたものだ。彼女が収容されてからは、妹のクラリスがそれを受け取ったようだ。ローブの留め具に使われている同型のブローチも元はクレイスのものだ。そして、髪を三つ編みに緩く結っているのも姉と同じ。妹のクラリスは明らかに姉の事を慕っていた。牢に幽閉されても、この世から消えてしまっても。彼女の気持ちは変わっていない。そんな彼女の側にいても良いのか、とまたセイラは考えてしまう。俯くと、自身の胸に小さな貝殻の欠片で出来たネックレスが目に入った。昨日海の町でクラリスに買ってもらったものだ。本当はヒレに飾るブレスレットのようだったのだが、セイラの身体が小さかった為、加工してネックレスにしてもらったのだ。
「ほら、ここが空の町だ」
ネックレスに目をやっていると、すぐ側からそんな声がして、セイラは顔を上げる。目の前に広がる光景に、思わず感嘆の声を上げた。
そこにあったのは、地上に生える木々より何十倍も大きな大樹だ。一瞬木だと判別出来ない程大きく、レイアスの城がすっぽり収まってしまうくらいはありそうだ。ここは地上から三百メートル程の高さなのだが、大樹はその更に上まで伸びており、先を見る事は出来なかった。
「何て大きいの」
「あたしも初めてここへ来た時は驚いたよ。空の町の住人はここを宿り木にして暮らしているんだ」
幾重にも伸びる太い枝の先を見れば、そこには翼を持った鳥人や鳥が腰を掛けていたり、歩いていたり、空を飛んでいたり。藁のような素材で出来た住処がいくつかあるのが見えた。翼を持つ鳥人を見て、セイラはふと黒髪で同色の翼を持つ青年の姿を思い出した。彼は翼がうまく生えなかったので、地上にいるが、もし立派な羽根が生えていたらここに暮らしていたのだろうか。
ここには黒髪の彼のような人型で翼の生えた者もいるし、顔は鳥だが二足歩行で歩く鳥人もいる。昨日の海の町とは真逆で、ここは空を飛ぶ者達が集う町だ。
クラリスは一本の枝に降り立つと、その場に腰掛けた。枝といっても人が十人並んでも余裕がありそうなくらいの太さがある。なので座っても枝の道を歩く人々の妨げにはならなかった。
「ここはさ、空気が薄いから長期間はいられないんだよな。だから、日が沈む頃には別の町へ行くよ」
クラリスの言葉に頷いてから、セイラは彼女の肩の上から空を見上げる。こんな高さまで来ても、空は遠く、果てしない。その空を、鳥人達は気持ちよさそうに飛び交っている。昨日の海の町とは正反対だというのに、どちらの住人も自由に楽しんでいるようだった。
「世界は、とても広いのね。私は小さいから、余計に大きく見えるわ」
「身体の大小は関係ないさ。世界は、広い。二年も旅をしてきたが、まだ行っていない町もある。――もしかしたら、この空の先だって町があるかもしれない。あたし達の知らない世界は、まだまだあるんだ」
そう言ってクラリスは少し気恥ずかしそうに笑った。
「――って、これ姉さんの言葉なんだよな。征一に会う前は姉さんも結構旅が好きだったから。なあセイラ。あんたの記憶には、姉さんの旅の記憶があるのか? あたし、昔に姉さんとある町に行ったんだけれど、それは――」
「あの、クラリス」
セイラは遠慮がちにクラリスの言葉を遮った。そして彼女の肩から離れ、羽根を羽ばたかせて目の前に姿を見せる。話の腰を折られたクラリスはきょとんとしてセイラを見つめ返した。
「私は、クレイスの記憶を持っている。でも、それは私の感情とは別にあって、だからそれは――」
「分かっている。あんたとクレイスは別だって言いたいんだろう? 知っているよ。あんたとクレイスは別の生命。それくらい分かっているさ」
言いにくそうに口ごもったセイラに、クラリスは目を細めて微笑んだ。いつもの快活な笑顔とは違う、何かを悟った微笑み。セイラの胸がチクリと痛んだような気がした。
「…分かっているけれど、姉さんの記憶を持っているから、探したくなってしまうんだ。――姉さんが生きた痕跡を」
「……クラリス」
「――ごめんな。もしかして、ずっとそれを気にしていたか? 嫌な思いをさせたな」
「そんな事ないわ。…でも、もし私のこの姿を見てクラリスがクレイスを思い出してしまうのなら、私との旅は苦しいものではない?」
嫌な思いなど全くしていない。ただ、クラリスが姉を慕う気持ちを押し殺して姿形が全く一緒のセイラを重ねているのだとしたら、彼女に申し訳ないと思ったのだ。セイラは、クレイスの代わりにはなれない。
しばらく無言が続く。この大樹の上は地上よりも風が強く、少しでも気を抜いたら飛ばされてしまいそうだ。クラリスの三つ編みが強風で煽られている。そして、セイラの蒼く長い髪も風に揺られていた。
この気まずい沈黙を破ったのは、クラリスだった。
「…本当はもっと後に行きたいと思っていたんだけれど、セイラに見せたい町があるんだ。夕方ここを出て、すぐにその町へ行こう」
「え、ええ」
てっきり旅を止めよう、と言われるかと思っていたので、まさかの提案に動揺したが返事をする。クラリスは微笑むと、強風に煽られているセイラに向けて手を伸ばしたのだった。
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