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魔女の仕事

魔女メラニー

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 アピは町から出て、すぐ近くにある林に入って道なき道を進んでいく。アピは魔法でうまく草木をどけているが、少し後ろを歩くリヴには勿論そんな力はないので、音を出さぬよう慎重に伸びきった雑草を手でかき分ける。
 そういえばここはアピに擬態したティールに連れて来られた場所だ。一瞬彼女がまたティールなのではないか、と疑念を抱いたが、魔法を使っているから本人のはずだ。
 一体どれ程奥深くまで行くつもりなのか、と思った時――ふとアピが大きな木の前で足を止めた。
 アピは木の幹にそっと手を添える。すると木がある場所がぐにゃりと歪んだ。ギョッとしたリヴの目の前で、アピはその歪みに身体をゆっくりと沈めていった。
 彼女の姿が木の中へ消えていったのを見届けた後、リヴは辺りを警戒しながらそこへ近づく。
 一見普通の大木だが、よく目を凝らすと樹皮が僅かに揺れているように見える。リヴもアピと同じように手を翳すと、幹の一部が渦状に歪む。恐らくこれは転移魔法。何処かへと繋がっているはず。
 リヴは一瞬躊躇したが、意を決するとその木に向かって足を踏み入れた。


 歪みに身を入れた途端、景色が一転した。先程まで鬱蒼とした林の中にいたはずだったが、今は目の前に廃墟がある。
 周りに他の建物はなく、干からびた地面と枯れた木々が見えるだけ。その廃墟は教会の跡地に見える。

(……魔女の根城か?)

 周りに人のいる気配はない。リヴは壁に身体を寄せて中腰で先へ進む。少し進んだところで、アピの菖蒲色の髪がちらりと見えた。
 リヴは息を潜めて彼女の髪の消えた先を追おうとしたが――

「なーにやっているの」

 背後から声を掛けられ、瞬時に振り返って武器を構えた。そこにいたのは一人の女性だった。えんじ色の髪は首元まであり、楽しそうに細める瞳は金。体格の分かる薄香色の服を着ているのだが、豊満な胸やくびれた腰が艶めかしい。
 性別は違うが、似た魔族を知っている。リヴは表情を険しくさせた。

「ティール……か?」
「ふっふふ……ボクが男だと思った? 魔族には性別なんてないんだよお。女にもなれるのさ。お前はこっちの方が好みかなあ?」

 女――ティールはいやらしく笑いながら腰をくねらせた。
 相変わらず気配の無い魔族だ。こうもあっさりと背後を取られると良い気はしない。

「お前は何をしに来たんだ?」
「お前がアピちゃんをストーカーしていたみたいだから心配でついて来たのさあ」
「……ストーカーじゃない」

 どちらかと言えばティールの方がストーカーだと思うのだが、本気で言い返すのも面倒くさい。
 ティールが何か言ってきたが、無視をしてアピの消えた曲がり角へ向かい、そこから彼女の動向を確認する。

「メラニー!」

 劣化のせいか屋根が無い開放的な教会跡地に、小ぶりな白い丸テーブルと椅子があり、そこに一人の女性が座っていた。
 漆黒の髪は床についてしまいそうなくらい長く、毛先の方で一つに緩く結われている。青みがかった黒く細身のドレスは何処か喪服のようにも見えた。これで紅茶でも啜っていれば雰囲気があるのだが、テーブルの上は酒瓶が幾つも乱雑に置かれており、地面にも転がっている。
 メラニーと呼ばれた女性は頭を押さえながらアピに藍色の瞳を向けた。

「……アピ。大きな声を出さないで。はあ、頭痛い……」
「二日酔いというやつか? 酒ってそんなに美味いのか?」
「ガキ舌の貴女には分からないわよ……。こんなご時世だとね、飲んでいないとやっていられないのよ……」

 魔女とは思えない飲んだくれの様子に、リヴは拍子抜けする。
 暗殺組織でいえばホークと同等のはずだが、彼女にそんな雰囲気は微塵も感じられない。
 アピは地面に転がる酒瓶を物珍しそうに見つめてから、軽く蹴って倒して遊び出す。

「今日は……ティールはいないのね……珍しい……まあ……あんなのいなくても良いんだけれど」

 あんなの呼ばわりされている当の本人は、いつもの事なのかニヤニヤと笑っている。
 アピは落ちた酒瓶を一か所にかき集めてからメラニーの方に顔を向けた。

「今日は何の用だ? また魔物討伐か?」
「魔物というか……人間の方ね。少し困った奴がいてね……」

 メラニーは頭を押さえたまま、左手を軽く振ると机の上にあった酒瓶が宙を舞い、地面に綺麗に置かれていく。だが、一本だけ宙を浮いたままだ。
 その酒瓶は、やや長身のメラニーより高く浮き上がると——

「それにしてもアピ……貴女、気配を察知するのは苦手なの……? 人間を連れて来たわね……?」
「!」

 酒瓶は風を切ってリヴの方へ飛んで来た。壁に身を寄せて隠れていたので当たる事はなかったが、酒瓶は派手な音を立てて破片へと姿を変えた。

「そこにいるのは分かっているわよ……。出て来なさい……」

 明らかにリヴへ呼びかけている。やはり、只者ではない。リヴは隣で嬉しそうに笑っているティールを押し退けると、二人の魔女の前に姿を現した。
 するとメラニーではなくアピが驚いた表情で指を差す。

「お、お前え!! 何でついて来ているんだよ!!」
「ふっふふ……見つかっちゃったあ。アピちゃんこの気持ち悪いストーカー殺すう?」

 リヴが答える前にティールが男型に姿を変えてからアピに笑顔で尋ねる。ご丁寧に手を刀に変化させリヴの首元に当てた。
  リヴは瞬時に手元にナイフを出そうとしたが、余計な事はしない方が良いと動かないでいると、アピが顔を真っ赤にさせてやめろと怒鳴ったので、ティールは素直に従い何もしなかった。
 メラニーは椅子に座ったまま、こめかみに手を当てて深刻な表情になる。――恐らく、リヴの登場に危機感を抱いているのではなく、二日酔いに耐えているのだろう。少しして彼女は気だるげに口を開いた。

「……貴女は、アピを暗殺しようとしたっていう男ね……話は聞いているわ……。奴隷になったとも」
「奴隷にはなっていない。変な嘘つくなアピ」
「同じようなもんだろう!」

 アピが自信満々に言う。
 言い返しても頑固者のアピは決して認めないだろう。リヴはげんなりしてため息を吐いた。
 だが、ため息を吐きたいのはメラニーだったらしく、リヴよりも大袈裟に深く息を吐いた。

「……はあ。こんな体調悪い時に人間が来るなんてね……。まあ、こんなに敵がいる中、のこのこやって来るなんて、馬鹿でない限り暗殺には来ないわよね……。腕も負傷しているようだしね」
「……!」

 少し相対しただけで腕の負傷を知られてしまった。やはりこの魔女はアピよりも数枚上手だ。これほど力の強い魔女ならば暗殺組織のターゲットになってもおかしくないのだが、メラニーという名前は聞いた事がない。

「困ったわね……。私の存在は知られたくなかったのだけれど……」
「……お前達が本気を出せば俺など簡単に殺せるのでは?」

 アピにティールにメラニー。この場にいる全員はリヴの敵だ。アピすら暗殺出来ないリヴではこの三人にすぐに殺されてしまうだろう。
 暗殺組織ホークアイだったら素性を知られてしまったら暗殺対象だ。魔女の組織にもそのようなしきたりがあってもおかしくない。
 アピはハッとした表情でメラニーを見やる。メラニーは座ったまま、藍色の瞳でリヴに視線を送っている。気だるげだが、その中に殺気が見えた。
 ゾクリと背筋が粟立つ。アピに一瞬でねじ伏せられたあの時には感じなかった。このままどう殺されるのか、と考えた時だった。メラニーは突然殺気を消すと頭に手を当てた。

「あああ……具合悪いからやめておくわ……。私の名前は分かっているのでしょう? 私はメラニー。……勿論偽名よ。調べても出てこないでしょうね。私の情報は人間如きが知れるものではないから……」

 お前如き殺さなくても自分に脅威はない、とでも捉えられる言い方にリヴは顔をしかめた。
 メラニーの素性は恐らく暗殺組織でも知られていないのだろう。こんな高度な魔女がいたらアピ同様噂になってもおかしくない。今回はアピが間抜けだからメラニーに遭遇しただけだ。
 彼女の素性は気になるが、リヴの指令はあくまでもアピ暗殺。メラニーの暗殺は依頼を受けなければ決行しない。
 とりあえずアピの行先は分かったので、もう用は無いと思ったリヴはこのまま踵を返そうとした時だった。

「なあメラニー。今回の依頼って人間相手なんだろう? じゃあリヴも連れて行って良いか?」
「は?」

 アピがとんでもない提案をしてきた。リヴは思わず大きく振り返ってしまう。

「私が一人で行くより、人間のリヴがいた方があっちの考えが分かるかもしれないしさ! いいだろう!?」
「お前、何を言っているんだ……! そんなの俺が行くわけがないし、メラニーが許すわけがないだろう!」
「ふう……面倒くさいから貴方も一緒に行けば良いわ。人間がいた方があちらも隙を見せるかもしれないし……」
「はっ!?」

 メラニーはあっさりと承諾した。少し前まで殺気を送っていた男に依頼の同行をさせるなど一体どういう了見なのか。ホークだったら絶対に有り得ない。

「ふっふふ……相変わらず魔女は気まぐれだよねえ。いーんじゃない? アピちゃんについて行けば。もしアピちゃんに手を出そうとしたらボクが殺すから大丈夫だよお」

 今まで興味無さそうに空を浮いていたティールが珍しく同調する。彼ならばアピに近付くな、と言うかと思ったのだが——何か思惑があるのだろうか。
 あまり気が乗らなかったが、アピの仕事ぶりを見られるのは良い機会なのかもしれない。リヴは渋々ながらも頷いた。

「分かった。俺も同行する」
「よし! じゃあメラニー、詳細を教えてくれ!」
「分かったわ……まずは……水を持って来てくれる? ちょっと気持ち悪い……うぷ」

 口元を抑えて顔を青くしたメラニーを見て、アピとリヴは慌てて水場を探そうと走り出した。


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