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変わり始める日常

歴史の食い違い

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 朝食を終え、子供達は外へと遊びに行った。リヴは調理担当の中年の女性と協力して調理室へ何往復かして皿を片付けた。

「これ、いつも一人でやっていたんですか?」
「ええ、まあ。毎日やっていたら慣れますよ」

 皿を洗いながら調理担当の女性——マースに話しかけると、彼女はそう言って微笑んだ。マースは50代のふくよかな女性だ。自身の子育てがひと段落したのでこの孤児院を手伝っているという。他にも子供達の面倒を見る人が何人かいるらしい。

「本当に助かるわ。貴方、手際も良いし料理上手だし! 手伝いと言わずこのままここで働いて欲しいくらい!」
「ははは……」
「それにしても、アプちゃんとても可愛らしいわね。貴方の妹なの?」
「いえ、彼女とは……まあ、顔馴染みなだけです」
「そうなの? アプちゃん、貴方に随分懐いていたみたいだけれど」

 マースはよく話す女性だ。食器を洗いながら喋りが止まらない。
 アピは一般人にも魔女として知れ渡っている可能性がある為、あのままアプという事にしている。
 アピとはほとんど別行動なので、手伝いが決まってからあまり会話をしていない。ここしばらくは彼女とほぼ毎日顔を合わせていたのでお互い良い息抜きになるだろう。

「おい、リヴ!!」

 ——息抜きは直ぐに終わった。声のした方を見れば、やや髪がボサボサなアピが立っていた。

「何だ。お前子供達と遊びに行っただろう」
「お前はいつ私の所に来るんだ!? ガキ共の遊びが激しくて大変なんだよ!!」

 ずっと一人で過ごして来たアピは同年代の子供達とどうやって遊んで良いか分からないからリヴの方に助けを求めて来たようだ。だが、リヴはその意図を全く汲まずに食器洗いを止めない。

「俺は手伝いで一日中忙しいんだ。一人より大分マシだろう。友達たくさん作って来い」
「私は別に友達が欲しいわけじゃあ……!!」
「あ、アプちゃんいた!!」

 途中で少女がひょっこりと姿を現した。今朝アピに話しかけていた少女だ。その姿を見てアピはゲッと顔をしかめた。

「え、ええと。お前は確か……」
「ニナだよアプちゃん! ここはおばちゃん達がお料理するところだから入っちゃダメなんだよ!」

 赤毛をツインテールにした少女——ニナは恐らく10歳くらいだろうか。アピと仲良くなりたいらしくいつも側にいる。

「私は良いんだ!! 下僕のリヴがどうしているか気になっただけだ!!」
「げぼく? よくわかんないけど、邪魔しちゃダメだよ!! 早く遊びに行こ! こっちこっち!!」
「うわ! 引っ張るなお前!!」

 アピはニナに引っ張られて姿を消した。

「……随分と楽しくやっているようだな」
「フフフ。ニナちゃん、同い年の女の子だから仲良くしたいのよ。アピちゃんと気が合いそうね」

 リヴの独り言にマースがそう呟く。アピもずっと一人でいたから今の騒がしい生活ならば気が紛れるだろう。問題は彼女が魔女だとバレる事。魔法は使うなと釘は刺しているが、短気のアピだからどうなるか分からない。

(まあ、子供達に手を出すとは思えないが)

 アピと過ごして分かったのは、彼女はホロン町の人々に危害は全く加えない事。構ってもらいたくてちょっかいを出すくらいだ。町民達が不必要に怯えているだけのようにも見える。

「マースさん、他は何をやれば良いですか」
「あ、それじゃあね――」

 リヴはマースの言われた通り、手伝いを器用にこなしていった。


***

 片付けが終わった後、リヴはマースに勧められて子供達の授業を覗かせてもらう事になった。アピは子供達と他の場所で遊んでいるらしい。
 この孤児院は教会の隣に二階建ての園舎があり、そこで子供達が勉強をしたり遊んだりしているそうだ。ちなみに子供達やリヴが寝泊まりしている場所は園舎の裏にある。
 マースに教えてもらった場所に辿り着くと、授業は既に始まっているようだった。机が等間隔に並んでおり、子供達が椅子に座って黒板と教師の方へ目を向けている。リヴは教育機関に世話になった事はないが、学び場はこのような場所なのだろう、と何となく思った。
 ここにいる子供達はアピよりも年上のようだ。リヴは子供達の邪魔にならないよう、静かに入室して部屋の隅で見守る事にした。
 眼鏡を掛けた女教師が黒板に文字を書き始める。

「はい、それでは今日は魔女大戦についてお話します。100年前に魔女が人間の国王を殺した事が発端です。はい、この一番悪い魔女の名前は分かりますか?」

 一人の子供が元気に手を挙げて立ち上がる。

「はい! ケイト=レイスです!」
「はい、正解です。ケイト=レイスが国王を暗殺した事により、魔女大戦の始まりとなりました。魔女は魔法を使って圧倒的な力を見せましたが、こちらの兵力には敵わず人間が勝利を治めました」
「ケイト=レイス……?」

 小声だったが思わず呟いてしまう。レイスというファミリーネームはアピと同じだ。果たして偶然だろうか。そしてもう一つ気になる事は――

(パミラが教えてくれた歴史とは違うな……)

 リヴの育ての親であるパミラは子供達に学を教えてくれた。その中でも歴史についての教えは熱心だったような気がする。
 彼の教えてくれた魔女大戦は人間の裏切りが発端で始まったと言っていたが――果たしてどちらが正解なのか。自分の気持ちとしてはパミラの方を信じたい。

――お前達は意味のある生を全うしてくれ。

 血で濡れた顔で微かに笑って言ったパミラの最期の言葉が過る。あの彼が嘘を吹き込むとは思えなかった。
リヴの疑問に構わず、授業は進んでいく。

「魔女は魔族を使役している者が多かったですが、多くの魔族は魔女を見限りました。魔女は魔族を使い魔として契約する事が出来ますが、ほとんど契約までしていなかったようですね。それは魔族にとって使い魔になるメリットが無かったからでしょう。使い魔になると生死も主人と共にする事になります」

 魔族と言われて思い浮かぶのはティールだ。低級魔族は醜悪な姿でいる確率が高いようだが、高位魔族は人型だ。だからティールは高位魔族である。

(それなのにティールはアピの使い魔になりたがっていたな……)

 メリットがほとんどない使い魔になりたがるティールの狙いは何なのだろうか。冗談で言っているとは思えない。

(アピがティールと出会ったのは魔女大戦後だと言っていた。それに何か関係があるのか?)

 アピはティールの思惑を知らないだろう。彼女は彼を信じ切っている。二人の絆が、暗殺の枷となっている。先にティールを排除しようとしていたが、ミラに彼を攻撃された時のアピの態度を見たら迂闊に手を出せない。
 教師の女性がまた黒板に字を書く。

「そして今話題になっているのが魔女の子です。魔女の子は魔女と人間から生まれた男児の事です。女児だったら魔女となり長命なのですが、魔女の子は膨大な魔力を得たせいか人間よりも短命と知られています」

 フレイが探している魔女の子。母からも疎まれる存在の魔女の子は産まれた瞬間から死が近くにあり、その命も短いという。

「魔女の子らしき者を見かけた時は近寄らず、警備隊に連絡をしてください。命を奪われる可能性がある為決して近寄らないでくださいね」

 教師の言葉に、生徒達が返事をする。授業はこれで終わりのようだ。リヴはそっと部屋を出て次の作業へ向かおうとした時——

「やあ、リヴ。授業を熱心に聞いていたようだね」
「……ミラ」

 壁に寄り掛かっているミラに声を掛けられた。どうやらリヴが出てくるのを待っていたらしい。リヴは足を止めずにミラを素通りするが、彼女は微笑んだまま横に並んできた。

「この授業は私がお願いしていてね。子供達には魔女について知って欲しいんだよ」
「……何故?」
「この街は人が多いから魔女も魔族も紛れている可能性が高い。だから子供達に彼女らの危険さを知ってもらいたいんだ」

 それにしては、魔女であるアピをここに住まわせるという危険な行為を容認しているが。ミラが目を光らせているから大した事ではない、という意味なのかもしれない。

「そしてもう一つ、私には目的がある」
「目的?」

 一瞬だけミラの目が細められる。その表情は内なる野心を秘めているように見えた。ミラが言葉を紡ごうとした時、一人の兵士が小走りで現れて一礼するとミラに耳打ちをする。すると彼女の表情が曇った。

「分かった。すぐ行こう。……少し急用が出来た。リヴ、君もついて来てくれ」

 いつものリヴだったら孤児院の仕事があるからと断るはずなのだが、彼女のただならぬ気配にリヴは思わず頷いてしまった。


***



 兵士に案内されたのは、孤児院からそれ程離れていない場所だった。表通りのように店が立ち並んでいるのだが、どこも営業している気配がない。一昔前に栄えていた商店街と言ったところだろうか。

「ここは昔、この街で一番賑わっていた場所だ。表通りが出来て、廃れてしまったがね」

 陽が入っているのに仄暗く感じるのは人が全くいないからか。一体こんな場所に何の用なのか。

「ギィイイ!!」

 その時、鉄が擦り合わさるような不快な音が聞こえた。そちらに視線を送ると、黒い何かが誰もいない商店街の影から現れた。
 大きさはアピくらいだろうか。枝のように細い身体にしてはやけに膨らんだ頭を持つ生物。目玉は真っ赤で白目は無い。頬まで避けた口から見えるのは肉食獣のような鋭い歯。口からは涎がダラダラと垂れている。

「魔族……!?」

 ティールは人型だが、そちらの方が希少だ。大体はこのような醜悪な姿をしている。兵士が槍を構えようとしたが、その横をミラが通り過ぎた。そして腰に差したレイピアを音も無く抜く。

「さっき言っただろう。この街は人が多く、魔族が湧きやすい。だから私はこの魔道具で魔族を駆除する役割も持っている。私が暗殺部隊に所属しているのは、魔族の情報を収集する狙いもある」

 レイピアに炎が灯る。魔族に対抗できる唯一の武器、魔道具。口を大きく開けて飛び掛かって来た魔族を、ミラはレイピアを軽く振るって胴体を切り離した。
 魔族から赤黒い液体が噴き出す。ミラは胴体だけになった魔族の頭にレイピアを突き刺し、グルリと手首を捻った。
 魔族は自分が死んだ事も理解出来ないまま塵となって消えた。
 あっという間の出来事に、リヴも兵士も突っ立ったままだった。ミラはレイピアを腰に差すとこちらに振り向いて何事も無かったかのように微笑んだ。

「さっきの話の続きだ。私は魔女の子を探している。……言っておくが、金目的ではないよ。私が狙っているのはその魔力だ。その命を狭めてしまう程の膨大な魔力を持った魔女の子が私は欲しいんだ」

――興覚めだよ。

 ミラに魔女の子の懸賞金が目的か、と問われた時にはぐらかしたら彼女は呆れ混じりにそう言っていた。
 彼女には大きな目的があったから、懸賞金目的に見えたリヴに失望したのだろう。

「魔女の子を捕まえてどうするんだ?」
「……例えば、魔女に依頼をしてその魔女の子の魔力から魔道具を大量に生産してもらう。そうすれば、高位魔族が現れても兵が対処出来るだろう?」
「まるで道具扱いだな」

 孤児院の子供達に向ける視線は優しかったが、この女の本性は暗殺者。人の死に関わる仕事。魔女の子の命などどうなっても良いと思っているのだろう。
 吐き捨てるように言ったリヴに、ミラはずいと顔を近付ける。

「魔女達に情でも湧いたのかい?」
「は? そんなわけないだろう。俺は……」

 脳裏にアピの顔が浮かぶ。彼女に情が沸くわけがない。アピはただの暗殺対象だ。

――私を一人にしないで……

 それなのに、彼女の泣きそうな表情が浮かんでしまうのは何故なのか。リヴはミラから視線を逸らしてから踵を返した。

「……もう戻る。お前の頼んだ依頼は予想以上にハードだからな」
「フフ、そうか。また行くよ、リヴ」

 ミラに返事はせず、リヴは自分に過った感情に動揺しながらも孤児院へと戻った。

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