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終わる日常

迅雷の剣

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 ティールの手は、リヴの頭蓋骨を砕く――かと思ったが、そうはならなかった。
 ティールが振り下ろそうとした手は、リヴには届かずに地面へと打ち付けられた。
  わざと外したのか、と思ったがどうやら違うらしい。ティールは、右手を動かそうと全身に力を込めているが、地面に縫い付けられてしまったかのように動かない。

(まるで、誰かに押さえつけられているような――)

 そこまで考えて、思い当たる節のあるリヴはハッとする。何が何でも右手を動かそうとするティールの背後から、一人の少女が走ってきた。菖蒲色の髪に、葡萄色の瞳。

「アピ!」
「お、お前ぇ!! 私がいなかったら今死んでいたぞ!!」

 廃教会で隠れていたはずのアピは、半泣きになりながらリヴの隣に立った。
 ティールの右手を封じているのは、アピの重力魔法だ。ティールは未だに逃れられていない。

「何でここに来た……!? お前、ティールと戦えないだろう?」
「確かに私はティールに攻撃できない! ……が、お前を見殺しにする事もできない!! だから、その……サポートをな!」
「……はあ。俺がどうしてこの林へ逃げ込んだか分かっていないだろう……。お前から距離をとる為だぞ……」
「そ、それぐらい知っている!! それよりもお前、助けてやった私に礼の一つも無しか!?」
「助かった、ありがとう」

 リヴの素直な感謝の言葉に、アピは固まってしまう。予想外の礼だったようで「お、おう」と返事をして頬を赤らめた。

「あれ? そういえばリヴ、剣はどうした? 炎が出る格好いいやつ」
「落とした。……お前、道中で見かけなかったか?」
「え? 見てないけど……ってお前! 丸腰なのか!? 勝ち目ゼロじゃないか!!」
「まあ、あるにはあるんだが」
「何出すの迷っているんだよ!! ここで出さないと死ぬぞ!!」

 躊躇は死——ふと、ミラに言われた事を思い出す。

「……そうだな。出せる時に出しておくか」

 リヴは細身の剣を抜く。刀身は錆びついており、武器として使えそうにない。アピが見たら「こんな錆びている武器で勝てるか!」と言われそうだ。

「お前その武器……」

 だが、アピは何かに気が付いたようで、思わず声を潜める。魔女であるアピも、この剣の違和感を察知した。

「ああ。これはホークの……雇い主が所持していたものだ。ホーク自身はこれの価値に気が付いていないようだったが……これは、魔道具だ」

 ホークの隠れ家から魔道具を得られるとは思っていなかった。一見、錆びた剣なのだが、魔女の子であるリヴには、これから魔力を感じ取っていた。
 この剣は、装填された魔力が枯渇しているから錆びている。リヴが魔力を分け与えると、剣は輝き出し、みるみるうちに本来の姿を取り戻した。そして、刀身からバチンと弾けた音を発し、雷を纏う。

「これは、雷魔法の魔道具か」

 魔道具は、元々使える魔法が限られており、回復魔法に特化したリヴの魔力を与えても、使用できるのは雷魔法のみとなる。
 レイピアよりは、こちらの細身の剣の方が扱いやすい。魔道具の感覚を確かめた時、ティールが自身の右手を無理やり引きちぎって重力魔法から解放される。ティールの千切れた手首から、また熊のような手が生成される。

「あっ……! ティール……!」
「アピ。重力魔法で全体を拘束するのは可能か?」
「でかすぎて無理だ! さっきみたいに、一部分だったらいける!」
「なら、またさっきみたいにどちらかの手を封じてくれ。その隙に胴体を狙う」
「分かった!!」

 アピは風魔法を使って空中へ移動する。リヴは、鞭のように飛んできた尾を後ろに跳躍して避け、距離をとる。
 ティールが再度リヴに攻撃しようとした時——

「ティール、止まれ!」

 アピの重力魔法により、今度は左手の自由を奪われる。こう何度も同じ方法が通じるわけがない。ティールはすぐに自身の前足を引きちぎろうとするだろう。それよりも、早くティールの胴体の上に立たなければならない。
 リヴは、重力魔法が行使されている左前足からティールの胴体部へ飛び乗った。背面を取られたティールは、その場で更に暴れ狂う。トカゲのような身体の表面はやや湿っていて、滑りやすい。リヴは振り落とされまいと、ティールの背中に細身の剣を突き立てた。
 直後、バチン、という弾ける音と共に、ティールの咆哮がけたたましく響く。リヴは、剣と共に放り出された。

「——くそっ!」

 地面にぶつかる直前にうまく受け身を取り、負傷は免れる。先程負傷していた左腕が治りきっておらず、深く刺す事が出来なかった。だが、剣が刺さった箇所は、表面が焦げており、明らかにダメージを受けている。
 これを何度も行えば、ティールを殺す事が出来る。負傷していた左腕も、ほぼ完治した。
 またティールが左手を引きちぎる。

「アピ!!」
「わ……かってる!!」

 アピが大汗をかきながら、再度同じ前足に重力魔法をかける。空中で両手を翳しながら必死の形相だ。あれ程でかい物体を拘束するのは、かなり労力が必要なのだろう。
 あまりアピに負担をかけてはいけないと、リヴはもう一度ティールの背面に飛び乗る。そして、もう一度剣を突き立てる。雷鳴と共に、ティールの悲鳴が響き渡る。

(もっと深く突き立てる!)

 背中に突き刺さる剣に全体重をかけて、肉に更にくい込ませようとした時——突如、背面から人間の両手が伸びてきて、リヴの両肩を掴んでその動きを止めた。

「なっ……!?」

 虚を突かれたリヴは、剣から手を離してしまった。トカゲの背中には、突き刺さったままの剣の他に、リヴの動きを止める為に現れた長い両腕。直後に、トカゲの背中からボコボコと盛り上がっていき、一人の男を形成する。

「よくも……やりやがったな」

 リヴの目の前で形成されたのは、ティールだった。目は血走り、鋭い犬歯を剥き出しにしている。まるで飢えた獣のよう。
 ティールの姿にはなっているが、形成されているのは膝上までで、あとは本体であるトカゲの背中にくっついている。
 リヴの両肩を掴むティールの力がどんとんと強くなっていく。

「お前がいなければ……アピちゃんはボクの物になったんだよお!!」
「や、やめろティール!!」

 アピの焦った声が空から聞こえる。それと同時に――骨の砕ける音がリヴのすぐ側で聞こえた。

「がっ……あああああああああっ!!」

 自分から、聞こえた事のない悲鳴が響く。暗殺者として生きてきたリヴは、様々な痛みを体験してきたが、両肩の骨を砕かれるこの痛みは、耐え難いものだった。
  悲鳴を聞いたティールは恍惚の笑みを浮かべると、リヴから両手を離した。リヴはその場に崩れ落ちて猛烈な痛みにもがき苦しむ。その首に、ティールの両手が伸びる。

「ヒヒヒ……楽にしてやるよ、魔女の子」

 ゆっくりと力を込めていく。両肩の痛みにもがいていたリヴは、今度は呼吸ができない苦しみに脳を支配される。ティールの腕を掴もうにも、両腕が使えないリヴに対抗できる措置はない。

「やめろお!! ティール!!」

 アピの苦痛の声が聞こえる。息が出来ない苦しみの中で、空からこちらに勢いよく飛んでくるアピが見えた。その姿も。徐々にぼやけていく。

(あ……約束……)

 酸素が欠乏し、思考力の低下した中、アピを孤児院へ連れ戻すという約束を思い出す。果たさなくてはならないのに、アピに手を伸ばす事が出来ない。

(おれは……まだしねない……のに……)

 眼球が上を向き、意識を手放す直前だった。

「ぎゃああああああああああ!!」

 ティールが突然、悲鳴を上げてリヴから手を離した。
 気道が確保されたリヴは、一気に酸素を肺に入れ、大きく咳き込む。まだ頭がぼやけていているが、目の前のティールが苦しんでいるのが分かる。そのすぐ後に、トカゲの胴体が大きな音を立てて地面に腹から落ちる。その衝撃で、リヴの身体が投げ出されそうになった時——

「リヴ!!」

 アピが風魔法を使って、リヴの落下を防いでトカゲの背中に下ろした。何が何だか理解出来ないリヴの側に、アピが空中から降りてきた。アピは泣きそうな表情でリヴの右手にそっと触れた。

「大丈夫か!? 回復魔法……使えるか?」
「……ああ……」

 リヴは両肩に回復魔法を施す。骨を砕かれたので、数分では治らない。少しだけ痛みが和らぎ、リヴはアピに背中を押してもらって上半身を起こす事が出来た。

「一体……何が起こった……?」

 リヴはティールに攻撃をしていないし、アピがやったとも思えない。状況を判断しようと、辺りを見回したリヴの目に映ったのは――炎。
 トカゲの身体は、四肢と首が切断されており、切断面から炎がちらついていた。——炎魔法といえば、レイピアの魔道具。これが使える者といえば――
 トカゲの目前にいたのは、癖のある金髪で右目を隠した麗人。

「先程のお返しだ、ティール」

 ミラが、レイピアを構えながら悠然と微笑んだ。

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