上 下
1 / 1

死者からの告白をアナタに

しおりを挟む


ええ、ええ、わかっていますよ
アナタも、告げたい事が心残りとなっているのでしょう?

だから伝えたい事は生きている間にさっさと伝えなさいと何度も言っているのに! コホン……まぁ、良いでしょう

それが仕事ですから

はいはい、わかっていますよ
アナタが彼女に伝えたいこと

ええ、任せてください
それが私の仕事なので

では――こちらにサインを
ああ、契約内容はしっかり確認して下さいね
後になって「そんなの知らない!」等という文句は受け付けませんよ?



*****



 気が付けば、暗い夜道に立っていた。
 見覚えのある風景。申し訳なさ程度に、ポツポツと感覚を開けて設置されている街灯。日本特有の、昭和の雰囲気を醸し出す建造物が建ち並ぶ、狭く薄暗い路地裏。
 目線の少し先。右側の列に並ぶ一軒の古いアパートは――ああ、自分が借りていたアパートだと、平井 みのりは気が付いた。

 そんなアパートを暫しボンヤリと眺めて……そして驚愕に目を見開いた。

「……なんで?」

 意識が鮮明になるに連れて、今のこの異常さに青ざめて行く。

おかしい
私は数ヶ月前に、確かにここから引っ越したはずなのに

 稔は数ヶ月前、今目の前にあるアパートから、隣町の、ここよりも前に住んでいた地域のアパートに引っ越していた。
 今住んでいるのは、オートロック付きの、警備会社とも契約しているアパートだ。独り暮らしにしては少し家賃が高かったけれど、安心が買えるならそれで良いと、即契約して直ぐさま引っ越したのだった。
 そのアパートに、今日も慣れない仕事から帰宅して、風呂で疲れを癒やし、軽く腹を満たした後、ふかふかのベッドで眠りに就いた……そうだ、そうだった。
 だからこれは、現実ではなく夢だ。やけにリアルなせいで、夢という事に気が付くまでに時間がかかってしまった。

「なんで、この場所に……?」
「おや? 貴女、夢と判断出来るタイプなんですね」

明晰夢って云うんですけど

 突如として背後から聞こえた声に、みのりは驚きのあまり、肩だけでなく全身が跳んだ。
 そして勿論、悲鳴も上げた。上げない方が無理な話だ。恐怖が勝ると悲鳴を上げられないというが、みのりは違った。絶叫に近いかもしれない。叫べた事を褒めてほしいくらいだ。

「ちょっと、人を不審者扱いするなんて! まったく、酷い人ですねぇ」

 振り返った先にいた、闇に溶けそうな外套に身を包んだその人物は、心外とでもいうように頬を膨らませている。否、膨らませているように感じた。暗闇で、顔がハッキリと見えない。
 そんな目の前の存在は飄々とした雰囲気を壊さず、みのりの恐怖など気にも留めていない。余裕という言葉がよく似合う。

「それにしても、貴女」

 それが再び何かを言い出す前に、みのりは躊躇いなく駆け出した。
 動けるとなれば逃げるしかないだろう。例え夢の中であろうとも、何だかわからない存在と関わるのは御免である。

「ゆめ……夢って! どうやって、覚めるの!?」

 みのりとて夢は見る。今回のように、これは夢だとわかる時もあれば、何が何だかわからない内に終わる時もある。だが一貫して、夢の終わり方までは覚えていないのだ。覚えていない事はわからない。

「と、とにかく……っ、離れないと!」

 さっきの人物が何だったのかはわからない。
 背は低くもなく高くもなく、声もどっち付かずだった。線が細いせいで体格からでは判断出来ない。
 何にせよ、あの出で立ちからして、きっと碌な者ではない。

「それにしても、なんで、誰もいないの!?」
「当たり前でしょう? ここ、貴女の夢の中なんですから」

 ギョッとした。
 足の速さには自信があったのに。
 耳元で聞こえた声に足が縺れ、身体が傾き、勢い良く地面と口付けた。
 前歯に受けた衝撃で涙が滲む。

「見事にすっ転びましたねぇ~。大丈夫ですか?」

 そう言って手を差し出す相手を、みのりは睨み付けた。
 大丈夫かどうかなど、見ればわかる筈だ。現に鼻血が出ている。前歯も無事ではないかもしれない。痛みで感覚が戻ってこない。

「そーんなに怒らないで下さいよ。私はただ、貴女に伝える事があるだけなんですから」

 外套を身に纏う相手は、みのりの拒否も無視して、無理矢理彼女を立ち上がらせた。
 その無理矢理な行為は、意外にも痛みを感じさせなかった。

「ああ、凄い顔ですねぇ。ハンカチをどうぞ」

 それともティッシュの方が良いですか? などと問う目の前の存在は、ハンカチとティッシュを持ちながら、小首を傾げて微笑んでいる。
 その巫山戯た仕草が、みのりの怒りを強くさせた。

「……いらない」
「えぇ……? 流石に鼻血を垂れ流したままにするのは引くのですが」
「いらない!!!!」
「凄い拒否」

 誰のせいでこうなったと思っているのか。
 恐怖より怒りが勝ったみのりは、差し出される全てを跳ね返して相手を見据えた。
 先程よりも距離が縮まった分、怪しい相手の容姿が鮮明に見える。
 暗闇で判別できなかった顔は、右半分は前髪に隠れて見えないものの、左側は同じ人間である事を物語っていた。それでも、中性的すぎて性別まではわからないけれど。

「あ、私の存在が気になってます?」

 それと性別も? と、まるでみのりの考えを見透かしているかのように暴く相手に、怒りで衝動的に動けていた彼女を再び竦ませた。

「私、どっちに見えます? 男性でしょうか? それとも女性? まぁ、性差なんて些細なものなので、あまりお気になさらず。ですが、強いていうならどちらも正解ですねぇ。何しろ、私はそういう存在なので」

男性であり、女性でもある
子どものようで、大人のよう
生きているけれど、生きてもいない
そこに居るのに、そこに居ない
信じるのも自由、否定するのも自由

「それが“私”という存在です」

 微笑んでいるのに、みのりには不気味に思えて仕方なかった。

「そ、それが、何でわたしに」
「ああ、まだ要件を伝えていませんでしたね。だって貴女、予想以上にお転婆なんですもの。なかなか切り出せずにいたら忘れてしまいましたよ」

 結局謎のままの存在は、独りで勝手に喋り続けながら、何処からともなく深紅の薔薇の花束を出現させた。

「まぁ、名称? 呼び名がないと困るのは確かですので。そうですねぇ……私、死者の告白を代行する職に就いているので、『告白屋さん』でも構いませんよ?」

 何だか可愛らしい呼び名ですねぇ、などと笑いながら、告白屋は持っていた薔薇の花冠を鷲掴みにして――ブチリ ともぎ取った。

「まぁ先程説明した通り、依頼人の告白をですね、代わりに相手方に伝える仕事をしているんですよ、私。内容は様々で、愛の言葉だったり、後悔だったり、案じる心だったりと色々ですが、依頼主の望むシチュエーションで伝える、という仕事をしています」

 喋り続ける間にも、一輪一輪、薔薇が頭を捥がれていく。
 地面に転がる花冠は、みのりの足下に積もりつつあった。

「それでですねぇ、貴女のところに来たのも、勿論仕事だからなんですよ。まぁ、仕事でない限り絶対会うこともないのですが。
 えーっと、それでですねぇ、最期にどしても告白したいという依頼人が、どぉ~してもこのシチュエーションで告げて欲しいというので、貴女の夢の中でやらせていただく事にした次第なんです。
 だってほら、こんな事を現実でやったら、私、ただの不審者じゃないですか」

 自身の行いが、不審者のそれであるという認識は、意外なことにちゃんと持っているらしい。
 だからといって、みのりにはただただ迷惑なだけなのだが。

「しかし貴女も災難ですねぇ。あの依頼主、とても粘り強かったので、貴女も相当苦労したでしょう? 独り暮らしの女性に付きまとうのは私もどうかと思うのですが、まぁそこら辺は私、全く関係ないので」

 頭がなくなり、花柄と花枝だけになった薔薇の花束を、何も言えずにいるみのりに押し付けて、それはニンマリと笑った。

「自決と見せかけて始末した気分は如何でしたか?」

 街灯が、ジジジ と音を立てて点いている。
 逃げた筈だったのに、みのりは最初のアパートの前に戻ってきていた。

「丁度この位置でしたねぇ。ああ、そんなに怯えないで下さい。私は貴女の気持ちはよ~くわかりますし、警察に突き出したりするつもりもありませんよ。だって、全ては夢の中ですから」

 足下に散らばった深紅が、みのりの感情を強く揺さぶる。
 新しい、安心しきった生活に浸っていたお陰で、既に終わった気でいたのに……。

「可哀想に。警察がちゃーんと取り扱っていれば、貴女だって余計な罪を背負って生きなくても良かったのに。これだから人間はダメなんですよ! 罪人はちゃんととっちめないと!」

 プンプンと憤慨している相手の言葉など、既にみのりには届いていない。
 地面にゆっくり、けれど確かに広がりつつある、赤い湖。その中心で仰向けに浮かぶ男。そしてその胸には、深く突き刺さったナイフが存在を主張していた。

「ああ、彼は別に怨み言を伝えたい訳ではないので、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ? 逆に貴女の手にかけられて喜んでいましたし。あのナイフも大切な宝物になっているみたいですよ」
「だ、だったら……な、に」

 思う様に回らない舌で、必死に言葉を形成する。
 だったら、何だというのか。こんな人を追い込むような真似をして、恨みでないというなら、一体なんなのか。みのりには理解出来なかった。

「……貴女、自分の事になると急に視野が狭くなりますねぇ。
 ではでは、時間もないのでさっさと伝えますね。私も次の仕事が控えているので……では、よ~く聞いて下さいね?」

ありがとう
これで、貴女の側にずっと居られる

 みのりの目から、ポロリ と涙が零れ落ちた。







さて、アナタの依頼は達成しましたよ
しかしアナタ、あれだけ嫌われているのに、よくもまぁ未だにはり付いていようとしましたね?

え?
彼女のあの涙は嬉し涙ではなく恐怖の涙ですが?

……本当に、アナタの価値観は私のとかけ離れていて、非常に面白いです

まぁ、これで契約は完了なので、アナタもさっさとあの門を通って、冥界に向かって下さいね

え?
それじゃあ彼女の側に居られないって? 

……当たり前じゃないですか
何を仰っているのやら

そもそも、そういう契約だったでしょう?
アナタの告白を、アナタが望むシチュエーションで伝える代わりに、依頼を達成したらアナタは直ちにあの世に向かうと

いやいや、何も騙していませんよ
契約書にもそう書いてあったでしょう?

知らない?
では、読みもせずサインをしたアナタ自身を呪って下さいね

さぁさぁ、もう逝ってください
最近、アナタみたいに駄々を捏ねて現世に留まろうとする者が増えて、皆困っているのですよ

地獄の裁判だってスケジュールが決まっているんですから、我が儘言わずにさっさと逝ってください!



「ふぅ~……やれやれ、困ったものですねぇ」

 断末魔を上げながら、門へと消えて行く男の姿を眺めるそれは、まるで疲れたとでも云うように溜め息を吐いた。

「私は罪人の願いを叶える存在ではないのですよ。現世に未練のある者の告白を相手方に届け、対価として依頼主をあの世に送るのが仕事なんです」

だから、ああいった者は非常に困るんですよ

 それは徐に振り返ると、ニッコリと人の良さそうな笑みを浮かべた。

「そこのアナタも、死した後に告白したい事があれば、どうぞ気軽に相談しに来てくださいね」

まぁ、やり残す事がないように生きるのが賢明ですが……

 三日月を作る金色の瞳は、鈍い光を放って不穏に輝いていた。


しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...