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第一幕 転生

5.元魔王の復讐

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 真っ暗な空間に独りで取り残されたバルドは、呆然と立ち尽くした。

 エストは天に召されたのだろうか? かつて自分がエストに向かって、「天に召されろ!」と暴言を吐いたことがあったが、バルドはそんな過去の自分を恨めしく思い、激しく後悔した。

 永遠の別れ?

 もう2度とあいつに会えないのか...今まで感じたことがない恐怖と心の痛みを感じる。

 うるさい場所から静かな場所に来られて、喜んでいたはずなのに、今は、この静寂が恐ろしくてならなかった。

 ポタポタと、気が付けば自分の目から涙が流れている。

 こんなに痛いのは初めてだ。こんなに寒く感じるのも。みんな、みんな、あのお騒がせ野郎のせいで...

 ...寂しい

 そうだ、きっと、この恐ろしい感情こそ、寂しさというやつなのだ。

 ずっと、ここに独りでいる?

 考えただけで、ゾッとした。

 今まで、自分がどうやって独りで生きていられたのか、バルドには、もう、分からなかった。

 どうすれば、またエストに会えるのか? 自分も死ねば、同じ場所に行けるのだろうか? そんな思考がぐるぐると回った。

 そう長くない時間が経って、とうとう、居てもたっても居られなくなったバルドは、いつも感じていたエストの気配を、面影を探した...




 ...ん? あいつ...わりと近くに居ないか?

 もう一度、今度は集中して、しっかり探す。非常に微かで、分かりにくいが、確かに、エストの気配を感じる。

 追って行けるか?

 今まで、ここから出ようとか思わなかったし、ここがどんな場所なのか興味もなかったが、改めて、自分のいる空間を鑑定してみる。すると、どうやらここは、強力な魔法の壁に囲まれた空間だという事が分かった。その外側には、微かにエストの気配を感じる。

 こんな魔法の壁で俺を閉じ込めておけると思うなよ。

 行ってやろうじゃないか、例え、そこが死者の国であったとしても、それで死んでも構わない。あいつと一緒に幽霊をするなら、それもまた楽しいだろう。

 自分を囲む、何層にも連なる魔法の壁を、解析して分解していく、時間はかかったが、出入口になっている最後の魔方陣の壁を解析分解すると、バルドは暗い部屋に出た。



 今までも真っ暗だったが、ここもかなり暗い。だが、何もないわけではない。エストの他に、もう1つ気配がある。その気配の主はベットで寝ているようだ。

 貴族か富裕な商人の部屋か?

 暗い場所だが、夜目のきくバルドには、広い部屋に上品で高級な家具が並んでいることが分かった。重みのあるカーテンがかけられ、窓の外の景色を隠している。部屋の主とともに照明もお休み中の様で、今が夜である事が分かった。

 エストは?

 エストの気配の方へ目をやると、ベビーベッドで眠る赤ちゃんが、バルドの目に飛び込んできた。ベットで寝ている人物を起こさないように、気配を消して近付く。

 赤児? 産まれたばかりの...エスト...!? こいつ、生まれ変わったのか!? 寝息を立てて、間抜け面で寝てやがる。人の気も知らないで、呑気なお騒がせ野郎だ。

 思わず赤児のほっぺに触る。

 確かに、エストの気配だ。柔らかくて、暖かくて、おまけにミルク臭い。...美味そうだな。

 ふと、お腹が空いていることに気が付く。

 この外の世界は腹が減るのか。やっぱり、死んだわけではなさそうだな。

 赤児の手が伸びてきて、力の無い手で、キュッとバルドの指を掴んできた。赤児の目は閉じていて、安らかな寝息を立てたままだ。

『手なんて生えて無ぇよ!』

 エストの言葉を思い出す。

 ふっ、エスト、手が生えてるじゃないか。

 思わず笑いそうになるが、もう一つの気配が気になって、堪えた。エストの小さな手をそっと外すと、もう一人の人間に向き直る。

 近くで寝てるってことは母親か...

 !? この女!

 あの時の、魔法使い!

 なるほど、そういう事か。俺は何処か遠くに飛ばされたと思っていたが、この女は自分の中に俺を封印していたんだ。空間の解析と分解をしたときに分かったが、確かに、あれは封印の魔法だった。

 そんな状態で、この女は妊娠して、赤児の魂が天から呼ばれた。その呼ばれた魂がエストだったのだ。

 本来なら、自分を封印した奴など殺すが、あの封印の中は居心地が良かった。エストにも会えたし...この女はエストの母親なのか...ムカつきはするが、正直なところ、自分に不利益はなかった。

 さて、どうしたものか。

 エストを連れて魔族領の家に帰ってもいいが、人間の赤児なんて育てたことがないし、何を食べるかもわからない。人間は脆くて死にやすく、大人になるまで親の保護が必要だと聞く。魔族領に連れてきただけで死んだ人間もいるという。

 うっかり死なせてしまったら、今度こそ、天に召されて、永遠の別れが来るだろう。

 母親は必要か...

 でも、何も仕返ししないのは癪だな。

 睡眠魔法!
 魔力封印!

 ふっ、これで、しばらく、怪しげな魔法はつかえまい。

 しかし、エストとは暮らしたいが、この女と一緒に暮らすのは嫌だな。最初から敵意むき出しだったし。何より、うるさそうだ。

 そう言えば、父親は誰だ? あの時、この女と一緒にいた男か? 赤児には父親も必要なのか? 人間ってのは面倒だな。あの男だったら、かなり厄介だ。あいつもかなり、うるさい。

 封印魔法の中は居心地が良かったのにな...

 ん? 封印魔法か。

 覚えたばかりの技だが、応用して使ってみるか。エストの中に、あの封印の部屋を作るのだ。

 確かこんな感じで...

 封印魔法! 出入口はエストの身体に、俺自身を封印。


____
 ̄ ̄ ̄ ̄

 バルドは封印魔法の中へと入った。

 あの女魔法使いと同じように術式を組んだはずなのに、バルドが入り込んだ封印魔法の中には、眩しい位に鮮やかな色彩の風景が広がっていた。

 今回は、出入り口の媒体になるエストが、封印魔法の動力源だからだろうか?

 そこは、森をくり抜いたような広場になっていて、その真ん中に、エルフや妖精でも住んでいそうな大木形の家が建っている。周囲を花畑が囲んでいて、花と樹木のいい香りが漂っている。

 家の中からピアノの音色が聞こえてくる。
(ピアノ:ドビュッシー作「月の光」)

 バルドが家に近付くと、家の扉が静かに開いた。家の中に足を踏み入れると、壁も床も木造りで、木の香りが一層強くなる。照明はついていないのに、いくつもある大きな窓からの光で、家の中はとても明るい。

 こんなに明るい所は久しぶりだな。

 正面の扉に近付くと、またもや扉は自動で開いた。正面奥には木目調のピアノが置かれ、ひとりでに演奏されている。

 バルドが部屋に入ると、演奏がピタッと止まった。

「ルド!」

 エストの声がした。ピアノはひとりでに鳴っていたわけではなかったようだ。

「ど、ど、ど、どうした? 死んだのか? ルドも、 とうとう幽霊になったのか? でも、再会出来るなんて嬉しいよ!」

 せわしないエストの声に、バルドは何故か安堵した。1日と経っていない僅かな時間だったのに、ずっと長いこと会えていなかったような気がした。それほど、エストの声が懐かしい。

「いや、生きている」

「え!? どうやって来たんだ? ここは天国だろ? ルドも流されて来たとか?」

「ははっ! ...まぁ、お前がいる所は、たいてい天国みたいにお気楽ご気楽な空間になりそうだが...ここは天国じゃない。お前は気付いてないみたいだが...お前はどうやら転生したらしい」

「はい? 転生? どういうこと?...相変わらず、身体なんてないんだけど?」

「ふ、ふは、ははは...」

「ちょ、何で笑うんだよ! 意味不明なんですけど!」

「わ、悪い。あんまり可笑しくて!」

「はぁ~?」

「お前は俺と会った時はすでに、胎児として転生していて、お前は母親の体内にいたようだ」

「えぇ~!? じゃ、あそこって子宮の中だったのか? じゃあ、なんでお前がいたんだよ!? それに俺は身体がないんですけど!?」

「いや、あそこも此処も、魔法によって封印された特殊空間で、お前の身体は同じ場所の異空間にあったんだ。お前は精神だけが、俺の封印されていた異空間の、あの場所に迷い込んでいたようだ。

だから今度は、赤児のお前の身体に出入り口を設置して、封印魔法の空間を作ってみたんだが...まさか、ここでも、お前の精神に会えるとはな」

 バルドは、また思い出したように笑ってから言葉を続けた。

「今までは、お前を産んだ女の身体に、あの封印の出入り口があったんだが、その女、誰だと思う?」

「む? 俺の知っているやつか? ルドと共通の知人なんていないと思うけど...」

「お前はまだ会ったことないが、俺が以前、話したことがある人物だ」

「むむむ? ...覚えとらん」

「だろうな。...でも、よく考えたら分かるだろ?」

「んんん~???」

「俺を魔法でぶっ飛ばした女魔法使いだよ」

「mamma mia!???」
(訳1:何てこった!? ,訳2:私のお母さん!?)

「...なんだ、その変な奇声は? ...要するに、俺は魔法でどっかに飛ばされたわけではなく、あの女の体内に封印されていたようだ。それで、どういうわけか、お前は封印された空間に精神だけ、遊びに来ていた」

「おぉ! じゃ、お前は生きていて、俺も生きていて、俺の母親は人攫い、いや、魔人攫いか? それで、えぇ~っと、俺の身体は何処に?」

「ふ、くくくっ! お前、新しい自分の母親を、魔人攫い呼ばわりか!」

「え!? だって、そうだろ? ...なんかダークな気持ちになってきた。嫌だな。母親が怖い」

「ぐっ、ははは、やめろ! これ以上笑わすな!
 ま、まぁ、そうなんだろうが、俺は仮にも魔王だったことがあるし、人間からしたら、危険な魔族を封印した英雄とか、そんな感じだろう」

「あ、そういうこと...なのか? でも、悪いやつじゃないなら、なんで話し合って友達にならないんだ?」

「お前なぁ~。エストが住んでいた世界とこの世界は全然違う。そんなことじゃ、お前はすぐに死ぬぞ。生きる為に自分の脅威になる存在を倒すのは、この世界じゃ当たり前だ。弱肉強食の世界なんだよ」

「えぇ~!? そんな世界に、俺産まれたのか? ヤダ怖い! そういえば、ここはルドのいた世界なんだな? 魔王が逃げ出す世界なんて、マジで俺は即死するわ」

「逃げ出したんじゃないが...」

「でも、帰らなかった世界だろ。無ぅ~理ぃ~!」

「まあな。でも、帰らなかったのは、怖かったからじゃない。面白いことがないのに、うるさくて、面倒臭いからだ」

「じゃあ、面白いことがあったら、産まれた世界に一緒について来てくれる?」

「あぁ、まぁ、そうだな」

「おぉ! じゃあ、世界を面白いことでいっぱいにして、喜劇のような世界にしてやろう! そしたら来てくれるだろ?」

「あぁ」

「約束な!」

「あぁ、約束だ」

 エストがいる世界なら、きっとどんな世界でも面白いだろう。何処にだってついて行くさ。

 バルドは目を細めて笑った。
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