短い

みゃ

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割れた

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割れた

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姿見にはいったヒビを手でなぞる。肌をそばだたせる触感と、指の辿る先が無限に私を導いてくれそうなほどに縦横に駆け巡っているヒビは、私の交感に一方的に重なりかかる。外は雨らしいが、鼻腔の奥が乾くこの部屋の空気は、外界の存在をまったく絶っている。
 「明日、君は来る?」
打鍵する手を休めずに彼女は尋ねる。意外なまでに平然と、普段の声音であろうとする彼女の姿態を、心のうちから抱き留められない自分が、半ば茫然としつつも意識をせずにはいられない。
 「君が来るなら。」
目を合わせずに言う。彼女は言葉の意味を確かめるように眼差しを落とす。うつむきくと現れる君のつむじと目が合う。愛憎の前提をいつまでも越えられない、生ぬるさであえぐ私を、責めない君を詰りたい。いっそ、キスでもしてやろうか。
 「クラスの友達と、行こうと思っていたの。君の好みじゃなさそうだから。でもよかった。」
笑む君は何処にでもいるのだろうが、それを私は許せない。狭量な私を責めない君を、私の中に閉じ込めたい。内心を分かつものの正体は、愛と言う名の額縁だろう。
ある絵描きは言う。カンバスに規定された時点で絵は死ぬと。描き手の無意識が選んだ世界を、規範的な実体で囲い込むのだ。それは求める世界ではあっても、求めた先の無為なる正体ではない。私が、私を決めてしまうのだ。君を、君が決められないように。
 「東京は暑いんだって。四月なのに三十℃。」
 「へぇ。」
 「私たちが着くころは、きっと一番熱いころだよ。」
 「そうかも。」
なんともないように話す君が、恨めしくいじましく、肩に触れれば溶け出しそうな君が、どうしようもなく愛おしかった。だから今、君は君のままでいられるのだ。私はどこかに散らばりながら。

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