29 / 34
二十七『心の底の澱』①
しおりを挟む
濡れ鼠になって帰ってきた清高の姿を見て、菊里が「まぁまぁ」と声を上げた。
「お一人ですか?」
「まぁな」
菊里の視線が、清高が頭かから被っている着物に向けられる。
「喧嘩でもなさったのです?」
「喧嘩っていうか……」
あれは喧嘩、だったのだろうか?
清高が龍神の機嫌を損ねてしまったことは間違いないが、口喧嘩というにも、どこか壁のある言い合いだったように思う。
喧嘩にすらならなかった。というのが正しい。
「とにかく、着替えておしまいなさい」
菊里がすぐさま乾いた手拭いと新しい着物を持ってくる。
そのきびきびとした動作はとても人形とは思えない。
着替え終わった清高は、龍神の着物を衣装掛けに広げ、重い息を吐いた。
「上手くいかないもんだなぁ」
「何かあったのですか?」
白湯を運んできた菊里が首を傾げる。
「龍神は、俺のことどう思ってるんだろう?」
最初は、招かれざる客だっただろう。望んでもいない花嫁。求めてもいない生贄。
そんな清高に、ここにいてもいいと言ってくれた。
「戻ってくれてありがとう」とも。
しかし、「花嫁にしてくれ」という清高の頼みには、龍神は頷かなかった。
「あいつにとって、俺ってなんなのかなぁ?」
清高のぼやきをきょとんとした様子で聞いている菊里に、急に我に返って、恥ずかしくなる。
「突然なんだよ、って話だよな」
何かを誤魔化すように軽い調子で言うと、
「いえ、突然どころか、今さら何を、と言いたいところですけれど」
菊里が冷めた口調で応えた。
「あなたは龍神様の良き理解者になれるもの思っていたのですが……
そうでもないのかしら?」
「俺がぁ?」
思わず声が上ずってしまう。
「あいつの考えてることなんて、俺には全然わからないけどなぁ」
あの少ない言葉から、動きのない表情から、龍神の意図を察するのは難しい。
ついさっきも怒らせてしまった。怒らせてしまったのに、彼がなぜ、何に怒ったのか、清高にはわからないのだ。
「そう言う菊里の方こそ、俺より付き合いが長い分、あいつとは上手くやれてるんじゃないのか?」
少なくとも、龍神が菊里を叱っているところを見たことはない。
「私では駄目なのですよ」
菊里は妙に確信ありげな、はっきりとした口調でそう言った。
「あなたでなければ、駄目なのです」
「どうして……」
清高は「龍神の花嫁」に選ばれた人間ではあるが、それは、龍神に選ばれた人間であるということではない。
いくらこの水底へ辿り着くことができる者が稀だとして、それだけで「自分は龍神にとっての特別な存在だ」と自惚れることができるほど、清高は自分を過大評価してはいなかった。
それに、それを言うなら、菊里だって龍神に拾われてここにいるという点で、彼にとっては意味のある存在であるはずだ。
「私は、器こそ花嫁を模した人形ですけれど、中身はただ溺れて死んだ愚かな女というだけの者ですもの」
「でも、あいつは別に花嫁を求めていたわけじゃないんだろう?」
「ええ。ですが、龍神様はきっと、ずっと、自分の隣で、自分と同じものを見てくれる相手を求めていたのだと思います」
「それが、俺?」
「そうですとも」
まだよくわからないでいる清高に、菊里は大きく頷いた。
「あなたと龍神様はよく似ています。背負ったものや、その苦悩も」
「……あ、」
それは以前、龍神の生い立ちについて聞かされた時、清高自身も思ったことだ。
故国を守るために祟りの龍を退治し、今度は自身がその役目を負って、水面の下に自身を閉じこめた彼。
同じく故国を守るため、花嫁として選ばれ、祟りの神を殺めようとしていたはずが、数奇な巡り合わせから、その神と共に水底で生きることを決意した自分。
神と、その生贄。
立場はまるで違うようでいて、担った役目は似通っていた。
理解は、突然訪れた。
――もしも、君が望むなら――月夜野でも真庭でも、私は滅ぼすことができる。
あの時、なんの脈絡もなく彼がそんなことを言い出したのは。
――そんな国、いっそ滅んでしまえって……
清高が思ったことがあるように。
彼もまた、何度も繰り返し考えたのだろう。
そして、その苦悩は今もまだ――
(だから、か)
自分が捨てざるを得なかった故郷への未練。
自分を捨てた故国への恨み。
いつまでも水面の上の世界に執着し続けているような清高の態度は、彼が二百年余も腹の底に抑え込んできたそれらを呼び覚ましてしまった。
もしも、菊里の言うように、龍神が清高に望んでいるのが、彼と同じものを見て、彼と同じ感情を抱くことであったならば。
捨てられた恨み。理不尽への怒り。失望。孤独。嫉妬――
彼の中に渦巻く負の感情に――清高は、気づいてやれなかった。
長い長い間、彼は一人だった。
そこへようやく現れた、唯一、同じものを抱えた存在。
理解者になってくれることを期待したその相手にすら、裏切られたら。
――己を傷つけたもののために、その『心』とやらを砕いて何になる。また裏切られるだけだ。
彼の心は、今――
背筋にぞっと寒気が這い上ってくる。
外では雨が降ってる。
雨は、彼の中の龍を呼び覚ます。
「お一人ですか?」
「まぁな」
菊里の視線が、清高が頭かから被っている着物に向けられる。
「喧嘩でもなさったのです?」
「喧嘩っていうか……」
あれは喧嘩、だったのだろうか?
清高が龍神の機嫌を損ねてしまったことは間違いないが、口喧嘩というにも、どこか壁のある言い合いだったように思う。
喧嘩にすらならなかった。というのが正しい。
「とにかく、着替えておしまいなさい」
菊里がすぐさま乾いた手拭いと新しい着物を持ってくる。
そのきびきびとした動作はとても人形とは思えない。
着替え終わった清高は、龍神の着物を衣装掛けに広げ、重い息を吐いた。
「上手くいかないもんだなぁ」
「何かあったのですか?」
白湯を運んできた菊里が首を傾げる。
「龍神は、俺のことどう思ってるんだろう?」
最初は、招かれざる客だっただろう。望んでもいない花嫁。求めてもいない生贄。
そんな清高に、ここにいてもいいと言ってくれた。
「戻ってくれてありがとう」とも。
しかし、「花嫁にしてくれ」という清高の頼みには、龍神は頷かなかった。
「あいつにとって、俺ってなんなのかなぁ?」
清高のぼやきをきょとんとした様子で聞いている菊里に、急に我に返って、恥ずかしくなる。
「突然なんだよ、って話だよな」
何かを誤魔化すように軽い調子で言うと、
「いえ、突然どころか、今さら何を、と言いたいところですけれど」
菊里が冷めた口調で応えた。
「あなたは龍神様の良き理解者になれるもの思っていたのですが……
そうでもないのかしら?」
「俺がぁ?」
思わず声が上ずってしまう。
「あいつの考えてることなんて、俺には全然わからないけどなぁ」
あの少ない言葉から、動きのない表情から、龍神の意図を察するのは難しい。
ついさっきも怒らせてしまった。怒らせてしまったのに、彼がなぜ、何に怒ったのか、清高にはわからないのだ。
「そう言う菊里の方こそ、俺より付き合いが長い分、あいつとは上手くやれてるんじゃないのか?」
少なくとも、龍神が菊里を叱っているところを見たことはない。
「私では駄目なのですよ」
菊里は妙に確信ありげな、はっきりとした口調でそう言った。
「あなたでなければ、駄目なのです」
「どうして……」
清高は「龍神の花嫁」に選ばれた人間ではあるが、それは、龍神に選ばれた人間であるということではない。
いくらこの水底へ辿り着くことができる者が稀だとして、それだけで「自分は龍神にとっての特別な存在だ」と自惚れることができるほど、清高は自分を過大評価してはいなかった。
それに、それを言うなら、菊里だって龍神に拾われてここにいるという点で、彼にとっては意味のある存在であるはずだ。
「私は、器こそ花嫁を模した人形ですけれど、中身はただ溺れて死んだ愚かな女というだけの者ですもの」
「でも、あいつは別に花嫁を求めていたわけじゃないんだろう?」
「ええ。ですが、龍神様はきっと、ずっと、自分の隣で、自分と同じものを見てくれる相手を求めていたのだと思います」
「それが、俺?」
「そうですとも」
まだよくわからないでいる清高に、菊里は大きく頷いた。
「あなたと龍神様はよく似ています。背負ったものや、その苦悩も」
「……あ、」
それは以前、龍神の生い立ちについて聞かされた時、清高自身も思ったことだ。
故国を守るために祟りの龍を退治し、今度は自身がその役目を負って、水面の下に自身を閉じこめた彼。
同じく故国を守るため、花嫁として選ばれ、祟りの神を殺めようとしていたはずが、数奇な巡り合わせから、その神と共に水底で生きることを決意した自分。
神と、その生贄。
立場はまるで違うようでいて、担った役目は似通っていた。
理解は、突然訪れた。
――もしも、君が望むなら――月夜野でも真庭でも、私は滅ぼすことができる。
あの時、なんの脈絡もなく彼がそんなことを言い出したのは。
――そんな国、いっそ滅んでしまえって……
清高が思ったことがあるように。
彼もまた、何度も繰り返し考えたのだろう。
そして、その苦悩は今もまだ――
(だから、か)
自分が捨てざるを得なかった故郷への未練。
自分を捨てた故国への恨み。
いつまでも水面の上の世界に執着し続けているような清高の態度は、彼が二百年余も腹の底に抑え込んできたそれらを呼び覚ましてしまった。
もしも、菊里の言うように、龍神が清高に望んでいるのが、彼と同じものを見て、彼と同じ感情を抱くことであったならば。
捨てられた恨み。理不尽への怒り。失望。孤独。嫉妬――
彼の中に渦巻く負の感情に――清高は、気づいてやれなかった。
長い長い間、彼は一人だった。
そこへようやく現れた、唯一、同じものを抱えた存在。
理解者になってくれることを期待したその相手にすら、裏切られたら。
――己を傷つけたもののために、その『心』とやらを砕いて何になる。また裏切られるだけだ。
彼の心は、今――
背筋にぞっと寒気が這い上ってくる。
外では雨が降ってる。
雨は、彼の中の龍を呼び覚ます。
0
あなたにおすすめの小説
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
最強βの俺が偽装Ωになったら、フェロモン無効なのに狂犬王子に求愛されました~前世武道家なので物理で分からせます~
水凪しおん
BL
前世は日本の武道家、今世は平民β(ベータ)のルッツ。
「Ωだって強い」ことを証明するため、性別を偽り「Ω」として騎士団へ入団した彼は、その卓越した身体能力と前世の武術で周囲を圧倒する。
しかし、その強さと堂々とした態度が仇となり、最強のα(アルファ)である第一王子・イグニスの目に止まってしまった!
「お前こそ俺の運命の番だ」
βだからフェロモンなんて効かないのに、なぜかイグニスの熱烈な求愛(物理)攻撃を受ける日々に突入!?
勘違いから始まる、武闘派β×最強王子のドタバタ王宮BLファンタジー!
うちの前に落ちてたかわいい男の子を拾ってみました。 【完結】
まつも☆きらら
BL
ある日、弟の海斗とマンションの前にダンボールに入れられ放置されていた傷だらけの美少年『瑞希』を拾った優斗。『1ヵ月だけ置いて』と言われ一緒に暮らし始めるが、どこか危うい雰囲気を漂わせた瑞希に翻弄される海斗と優斗。自分のことは何も聞かないでと言われるが、瑞希のことが気になって仕方ない2人は休みの日に瑞希の後を尾けることに。そこで見たのは、中年の男から金を受け取る瑞希の姿だった・・・・。
彼はオタサーの姫
穂祥 舞
BL
東京の芸術大学の大学院声楽専攻科に合格した片山三喜雄は、初めて故郷の北海道から出て、東京に引っ越して来た。
高校生の頃からつき合いのある塚山天音を筆頭に、ちょっと癖のある音楽家の卵たちとの学生生活が始まる……。
魅力的な声を持つバリトン歌手と、彼の周りの音楽男子大学院生たちの、たまに距離感がおかしいあれこれを描いた連作短編(中編もあり)。音楽もてんこ盛りです。
☆表紙はtwnkiさま https://coconala.com/users/4287942 にお願いしました!
BLというよりは、ブロマンスに近いです(ラブシーン皆無です)。登場人物のほとんどが自覚としては異性愛者なので、女性との関係を匂わせる描写があります。
大学・大学院は実在します(舞台が2013年のため、一部過去の学部名を使っています)が、物語はフィクションであり、各学校と登場人物は何ら関係ございません。また、筆者は音楽系の大学・大学院卒ではありませんので、事実とかけ離れた表現もあると思います。
高校生の三喜雄の物語『あいみるのときはなかろう』もよろしければどうぞ。もちろん、お読みでなくても楽しんでいただけます。
青龍将軍の新婚生活
蒼井あざらし
BL
犬猿の仲だった青辰国と涼白国は長年の争いに終止符を打ち、友好を結ぶこととなった。その友好の証として、それぞれの国を代表する二人の将軍――青龍将軍と白虎将軍の婚姻話が持ち上がる。
武勇名高い二人の将軍の婚姻は政略結婚であることが火を見るより明らかで、国民の誰もが「国境沿いで睨み合いをしていた将軍同士の結婚など上手くいくはずがない」と心の中では思っていた。
そんな国民たちの心配と期待を背負い、青辰の青龍将軍・星燐は家族に高らかに宣言し母国を旅立った。
「私は……良き伴侶となり幸せな家庭を築いて参ります!」
幼少期から伴侶となる人に尽くしたいという願望を持っていた星燐の願いは叶うのか。
中華風政略結婚ラブコメ。
※他のサイトにも投稿しています。
『君を幸せにする』と毎日プロポーズしてくるチート宮廷魔術師に、飽きられるためにOKしたら、なぜか溺愛が止まらない。
春凪アラシ
BL
「君を一生幸せにする」――その言葉が、これほど厄介だなんて思わなかった。
チート宮廷魔術師×うさぎ獣人の道具屋。
毎朝押しかけてプロポーズしてくる天才宮廷魔術師・シグに、うんざりしながらも返事をしてしまったうさぎ獣人の道具屋である俺・トア。
でもこれは恋人になるためじゃない、“一目惚れの幻想を崩し、幻滅させて諦めさせる作戦”のはずだった。
……なのに、なんでコイツ、飽きることなく俺の元に来るんだよ?
“うさぎ獣人らしくない俺”に、どうしてそんな真っ直ぐな目を向けるんだ――?
見た目も性格も不釣り合いなふたりが織りなす、ちょっと不器用な異種族BL。
同じ世界観の「「世界一美しい僕が、初恋の一目惚れ軍人に振られました」僕の辞書に諦めはないので全力で振り向かせます」を投稿してます!トアも出てくるので良かったらご覧ください✨
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる