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番外編
■6つのセリフの御題―「ウソばっかり」 [ほのぼの]
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焚き火の元へ帰ると、
「お帰り」
と女の第一声が聞こえた。
カミルは驚いた。まさか彼女が起きているとは思わなかったのだ。
彼女――セレンはじろっとカミルを見上げ、
「なによ。私が起きてることが不満そうね」
「いえ……」
そういうわけでは、と微苦笑して、
「ただ、驚いただけです。よく起きましたね」
結界の中を見ると、主である少年シグリィはすーすーと寝ていた。
結界を出るとその気配で目を覚ますのはいつもシグリィの方なのだが、今回は違ったらしい。
「シグリィ様は、お疲れで眠ってらっしゃるわ。あなたが抜け出すのに気づかないくらいに」
カミルの心を見透かしたように、セレンは言った。
そうでしょうね、とカミルはつぶやく。今は夜中だが、昨日はひどかった。あまりにも襲ってきた“迷い子”の量が多かったため、珍しくカミルたちではなくシグリィが前線に出て一瞬で全てを吹き飛ばしたのだ。
簡単に終わらせた、と涼しい顔で言った少年は、夜になると耐え切れなくなったように、結界を張るだけ張るとすぐに眠り込んでしまった。
ただでさえ体が弱いというのに、本当に無理をする人だ。カミルはその寝顔にため息をつく。今は穏やかに眠っていてくれるようだが。
「それで?」
とセレンに問われたとき、一瞬何のことだか分からなかった。
「は?」
問い返すと、「それで」とセレンは焦れたようにむうと眉を寄せる。
「相手は《獣人型》(ビースト)? 《人型》(エートル)? どっちだったの?」
「ああ……」
今しがた、自分が結界を出ていった理由を尋ねているらしい。
カミルはセレンの膨れたような視線を目の当たりにし、
「――《獣型》ですよ。数が多かったので手間取っただけです」
「ウソばっかり」
即否定。嘘じゃありませんよと言ってみても無駄だった。
「じゃあ背中見せてみなさいよ」
「それこそ何でですか」
「あのねえ、私にだって血の匂いくらい分かるのよ」
渋々と両手を挙げた。
「降参します。――手当てお願いできますか」
「最初から素直にそう言いなさい」
セレンは偉そうに胸を張った。
怪我をしたのは、左の肩甲骨あたりだ。服が裂かれ、皮膚にも食い込んでいる。
「で、《獣人型》? 《人型》?」
セレンは質問を繰り返してくる。カミルの服を脱がし、怪我の様子をじっくり確かめている。
彼女は物心ついた頃から旅をしているはずだった。父親と一緒だったそうだ。だから、この程度の傷の手当はお手の物なのだ。
「……《獣人型》です」
迷ったあげく、カミルは正直に答えた。
いちいち嘘をついたり迷ったりしなくてはいけないのは、大げさなことがあるとセレンがシグリィを起こしかねないと思ったからだ。
「《獣人型》ぉ?」
セレンは信じられない、と言いたげな声を上げる。
「《獣人型》ごときであなた、こんな怪我したの?」
「数が多かったんですよ、だから」
彼女の冷たい指先が、傷のすぐ傍に触れる。じんじんとうずくのは、傷のせいだけではきっとない。
「数ねえ」
セレンはまだ不審そうだ。
「それにしても、背後を取られるなんて。あなたにしちゃうかつすぎない?」
「たまにはそんなこともありますよ」
道具袋をあさる音がする。傷薬を取り出しているのだろう。
カミルは黙って座っていた。今は春だ。焚き火の炎しかなくても、夜が寒すぎるということはない。
やがてカミルの背に向き直ったセレンは一言、
「ウソばっかり」
とまた言った。
「何でそう嘘つきにしたがるんですか……」
「あなたのウソは分かりやすいのよ」
ふん、と鼻を鳴らすような気配。
彼女は怒っているらしい――
なぜだろう、と思った。理由が分からない彼女の怒りというのは、非常に珍しい。
しかし、理由はほどなく知れた。彼女自身がぶつぶつ言い始めたのだ。
「まったくもう……シグリィ様が突然がばっと起きたと思ったら、『カミル、お前にも弱点はあるんだから気をつけろ』って一言言ってまたバタッと寝ちゃうんだから、私ってばびっくりしたわよ。寝ているシグリィ様にまで心労かけないでよね、このバカ」
「……それは申し訳なく……」
カミルは心底自分が情けなくなって、片手を額に当てた。彼の主は熟睡しているものだと思ったら、きっちり自分の気配を押さえていたらしい。
「それで? あなたの弱点て何なの? 見事に弱点攻められたから、こんな怪我したんでしょう?」
セレンはそこに興味があるらしい。
言いたくない。絶対に言いたくない。無言を通していたら、
「……シグリィ様起こすわよ?」
低い声で脅された。
「分かりましたよ。――敵は変呪香を持っていたんです」
「へんじゅこ~ぉ?」
セレンは思い切り呆れたような声を出した。「あなたそれに引っかかったの? バカみたいじゃない!」
「すみませんね」
これにはカミルも冷たい声を返すしかない。しかし。
(事実情けなかった……)
思い出し、はあ、と大きくため息をつく。
セレンが肩ごしに顔をのぞかせて、
「さては思い出の人とかの幻見せられたんでしょ。シグリィ様のお姿とかで、騙されるわけないもんねえ」
「うるさいですよ」
カミルはしっしと手で彼女の顔を払った。
「あ、そういう扱いすると手当てしてあげないわよ」
「そういう言い方するなら頼みませんよ」
「素直じゃなーい!」
「静かにしなさい」
声を押し殺して、しっとセレンに合図する。
セレンは慌てて、眠っているはずの主を見た。
主はまだ夢の中……
翌朝になり。
シグリィの目覚めが若干遅かったため、遅めの朝食。
「シグリィ様聞いて下さいよ~。カミルったら《獣人型》五体相手に怪我したんですって! いくら変呪香を使われたからって、情けないですよね~!」
寝起きの少年にまくしたてているセレンの姿が憎たらしかったが、事実なので何も言えない。
「変呪香……?」
少年はまだ夢うつつの様子だったが、ぼんやりとした顔でカミルを見た。
「思い出の人の姿を見せられたらしいですよぉ」
セレンの中では、勝手にそう決まったらしい。
「ふうん……」
主人は興味なさそうに、カミルの手元の、彼が作っているおかゆに視線を落とした。
だが、しばらくセレンのカミル攻撃を流し聞きしている内に、ぽつりと。
「……お前が幻を見て躊躇せざるを得ない人間は、ものすごく身近にいると思うんだが……」
「シグリィ様」
カミルががくっと肩を落とす。
「まあ、相手がこの調子じゃなあ……」
そう言って、少年は大あくびをした。
「やあんシグリィ様、話し相手になって下さいよ~」
「ああ、すまない、セレン」
シグリィはセレンに向き直る。
カミルは朝一で小さくため息を落とす。
それは手元のおかゆがあげる湯気の中に混じって、消えていった。
―FIN―
「お帰り」
と女の第一声が聞こえた。
カミルは驚いた。まさか彼女が起きているとは思わなかったのだ。
彼女――セレンはじろっとカミルを見上げ、
「なによ。私が起きてることが不満そうね」
「いえ……」
そういうわけでは、と微苦笑して、
「ただ、驚いただけです。よく起きましたね」
結界の中を見ると、主である少年シグリィはすーすーと寝ていた。
結界を出るとその気配で目を覚ますのはいつもシグリィの方なのだが、今回は違ったらしい。
「シグリィ様は、お疲れで眠ってらっしゃるわ。あなたが抜け出すのに気づかないくらいに」
カミルの心を見透かしたように、セレンは言った。
そうでしょうね、とカミルはつぶやく。今は夜中だが、昨日はひどかった。あまりにも襲ってきた“迷い子”の量が多かったため、珍しくカミルたちではなくシグリィが前線に出て一瞬で全てを吹き飛ばしたのだ。
簡単に終わらせた、と涼しい顔で言った少年は、夜になると耐え切れなくなったように、結界を張るだけ張るとすぐに眠り込んでしまった。
ただでさえ体が弱いというのに、本当に無理をする人だ。カミルはその寝顔にため息をつく。今は穏やかに眠っていてくれるようだが。
「それで?」
とセレンに問われたとき、一瞬何のことだか分からなかった。
「は?」
問い返すと、「それで」とセレンは焦れたようにむうと眉を寄せる。
「相手は《獣人型》(ビースト)? 《人型》(エートル)? どっちだったの?」
「ああ……」
今しがた、自分が結界を出ていった理由を尋ねているらしい。
カミルはセレンの膨れたような視線を目の当たりにし、
「――《獣型》ですよ。数が多かったので手間取っただけです」
「ウソばっかり」
即否定。嘘じゃありませんよと言ってみても無駄だった。
「じゃあ背中見せてみなさいよ」
「それこそ何でですか」
「あのねえ、私にだって血の匂いくらい分かるのよ」
渋々と両手を挙げた。
「降参します。――手当てお願いできますか」
「最初から素直にそう言いなさい」
セレンは偉そうに胸を張った。
怪我をしたのは、左の肩甲骨あたりだ。服が裂かれ、皮膚にも食い込んでいる。
「で、《獣人型》? 《人型》?」
セレンは質問を繰り返してくる。カミルの服を脱がし、怪我の様子をじっくり確かめている。
彼女は物心ついた頃から旅をしているはずだった。父親と一緒だったそうだ。だから、この程度の傷の手当はお手の物なのだ。
「……《獣人型》です」
迷ったあげく、カミルは正直に答えた。
いちいち嘘をついたり迷ったりしなくてはいけないのは、大げさなことがあるとセレンがシグリィを起こしかねないと思ったからだ。
「《獣人型》ぉ?」
セレンは信じられない、と言いたげな声を上げる。
「《獣人型》ごときであなた、こんな怪我したの?」
「数が多かったんですよ、だから」
彼女の冷たい指先が、傷のすぐ傍に触れる。じんじんとうずくのは、傷のせいだけではきっとない。
「数ねえ」
セレンはまだ不審そうだ。
「それにしても、背後を取られるなんて。あなたにしちゃうかつすぎない?」
「たまにはそんなこともありますよ」
道具袋をあさる音がする。傷薬を取り出しているのだろう。
カミルは黙って座っていた。今は春だ。焚き火の炎しかなくても、夜が寒すぎるということはない。
やがてカミルの背に向き直ったセレンは一言、
「ウソばっかり」
とまた言った。
「何でそう嘘つきにしたがるんですか……」
「あなたのウソは分かりやすいのよ」
ふん、と鼻を鳴らすような気配。
彼女は怒っているらしい――
なぜだろう、と思った。理由が分からない彼女の怒りというのは、非常に珍しい。
しかし、理由はほどなく知れた。彼女自身がぶつぶつ言い始めたのだ。
「まったくもう……シグリィ様が突然がばっと起きたと思ったら、『カミル、お前にも弱点はあるんだから気をつけろ』って一言言ってまたバタッと寝ちゃうんだから、私ってばびっくりしたわよ。寝ているシグリィ様にまで心労かけないでよね、このバカ」
「……それは申し訳なく……」
カミルは心底自分が情けなくなって、片手を額に当てた。彼の主は熟睡しているものだと思ったら、きっちり自分の気配を押さえていたらしい。
「それで? あなたの弱点て何なの? 見事に弱点攻められたから、こんな怪我したんでしょう?」
セレンはそこに興味があるらしい。
言いたくない。絶対に言いたくない。無言を通していたら、
「……シグリィ様起こすわよ?」
低い声で脅された。
「分かりましたよ。――敵は変呪香を持っていたんです」
「へんじゅこ~ぉ?」
セレンは思い切り呆れたような声を出した。「あなたそれに引っかかったの? バカみたいじゃない!」
「すみませんね」
これにはカミルも冷たい声を返すしかない。しかし。
(事実情けなかった……)
思い出し、はあ、と大きくため息をつく。
セレンが肩ごしに顔をのぞかせて、
「さては思い出の人とかの幻見せられたんでしょ。シグリィ様のお姿とかで、騙されるわけないもんねえ」
「うるさいですよ」
カミルはしっしと手で彼女の顔を払った。
「あ、そういう扱いすると手当てしてあげないわよ」
「そういう言い方するなら頼みませんよ」
「素直じゃなーい!」
「静かにしなさい」
声を押し殺して、しっとセレンに合図する。
セレンは慌てて、眠っているはずの主を見た。
主はまだ夢の中……
翌朝になり。
シグリィの目覚めが若干遅かったため、遅めの朝食。
「シグリィ様聞いて下さいよ~。カミルったら《獣人型》五体相手に怪我したんですって! いくら変呪香を使われたからって、情けないですよね~!」
寝起きの少年にまくしたてているセレンの姿が憎たらしかったが、事実なので何も言えない。
「変呪香……?」
少年はまだ夢うつつの様子だったが、ぼんやりとした顔でカミルを見た。
「思い出の人の姿を見せられたらしいですよぉ」
セレンの中では、勝手にそう決まったらしい。
「ふうん……」
主人は興味なさそうに、カミルの手元の、彼が作っているおかゆに視線を落とした。
だが、しばらくセレンのカミル攻撃を流し聞きしている内に、ぽつりと。
「……お前が幻を見て躊躇せざるを得ない人間は、ものすごく身近にいると思うんだが……」
「シグリィ様」
カミルががくっと肩を落とす。
「まあ、相手がこの調子じゃなあ……」
そう言って、少年は大あくびをした。
「やあんシグリィ様、話し相手になって下さいよ~」
「ああ、すまない、セレン」
シグリィはセレンに向き直る。
カミルは朝一で小さくため息を落とす。
それは手元のおかゆがあげる湯気の中に混じって、消えていった。
―FIN―
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