託宣が下りました。

瑞原チヒロ

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本編

そんなつもりはありません―8

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「屋敷の使用人が荒れる理由は相場が決まっている。雇い主に異変があったときだ」
 のちに騎士はそう説明してくれました。
「たいがいはそこの主人が病気で倒れたとかなんだが。その場合は執事あたりが使用人をまとめてちゃんと動かすもんだ。だが掃除もおざなりになるほど荒れたままということは……使用人の間に不和が起こっていることが考えられる。そしてそれは、やはり屋敷の主人に原因があることが多い」
 屋敷に入るまではまさか魔物だとは思っていなかったんだがな、と騎士は苦笑ぎみに言いました。
「レイリアには分かっていたはずなんだがなあ。それを教えてくれていれば、もっと違ったやり方もあったろうが」
 そのことについて、レイリアさんはこう答えました。
「確信のないことは口にしない主義ですので」
 ……はたして情報屋として正しい姿勢なのかどうかは、わたくしにはさっぱり分かりませんが――。



「駄目だ」
 ブルックリン伯爵は、にべもなくそう言い捨てました。
「お父様!」
 シェーラが憤って立ち上がろうとしました。
「シェーラ、落ち着いて……!」
 わたくしは必死でなだめました。怒ってしまっては話し合いが進まなくなります。
 伯爵と向かい合うようにしてソファに座っているのは、シェーラと騎士、そしてわたくしの三人です。わたくしが真ん中ですので、騎士と隣り合っているのが非常に気になるのですが……今はそれどころではありません。何とかシェーラに集中します。
 伯爵に取り憑いていた魔物を倒してから、一晩経ち――。
 伯爵からの申し出で、わたくしたちは話し合いの場を持ちました。
 お父上の体を、シェーラはとても心配したのですが……伯爵は「大丈夫だ」の一点張り。
 お昼の明るさの中で見ても、明らかに顔色が悪いのですが。そこは父親のプライドが許さないのでしょうか。
「お前を無理やり修道院から連れ戻したのは申し訳なく思っている、シェーラ」
 伯爵は重々しい声でそう仰いました。「だが、修道院に帰るのは駄目だ。お前は結婚が決まっている」
 正しく言うならば、シェーラを修道院からさらえと命じたのは、伯爵自身ではなく魔物だったようです。けれどそれを言い訳にしないということは……たぶん伯爵自身も、「そうしたい」という思いがあったからなのでしょう。
「だ、だから! その結婚についてもう少し考えさせてって……!」
「もう二年も時間を与えたはずだ」
「………っ」
「これ以上考えて、どうする。考えたあげく、やっぱり結婚しませんなどと言えると思っているのか?」
 重いため息がひとつ。「お前の結婚は決定事項だ。考えるのは時間の無駄だ」
「そんな――」
 シェーラが膝の上でスカートを握りしめました。唇を噛んでうなだれます。
(………)
 その隣にいるわたくしは、失望感でいっぱいでした。せっかく魔物は倒せたのに、やっぱり伯爵のお考えは変えられないの――?
「ブルックリン伯」
 そのとき、騎士がおもむろに口を開きました。
「あなたが焦っていらっしゃるのは何故だ。ミハイル家から婚約の破棄でも言い渡されたのか?」
「………」
 伯爵の冷静な顔に、ぴくりと怒りのようなものが走りました。図星なのでしょうか?
 しかしそれを聞いて驚いたのはシェーラのほうです。ぎょっとした顔で騎士を見て、それからお父上を見ます。
「お、お父様。それは本当なの?」
「……『これ以上長引かせるなら』という話だ」
 渋々といった様子で伯爵は口を開きます。「別に今すぐの婚約破棄を言われたわけではない」
「………っ」
 シェーラの顔から血の気が引きました。どうやら彼女は、婚約をあちらから破棄されるなど想像もしていなかったようです。
 それでこの反応……シェーラの苦悩の内情が垣間見えるよう。
 わたくしはどう励ましたらいいのかわからずおろおろするばかりでした。
 そもそも、騎士はともかく、わたくしがこの場にいること自体がおかしいのです。わたくしの素性を知ってヘンな顔をした伯爵を、シェーラと騎士が二人がかりで説得してくれたのですが……
 もちろん、シェーラのそばにいたかったに決まっています! けれど実際にそばにいてみると、思った以上にできることがないのです。本当に、どうしたらいいのでしょうか?
 騎士が体をそらせるようにして天井を見上げ、首をかしげました。
「しかしマックスのやつが婚約破棄を言い出すとは思えんがなあ。そんなやつじゃない」
「実際にそう言われたのだ。仕方あるまい、ヴァイス殿」
 伯爵は姿勢をただし、シェーラをまっすぐ見ました。
「よいかシェーラ。遊ぶ時間はもうしまいだ。これからは大人しく家のために嫁ぐ準備をしなさい」
「………」
 シェーラはうなだれたまま動きません。
 わたくしはたまらず何かを言おうと、口を開きかけました。

 と――。

 ドアをノックする音がしました。
 伯爵が入室の許しを出すと、入ってきたのは使用人でした。
「失礼いたします、お館様。マクシミリアン・ミハイル様がお見えです」
「なんだと?」
 伯爵が驚きの声を出し、同時にシェーラがばっと顔を上げ、わたくしの片腕にすがりつきました。
「なぜだ。なぜ突然――」
「それはどういう意味ですブルックリン伯。僕は事前に連絡を入れたはずですよ!」
 使用人の後ろから――
 どかどかと、一人の青年が部屋に入ってきました。いかにもたった今お屋敷に着いたばかりといった服装で、苛立ちもあらわにマントをかなぐり使用人に押しつけます。
 年齢は、たぶんわたくしやシェーラよりひとつふたつ下でしょうか――
 わたくしはとても驚きました。
 美しい男の人でした。こんなに顔立ちの整った男性を、わたくしは初めて見ました。
 少し癖のある金髪は優しい色で、甘い顔立ちも相まって全体的に柔らかな雰囲気があります。
 瞳の色は涼やかな蒼。今は険しい色をのせて、わたくしたちを見つめています。そんな顔をしてさえきれい。こんな男の人が世の中にいるなんて。
 しかしわたくしの驚きは、すぐに別の驚きに変わりました。
「シェーラ! やっと会えた……!」
 マクシミリアン様はシェーラに向かって突進――まさに突進しました。
 シェーラは飛び退き、わたくしの陰に隠れようとしました。
「来ないで! 来ないでよマックス!」
「なぜだ!?」
 マクシミリアン様は大仰に両手を広げて嘆きます。「君はまだ僕に不満があるのか!? こんなに美しい僕に!? これ以上いったい何が必要だと言うんだい!」
「私は美しい男性よりも頼りになる男性が良かったのよ! あんたなんか願い下げよ!」
 シェーラが怒鳴ります。「シェーラ」とお父上がたしなめようとしますが、聞くわけがありません。
「僕はミハイル家の跡継ぎだ。金も名誉もあまりあるほどある!」
「ただ長男に生まれただけの男が何を言ってんのよ! 外国語もろくにできないくせに!」
「君がずっとそうやって僕を蔑むから僕だって努力したんだ……! 見ろ、話せるようになった!」
 そう言って彼が突然披露したのはコースドリア州隣国ロマリアの言語。
 ……聞いていると頭痛がしてくるような、文法も発音もめちゃくちゃな代物です。子どもが話したなら褒められますが……たぶん同じだけ勉強した子どものほうがもっと流暢でしょう。
 別に外国語が全てではありません。ですが外国との貿易で栄えるコースドリア州を治める人物がこれでは大問題です。わたくしは頭を抱えました。シェーラの苦悩がだんだん見えてくる――。
「ふん。だがシェーラ、君は僕と結婚するのが運命なんだ。そうでしょうヴァイス様!」
 突然マクシミリアン様は話の矛先を騎士に向けました。
 マクシミリアン様の乱入のせいで騒然としていたお部屋。けれどその中で、一人のんびりとしているのが騎士です。ついていけないだけかもしれませんが。
「うーん……あのなマックス」
「はい、ヴァイス様」
 わたくしはシェーラとともに仰天しました。マクシミリアン様が大人しく返事をしている――!?
「まず先に説明しておくと、ブルックリン伯は魔物に取り憑かれていて、ここ数日の記憶があやふやなんだ。だからお前がこの屋敷に来る予定だったことを覚えていない。ここはまず理解してくれ」
 わたくしはさらに仰天しました。騎士がすごく丁寧に事態を説明してる……!
「何ですって! 伯、大丈夫なのですか」
 マクシミリアン様はすぐさまブルックリン伯爵のほうを向きます。
「ああ……いや、大丈夫だ。すまんな」
 伯爵は騎士に目礼をしました。騎士はうなずいて続けました。
「それにシェーラ殿を修道院からさらったのは伯爵に憑いていた魔物だ。人間に取り憑く魔物は名誉欲金銭欲が異常に強くてな、だからシェーラ殿の結婚を急がせようとしたんだろう。まあ、実はこっそり本体である伯爵の願望も影響していたとしても俺は驚かん」
「……ヴァイス殿」
「これぐらいのことは言われるべきだぞ伯爵。あなたは娘を散々傷つけているんだ」
 騎士はゆっくりソファから立ち上がり、マクシミリアン様の肩を叩きました。
「お前もお前だマックス。なぜ婚約破棄など言い出した?」
「――それは――」
 とたん、マクシミリアン様は子どものようにしゅんとしてうなだれました。
「……早く結婚したかった。長く待っていては、誰かに奪われると――」
 わたくしは、腕にすがりついていたシェーラが震えたことに気づきました。
 よくも悪くもマクシミリアン様の一言は、シェーラの心に影響を与えるようでした。
「それに、婚約破棄と言えば少しは真面目に僕とのことを考えてくれるだろうと」
「マックス」
「相手にされていないのは分かっているんです。でも結婚してしまえば同じでしょう?」
 マクシミリアン様は大真面目でした。真剣に、そう考えているようでした。
 騎士は腕を組み、うなりました。
「あのな。本気で惚れているなら待つぐらいしてみせろ。少なくとも俺は待つぞ、何年でも」
「何年でも!? 五年も十年も待てますか!」
「待つさ。彼女の気が変わるまで何年でも――。その間に他の男に取られるなら、それは自分がその程度の男だったというだけのことだ」
「………」
 マクシミリアン様が口をつぐみました。何も言えず、ただ騎士を見つめています。

 『気が変わるまで、いつまででも待つ』

「………」
 わたくしの胸にも、何か、ふわりと触れる柔らかな羽根のようなものがありました。なんだかくすぐったいようなふしぎな感じです。
 思わず騎士を見ると、騎士がいつになくまともな男性に見えて、わたくしは思わず見入ってしまいました。
 と、騎士はわたくしの視線に気づいたかのように振り向きました。
 ぐっと親指を立てて、
「と言っても、本音では待つまでもなく惚れさせるからな! そのつもりでいてくれ巫女よ!」
 胸から羽根は吹き飛んでいきました。ああ本当に、どうしようもない人!
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