託宣が下りました。

瑞原チヒロ

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本編

あなたらしくありません。―4

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 父から聞いていました。今月に入ってから、魔物に遭遇したことによる怪我人が増えていると。
 そしてつい昨日、我が家の隣人が出先で魔物に襲われ、重傷を負って帰ってきました。
「このままにしておけん」
 父はすでに手配を始めていました。ありったけの費用でハンターを雇ったのです。
 それ以外にも自主的にこの町へ来てくれたハンターもおりました。ラケシスなどはその部類でしょうか。
 ラケシスはすでにパーティを組み、洞窟ダンジョン攻略に向かっているはずです。
 目的の魔物――洞窟ダンジョンを産み、大量の魔物を増産している存在は、洞窟ダンジョンの奥深くにいる――。



「外出してはなりませんよ、アルテナ」
「お母様……」
 こっそり外へ出ようとしていたわたくしを、どこからか現れた母は厳しい目で叱りつけました。
「今この時期にお前が怪我をしたらどんなことになると思っているのです。自覚なさい」
「……はい」
 その通りです。わたくしはしゅんとしてうつむきます。
(町の様子を見たかったのだけれど……)
 毎日窓から眺めるだけでは満足できなかったのです。でも、母の言う通り今は外に出るべきではありません。
「退屈ならヨーハン殿に本でも持ってきていただきなさい」
 母はわたくしの手首に触れて、さとすように「今しばらくのしんぼうですよ」と言いました。
「ヴァイス様方が洞窟ダンジョンに入られた。魔物の命も風前の灯火でしょう。わたくしたちは待てばいいのです」
「お母様」
 ――待てばいい? 本当に?
 いえ、やっぱり母の言う通り。力のないわたくしたちは待つしかない。
 力ある人たちが倒してきてくれるのを、待つしかない。
 そこまで思って、少しふさいだ気分になりました。
 ――何もできない、そんな状況が嫌でヨーハン様に学んでいるはずなのに……。


 部屋に戻り一人きりになると、何だか落ち着かなくなりました。
 椅子に座っている気分にもなれず、わたくしはうろうろと歩き回りました。
 何とはなしに手首をさすります。母が触れた手首を。
 ――昔、誰かに強く手首を引かれたような気がします。
 そんなことをふと思い出し、わたくしは驚きました。なぜ、そんなささいなことをこんなときに?
 けれど一度引っかかると、ついそのことばかり考えてしまいます。
 誰かに手を引かれて歩いていた?
 いいえ、『強く引っ張られた』のです。
 考えると手首にその誰かの手の強さがよみがえるような気がして、わたくしは思わず身震いをしました。
 恐い――と、思いました。
(なぜ?)
 考えてみればわたくしは『力ある人』が恐いというよりも、『力ずくで何かをされること』が恐いのかもしれません。手首の違和感をたしかめて、忘れていた何かの形がじわじわと浮き上がってくる気がします。
 そうされることに怯えて男性に近づくのが恐くなるほど、わたくしは過去に何かあったのでしょうか?
 もちろん、男性に襲われた記憶などまったくないのです。せいぜい騎士に無体を働かれた託宣の日ぐらいなものです!
 何もないけれど、理由もなく恐いのだと。
 ……今までずっと、そう思っていたのに。
(手首を強く引かれた……誰に?)
 無性に気になりました。わたくしは、記憶の糸をたぐりよせようとしました。
 と――。
「失礼します~。アルテナ様ぁ」
「ヨーハン様?」
 ドアの向こうからヨーハン様の声。
 我に返ったわたくしは急いでドアを開けに向かいました。今日は講義はない日のはず。いったいどうしたのでしょう?
「おはようございます~。突然お邪魔してすみません~」
 ヨーハン様は今日も眠たそうな顔でへらっと笑いました。
 腕には大きな荷物を抱えています。あまり力のない彼には重そうです。
「いえ……いったいどうなさったのですか?」
「実は明日からの講義を少しお休みさせていただきたくて~」
「え?」
「調べたいことができちゃいまして」
 頭に手をやりながら、申し訳なさそうにへこへこ頭を下げます。
「それは構いませんけれど……何を調べに行かれるのですか? あ、どうぞ中へ……」
 わたくしはヨーハン様を部屋の中へお誘いしました。
 ヨーハン様は辞退なさいました。「結構です~」と、にこにこしながらきっぱりと。
「ここはアルテナ様のお部屋ですよ~。若い女性のお部屋に入るわけにはいきません~」
「………」
 わたくしは感動しました。修道院にいたころ、夜に何度も部屋に侵入しようとした騎士のことを思い出します。
 そりゃああの人はわたくしに子を産ませたかったのですから、あの行動も当然と言えば当然ですけれど……って、何を考えているのでしょうかわたくしは!
「で、何を調べにいくのか、でしたねぇ。ええと」
 実は――と彼は声をひそめました。
「大きな声では言えませんけれども~。サンミリオンで魔物取引が行われているらしいんです~」
「ま……っ!?」
「しーっ、静かに」
 わたくしは慌てて両手で口を抑えました。
 魔物取引。ヨーハン様の講義で聴いたことがあります。
 それは人間が魔物を捕らえ売買すること。
 比較的弱い魔物であれば、人間がしつけることができるというのです。
 もちろん、許されることではありません。何せ魔物で行うことと言えば、観賞用以外には他人を害することばかりなのですから。
 ヨーハン様は眉尻を下げて「信じたくないんですけどねえ」と言いました。
「ここの町長様はご立派ですよ~。取り締まりもきっちりしていらっしゃる。今後魔物について学校で教えるようにっていう意見もれてくれましたし~。本当にこの町で取引が行われているなら、僕許せません」
 そう言えば父は魔物学を学校の教科として取り入れる準備をしていたはず……。
 ヨーハン様はそれをたいそう恩義に感じてくださっているようです。
「そんなわけで講義をお休みするの許してください」
 ぺこり、と彼は頭を下げました。
 わたくしは両手を振って「顔を上げてください」と言いました。
「こちらこそ、町長の娘としてお礼を言いたいです。本当に……町のためにすみません」
「いえいえ、僕この町に居候させてもらってますし。稼ぎないのに」
「わたくしに教えてくださっているじゃないですか。ちゃんと稼いでますよ?」
「いえいえそれも全部カイやアルテナ様のおかげで~って、きりがないですねえ」
 わたくしたちは揃って笑いました。
 とても心地よい笑いでした。こんな笑いかたができたのはいつぶりでしょうか……。
「あ、そうだった。忘れるところだった」
 これをどうぞ、とヨーハン様は重そうに担いでいた袋を下ろしました。
「全部本です。お薦めばかりなので、ぜひ。外に出られないんでしょう?」
「わあ……!」
 頼むまでもありませんでした。ヨーハン様はわたくしに必要なものをよく分かっていたのです。
 よっこらせ、とドアの内側に袋を置いて、彼は笑顔で言いました。
「あなたは本当にいい生徒です。きっと次の講義までにまた成長していらっしゃるでしょうね」
「そんな、とんでもない!」
「間違いないですよ。さて」
 ヨーハン様はなぜか沈黙しました。そして、

「――アルテナ様」

 ふいに、彼はわたくしの手を取りました。
 わたくしはぴくりと震えて――けれどそのまま、彼に手を握られるままにしました。
「アルテナ様。僕ら、たぶん似ていますね。だからこんなに居心地がいい」

――)

 気がつけば夜空の瞳がわたくしを優しく見つめています。
 握られた手が温かい。包むような手です。それでいて――力がこもっていない。
 安心できる手。
 わたくしはヨーハン様を見つめました。
 ヨーハン様は、目を伏せました。
「……ちょっと卑怯ですよねえ、これは」
「え?」
「はは、いえ。何でもありませんよ~。そんなわけで、調査が終われば講義は再開したいので~。どうぞよろしくお願いします~」
 そのままもう一度頭を下げ、彼は帰ろうと半身を傾け――。
 最後に、こう言いました。
「アルテナ様、忘れないでくださいね~。洞窟ダンジョンの魔物、本当に手強そうなんです。ヴァイス様たち、命をかけて戦ってくれてるんですよー」
「―――」
 わたくしは言葉を失いました。
 胸を、痛打された心地でした。
 ああ――また大切なことが頭から抜け落ちていたのです……自分は。

(……騎士は、アレス様たちは、無事?)

 ラケシスは、カイ様は……次々と彼らの顔が浮かんできます。夜空の星のように脳裏に焼き付いて、離れなくなります。
 ヨーハン様が帰っていき、わたくしはドアを閉めました。
 しんと静まりかえる部屋の中央で、ぎゅっと目を閉じ――。

『魔物は一直線な人間を嫌います』

 不思議なことですが今この瞬間も、鮮明に思い描くことができるのです。騎士が約束を果たし、意気揚々とわたくしの元へ現れる姿を。
 その身を案じる一方で、無事を信じてもいる。何ともおかしな感じです。ひょっとしたら悪く考えたくないだけなのでしょうか。それともわたくしは意外と楽観的だったのでしょうか?

 いえ――違います。
 わたくしは無根拠に信じているだけ。
 『信じろ』と言った彼を、真正直に信じただけ。

 騎士よ、だから。

 わたくしは両手を組み合わせ祈りました。
 ご、ご褒美のことは一考しますから!
 だから――無事に帰ってきて。
 アレス様やカイ様と一緒に、笑いながら帰ってきてください――。



「巫女! 大変だ!」
 ソラさんがわたくしの部屋に飛び込んできたのはその日の夜のこと。
 血相を変えているソラさんに、とんでもないことが起こったのだとわたくしは身構えました。
「ど、どうしたの?」
「町長が、巫女にお父さんが、魔物に襲われて大ケガしたって!」
 サンミリオンの町は今まさに、喧噪の中に落とされたのです。
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