託宣が下りました。

瑞原チヒロ

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本編

あなたらしくありません。―6

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「こっちです、アルテナ様……!」
 突然、前方から声がしました。
 ソラさんがはっと足を止めました。その拍子に、引っ張られていたわたくしはずでんと転びました。
「痛っ……」
「あ。巫女すまん」
「あああアルテナ様! 大丈夫ですかぁ」
 駆けてくる足音。そして、突っ伏しているわたくしの視界の端に、誰かがひざまずくのが見えました。
「起きられますか?」
 差し出された手に見覚えがあります。
 わたくしはそろそろと顔を上げ――そして目を見張りました。
「よ、ヨーハン様……? どうしてここに」
「詳しい話は後です。さあ、立ってください~」
 ヨーハン様は腰に剣を下げていました。なんだかそれだけで別人のようです。
 わたくしはためらいながらも彼の手を借り立ち上がりました。
 するとヨーハン様はそのままわたくしの手を握り、思い切り走り出しました。
「ソラさんついてきてくださいね~!」
「ば、バカ! いきなりすぎる!」
 それでもソラさんは何とかついてきます。元が活発な彼女は足も速いようです。
 というより、
「ヨーハンお前足が遅いっ」
「あはは~、僕運動音痴なんですよ~」
「あはは~じゃないっ! 巫女といいヨーハンといい勉強好きはこれだから……!」
 ソラさん、それは言いがかりというものです。世の勉強好きに謝ってください。
 ちなみにソラさんはヨーハン様と仲良しです。マイペースな人同士、気が合うのでしょうか?
 それはともかく――わたくしは焦りました。
 何が何だか分からないまま、父のいるはずの家が遠ざかっていきます。
「ま、待って! 待ってください二人とも……!」
「何ですかアルテナ様! 今は止まっている場合じゃありませんよ~!」
「だって魔物なんでしょう!? ほ、他の人たちに報せなければ……!」
 わたくしたちさえ無事に逃げ延びればいいわけではないのです。魔物が発生したなら報告しなければ。
 ましてさっきの家は怪我人の父がいるはずなのです。万が一魔物があの家を襲撃でもしたら……!

「あなたが問題なんですよ、アルテナ様」

 角を曲がるついでにスピードを落とし、ヨーハン様は振り返りました。
「え……?」
。どこでつけられました?」
 わたくしは顔が熱くなるのを感じました。このお酒臭さをヨーハン様に知られたことが、妙に気恥ずかしかったのです。
「酒の臭いならさっきヘンなじいちゃんを助けたときについたんだ」
 ソラさんが斜め後ろから説明してくれます。するとヨーハン様はいつも気楽そうな顔を歪め、
「お酒の臭いじゃありません。それは〝匂い袋〟の臭いです」
「匂い袋……?」
「魔物を寄せる臭いですよ。アルテナ様、あなたはターゲットにされたんだ」
 一瞬、言われた意味が分かりませんでした。
 ぽかんとするわたくしを、ヨーハン様は再び引っ張ろうとします。
 手首が痛い。意外なほど強く掴まれたその感触が、わたくしの中の何かを揺さぶりました。奥底からこみ上げてくる――何とも言いがたい不安の塊を。
「ひ――引っ張らないで、ください……っ!」
 わたくしはとっさにヨーハン様の手を振り払おうとしました。
 けれど、外れません。彼の手はがっしりとわたくしの手首を掴んだまま。
 彼の紺碧の瞳が、叱るように強くわたくしを見つめていました。
「放してもいいですが、ちゃんとついてきてくれますか?」
「でも、魔物のことを人に報せなければ!」
 本当は今来た道を戻りたかった。町にはたくさんの自警団とハンターがいるのです。魔物が発生したなら彼らに伝えるべきです。
「今言ったでしょう、狙われているのはあなたですよ。匂い袋の効果は劇的です。魔物は当面、あなたしか狙いません。その状態で町中に出ると?」
「………っ」
「逆に言えば人のいないところにあなたを連れて行けば、魔物もついてきます。それなら他の人も安全でしょう」
「………」
「さあ、行きますよ~」
 再び走り出すヨーハン様。
 彼は元々足が遅いようですが、それ以上にわたくしが走りやすいように速度を調整してくれています。そこは配慮してくれるのに、手首を掴んだ指の強さだけが変わりません。
 まるで逃がすまいとするかのように。
「放して……」
 かすれた声は、彼の耳に届かなかったようでした。
 ――それとも、無視されたのでしょうか。
 ふいに、彼の背中に記憶の中の誰かの背中が重なりました。ヨーハン様よりずっと小さく、ずっと細い……けれどかたくなな態度がそっくりな。
 誰だったろう。目をこらして見ても、ぼやけてしまってよく分かりません。
 ただ――強くわたくしを叱る声だけが、鮮明に聞こえてくるのです。

『駄目だよ、ここから離れるんだ!!』

(この声……?)

 ヨーハン様はわたくしとソラさんを導いて、裏道を駆けました。
 やがて人の気配がまったくない区画に足を踏み入れたとき、辺りはすっかり夜のとばりに包まれていました。
 今夜は星のない夜です。振り返ると、自警団たちの持つ灯りが町のあちこちを明るくしています。
 しかし……一方でここには、人っ子ひとりいません。
 たしか元は居住区のはずです。わたくしが小さかったころの話ですが、もっと住みよい土地を探した結果人々が徐々に移動し、最終的に無人になってしまった街区です。再開発する前に魔王が誕生してそれどころではなくなってしまい、今ではすっかり放置されていますが。
 足を止めたヨーハン様は、ようやくわたくしの手を放してくれました。
 少し遅れてたどりついたソラさんに何かを渡し、
「ソラさん、これ魔法石なんだけど。これ使って灯りつけられる~?」
「お安い御用だ」
 ヨーハン様が渡したのは、ほの青く発光するふしぎな石です。
 ソラさんはそれをてのひらに包み、むにゃむにゃとよくわからない言語をつぶやきました。
 きっと呪文だったのでしょう、魔法石はほのかに明るく光ったと思うと――またたく間に一帯を照らす光となりました。
 奇妙に感動的な現象でした。空を見上げれば夜闇が広がっているのに、視線を下ろせば真昼のように明るいのです。
 ヨーハン様はソラさんの頭を撫でました。そして、
「よし、後は魔物を待つだけです~」
「ま、魔物を待つって」

 その刹那。
 首の後ろの産毛が、逆立つようにぴりりと何かに反応しました。
 背後から――何かがやってきます。
 ずるり、ずるりと引きずるような音とともに。

「うーんあいつのろいはずですけどねえ。追いついてくるの早かったですね」
「お前の足が遅いからだこの亀足ヨーハン!」
「あ。亀って実はそこそこ足早いんだよソラさん~」
「ふ、二人とも。呑気に話してないで……」
 ずるり、ずるり。音が近くなってきました。
 わたくしは――おそるおそる振り返りました。
 ずるり。
「………っ」
 足が自然と後ずさり、やがて背中が、どんと壁にぶつかります。
 ずるり。
 音が止まりました。目の前で。
 わたくしはその異形のモノから目をそらすことができませんでした。
 影が――わたくしたち三人の上に落ちます。
「うわあ」
 ヨーハン様が苦々しい声でつぶやきました。「こりゃすっごいや……追ってくる間に成長したのか」
 いえ、今この瞬間も成長しています。見上げる高さがどんどん高くなっていくのです。
 それは、不定形のゲルのような魔物でした。体が半透明で、その体を通して向こう側の景色が見えています。
 魔物学で言う、スライムなのでしょう。ですが――
 スライムは他のスライムを吸収して巨大化するとは聞いていましたが、こんな風に自ずと大きくなる場合もあったのでしょうか?
 ぶにょぶにょの体が上に伸び、ぐりんとわたくしたちを見下ろします。……目はありませんが、なぜか視線を感じるのです。
「改造したかな。それとも……」
 ヨーハン様は思案するように独りごちました。
 興味深そうな声と言い、完全に学者の顔です。
「呑気に言ってる場合じゃない! 倒せるのか?」
 ソラさんがヨーハン様にしがみつきます。
 ヨーハン様は苦笑して、ソラさんを優しくはがしました。
「ちょっと予想外だったけど……そんなこと言ってられないよねえ」
 そうして――
 彼はすらりと剣を抜きました。
 スライムはその形状から物理攻撃が大変利きづらいそうです。ですが、ダメージを与える方法がないわけではありません。
 それは、隠されている弱点を探し当て、貫くこと。
 人間でいう心臓でしょうか。そういった部分が必ずあるのだそうです。
 ただ――
 不定形で半透明なスライムのそれを見つけ出すのは至難の業だとか。熟練の戦士でなくては、とうていできないと。
 ……そう教えてくれたのは、ヨーハン様だったのですが。

 ずるり。

 スライムが動きました。ぶにょりとした体が迫ってきます。
 道のすべてを埋め尽くしそうな圧迫感。空気が薄くなった気がして、それだけでこちらは卒倒しそうです。
「アルテナ様、前に出てきてはいけませんよ」
 ――。
 ヨーハン様は厳しくそう言いつけ、そして。
 両手で剣を握りしめ、スライムに飛びかかりました。運動音痴であることをフォローするように、真っ正面から勢いよく。

「はあああああああああっ!」

 剣で斬りつけるたび――
 スライムの体の一部が辺りに飛び散ります。
 しかし一度ちぎれたスライムも、本体にすぐ吸収されていきました。遠くへ飛んだスライムはその場でぷるぷると震えています。見ているだけでぞっとする光景です。
「闇の命により我も加勢する!」
 ソラさんの声が聞こえ、はっと振り向くと、見覚えのある藁人形が巨大化しつつあるところでした。
 わたくしは引きつりました。
「そ、ソラさん、その人形――」
「暴走じゃないぞっ。ちゃんと練習したんだ!」
 そう言われても……信じてあげたいのはやまやまなのですが。
 巨大藁人形はスライムと同等ほどの高さになりました。そのままのっしのっしとスライムに近寄ると、藁でできたその腕をぶんと振り下ろしました。
 ぶにょん。スライムの体が変形します。しかし剣のようにちぎれません。
 ぶん、もう一撃。
 ぶにょにょん。変形するだけ。
「………」
 ソラさんがしおしおと肩を落とすのが見えました。わたくしは励まそうと彼女に駆け寄りました。
 しかし、
「いいぞソラさん! そのまま人形に攻撃させてくれ!」
「………!」
 剣を振るい続けるヨーハン様の声。ソラさんがはっと顔を上げ、
「い、行け! 我がしもべよ……!」
 藁人形は再び腕を振りかざしました。
 ぶにょん。変形するだけ。
 でも……ヨーハン様の顔が輝き始めました。彼には何かが見えているようです。
「よし! このまま行けば……!」
 彼の歓喜の声が聞こえました。ぶにょん。変形したスライムがぼよよんと体を回復させます。しかしヨーハン様の攻撃は何かを見つけたかのように、一カ所だけを狙い始めていました。
 弱点を見つけたのです。
 魔物に詳しいヨーハン様のことです。きっとこのままスライムを倒せる――。

(でも)

 おかしい。わたくしの頭の中で危険信号が鳴り響いていました。
「行け! 行けぇしもべ!」
 興奮した様子で叫び続けるソラさんの背中に手を当てながら、わたくしは言いようもない不安に突き動かされました。
 そのときどうしてそんなことをしようと思ったのか――。
 おそらく修道院にいたときの習慣なのでしょう。わたくしは――とっさに祈りを捧げたのです。
 魔術の光で真昼のように見えても今は夜。真っ暗な空であろうと、そこには必ず
(星の神よ! どうか)
 託宣の日以来、御声みこえが聞こえたことなどなかった。そんなことは百も承知だったのに。
 祈りました。一心にすがりました。どうかこの不安の原因を教えて――と。
 そのときふいに、『何か』が脳裏に呼びかけてきたのです。
 もはや懐かしい、でもわたくしにとって何よりも満足感のある一瞬。

 星の声が降りてきた――。

 わたくしは叫びました――その声が告げるままに。

「伏せて! ――!」
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