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本編
恐くなどありませんから。―5
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正直に申し上げます。このときわたくしはいっぱいいっぱいでした。
シェーラの託宣に、騎士に関する噂。わたくしの選ぶべき道……そんなようなものがないまぜになって、本当に頭が回っていなかったのです。
……そうでなければもう少し早く疑問に思っていたはずです。騎士はいったい、どこに行こうとしているのか、と。
騎士は途中で馬車をつかまえました。そのときは、人に姿を見られないために馬車に乗るのだと呑気に考えていたわたくしでしたが。
違いました。単純に、目的地まで少々距離があったのです。
*
「……ここは、どちらのお宅ですか?」
おそるおそるそう尋ねると、騎士は胸を張りました。
「俺の家だ」
「――――ええと?」
「だから、俺の家だ」
わたくしは絶句しました。はしたないながら口をあんぐりと開けて。
「だって『羽根のない鳥亭』は……」
「あれは実家だ。今の俺は一人暮らしだ。使用人はいるが」
そう言って、門をくぐる騎士――。
わたくしはその後を追えませんでした。足が地面に根を張ったように動きません。
あまりの衝撃に、呼吸さえ忘れそうです。あっけにとられたまま目の前の家を見上げます。
――お屋敷、です。
いえ。豪邸、と呼ぶべきでしょう。
町外れにどんと居座った建物。大きすぎて建物の端を見つけるのに苦労します。おまけに壁や屋根にほどこされた彫刻や細工――シェーラの家の別荘と同じくらいか、下手をしたらそれよりも豪華かもしれません。
王都の中央を外れたところにあるので不便ではありますが、その分周囲を豊かな常緑樹の自然に包まれ、目に優しい色の壁は冬のこの時期でも寒々しさを感じさせません。
正直なところ、騎士には似つかわしくない趣味のよさです。
「巫女、どうした? 入らないのか」
「……そのう、このお住まいにはいつから?」
「魔王討伐の褒美にもらったんだ。手配に時間がかかったから一年は経っていないがな」
「………」
「元々はどこかの貴族の家だったのを改修したらしいぞ。アレスが絶対に嫌だと言い張ったので俺に回ってきた」
「な、なるほど」
アレス様に贈られた屋敷というのなら納得できます。国を救った勇者にはそれぐらい必要でしょう。
いえ、もちろん騎士もそれに値するのですが――なぜか、騎士に豪華な褒美が贈られるところが想像できなかったのです。
それにしても……勇者様一行に褒美が贈られたということは。
「では、カイ様も何かいただいたのですか?」
「ああ。あいつは末の王女との結婚を勧められていたな」
「!」
ぎくりとわたくしの心臓が跳ねました。末姫ということは、エリシャヴェーラ様ではありません。でも……
騎士はわたくしの手を引きながら、軽い口調で話します。
「断固として断っていたぞ。代わりに終身宮廷魔術師である権利をもらったはずだ。他には店をもらったやつもいる。でかい宝石の原石を国に探させたやつもいる」
「アレス様は……?」
「あいつは一番地味だ。今後日常生活に一切関わってくれるなという契約」
わたくしは感心しました。何とアレス様らしい望みでしょうか。勇者ともなれば、放っておいてはさぞかし周囲がうるさいに違いありませんし。
「俺は何でも良かったから家にした。とりあえず将来嫁に来る人が喜べばそれでいいと――さあ、じっくり見てくれ。ここが俺たちの家だ」
呼び鈴を鳴らすと、重い扉がしずしずと開き、使用人らしき男性が現れました。
頭を下げた男性が、ちらりとわたくしを見、それから騎士を見ます。
騎士は軽くうなずいて、
「ようやく連れてこられた。彼女が俺の妻になる人だ」
「ま、待ってください! わたくしはまだ結婚するなんて――」
「……お待ちしておりました」
まるでわたくしを遮るように、男性が口を開きました。
痩せた壮年の男性です。髪に白髪がまじっています。わたくしに向かって頭を下げたあと、柔和に微笑み、洗練されたしぐさでわたくしたちを中へと促します。
「どうぞ、お入りくださいませ」
わたくしはもはや目もくらむような思いでした。一歩足を踏み入れれば、修道院とは別世界が広がっていく――。
空気が違う。そんなことを他人の家に本気で思う日が来るとは思いませんでした。
今思えばシェーラの家は、まだ庶民的だったのかもしれません。何しろシェーラのような女の子が育つ環境ですし。
磨き抜かれた壁や調度品。騎士の家としては意外なほど美しく保たれています。異国のものもふんだんに取り入れながらも、決して部屋のバランスを失っていません。以前住んでいた貴族がよほど趣味のいい人だったのか、それとも今の使用人に品のいい人がいるのか……(間違っても騎士の趣味とは思えませんので)
部屋はいくつあるのでしょうか、数える気にもなれません。
雨雲が近くなり少し暗くなったせいか、使用人さんが燭台に火を入れています。壁に映る炎の照り返しさえ美しい。見たことの無い観葉植物がその緑の葉をつやつやと光らせ、たっぷりと世話をされていることを誇っています。
右を見ても左を見ても……どこを見ても手抜きの跡などまったく見えないのです。いっそ目がちかちかするほどに。
「き、騎士はここで暮らしているのですね」
わたくしが呆然としながら言うと、騎士は困ったように唸りました。
「まあそうなんだが……」
「……? 何ですか?」
「……あまり帰ってきていないんでな。使用人たちの好きにさせてる。そうしたらいつの間にかこんな家になっていてな」
「………」
「そこの男、ウォルダートと言うんだが、趣味はすごくいいが無類の掃除好きなんだ。他の使用人もなぜかみんなそういうやつらでな……目がちかちかしてくるだろう?」
「!」
目がちかちかする。まさに今わたくしが思っていたことです。
同じものを見て同じ感想を持つ――。この、普段まったく理解不能な騎士を相手にもそんなことがあるなんて。
どうしよう。……嬉しい。
そんな風に思った自分が恥ずかしくて葛藤しているわたくしをよそに、ウォルダートさんがすまし顔で口を開きます。
「心外です。私どもは旦那様のおため、できることを最大限させていただいているのみ」
「いいやお前は絶対自分の趣味だ。まあ悪い趣味ではないがな」
「滅相もない。国でも一等有名な旦那様が家に帰ってくるたび片身の狭そうな顔をなさるのを見るのが楽しいだなんて、使用人一同誰も思っておりませんよ」
「前言を撤回する。お前ら全員趣味が悪すぎる」
騎士が低い声を出すのが、気に入らない相手を威嚇する犬のようで、わたくしはぷっとふき出しました。騎士をやりこめられる人たちがいるなんて、世の中は広いものですね。
くすくすと笑っていると、騎士がわたくしを見て表情を和らげました。
「良かった。少しは気分が晴れたか?」
「え……」
「いや、まだ少し顔色が悪いか」
わたくしの顔をまじまじとのぞきこみ、眉間にしわを寄せます。
「……化粧のせいでよく分からんな」
そう言えばまだ変装したままなのでした。いつの間にか慣れてしまっている自分がちょっと怖い。
「よし、まず変装を解こう。どのみち今日はもう出かける予定はないからな」
「え――」
ウォルダート、と騎士は彼を呼びました。
「彼女の化粧を落として着替えさせてくれ。気張らず楽なかっこうで――ああそうだ、この間仕入れた修道服にしよう」
「しゅ、修道服……?」
「ん? いやもしも修道女をやめても巫女ならあの格好をしたがるんじゃないかと思ってな」
「………」
や、優しいのかもしれませんが……
何だか、目のつけどころがおかしくないですか? この人はわたくしが年中修道服でいても許すつもりなのでしょうか。
「かしこまりました」
ウォルダートさんが「どうぞこちらへ」とわたくしを促します。
「よろしく頼む。終わったら例の部屋へ案内してくれ。俺もそこで待っている」
そう言って、騎士は一人建物のどこかへ消えてしまいました。
(騎士……)
彼がいなくなると、急に心細さが襲ってきました。
思えばお屋敷に入ってからずっと彼はわたくしの手を引いてくれていたのです。見知らぬ豪邸の中にいる不安を、それが和らげてくれていたのは間違いありません。
今は空になった手を見つめます。まだ、彼のぬくもりが残ってる――。
ウォルダートさんがふとわたくしの顔を見つめ、
「……変装なさっているのですね。素顔を出せないのはさぞかしおつらいでしょう」
「い、いえ、そんなことは……」
慌てて否定すると、白髪交じりのウォルダートさんはふんわりと微笑みました。
「この家では隠すことは何もありません。あなた様の家でございます。どうぞ、そう思って楽になさってください」
「―――」
「それでは、参りましょうか」
うやうやしく礼をして、先を歩き出すウォルダートさん――。
わたくしはその細い背中を見つめました。
彼が優しいのは、騎士が優しいからなのでしょうか。騎士はいったい、この家の人たちにわたくしをどう説明しているのでしょう。
もしもこの家に入るのなら――
この人たちが、わたくしの家族になる。
「………」
ざわめく胸の上に手を置いて、ひとつ深呼吸。そうして、わたくしはゆっくり歩いてくれるウォルダートさんの背中を追いました。
一室で化粧を落としてもらい、湯浴みをさせていただき、着替えを女性の方に手伝ってもらって小一時間。
服は本当に修道服が用意されました。喜んでいいのか分かりませんでしたが、鏡に映った自分は完全に修道院にいるときの自分でした。
それを見るとほっとしてしまう。何だか、あるべき自分に戻ったようで。
(……やっぱり、修道女でいたいのかしら。わたくしは……)
「御用意はお済みですか。アルテナ様」
ノックのあと部屋が開き、ウォルダートさんが入ってきます。
「これからどこへ?」
わたくしは気になっていたことを尋ねました。
するとウォルダートさんは目元にしわを浮かべて笑みを深くし、
「いらっしゃればお分かりになります。参りましょう」
と腕を部屋の外へ向けました。
広い階段を昇り、一度だけ曲がったあと、まっすぐ行った先――
「こちらです」
ウォルダートさんが、大きな扉の前で立ち止まりました。
「これは……」
わたくしは息を呑みました。扉の意匠。見覚えのあるデザインです。
……修道院で毎日目にしていた、星の神々のシンボルと同じデザイン。
この部屋は、まさか――?
「中で、お待ちです」
それを聞いたとたん、とくんと胸が弾みました。
彼が、中で待っている――
ウォルダートさんが静かに扉を開けます。
「ん」
騎士が振り向きました。わたくしを見て、嬉しそうに微笑むその顔。
子どものように弾んだ声で、彼は両手を広げました。
「待っていたぞ。ここがあなたの部屋だ、巫女」
シェーラの託宣に、騎士に関する噂。わたくしの選ぶべき道……そんなようなものがないまぜになって、本当に頭が回っていなかったのです。
……そうでなければもう少し早く疑問に思っていたはずです。騎士はいったい、どこに行こうとしているのか、と。
騎士は途中で馬車をつかまえました。そのときは、人に姿を見られないために馬車に乗るのだと呑気に考えていたわたくしでしたが。
違いました。単純に、目的地まで少々距離があったのです。
*
「……ここは、どちらのお宅ですか?」
おそるおそるそう尋ねると、騎士は胸を張りました。
「俺の家だ」
「――――ええと?」
「だから、俺の家だ」
わたくしは絶句しました。はしたないながら口をあんぐりと開けて。
「だって『羽根のない鳥亭』は……」
「あれは実家だ。今の俺は一人暮らしだ。使用人はいるが」
そう言って、門をくぐる騎士――。
わたくしはその後を追えませんでした。足が地面に根を張ったように動きません。
あまりの衝撃に、呼吸さえ忘れそうです。あっけにとられたまま目の前の家を見上げます。
――お屋敷、です。
いえ。豪邸、と呼ぶべきでしょう。
町外れにどんと居座った建物。大きすぎて建物の端を見つけるのに苦労します。おまけに壁や屋根にほどこされた彫刻や細工――シェーラの家の別荘と同じくらいか、下手をしたらそれよりも豪華かもしれません。
王都の中央を外れたところにあるので不便ではありますが、その分周囲を豊かな常緑樹の自然に包まれ、目に優しい色の壁は冬のこの時期でも寒々しさを感じさせません。
正直なところ、騎士には似つかわしくない趣味のよさです。
「巫女、どうした? 入らないのか」
「……そのう、このお住まいにはいつから?」
「魔王討伐の褒美にもらったんだ。手配に時間がかかったから一年は経っていないがな」
「………」
「元々はどこかの貴族の家だったのを改修したらしいぞ。アレスが絶対に嫌だと言い張ったので俺に回ってきた」
「な、なるほど」
アレス様に贈られた屋敷というのなら納得できます。国を救った勇者にはそれぐらい必要でしょう。
いえ、もちろん騎士もそれに値するのですが――なぜか、騎士に豪華な褒美が贈られるところが想像できなかったのです。
それにしても……勇者様一行に褒美が贈られたということは。
「では、カイ様も何かいただいたのですか?」
「ああ。あいつは末の王女との結婚を勧められていたな」
「!」
ぎくりとわたくしの心臓が跳ねました。末姫ということは、エリシャヴェーラ様ではありません。でも……
騎士はわたくしの手を引きながら、軽い口調で話します。
「断固として断っていたぞ。代わりに終身宮廷魔術師である権利をもらったはずだ。他には店をもらったやつもいる。でかい宝石の原石を国に探させたやつもいる」
「アレス様は……?」
「あいつは一番地味だ。今後日常生活に一切関わってくれるなという契約」
わたくしは感心しました。何とアレス様らしい望みでしょうか。勇者ともなれば、放っておいてはさぞかし周囲がうるさいに違いありませんし。
「俺は何でも良かったから家にした。とりあえず将来嫁に来る人が喜べばそれでいいと――さあ、じっくり見てくれ。ここが俺たちの家だ」
呼び鈴を鳴らすと、重い扉がしずしずと開き、使用人らしき男性が現れました。
頭を下げた男性が、ちらりとわたくしを見、それから騎士を見ます。
騎士は軽くうなずいて、
「ようやく連れてこられた。彼女が俺の妻になる人だ」
「ま、待ってください! わたくしはまだ結婚するなんて――」
「……お待ちしておりました」
まるでわたくしを遮るように、男性が口を開きました。
痩せた壮年の男性です。髪に白髪がまじっています。わたくしに向かって頭を下げたあと、柔和に微笑み、洗練されたしぐさでわたくしたちを中へと促します。
「どうぞ、お入りくださいませ」
わたくしはもはや目もくらむような思いでした。一歩足を踏み入れれば、修道院とは別世界が広がっていく――。
空気が違う。そんなことを他人の家に本気で思う日が来るとは思いませんでした。
今思えばシェーラの家は、まだ庶民的だったのかもしれません。何しろシェーラのような女の子が育つ環境ですし。
磨き抜かれた壁や調度品。騎士の家としては意外なほど美しく保たれています。異国のものもふんだんに取り入れながらも、決して部屋のバランスを失っていません。以前住んでいた貴族がよほど趣味のいい人だったのか、それとも今の使用人に品のいい人がいるのか……(間違っても騎士の趣味とは思えませんので)
部屋はいくつあるのでしょうか、数える気にもなれません。
雨雲が近くなり少し暗くなったせいか、使用人さんが燭台に火を入れています。壁に映る炎の照り返しさえ美しい。見たことの無い観葉植物がその緑の葉をつやつやと光らせ、たっぷりと世話をされていることを誇っています。
右を見ても左を見ても……どこを見ても手抜きの跡などまったく見えないのです。いっそ目がちかちかするほどに。
「き、騎士はここで暮らしているのですね」
わたくしが呆然としながら言うと、騎士は困ったように唸りました。
「まあそうなんだが……」
「……? 何ですか?」
「……あまり帰ってきていないんでな。使用人たちの好きにさせてる。そうしたらいつの間にかこんな家になっていてな」
「………」
「そこの男、ウォルダートと言うんだが、趣味はすごくいいが無類の掃除好きなんだ。他の使用人もなぜかみんなそういうやつらでな……目がちかちかしてくるだろう?」
「!」
目がちかちかする。まさに今わたくしが思っていたことです。
同じものを見て同じ感想を持つ――。この、普段まったく理解不能な騎士を相手にもそんなことがあるなんて。
どうしよう。……嬉しい。
そんな風に思った自分が恥ずかしくて葛藤しているわたくしをよそに、ウォルダートさんがすまし顔で口を開きます。
「心外です。私どもは旦那様のおため、できることを最大限させていただいているのみ」
「いいやお前は絶対自分の趣味だ。まあ悪い趣味ではないがな」
「滅相もない。国でも一等有名な旦那様が家に帰ってくるたび片身の狭そうな顔をなさるのを見るのが楽しいだなんて、使用人一同誰も思っておりませんよ」
「前言を撤回する。お前ら全員趣味が悪すぎる」
騎士が低い声を出すのが、気に入らない相手を威嚇する犬のようで、わたくしはぷっとふき出しました。騎士をやりこめられる人たちがいるなんて、世の中は広いものですね。
くすくすと笑っていると、騎士がわたくしを見て表情を和らげました。
「良かった。少しは気分が晴れたか?」
「え……」
「いや、まだ少し顔色が悪いか」
わたくしの顔をまじまじとのぞきこみ、眉間にしわを寄せます。
「……化粧のせいでよく分からんな」
そう言えばまだ変装したままなのでした。いつの間にか慣れてしまっている自分がちょっと怖い。
「よし、まず変装を解こう。どのみち今日はもう出かける予定はないからな」
「え――」
ウォルダート、と騎士は彼を呼びました。
「彼女の化粧を落として着替えさせてくれ。気張らず楽なかっこうで――ああそうだ、この間仕入れた修道服にしよう」
「しゅ、修道服……?」
「ん? いやもしも修道女をやめても巫女ならあの格好をしたがるんじゃないかと思ってな」
「………」
や、優しいのかもしれませんが……
何だか、目のつけどころがおかしくないですか? この人はわたくしが年中修道服でいても許すつもりなのでしょうか。
「かしこまりました」
ウォルダートさんが「どうぞこちらへ」とわたくしを促します。
「よろしく頼む。終わったら例の部屋へ案内してくれ。俺もそこで待っている」
そう言って、騎士は一人建物のどこかへ消えてしまいました。
(騎士……)
彼がいなくなると、急に心細さが襲ってきました。
思えばお屋敷に入ってからずっと彼はわたくしの手を引いてくれていたのです。見知らぬ豪邸の中にいる不安を、それが和らげてくれていたのは間違いありません。
今は空になった手を見つめます。まだ、彼のぬくもりが残ってる――。
ウォルダートさんがふとわたくしの顔を見つめ、
「……変装なさっているのですね。素顔を出せないのはさぞかしおつらいでしょう」
「い、いえ、そんなことは……」
慌てて否定すると、白髪交じりのウォルダートさんはふんわりと微笑みました。
「この家では隠すことは何もありません。あなた様の家でございます。どうぞ、そう思って楽になさってください」
「―――」
「それでは、参りましょうか」
うやうやしく礼をして、先を歩き出すウォルダートさん――。
わたくしはその細い背中を見つめました。
彼が優しいのは、騎士が優しいからなのでしょうか。騎士はいったい、この家の人たちにわたくしをどう説明しているのでしょう。
もしもこの家に入るのなら――
この人たちが、わたくしの家族になる。
「………」
ざわめく胸の上に手を置いて、ひとつ深呼吸。そうして、わたくしはゆっくり歩いてくれるウォルダートさんの背中を追いました。
一室で化粧を落としてもらい、湯浴みをさせていただき、着替えを女性の方に手伝ってもらって小一時間。
服は本当に修道服が用意されました。喜んでいいのか分かりませんでしたが、鏡に映った自分は完全に修道院にいるときの自分でした。
それを見るとほっとしてしまう。何だか、あるべき自分に戻ったようで。
(……やっぱり、修道女でいたいのかしら。わたくしは……)
「御用意はお済みですか。アルテナ様」
ノックのあと部屋が開き、ウォルダートさんが入ってきます。
「これからどこへ?」
わたくしは気になっていたことを尋ねました。
するとウォルダートさんは目元にしわを浮かべて笑みを深くし、
「いらっしゃればお分かりになります。参りましょう」
と腕を部屋の外へ向けました。
広い階段を昇り、一度だけ曲がったあと、まっすぐ行った先――
「こちらです」
ウォルダートさんが、大きな扉の前で立ち止まりました。
「これは……」
わたくしは息を呑みました。扉の意匠。見覚えのあるデザインです。
……修道院で毎日目にしていた、星の神々のシンボルと同じデザイン。
この部屋は、まさか――?
「中で、お待ちです」
それを聞いたとたん、とくんと胸が弾みました。
彼が、中で待っている――
ウォルダートさんが静かに扉を開けます。
「ん」
騎士が振り向きました。わたくしを見て、嬉しそうに微笑むその顔。
子どものように弾んだ声で、彼は両手を広げました。
「待っていたぞ。ここがあなたの部屋だ、巫女」
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