私が贈る準イベリス

夜月 真

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9月24日

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9月24日



 昨日の体育の疲れが身体に残っていた朝だった。カフェに行くことが自分の中で軽く義務感を抱いていた。

「みんなの住んでいる所はどんなところなの?」

 ふと気になったことだった。私の実家は山が近くに見え、盆地に近かった。お店が少ないだとか、移動には車が必須というわけではないけれど、もう少し発展してほしい気持ちはどこか持っていた。

「うーん、僕は完全に山だからなぁ……。強いて言うなら、山の頂上から見下ろす人間の町はキラキラしていて綺麗だよ」

 話を聴き進めると、ダッチの町は意外にも都会に近かったようだ。私はモカの昔話を思い出し、あんまり山から下りないようにとだけ伝えた。

 私達の所は……、と話し始めるラテに耳を傾ける。大体いつも兄弟一緒だったけれど、今日はモカが欠席だった。



「私達のところは、とても大きな水溜まりがあります。以前それを海、とマスターに教えていただきました」

 ラテの話を聴き進めると、どうやら山から歩いてすぐのところに海岸が見えるそうだ。海とは縁のなかった私にはとても興味のある話だった。

「俺には訊かねぇのか?」

 ラテの話ばかり聞いていた私はウィンにヤキモチを焼かれてしまった。

「ごめんごめん、ウィンはどうなの?」

「うーん、なんもねえぜ」

 なにそれ、と笑う私に強いて言うならと話を続けた。

「でっかい化け物がものすごい速さで走ってるぜ。しかもそいつら同じところをいったり来たりしてるんだ」

 その化け物というものは車だとすぐに理解した。そしてさらに詳しく聞くと、きっと高速道路沿いにある山に住んでいるのだと想像できた。



「みんな住んでいる場所が違くても、こうして一つのテーブルに身を寄せて話し合えてるのが不思議ね」

 私の言葉はみんなにはわかってもらえなかった。きっと地球の広さを知っている人間の私だけの価値観だったのだろう。

「もうこんな時間、ごめんね、私この後用事あるからそろそろ行くね。またねみんな」

 私は椅子をお尻で押して立ち上がった。

「そうだラテ、今日あなたの町に行ってみてもいい? 海が見てみたいの」

 もちろんです、どこか歓迎してくれたような表情に私は胸が躍るような気分だった。

 カフェから抜け、スマホの電波が入ると私はすぐさま彼に連絡を入れた。

 そしてその夜、私とラテ、彼の三人は日差しの眩しいカフェへと集合した。雨が降り始めていた空模様だけが心配だった。

 ラテの案内の下、私は未知の世界へと足を踏み入れている気持ちだ。だんだんと暗くなるその経路は私の好奇心と不安を煽る。



 到着を教えるようなラテの鼻息と同時に現れたのは神社の鳥居だった。どうやら私達はとても小さな神社の敷地内にある洞穴から出てきたようだった。どうしてこんな洞穴があるのかすら謎だったが、私達は足を止めることは無かった。

 鳥居に向かって一礼する彼に私も真似をして頭を下げた。お父さんから鳥居を通るときは必ずそうしろと伝えられた、と言っていた。

 街灯もほとんどなく、薄暗い道をラテの後ろについて歩く。二人と一牙の足音、そして虫たちの鳴き声だけしか耳に入らない。辺りには田んぼやビニールハウスだけだった。

 ようやく現れた道路照明塔に、彼の顔とラテの硬そうな毛並みがはっきりと確認できた。



 水がどこからか流れるような音に、私は誰もいない道路を走って横断した。

 見渡す限りの一面には、決してなくなることは無いであろう広い水溜まりが優しく砂浜に打ちつけている。

 海面が歪んだ鏡のように三日月を反射させながら、潮の香りが鼻の奥を刺激する。

 一つ大きく息を拭くラテが後ろ足の踵を返している。

 ありがとうと一言言うと、山へ向かって走り去ってしまった。彼と二人きりになったことに少しだけ緊張が生まれた。

 私達は道沿いにあった階段から砂浜へ降り立った。足元の白い地面を掬うと、想像していたよりもはるかに細かく、お互いから離れ合おうとする砂を、私は手の平から零してしまう。

 目先にあったコンクリートの段差にお尻を着け、私達は足を伸ばした。重たい潮風に揺られた私の髪が彼の顔を襲った。

 うわっ、と声を漏らす彼は大袈裟に驚いていた。



「あはは、ごめん」

 乾いた笑顔で私はポーチから取り出したヘアゴムで髪を束ねた。後ろで手をつく彼は胸を逸らして遠くを見つめている。

「颯君って、普段どんなこと考えてるの?」

「……え?」

 前のめりで私は彼の視界を遮るように覗き込んだ。

「いや、いつも何考えているかわからない顔してるから」

「なんか失礼だな」

 微笑してうーんと唸る彼は考えた後に、自分でもわからないと答えた。納得のいかない私はある提案を彼に持ちかけた。



「じゃあさ、相手の心じゃんけんしようよ」

「相手の心じゃんけん?」

 首を傾げる彼に私は両手を使って説明した。

「そ、じゃんけんするんだけど、先攻と後攻を決めるの。攻撃は、相手と同じ手を出したら勝ち。つまりあいこが勝ちになるの」

「なるほど、そういうことか。けどそれ普通のじゃんけんでいいんじゃないの?」

「……本当だ」

 ポンコツなアイデアに、二人で笑顔を見せあった。

「まあちょっと違ったじゃんけんってことにして!」

「ちなみに負けたらどうするの?」

 波が強く浜辺を叩いた。



「負けたら、相手の質問に嘘をつかずに答えなければなりません」

 照れてしまいそうな顔を必死に堪え、爪を隠すように人差し指のお腹をピンと立てて見せた。

「どんなことにも……?」

「お互い公平だから当然!」

 私は彼の気持ちが知りたかった。だから不器用な私にはこんな方法でしか聞き出すことができなかったのだ。半ば無理やり始めたじゃんけんは、彼が先攻ということで納得してくれた。

 じゃんけんポイの合図で同時に出した二本の指は、彼の握った拳とは異なっていた。

「はい、じゃあ次、私の番ね」

 私達は勝ち負けを繰り返し、3ターン目で彼に同じ手を出されてしまった。

「……あいこだ。じゃあ何か、私に質問していいよ?」

 彼は空に寝転ぶ高い雲を見上げて考え込んでいた。



「そうだなぁ、貰ったら嬉しいものは?」

 悩んだ時間とは期待外れなものだった。

「そんなのでいいの? うーん、これから寒くなるし、暖かくなるようなもの……とかかな」

「そうなんだ……」

 素っ気ない態度がどこか違和感だった。

「はい、じゃあ次私の番ね!」

 このターンでも私は彼と同じ手を出すことができなかった。

 再び彼の順が終わり、私の番になると、どこからか聞き覚えのあるメロディーが空気を変えるように広い砂浜に鳴り響いた。



「ごめん、友達からだ」

 彼は今取り込んでいると言ってすぐに電話を切ってしまった。

「いいの? 友達でしょ?」

「うん、今は翠さんとの時間だから」

 水が優しく打ち寄せる音が心地よかった。こんなゲームで相手を知ろうとする私が馬鹿馬鹿しい。

「ごめんね。こんなことに付き合わせちゃって」

 首を傾げた彼は、どこか不思議そうな顔をしていた。

「そう? おもしろかったよ。このゲーム翠さんが考えたの? だったらすごいよ。あいこで勝負をつけるなんて」

 彼の言葉はどこか静かだった。静かな秋の始まった夜に、私の心はまたしても彼に奪われてしまった。

「じゃあ帰ろっか」

 私が立ち上がろうと、地面に着いた腕に力を込めると彼が口を開いた。

「いいの? 翠さんの番まだだけど」

 自分の首を絞める発言に、思わずプッと吹き出してしまった。



「そっちこそ、自分を苦しめてどうするの」

 笑う私に対し、彼は真剣な表情だった。

「勝負だから、ちゃんと最後までやらないとどこかモヤモヤしちゃうんだよね」

 ふーん、そう言って雑に見せた手のひらは、彼と同じ形をとっていた。マグレにも勝ってしまった私はどこか信じられなかった。

「じゃあ翠さん、質問をどうぞ?」

 躊躇いのない彼の視線に、どこか緊張してしまう。

 ……私の事、どう思ってるの? そう言いかけて、何もない口の中を飲み込んだ。ようやくできたチャンスを私は掴むことができなかった。悩んだ末に出てきた言葉は私にとっても意外なものだった。

「将来、絶対幸せになってよ?」

 ポカンとした彼は一息遅れて驚いていた。



「……え? 質問というかほぼ命令じゃん」

 込み上げるような笑いに彼もじわじわと笑顔を作っていた。どういった意図で生まれた質問なのか、私にもわからなかった。

 静かな波のテンポに心が奪われそうだった。重心を支える手の数センチ先には彼の指先が待っている。触れてしまいたい気持ちが身体の奥で私を揺るがす。

 しばらく歪んだ三日月を眺めた後に、寒くなってきたし帰ろうか、と言って彼が沈黙を終わらせた。

 帰り道、薄く伸びる二つの影は不思議と距離が近かった。彼は今何を思い、どんな感情なのだろうか。その指の先には、私を待っていたりしないだろうか。期待の想いを誤魔化すように口から言葉を吐き出した。

「ねえ?」

 ん? と振り向く彼の顔をハッキリと目視できない。



「もし、自分で小説を書くとしたら、どんなプロットにする?」

 唸って考える彼の横で、私自身も考えてみるが、とても華のある物語は書けそうにないと気づいた。

「もし自分の小説があるとするなら、二作品にしたい」

「二作品?」

 私は見えにくい彼の顔を覗いた。

「うん、例えば、一つの物語を二つの小説に分けて書きたい」

「どうして?」

「ヒーロー視点のありがちな物語があるなら、悪役視点の物語もあったらより一層内容に深く入り込めそうじゃない?」

 彼らしい独特な思考に、おぉー、と声が漏れた。

「颯君の小説、気になるな」

 僕には文才が無いから無理だよ、そう言う彼の発言を無視するかのように、私はまた彼に言葉をぶつける。



「ねえ?」

「なに?」

 語りかけるようなその横顔は、どこかいつもよりも増して素敵に見えた。潮風で顔がべたついている。緊張の汗がそれをより気づきやすくさせていた。

「来世とか、来来世でも仲良くしてくれる?」

 返答に困る彼を見て自分の口から飛び出した質問に後悔が走った。蛙の鳴き声がうるさい程に鼓膜を震わせる。

「……何度生まれ変わったとしても、翠さんとこんな夜を歩きたいかな」

 予想外の返事に顔が火照ってしまう理由を、私は夏の残りだと決めつけた。
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