君に待つ花言葉

夜月 真

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5月6日(第一話)

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 何が欲しいか。そう訊かれても、僕にもわからない。

 放課後、今日は自宅から4駅先のカフェに向かっていた。

 電車には同い年くらいの制服を着た人がたくさん乗っている。中には自分と同じ制服の人もちらほらいる。

 他人の声が耳に入り込まないようにイヤホンを付ける人もいれば、グループで学校の出来事の話で夢中の人達もいる。



 僕はそんな電車の中から、ただひたすらに窓の外を眺めるのが好きだった。

 電車の外の世界には、乱層雲が広がっている。きっともうすぐ雨が降り始めるだろう。

 窓越しから見える景色の中には、知らない住宅街、知らない子ども達、知らない店がちらほらと現れては、また隠れる。

 僕が一瞬しか見えていないこの景色のなかにも、物語があって、知らない人達の人生が作られている。そんなことを連想させてくれる電車の窓から見られる景色が好きだ。



 窓の外を見ているうちに電車は目的の駅に着いた。

 ボタンを押さないと開かないドアの電車は都会の方では見たことがない。少し田舎ならではの電車だ。

 ブレザーのポケットからスマホを取り出し、カバーの裏にしまってあるICカードを改札にかざしてホームを抜けた。

 これから向かうカフェを目的地にセットする。徒歩3分ほどで到着するようだ。

 僕はスマホをちらちら見ながら足早に道を歩いていた。電車の窓越しに見ていた雲は迫力を増しているような気がする。



 空の機嫌を気にしながら向かっていると、目的地にはあっという間にたどり着いた。

 住宅街にひっそりと建てられたようなカフェには、駐輪場すらもない。

 まるで家の玄関ドアのような扉を開けると、扉はカランカランと音を立て、一人のおじいさんと目が合った。

 僕は少し驚き、会釈をした。

 いらっしゃい、お好きな席へどうぞ、と微笑んで迎え入れてくれた。

 僕はカウンター近くの壁際のテーブル席へ腰を休めた。木製のテーブルに木製の椅子だ。

 席からは窓を通して外が見えた。よく見ると店のすぐ隣には川が流れている。

 店には僕と店主以外は誰も居ない。



 あまり広いとは言えない店に、誰も弾くことは無いであろう埃を被ったピアノと、登山関連の本が置かれており、壁には山頂から見下ろされた景色の写真が飾ってある。

 訊かずとも店主は登山が趣味なのだとわかった。

 質素な店にはBGMが流れており、曲名はわからない。

 小さなメニュー表がテーブルに置かれていたので、手に取って眺めた。

 アイスコーヒー、ホットコーヒー、ミルク、エスプレッソ……。僕がメニュー表の文字を眺めていると、店主が水を持って笑顔で話しかけてきた。



「おいくつですか?」

 僕は唐突な質問に驚きつつも、最近学年が上がったことを思い出して答えた。

「高校2年生です」

「まあお若い。その歳でこんな素朴な店に来てくれて嬉しいです」

 店主は終始笑顔で話してくれた。

「ご注文はお決まりですか?」

「すみません、まだ決まっていません」

 僕は少し急かされている気がして、メニュー表へ目を向けなおした。

「失礼しました。お決まりになりましたらお声かけ下さい」

 申し訳なさそうに店主は去ろうとしたが、窓の方を見ながら話を続けた。

「もうすぐ雨が降りますね。しかもそこそこ強い雨のようです」

 僕も店主の目線を追うように窓の方に目を向けると、窓に雨粒が一滴ついた。

 僕が雨粒から逃げるように目を背け、メニュー表を見ると、一つのメニューの文字に目が釘付けになった。



「……カプチーノで……お願いします」

 自分でもどうしてすぐに決められたのか分からなかったが、その文字に誘われるように注文した。

「かしこまりました」

 店主は笑顔で厨房に戻っていった。

 僕は店主の背中を見送ると、窓に張り付く雨粒が増えていることに気づいた。そこから2分くらいだろうか、次第に雨が窓枠を叩く音が強くなっていってるのが耳に伝わった。

 僕はカプチーノが来るまで店の中を見回した。

 席の近くに置かれているピアノを最後に弾いたのは誰だろう。登山関連の本はどんな人が手に取るのだろう。

 そんなこと考えていると、入り口の近くの出窓に花が置かれていることに気が付いた。



 白い花瓶に添えられた二本の花は薄紫色の花びらを飾り付け、一本は窓の外を眺め、もう一本は店の中を見守っているように見えた。その花が妙に気になった。

 僕がその花に意識を向けていると、コトンとテーブルから音が聞こえた。振り向くとテーブルには白いカップに入ったカプチーノが置かれていた。

「あれは、リューココリネという花だよ」

 カプチーノを置いた店主が、僕の思考が読まれているかのように口を開く。

「リューココリネ……初めて聞きました」

「私も調べてみて初めて知ったんだ。あの花は私が買ってきたものでもなく育てたものじゃなくてね」

「では誰が持ってきたんですか?」

 僕が質問すると、店主は眉根に力が入り、不思議そうな顔で答えた。



「それが、わからないんです」

「え……?」

「あるときから、たまに店の前に花が置かれるようになってね。本当に心当たりがないんだが、特に悪いことも起こらないから飾っているんです」

 僕自身も少しこの話が気になり、誰だろうと考えていると店主が話を続ける。

「さらに不思議なことに、その花の開花時期とは反対の時期に置かれているんですよ」

「……どういうことですか?」

「リューココリネは普通、4月頃に花を咲かすんです。しかし、この店に来た花は秋に置かれていて……」

「え!? それまで枯れずにあるんですか!?」

「そうなんですよ……。あ、長話がすぎましたね。冷めないうちにどうぞ」

「あっ……」

 僕はその奇妙な話からカプチーノの存在を忘れかけてしまっていた。

「いただきます」

 手を合わせ、白いふわふわの泡に乗ったシナモンを見つめて呟いた。

 僕はふわふわの泡に上唇をつけ、見えなかったコーヒーの部分を口に流す。

 甘みがあって、高校生の僕にはとても飲みやすかった。

 泡しか見えていないのに、口に流すと確かに泡の下にはコーヒーがある。カプチーノを改めて不思議に思った。



 僕は窓の外で雨を落とし続ける曇り空を眺めながらそんなことを考えていた。そして奇妙にこの店の前へ花が置かれていたことも。

 僕はゆっくりゆっくりとカプチーノの味を愉しみながら、雨音を静聴した。

 テーブルの木目、窓に映る反射した電球の光、窓に滴る雨粒、誰も弾いていないピアノと、あちらこちらに視線を変え、味を愉しむ。

 カップの縁から伝わるわずかな温かみ、液体の苦味、僅かなシナモンの香り、空から降る水が地面を叩く音、それらの存在を肯定するように僕の目にはすべて入り込んでくる。

 20分ほどだろうか。僕はカプチーノを飲み終え、本に夢中になっている店主にお会計をお願いした。

 店主は厨房の方から僕にお礼の言葉と値段を伝えて笑顔で立ち上がった。

 僕は新品のリュックから青色の長財布を取り出すと、ふと店主が読んでいた本が気になった。



「これでお願いします」

「はい、1020円、お預かりします」

 店主はお金を持って厨房の入り口付近にあるレジに向かった。

 僕は席に座ったまま財布の中身のお札の枚数を数えると、気分が落ち込んだ。

「3枚……」

 胸の中で千円札の中身を確認した。全財産というわけではないが、財布の中身が乏しいのはやはり少し悲しさがある。

 僕の財布の中の紙に描かれた人の顔はいつも同じ人である。

「600円のお返しです」

 店主が手の平と小銭でレシートを挟んでお釣りを持ってきてくれた。

「ありがとうございます。……あの、何の本を読んでいたんですか?」

 僕が店主の顔を見ながら質問すると、店主は少し驚いたのか眉を引き上げ、厨房まで本を取りに行ってくれた。



「花の辞典だよ」

 少し古びており、辞書よりも少し薄いくらいの本の表紙を僕に向けながらこちらに戻ってきた。

 僕の前に立つと、中をぱらぱらとめくりながら話を続けた。

「私は花の名前に疎くてね、店の前に花が置かれるようになってからこうして花の名前とか、花言葉を覚えようと思ってね」

 本を眺める店主の顔は、どこか嬉しそうで、どこか寂しげであった。

「ごちそうさまでした、おいしかったです」

 僕が立ち上がり、椅子をテーブルの下に隠しながら言うと、店主は夕方にもかかわらず笑顔でいってらっしゃい、と言ってくれた。

 カランカランと、扉は店を入る時と同じ音を立て、僕は店の前でリュックから折り畳み傘を出し、開いた。



 僕は雨が降り続ける薄暗い道に向かって足を出し始めた。

 一歩、また一歩と足を前に出すたびに雨粒が靴とズボンの裾に着地する。

 帰るころには靴下まで染みていることがすでに想像ができた。

 駅に歩いている最中、僕は傘を背中側に傾け、雨が自分に突っ込んでくるのを気にせず、空を眺めてみた。

 雨雲の中から確かに落ち続ける水滴は、まるで落ち行く道を決められているかのように迷うことなくまっすぐ降り続けている。

 僕は特に何かを深く考えることもせず、駅についた。

 下り電車を待つ駅のホームには金髪でショートカットの女性、スーツ姿の男性、学生など電車を待つ人が三十人ほど立っている。

 僕は改札から右にも左にもいかず、ただ改札の正面の乗車口で電車を待つことにした。

 傘を閉じ、電車を待つ間、僕は雨が降り続ける空を見上げてまたあの事を考えていた。



「リューココリネ、初めて聞く名前の花だった。誰が……何のために……」

 答えが出るわけでもないのに僕は電車が来るまで考え続けた。10分ほど経つと電車は到着し、減速しながら僕の正面に扉を運ぶ。

 僕は扉横のボタンを押して電車の扉を開けた。その車両からは誰も下りず、車両の人口密度がほんの少しだけ上がった。

 帰りの電車の中、ほとんどが学生だった。知っている制服もあれば知らない制服もある。

 周りを見渡した後、電車の窓から外を覗き込んだ。空が暗い分、電車の中の光が反射し、外が見えにくかった。



 20分くらいだろうか。ぼうとしている間に電車は家の最寄り駅に到着した。

 駅には五十人ほどの、それなりに多い人数が下車した。

 僕はホームから改札に向かう階段を下り、スマホのカバーに入れているICカードを改札にかざして駅から出た。

 折り畳み傘を開き、家に向かう。

 帰り道の雨はそれほど強くはないが、傘なしでは帰るころにはびしょ濡れになってしまうほどだ。

 五月雨というのだろうか。雨は僕が帰る間しとしとと降り続いた。街灯が付き始め、光に反射する雨脚はとても奇麗だった。



 見慣れた道を歩き、家に着いた。制服のズボンがびしょびしょだ。

 僕は帰宅するとまず洗面所に向かい、そこで手を洗ってうがいをする。僕が小さいころからの習慣だから、これをしないと気持ちが悪い。あとは僕が軽度の潔癖症だからかもしれない。

「おかえりー」

 帰宅すると母はいつもこの言葉を僕にくれる。

「ただいま。あの二人は?」

「まだ大学と塾よ」

 台所で夕飯の支度をしていた。

「あー、そっか」

「何か用でもあるの?」

「ううん、ただ訊いただけ」



 僕には4つ上の姉と1つ下の妹がいる。

 あの花の話をしようと思っていたが、まだ家に帰っていないならしかたない。

 2階の部屋に戻って下着と部屋着を手に取って1階の脱衣所に向かった。

 脱衣所で制服を脱いで乾燥機の電源を付ける。少し古い乾燥機だが、まだまだ現役だ。

 20分ほどでシャワーだけで済まし、フェイスタオルで頭を拭き、バスタオルで体に着いた雫を拭きとった。

 部屋着を着て、ドライヤーで髪の毛を乾かし、煎餅をつまみながら報道番組を目に通す。

 ニュースはつまらない。ほとんどがマイナスな出来事しか流れないからだ。

 しかしだからこそ僕は見てしまう。つまらない人間ということは自分でもわかっていた。

 しばらくテレビを見ていると姉の美月みづきが帰ってきた。



「疲れたー今日のご飯何? あっ唐揚げだ、ナイス!」

 一直線にキッチンに向かう姉と母の会話が聞こえた。

「早く手洗ってきちゃいなさいよ」

「あーはいはい」

 美月と母の会話を横に、テレビを見続ける。

 美月が洗面所に向かうと同時に僕は自分の部屋に戻った。

「もうお風呂入ったの!? はや! いいなぁ高校生は」

 僕が洗面所の前を通り過ぎた後、僕に聞こえる声で独り言を呟いていた。

 部屋に戻り、パソコンで花について調べてみる。自分でも取りつかれたようにあの花に執着しているとわかっていた。

「リューココリネ……と」

 検索エンジンにはあの花についての情報が山ほど出てきた。

「育て方……種類……花言葉……販売……」

 特にあのカフェの店主が言っていたような不思議体験が書いてある記事はなかった。

「まあ、そりゃそうか……」

 ピコンっとスマホがカバンの中から鳴った。

 取り出してみてみると、中学校からの仲の大地からメッセージが届いていた。ロック画面から内容を確認する。



【四時の空がライブやるらしい!! 一緒に行こうぜ!!】

 “四時の空”は大地がずっと好きだと言っているバンドだ。正直言って他人の好きなものに興味がなかったから、断ろうと思った。

 断りの返事を考えるのが面倒で、後で返事をしようと、ベッドにスマホを投げ捨て、また1階に下りた。階段を降り始めると妹の愛花あいかが帰宅した。

「おなかすいたー!!」

 大きな声で愛花はキッチンに向かった。

「この家には同じ頭の人しかいないのか……」

 そんなことを思いつつ、僕もリビングに向かった。

「あ、お兄ちゃん、今日唐揚げだよ! 早く食べよ!」

「だから降りてきたんだよ。とりあえず手洗ってこい」

「あ、そうだった!」

 跳ねるように洗面台に向かった。

 なぜこんなに元気なのだろうかと考えていると、洗面所で水が流れる音が聞こえた。



『いただきます。』

 四人で宅を囲み、食べ物を口に放り込んでいく。

 愛花がひたすらご飯を食べているのを横に母と姉が大学の話をしている。僕は耳を傾けた。

「明日、サークルの新歓合宿だから早めに寝るね」

「あら、明日だったっけ? ごめん忘れてたわ。何か必要なものある?」

「ううん、もう全部用意してあるから、準備して本当に寝るだけ」

 明日から美月はいないようだ。

 僕は今日カフェで聴いた話をしようとしたが、なんだか母には聴いてもらいたくなかった。理由は自分でもわからない。

 夕飯を食べ終わり、今日は愛花が皿洗いの当番だった。

 母は風呂に、美月は自室に行った後、鼻歌を歌いながら皿を洗う愛花に話しかけた。



「なあ愛花、リューココリネって花、知ってる?」

「……ごめん、なんて?」

 目を少しだけ大きく開きながら耳をこちらに近づけ、訊き返された。

「リューココリネだよ、花の名前」

「リュー……ココリネ……?」

 愛花は不思議そうな顔をしながらこちらにゆっくりと顔を向ける。

「やっぱりわからないよなぁ」

「んー、お姉ちゃんならわかるんじゃない?」

「今忙しそうだけど訊いてみるか、ありがとう」

「というかどこでそんな名前の花知ってきたの?」

「生きていたら知りたくなくても知っちゃうこともあるんだよ」

「何それ、まあいいや」

 そう言うと笑いながら愛花は手に持っていた皿の泡を流した。



「あ! 花で思い出した!」

 急に大きな声を上げられ、体が震えた。

「そういえば今日、学校で花の話になったんだけどさ」

 うん、と頷き愛花が続ける。

「薔薇って、渡す本数によって意味がわかるらしいよ」

 なんだそんなことか、と肩の力を抜いた僕に愛花がムスッとした顔でそっぽを向いた。

 僕は廊下に出て階段を上がり、美月の部屋の扉をノックした。

「いいよー」

 扉の向こう側から声が聞こえ、ドアノブを下ろして扉を押した。



 美月は案の定荷造りの最中だった。部屋に入ると姉は振り返り、僕の顔を確認する。

 僕は服をたたみながら小さいキャリーバッグに詰める美月に質問をした。

「リューココリネって知ってる?」

 姉は目を少しだけ開きながら驚いたような顔をした。愛花と同じ反応の仕方から、やはり姉妹なのだなと感じた。

 姉は服をたたむ手を止め、思い出すように天井を見上げて答えた。

「あー、リューココリネね、私もちゃんとは見たことはないけど知ってはいるよ。確か春くらいに咲く花だよね?」

 僕はさすが姉だと思い知らされた。

「すごい、良く知ってるね。何か他に知っていることない?」

 美月は少し笑いながら質問で返してきた。



「なんで急に花なんか? 女の子に渡すならもっと良い花あると思うけど?」

 からかってきているような答えに僕は少しムッとした。

「いや、そんなんじゃないから。ただ今日少し気になる話を聴いたから」

「気になる話?」

 僕は首を傾げる美月に今日の出来事を話した。

「何それめっちゃ怖いじゃん」

 美月は眉をひそめ、顔を少し後ろに引いた。

「誰が何のためにやったのか気になるんだよ。風で飛んできたにしてもおかしな点が沢山あるし」

「そうだよね。けど考えてもわからない事だろうし、たまにそのカフェに顔出してみれば?」

 美月は近づけた眉同士を離し、いつも通りの顔で答えてくれた。

「うん、暇だったらそうしてみる。じゃあ明日気を付けて」

「ありがとう」

 僕は俯きながら美月の部屋を出た。



 洗面所で歯ブラシに歯磨き粉を塗り、口に突っ込み、シャコシャコと音を立てる。

 大地に返事をしていないことに気がついたが、明日学校で直接話すことにして、あとは何も考える気にならなかった。

 ただなぜだか疲れていたのだけは体が教えてくれる。

 歯磨きも終え、部屋に入ってスマホ充電コードを挿して電源を切り、すぐにベッドに潜り込み、そのまま明日を迎えることにした。

 まだ時計の短い針が真っ直ぐ左を指していたことだけ確認した。
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