猫になった私を愛して

たかまちゆう

文字の大きさ
3 / 3

3

しおりを挟む

「この猫、飼いたいんだけど」
 私を抱いたまま達哉君が言うと、お母さんは目を見開いた。
「ちゃんと世話できるの? お母さんも昔猫を飼ってたけど、生き物の命を預かるっていうのは大変なことなのよ」
「分かってるよ。実を言うともっと昔から飼いたいと思ってたんだ。ちゃんと世話する」
「でも……」
 お母さんは躊躇っている様子ではあったが、心底嫌がっているようには見えなかった。
 私が、お願い、という気持ちを込めてニャーと鳴くと、
「ま、まあ……、どうしてもっていうなら飼ってもいいけど」
 と了承してくれた。
「名前はもう決めたの?」
「いや。でもそうだな……、ミヤ、とか」
 私はハッとして達哉君の顔を見上げた。
「気に入ったか? ミヤ」
 達哉君は笑顔で私の頭を撫でてくれた。
「猫だからミャーってわけ? 安直ねえ」
「でもこいつ、呼ばれてちゃんとこっち見たよ」
「前にもどこかでそう呼ばれてたのかしら」
 お母さんはやや呆れた風に言ったが、結局そのまま私の名前は「ミヤ」に決まった。
 後で分かったことだが、このお母さんはかなりの猫好きだった。
 この後餌をくれたり、色々な猫グッズを用意してくれたりと、なんだかんだ構ってくれることになる。
 ちなみに夜遅く帰ってきたお父さんは、特に興味なさそうだったが、家に傷を付けたり粗相をしたりしないように躾けろと言っていた。
 人に見えるところでトイレをするのはかなり恥ずかしいので、なるべく誰も見ていないときにすませるよう気を付けている。
 朝練も授業もテストもない、気ままで楽な生活は、私をどんどん駄目にするような気がして、最初のうちは抵抗があった。
 だが、毎日達哉君が撫でてくれる、この幸せを、捨てることなどできるはずもない。

「おまえ、あんまり猫らしくないなあ」
 家では常に達哉君の後をついて回る私に、ある日達哉君がそう言ったので、私は少し慌てた。
 私は動物を飼ったことなどない上、どちらかといえば犬派だし、今まで猫を間近に見る機会などなかった。
 飼ったことがある生き物といえば、お祭りですくった金魚くらいだし、それも三日くらいで全部死んでしまった。
 だから、どういう行動をとれば「猫らしい」のかなど分からない。
 ――こんなことなら、猫動画でももっと観ておけば良かった……。
 だが、
「この甘えん坊め」
 などと言いながらも、指にじゃれつく私を見て、彼は嬉しそうに頬を緩めていた。
 彼の撫で方は凄く気持ちが良くて、触れられている喜びとあいまって私を有頂天にさせた。
 ある意味、事故に遭う前の望みが叶ったのだ。
 こんな時間がいつまでも続けばいいと、思った。

 しかし、幸せな時というのはいつまでも続かないものらしい。
 家に帰ってきた達哉君の態度や匂いが、いつもと違うように感じる日があった。
 私を撫でてくれるときも、なんだか上の空で、別のことを考えている様子だった。
 何の根拠もないが、女だ、と直感した。
 きっと、好きな人でもできたに違いない。
 それとも、もう付き合い始めたのだろうか。
 いつかはこんな日が来ると、覚悟はしていたつもりだった。
 それでも、私の前で彼が別の女の子のことを考えていると思うと切ない。
 せめてその子がいい子であればいいな、と思った。

「たまには家族で旅行にでも行くか」
 達哉君のお父さんがそう言い出したのは、年末の休みが近づいているある日のことだった。
「あら、いいわねえ」
 お母さんは嬉しそうに賛成したが、達哉君は、
「俺は部活あるし、行かないよ。二人で楽しんできて」
 と言った。
「……そうだな。それもいいか」
 お父さんは意外とあっさり頷き、お母さんも、
「ミヤの世話を頼んだわよ」
 と、うきうきした様子で言った。
 仲の良い夫婦なのだ。
 久し振りの夫婦水入らずの旅が嬉しいのだろう、その後、二人は旅の目的地や日程について、楽しそうに相談していた。

 そして、旅行当日。
 達哉君は、両親を見送った後で、スマホでどこかに連絡を取っていた。
 それからそわそわと身支度を始め、どことなく浮かれた様子で出かけていった。
 明らかに、部活へ行く格好ではなかった。
 デートかな、と考えるとつらくて、私は無駄に家の中を走り回って気晴らしをした。
 やがて、彼が家に帰ってきた。
 ただし彼は、一人の女の子を連れていた。
 私の知らない子だった。クラスメイトだろうか。
 とりあえず、ほんの短期間だけマネージャーをしていたあの後輩ではなかったことに、私はホッとした。
 達哉君と彼女は仲が良さそうだった。
 二人で並んでソファに座り、達哉君が出したお茶を飲みながら、私の知らない人の話をしたり、私にはよく分からないタイミングで二人同時に笑ったり……、二人だけで通じ合っていて、私はとても居心地が悪かった。
 この二人がどんな風に出会って、どうして親しくなったのか。そこには私の知らない何かしらの物語がきっとあって、なのに私は、その物語の一部に関わることすらできなかった。
 それが悲しい。
 私がいなくなっても、関係なく世界は回っていくんだと、見せつけられている気分だった。
 話が途切れたとき、どこか緊張感のある沈黙が漂い、達哉君が彼女の肩にそっと手を掛けた。
 彼女は潤んだ瞳で彼を見つめている。
 嫌だ。見たくない。
 でも、それでも私は、達哉君のそばにいたい。
 だから、だから我慢しなきゃ……。
 だが、二人の距離がさらに近づき、唇と唇が触れそうになった瞬間、
 ――やっぱり耐えられない!
 私は無意識に飛び出していた。
 ――達哉君に触らないで!
 彼女の顔を押し返そうとした私の爪は、彼女の頬に当たり、そこにくっきりと傷を作った。
 やや遅れて、傷口から血が滴る。
 私は動揺した。
 ――違うの、ごめん、そこまでするつもりじゃ……。
 言い訳したかったが、伝わるわけもない。
 次の瞬間、私は達哉君に引っぱたかれていた。
 信じられなかった。
 彼はあんなに、私を可愛がってくれたのに……。
 呆然とする私を引っ掴み、達哉君は窓を開けて、私をベランダへぽいっと放り投げた。
「そこで反省してろ!」
 彼の目には強い怒りがあった。
 それは、いつ本物の憎しみに変わるのか分からないのだ……。
 私は怖くなった。
 これ以上ここにいたら、きっとこの先も、同じようなことが起こるだろう。
 そのせいでもし彼に、本格的に憎まれるようなことにでもなってしまったら、と考えると、たまらなかった。

 ……だから私は、ベランダから飛び降りて、逃げ出すことにした。
 彼は私がいなくなったら、少しは寂しいと思ってくれるだろうか。
 たまには私のことを思い出してくれるだろうか。

 ――もう二度と、帰らない。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は手加減無しに復讐する

田舎の沼
恋愛
公爵令嬢イザベラ・フォックストーンは、王太子アレクサンドルの婚約者として完璧な人生を送っていたはずだった。しかし、華やかな誕生日パーティーで突然の婚約破棄を宣告される。 理由は、聖女の力を持つ男爵令嬢エマ・リンドンへの愛。イザベラは「嫉妬深く陰険な悪役令嬢」として糾弾され、名誉を失う。 婚約破棄をされたことで彼女の心の中で何かが弾けた。彼女の心に燃え上がるのは、容赦のない復讐の炎。フォックストーン家の膨大なネットワークと経済力を武器に、裏切り者たちを次々と追い詰めていく。アレクサンドルとエマの秘密を暴き、貴族社会を揺るがす陰謀を巡らせ、手加減なしの報復を繰り広げる。

婚約者の番

ありがとうございました。さようなら
恋愛
私の婚約者は、獅子の獣人だ。 大切にされる日々を過ごして、私はある日1番恐れていた事が起こってしまった。 「彼を譲ってくれない?」 とうとう彼の番が現れてしまった。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

側妃の愛

まるねこ
恋愛
ここは女神を信仰する国。極まれに女神が祝福を与え、癒しの力が使える者が現れるからだ。 王太子妃となる予定の令嬢は力が弱いが癒しの力が使えた。突然強い癒しの力を持つ女性が異世界より現れた。 力が強い女性は聖女と呼ばれ、王太子妃になり、彼女を支えるために令嬢は側妃となった。 Copyright©︎2025-まるねこ

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

悪役令嬢の涙

拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

短編 跡継ぎを産めない原因は私だと決めつけられていましたが、子ができないのは夫の方でした

朝陽千早
恋愛
侯爵家に嫁いで三年。 子を授からないのは私のせいだと、夫や周囲から責められてきた。 だがある日、夫は使用人が子を身籠ったと告げ、「その子を跡継ぎとして育てろ」と言い出す。 ――私は静かに調べた。 夫が知らないまま目を背けてきた“事実”を、ひとつずつ確かめて。 嘘も責任も押しつけられる人生に別れを告げて、私は自分の足で、新たな道を歩き出す。

処理中です...