死に際

紗雪

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死に際

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 動物は自らの死期を予知するという。猫は死ぬ前に姿をくらますというし、実際に存在するか定かではないが、死期を悟った象が集まる「象の墓場」なんて話もある。

 
 そして俺の父親もそうだったのかもしれないとふと思う。俺が幼い頃に離婚し、男手一つで育ててくれた父親。普段はぶっきらぼうで豪快な人だった。
 忘れもしない、俺が大学2年の頃だった。夏休みに入ってすぐ、突然家に帰ってきてくれと言い出した。特に予定の無かった俺は急いで帰った。そんなことを言う父親では無いため、嫌な予感はしていた。
 急いで家に入ると父親はびっくりしていた。そして満面の笑みを浮かべ、酒を飲もうと誘ってきた。元気に笑い、豪快に酒を飲む父親を見て安心した。
 しかしその翌日、父親は亡くなった。原因も分からず、ただ急死とだけ告げられた。どこか他人事のようにそれを受け止めた。遺影の中で笑う父親よりも昨日一緒に酒を飲んだ父親の笑顔の方が何倍も輝いていたと思った。

 だから俺が懐かしい人に会ったり、懐かしい場所にもう一度行きたいと思ったのも不思議なことではなく、動物の本能かもしれないと思えた。既に手遅れかもしれないが。

 そう思い立ち、早速親友の元へと向かった。さほど時間はかからず親友の勤める工場へと到着する。こいつとの付き合いは20年来の付き合いだった。よく暴走するやつで隣で止めるのが俺の役目だった。お互い違うタイプの人間だが、だからこそ一緒にいて楽しいし、周りからも相性がいいと言われていたっけ。

 少し早めに着いてしまったため、工場の近くを散歩して時間を潰す。ここにも何度か遊びに来ており、親友の上司からはよく食べ物を貰ったりしていた。みんな厳しくもいい人であり、好きな場所の一つだ。
 そんなことを考えていると親友が仕事を終えて出てきた。その顔はどこか疲れたように見え、心做しか少し窶れたようだった。

 「お疲れ。」
 そう声をかけるとちらりとこちらを見た。
 「どうして…。まさかな。」
 「元気ないじゃん。久しぶりに少し歩こうぜ。」

 そう声をかけると少し微笑み、そいつは歩き出した。俺も後を着いて歩く。
 道中色んなことを話した。出会った当時のことや面白かったこと、楽しかったこと…。そうしたことを吐き出す度にそいつは笑っていた。そして次第に辛そうな顔になっていった。
 そいつのいつもの生意気そうな表情は消え失せた。そんな顔はきっと見せたくないだろう。

 「そろそろ行くわ。また今度遊ぼうぜ。」
 途端下がっていた顔がバッと上がった。そして一瞬目が合った。それだけで十分だ。俺は次の場所へ向かった。


 元々俺は仲のいい人が少なく、次にどこへ向かうかは悩まなかった。ずっと付き合っていた彼女の元へと進み出す。彼女とは小学校が一緒であり、当時は多少話すくらいの関係だった。しかし、高校で再会した時から次第に話す回数が増え、気づけば強く惹かれていた。そして念願叶い、付き合うことになった。それも今年で3年目になるところだった。

 彼女は今日は仕事が休みのはずだ。そのため、1人で暮らしているアパートへ向かう。しばらく進むとオシャレな赤いレンガの外壁が目に入る。アパートが決まった時はこの外観を自慢されたっけな。
 そんなことを思いながら彼女の部屋の前に立つ。インターホンを押そうとしたがその手を引っ込める。合鍵は貰っているし勝手に入ってもいいだろう。何より1人で何しているかとても気になる。

 そんなことを考え少しドキドキしながら部屋に入る。入った途端、リビングのドア越しにテレビの音と時々すすり泣くような声が聞こえてきた。彼女だろう。思えばいつも笑っていた彼女の泣いているところは見たことが無かった。1人で家で泣いているのだ。見られたくないし、見せたくもないだろう。面白半分で来てしまったことを後悔し、家を出る。
 また今度でいい。今度会ったら話を聞こう。色んなことを話そう。しばらくそっとしておこう。


 そして最後だ。何かを察したらのか、それとも最初から知っていたのか。彼女のアパートを出ると父親が立っていた。

 「一度帰ろう。」

 そう言われ、俺は涙を堪えながら頷いた。家までの道中長かったがたくさん話せた。父親が死んでから楽しかったことや悲しかったこと。色んなことがあった。それら全てを時々笑いながら聞いてくれた。
 そうしていると、いつの間にか実家の前だった。

 「もう戻ってくることは無い。」

 だと思った。仮に父親が迎えに来なくても俺は一度家に向かうつもりだった。様々な思い出が詰まっている。人生で一番濃い時間を過ごした。

 本当に別れの時が来たようだ。

 親友にはたくさん友達を作ってほしい。彼女には早く新しい人を。
 どちらも俺の代わりだと思うと少し悲しいが、どこか誇らしくもあった。幸せな人生だったと思う。

 そして父親に手を引かれ、意識が闇に落ちていく。もっと早く死に際を悟っていれば…。一つの後悔を残し俺は消えていった。
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