15 / 69
幸せだったかどうか教えてくれない
04
しおりを挟むでもこの世の中にはそういった嗜好の持ち主もたしかに存在する。この間の八色の体験談を揺り返して仏頂面になった龍を、今度は歩のほうがあわあわして励ます。何を言われたところで厳然たる事実なのだから誰にもどうにもできなかった。激しく気に入らないしムカつくけれど、もう俺以外の誰にも姿を見せないでなんてサイコなことはくちが裂けても言えないし不可能だ。困らせるだけ。
わかっていた。自分は見えない恋人であることくらい。そのくせ心のどこかで、いつかは、次は、そうじゃなくなるかもしれないと馬鹿な期待をしていたのに我ながらびっくりした。そんな日は来やしない。知っている。あの家を出るのは誰かとじゃない、龍ひとりでだ。
(苦しい)
自分が中身までこんなに醜い人間だったなんて知りたくなかった。一二三も、龍も、すっかり黙り込んでしまい、歩も相手がいなくてはくちを噤むしかない。三人は葬式のような面持ちで川へ続く道をひたすら突き進んだ。
まだ雨を含んでいるような、ひんやりした空気を頬に感じつつ川沿いへ出た。一応車で入れるようにはなっているが草と砂利の広場はベンチのひとつもない。子ども達がボールで遊ぶには狭いし、本当に犬の散歩くらいしか利用されてなさそうだ。そしてこの時間だからわかるのだが、照明がすくなくて天気が悪いとだいぶ暗い。
黒々と流れる川の両脇に信号のない車道があり、小規模の朱い橋がかかっている。道路沿いに住宅も建ち並んでおり、向こう岸は保育園が見えて、この辺りも降りはしなくても歩くかもしれない。犬がうろついていたら目撃情報が寄せられそうだ。なんだか既に敗けを感じて遠い目をしていると、一二三も「いないかも」と呟くのが隣で聞こえる。
「気配とか感じる?」
「……須恵は魔法使いに対してちょっと誤解してる気がする」
「あー、そうかも。よくわかってねえ。何かの達人?のイメージだった」
「それターザンじゃねえの」
「何だって?」
もうわけがわからない。一日も終盤に差し掛かるとウィルパワーの欠乏から会話も散らかりがちだった。気を取り直してハンドライトを出し、一二三は飼い主に預かっているラッパのかたちをしたゴムのおもちゃも持って、階段から川辺に降りる。雨で滑りやすくなっているので彼女に手を貸しながら、龍はぬかるみを避けなるべく草の部分を踏んで歩く。
低い場所へ移動すると雨と土の匂いが強くなった。青い草の匂いも立ち込めている。地面に光をあて、動物の痕跡はないか念のためさがしてはみるけれど、あまり期待できそうではない。
「げんちゃーん」
「元気くーん、おーい」
人に馴れている犬なので呼び声も出して、背の高い草の隙間や溝の周辺まで覗き込む。段差がわずかしかないため川に入った可能性も考慮すべきなのだろうか。中腰の姿勢が疲れたので立ち上がってぼんやりそんなことを思っていると、視界の端に白っぽいものがちらつく。
それがもこもこしたアウターを羽織った女性と気づくや否や光の速さで歩が寄っていく。フットワークの軽さに感心する。「どうかされましたか?」と話し掛ける声が、いつもより二割増しで気取っていて龍は噴き出した。おなじくすこし離れたところで捜索に勤しんでいる一二三も肩を震わせているのが見える。
「いえ、あの、わたしすぐそこのアパートに住んでるんですけど……上から見てて、何か犬?が溺れてるみたいで……」
「えっ」
「でもどっか行っちゃったかも。今見えないなぁ」
周辺の商業施設や集合住宅の明かりを集めているとはいえ夜の川面は思いの外暗かった。事務所でもうちょっと大型のライトを借りてくればよかったと悔やむ。次からはそうしようと思うのはいいが、気になる証言に龍と一二三も川へ視線を移す。女性は黒縁眼鏡の奥で目を凝らしていた。視力に自信がないなら、見間違いの可能性も否定できないけれど。
「玉山、因みに魔法は」
「……夜で雨とはいえ誰が見てるかわからないから派手なことは無理」
ぽつぽつと再び落ちてきた。歩が自分の傘を女性に差しかけて、一緒に首を伸ばしたり縮めたりしている。龍はパーカーのフードをかぶった。
「あっあれです! ほらあそこ、あの白っぽいの!」
ぴょこっと水面から覗いたり沈んだりを繰り返しているが、増水した川にあってただ流れている様子はないので無機物ではなさそうだ。双眼鏡で確認し、間違いないとわかると居ても立っても居られなくなる。さがしてはいたけれど川の中とは予想してなかった。人生でも初めての状況に動転するなというほうが無理だ。
もしこの女性の他にも家の中から見ている人がいたら、全員の記憶を消してまわらなければならない手間を思うと一二三の言うように派手なことは駄目だ。彼女のおなじく切羽詰まった表情を見つめ、ごく普通に救け出す方法を考える。
「リードあったよな」
「うん、」
「玉山持ってて。あとこれ照らしててくれ」
「えっ?」
0
あなたにおすすめの小説
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
海のそばの音楽少年~あの日のキミ
夏目奈緖
BL
☆久田悠人(18)は大学1年生。そそかっしい自分の性格が前向きになれればと思い、ロックバンドのギタリストをしている。会社員の早瀬裕理(30)と恋人同士になり、同棲生活をスタートさせた。別居生活の長い両親が巻き起こす出来事に心が揺さぶられ、早瀬から優しく包み込まれる。
次第に悠人は早瀬が無理に自分のことを笑わせてくれているのではないかと気づき始める。子供の頃から『いい子』であろうとした早瀬に寄り添い、彼の心を開く。また、早瀬の幼馴染み兼元恋人でミュージシャンの佐久弥に会い、心が揺れる。そして、バンドコンテストに参加する。甘々な二人が永遠の誓いを立てるストーリー。眠れる森の星空少年~あの日のキミの続編です。
<作品時系列>「眠れる森の星空少年~あの日のキミ」→本作「海のそばの音楽少年~あの日のキミ」
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる