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しおりを挟む「でも俺も七緒のこと信じられてなかったんだよな」
「……そうなのか?」
「所詮半年って感じか。別れて当然だわこんなの」
何が彼を失望させたのかわからないのが歯がゆいけれど、そんなふうに言わないでほしかった。ゆるく首を振る明治に杏里はどこかばつ悪そうな顔をして、やわらかく続ける。
「付き合って三ヶ月経ったら同棲しようって話で、それはクリアしたけどちょっと俺が渋ってたら『社会に出てるのにいつまでも実家に寄生してるのもな』って七緒が言ったんだ。だから……まだちょいちょい帰ってるって言いづらくて」
「は? 俺そんなこと言ったのか? うわ……何様だよ」
自分が一緒に住みたいからといってだいぶ無神経だ。明治自身は両親が早くに他界した所為もあり、家が好きという感覚が遠いのもあるけれど、だからといって酷い。お前はそういうのもひっくるめて杏里を愛した筈じゃなかったのかと問いたかった。
そして明治のほうから退路も潰しておいて、いざ始めたら勝手に安心して仕事に没頭。彼の性格からしてかまってほしいなんて言えなかったろうに、不満を溜め込んで爆発させたのだろうか。猛省することしきりだった。慣れていると言われたが、どこが?と思ってしまう。恋は駆け引きだけを愉しむものじゃない。
手を握りたい。視界の隅っこにゆるく丸まった杏里のそれが見えて、触れたくてうずうずしていた。それですべてが通じるわけでもないのに。そうだったらいいのに。言葉にするのが下手すぎて、すべてにおいてその所為でこの今が出来上がった気がする。
「仕事は……一時はほんとに生きる支えみたいなもんだったんだけど、働くのが好きっつうか続きが気になるような感じなんだ。俺の仕事ってちょっと特殊だし、たとえアレなんだけどゲームとかそういう感覚だから、一旦着手すると結構のめり込んで」
「うん、疲れてても七緒楽しそうだったよ」
やっぱ俺ガキなのかな、と、杏里がそっと目を伏せる。
「うち弟がふたりいて賑やかだから、特に夜にひとりでいると淋しくて無理だった。一緒住むってなった時は、おなじ家に帰れるし毎日顔みられるしセックスもできるし、夢みてえだと思ったんだけどな」
そこで急に思いついたらしく「ケーキありがと」とわらってくれる。弟達が喜んだというくだりは微妙に明治の狙いとは外れていたわけだが、贈られた本人がひとくちも食べてないとは考えづらいので素直にこちらも喜んでおく。
誘った時はきっと深くは考えておらず、実家住みの相手だと諸々やりにくいとでも思っただけなのだろう。人様の息子を誑かしておいて厚かましいにも程があるし自分が甚く汚れて感じる。どんなに大人びていようが杏里は六つも年下の男の子なのだ。家族が好きだって別に子どもっぽいわけじゃない。そういう環境に育ったから当然だ。とても好ましい性質だと思う。
夢が現実になったような同棲生活にしてやれずただただ申し訳ない気持ちと、こんな自分にはたぶん杏里は勿体ないという落胆に苛まれて明治は緘黙する。それでも自分は恐らく同意を引き出せた時点でもう満足していたと推測されるのがまた居た堪れなかった。かたちだけ満たして放ったらかして、最低だ。杏里は一生懸命歩み寄り、何とか立て直してくれようとしたのだろうに、明治ときたら自分をどこも曲げずに強引に彼を巻き込んだだけだった。
ちゃんと杏里を待ってあげるべきだったのだ。そして自分の準備も、きっちりできてから誘うべきだった。暮らしを共にしてなくてもフラフラ遊んでちっとも信用できない子じゃない。今の明治から見る彼は、すくなくともそんな軽薄でも無頓着でも不真面目でもなかった。今夜はたまたま見かけなかったけれど、ハッテン場でうまく引っ掛けたとして、実際ついていったのかどうかもあやしい。
仕事に打ち込むあなたが好き、なんて古ぼけた男の幻想だ。自分に酔って気色悪い。況してや杏里とは職場で出会ったわけでもない。そういう背景を敢えて隠し、解き放たれた場所で出会ったのに、暮らそうとまで言いだして何も打ち明けなかったのだろうか。三ヶ月で応じてくれたのもだいぶ奇跡だろう。
「許してほしい。自分が見限られて当然の男だとよくわかった。鴫宮くんは何も悪くない。こんな俺は、君に相応しくないって我ながら思ったよ」
「……そう」
「だから努力する。善処する。お願いだ、もう一回だけチャンスをくれ。何でもするから」
願望も入っているかもしれないが、終わりの気配にやや沈んでいた杏里が目を丸くする。図々しいのは百も承知だ。憶えてないのに善処もへったくれもあるかと言われれば、反論はできないけれど。
「七緒、俺が自分に都合のいいように話してるとは思わねえの?」
「思わねえよ」
もしそうならもっと盛ってもいいくらいだ。疑われたのなら疑われるようなことをした明治が悪い。
杏里がふむと腕を組む。考え事をするしぐさなのだろうか。ふっくらとした下唇に指先を沈めると、ふにふに揉み始めた。そそられて仕方ない。ガン見する明治に見せつけているのだろうか、キスねだられてないかこれ? ごくりと喉が鳴るが端整な双眸は知らんふりでぼんやりと中空を見つめている。猫のようだ。
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