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1.拾われて

身元不明

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「ヴィトって、いいところのお坊ちゃんなのかしらね」

 家事の仕方を何も知らないヴィトは、「ごめん」と肩を落とすばかりだった。包丁の使い方もかまどの使い方も掃除の仕方すらも心許なく、一から十まで説明しないと雑巾を絞ることすらままならないのだ。

「ま、でも物覚えは悪くないんだから、筋はいいわよ」
「そうかな」

 教えられればそのとおりにこなせるようになるのだから、頭は悪くないのだろう。オージェはくすくす笑いながら、「次はこっちで洗濯のしかたを教えるから」と、ヴィトの腕を引っ張った。



 ヴィトを拾って三日。
 クラエスはあちこちに手を回してみたけれど、ヴィトの身元は相変わらず不明のままだった。
 何しろ、一緒に見つけた遺体は骨まで焼け焦げて性別どころか種族すらはっきりせず、遺品はどれもこれも原形をとどめないほどに溶けてしまっていたというのだから、当然だ。それでは、身元を調べるどころではない。

 ヴィトが雑巾すら絞れないと聞いたことや、あの容姿と労働を知らない手から判断するに、おそらく上流階級の子供なのだろうとは伺えた。
 それならばとアタリをつけてみたのに、やはり情報は入らなかった。
 貴族が、行方不明になった子供を秘密裏に探そうとするのはよくあることだ。だからクラエスは、それとなく軍部の知人にヴィトの話をして、貴族の子弟にヴィトのような少年がいるかどうかの探りも入れてみた。

 正直、成果ははかばかしくないが、今すぐでなくとも数日もすれば何かしらの情報は聞けるだろうと、クラエスは考えることにする。



「オージェ、次は何をすればいい?」
「ええと、じゃあ、一緒に夕食の準備をしましょう」

 もうすぐ日が暮れる。
 クラエスが工房を閉めるのはだいたい日暮れの頃だ。今から用意を始めれば、クラエスの帰宅に合わせてすぐ、夕食にできる。

「今日は何を?」
「うん、いい肉が買えたから、ローストにするわ」
「じゃあ、付け合わせからだね」
「ええ」

 オージェの指示で、ヴィトは次々と野菜を剥いて刻んでいく。手つきはすっかり慣れたもので……。

「それにしても、本当に覚えが良くて、なんでもできるのね」
「そうかな?」
「だって、相当なベテランでもなきゃ、そんなにきれいに早くなんてできないもの。わたしだって、子供の頃から母さんの手伝いのおかげでここまでできるようになったのに、ヴィトってきっと、頭が良いうえに器用なのね」
「そんなことないと思うんだけど」

 そう話している間にも、次々と野菜を刻み終わって……オージェはくすりと笑って肩を竦めた。

「でも、この調子なら、明日からわたしが工房に行っても大丈夫そうね」
「え?」
「今日やったことを、明日もやればいいだけだから、大丈夫よ」

 不安そうな顔のヴィトを励まして、オージェは「そうだ」と手を叩いた。

「ヴィトには、工房にお昼を持ってきてもらうことにしようか。明日の朝、何を作るか決めておいて、時間になったら持ってきてもらうの。どう?」
「大丈夫かな……」
「大丈夫よ。ヴィトならできるわ。それに、何事も経験だし」

 笑顔で「ね?」と言われて、ヴィトはつい首肯してしまった。


 * * *


 翌日もいい天気だった。
 朝、早いうちに洗濯を済ませてお昼の指示も終えたオージェは、一足先に家を出たクラエスのあとを追って、小走りに工房へと行ってしまった。

 不思議だと思う。

 同じように自分のことを忘れて拾われたのだという割に、オージェはクラエスと仲の良い兄妹のようだった。クラエスの歳ならもう結婚していてもおかしくないはずだし、オージェが妻だと言われても問題はないはずだ。
 そこに自分のような部外者が混じっていいのだろうか……なんて考えたりもしたが、クラエスもオージェもあまり頓着していないようだった。

 昨日までに教えられたとおりにひと通りの掃除を終えて、あらかじめ用意してあった具材で昼食用のサンドイッチを作る。
 ずいぶん量が少ないようにも思えたけれど、昼はいつも軽いもので済ませるから、これくらいがちょうどいいのだとオージェは言っていた。忙しい時にはちょこちょこ片手でつまんで食べられるものでないと、食べ損ねてしまうのだとも。
 籠に入れる前に、ふた口ほどで食べられる大きさに切って、今日の仕事はどうなのだろうかと考える。あまり忙しくないといいけれど。

 ――このまま記憶が戻らなかったら、やはり自分も何か仕事を探して、働きながら自分のことの手掛かりを探さなければならないだろう。
 このまま居候をするわけにもいかないから、クラエスに相談して、仕事と住むところを見つけて……。
 けれど、どうもその想像がしっくりとこなくて、ヴィトは首を傾げる。そもそも、自分には何かやらなきゃいけないことがあったような気もするのだ。



 工房を訪ねると、扉は開いたままだった。
 開いてるはずだからそのまま入っていいと、あらかじめ言われていた言葉を思い出し、まずは扉からひょいと覗いてみる。
 奥から話し声が聞こえるのは、来客中だからだろうか。

 邪魔にならないよう、そっと中へと進んで待たせてもらうことにする。
 入ってすぐの部屋は接客用に整えてあるのか、大きな長椅子に低いテーブルと、壁際に小型の魔導機械やパーツを所狭しと並べたガラス張りの棚が設えられていた。つい、物珍しさでまじまじと眺めてしまう。

 ヴィトが見た限りでは、機械としての作りはそこまで難しいものと思えない。けれど、このうえにはさらに“魔術”が施されているのだ。
 その“魔術”というものが、ヴィトにはさっぱり理解できない。

「機械なら、簡単なのに」

 ついぽそりと呟いたところに、「おや、クラエス殿、客だ」と声がした。
 パッと振り向くと、軍の立派な制服を着た壮年の男とクラエスが奥から出てきたところだった。ヴィトはなんとなくぺこりと一礼して、見たことがあるようなないような? と内心で首を傾げる。

「どちらのご子息かな?」
「あ、いえ、うちで世話をしている子なんです」

 鷹揚に尋ねる男に、ヴィトが口を開くよりも早くクラエスが答える。

「ほう?」
「先日の事故のお話をしたでしょう。彼がその子供なのですよ、閣下」
「ああ、なるほど。
 私はファレル・エーバーマンだ。軍務省の魔導監督官をしているが――さて、どこかで会ったことがあるかな?」

 年齢に加え、クラエスの態度と部下らしき者を連れていることからも軍の高官なのだろうと伺えた。
 右手を差し出され、慇懃に握手をしながらヴィトも考える。
 だが、やはり何も思い出すものはない。

「あの、ヴィトです。すみません、何もわからなくて……」
「いや、いいのだよ。君のような男をどこかで見たような気がしただけなのだ……ふむ、やはり気になるな。クラエス、私も少し調べてみよう。案外、私の知己の知己くらいの人間かもしれないぞ」
「それは大変心強いです、閣下」

 ヴィトも「ありがとうございます」と頭を下げた。妙に調子よく聞こえるのは気のせいだろうか。

「なに、クラエスは我が国の誇る魔導技師であるからな。彼の憂いが晴れれば、技術の発展にますます貢献してくれるだろう?」
「もちろんですとも」

 クラエスの返答へ満足げに笑うと、ファレルは「では」と傍らに頷いた。部下が手帳らしきものを広げて、次の予定を耳打ちする。

「クラエス、それではまた」
「はい、お待ち申し上げております」

 ファレルはくるりと背を向けて片手を上げると、軍人らしいきびきびとした足取りで工房を出て行った。
 クラエスとヴィトは、お辞儀をして彼らの背中を見送る。

「待たせたね。今日は軍務省の査察日だったんだ。うちの前が長引いたとかで、こんな時間までかかってしまったよ」

 クラエスが肩を竦める。

「奥にオージェがいるから、呼んできてくれるかい。私はお茶をいれよう」
「はい」

 工房の奥の机で書付を作っていたオージェを呼んで、部屋のテーブルにお茶とサンドイッチを広げて、三人で昼食にする。

「軍務省の監督官なんて来るんですね」
「ああ、ハーゼルの魔導技師は登録制だからだよ。全員が軍務省魔導技術部の管理下にあって、年に何度かはああして査察が入るのさ。
 違法な魔導機械や魔導具を作成していないかとか、未報告の魔導技術を隠蔽していないかとか……要するに、国は国内の魔導技術の全部を抑えたいんだ」
「なるほど……」

 苦笑混じりに説明するクラエスに、ヴィトは今ひとつピンとこないながらも頷いた。この国に魔導技師が何人いるのかは知らないが、相当な手間だろうに。

「クラエスさんは、この若さでもトップクラスの魔導技師なのよ。それに、今までも軍に協力して技術開発とかもやってきてるの。
 軍属にならないかって話も来ているくらいで、すごいんだから」

 そう続けるオージェの笑みはクラエス本人よりも得意げでなんだかおもしろくて、ヴィトもついつられて笑ってしまう。



 昼食後、ヴィトは工房の中を簡単に案内してもらった。
 さまざまな工具に金属加工の機械に研磨用の機械、おまけに作りかけらしいあれやこれや……工房は結構な広さなのに、所狭しと多くのものが並べられてずいぶんとごちゃごちゃしていた。

「うわあ……」
「クラエスさんは腕がいいから、注文も多いのよ」
「へえ……そういえば、オージェは何を作ってるんだ?」
「ん……私は、パーツとか、部品の加工とか、そのあたりかな」

 とたんに声が小さくなるオージェに、ヴィトはくすりと笑みを漏らす。

「だって、魔術の習得には何年もかかるのよ。そりゃ、魔術だけ外注するっていう方法もあるけど、やっぱり、全部自分で作りたいじゃない?」
「じゃあ、何年か後には、全部を手がける魔導技師になるんだ?」
「もちろんよ。上級試験にも受かって、クラエスさんみたいな腕のいい魔導技師になるんだから」
「ちゃんと先のことも考えてるんだ、すごいな」
「当たり前じゃない」

 くっくっとクラエスが笑う。

「オージェは、上級試験を目指すなら魔術もなんとかしないとな」
「うっ……」

 オージェはたちまちしょんぼりと肩を落とす。

「理論はばっちりなのに、どうして実践はうまくいかないのかしら」
「魔術っていうのはそういうものなんだよ。今のままでも中級はなんとかなるんだ。気長に頑張りなさい」

 こくんと頷いて、オージェはサンドイッチを頬張った。魔術というのは、理論を理解したからといってどうにかなるものでもないらしい。

「ヴィト」
「はい」

 急に呼ばれて、ヴィトは顔を上げた。クラエスが、笑い混じりに「実際に作っているところを見て行くかい?」と尋ねる。

「え、でも掃除がまだ……」
「一日くらいやらなくたって死にはしないさ。午後は特に予定はないし、ちょうどいい機会だ。夜はそのまま外食をして帰ることにしようか」
「ほんと? わたし、アリサさんの食堂に行きたいわ」
「オージェは調子がいいな」

 笑いながら、ヴィトは、自分を拾ったのがオージェとクラエスのふたりであったことは、とても幸運だったなと思う。
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