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5.はじまりの女神

神の子

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 四方を険しい山に囲まれた小さな平地に、王都クーヴァンはある。

 ケゼルスベールは小さな国だ。国土全体の面積は軍国の五分の一程度で、その半分近くが山と森で埋まっている。
 良質の鉄にその他の金属や宝石の採掘、それから牧畜が主な産業だ。軍国の大規模な採掘施設が掘り出す量に比べたら、産出できる量は微々たるものに過ぎない。しかしそれでも加工技術や質の高さで、他国産に劣らない利益を生み出している。
 軍国がケゼルスベールを欲しがる理由は、北方への足がかりの他にそのあたりにもあるのだろう。

「すごい、まん丸」

 ツヴィットの背にしがみついたまま、リコーは遠目に見えたクーヴァンの王城に目を丸くする。

「どうやったらあんなに丸いお城が作れるの?」
「“デーヴァローカ”は城ではなく宇宙ステーションである。故に、形状は球体が望ましいとされている」
「ステーションって何? 研究って?」
「人間が宇宙空間でさまざまな活動を行うための建造物だ。“デーヴァローカ”は人工脳およびアンドロイドの研究を目的に建設されたステーションである」
「アンドロイドってゴーレムのこと? 人工脳って、ゴーレムの頭? あたし知ってるよ。人間たちって、ゴーレムのこと本当は人間みたいに作りたいんだよね。そしたら、人間の代わりにいろいろ働かせるからって、あっくんが言ってたよ」
「大概的に、その認識で間違いはない」

 疑問は尽きないのか、リコーは次から次へと質問を続けていく。
 それらに律儀に回答するツヴィットの声を聞いていると、オージェには、ツヴィットの根っこはヴィトと変わらないんじゃないかと思えてくる。

「ね、偽ヴィトもアンドロイドって言ったよね。じゃ、偽ヴィトもゴーレムなの? 形が全然違うけど」
「概ね合致している。だが、“姉妹シリーズ”はオルの魔導ゴーレムよりもはるかに精密であり人間に寄せて作成されているため、性能、外観とも比べるべくもない」
「なんで“姉妹”なの? 偽ヴィトは本当は女の子なの?」
「“姉妹”は当初すべて“原型オリジン”と“一番目エルスト”を参考に作られた。それゆえ、基本形は女性体フィメールである。だが、私は神王の“端末”として改修されたため、“男性体メール”に変更された」

 変更? とリコーは首を傾げる。
 性別とは、変更できるようなものだっただろうか。

「ええと、偽ヴィトは性転換したってこと?」
「そもそも、アンドロイドにとって性別という概念は表面的なものでしかない。その認識は不正確である」
「難しく言われてもわかんない」

 むうっと剥れて目を眇めるリコーの言葉に、ツヴィットがわずかに引きつったように見えた。

「――アンドロイドに性別はない」
「えっ、じゃあ男女おとこおんなってこと? そういう生き物もいるって、前におとうちゃんが言ってた! しゆうどうたいって言うんだって」
「その区分で言うなら、雌雄同体ではなく無性である。性別や性機能は、必要に応じて与えられるものだ」
「じゃあ偽ヴィトは無性なの?」
「神王の端末という目的により、男性体だ」
「そっか! オーちゃん、偽ヴィトはちゃんと男だって。だからヴィトも男だよ、よかったね!」
「リコーちゃん……」

 ようやくくすりと笑ったオージェに、リコーもにいっと目を細める。

「雄同士とか雌同士とか、無しじゃないけどいろいろたいへんだっておとうちゃんが言ってたし、たいへんじゃなくてよかったよね」
「え……リコーちゃん、竜って、そういうのもあるの?」
「たまーにあるって、おとうちゃんが言ってた!」

 ツヴィットは無言で足を進めていく。少し速度は緩んだけれど、それでもかなりの速さだ。町がぐんぐんと近づいてくる。

「ねえ、ヴィト」
「私は“二番目ツヴィット”だ」
「どこから入るの?」

 てっきり目の前に見えている城門から町に入るのだと思ったら、ツヴィットはそこを無視して通り過ぎてしまった。

「北側の、城に近い門から入る」
「ヴィトの専用の門とか、あるの?」
「そんなものはない」

 答えながらも、ツヴィットは城壁に沿ってひたすら走り続ける。
 小さいといっても王都だ。他国に比べれば小さいというだけで、町の外周も二十キロくらいある。
 一時間ほど走り続けてようやく着いた小さな門から、何ら止められることなく城壁内へ入ると、すぐ目の前に王城があった。

 ツヴィットは迷いなく、今度は王城を取り囲む城壁の入り口へ向かう。
 オージェはもちろん、リコーも見咎められることなくすぐに入城を許され……城の古い部分、石造りの建物からさらに中へと入っていった。

 石組みの壁が続く廊下を抜けて、奥へ奥へと進む。これまで歩いた方向から考えると、そろそろあの銀の神殿に入っていてもおかしくない。
 廊下の行き止まりの、重厚な木の扉を開いて潜ったとたん、リコーが「あっ」と小さな声を上げた。

「なに、ここ。なんか変」

 背後でバタンと扉が閉じたと同時に、リコーは慌てたように周囲を見回す。

「リコーちゃん、どうしたの?」
「わかんない。でも、ここ、なんか……」

 言いかけたところに、微かなシューっと空気の吹き出るような音が立つ。すぐにツヴィットの背できょろきょろと首を巡らせていたリコーの爪が緩み、瞼がとろりと落ちて……ずるずると床に落ちた。

「リコーちゃん!? ヴィト、リコーちゃんに何したの!」
「睡眠ガスだ。死傷を禁じられているので眠らせた。処遇についての最終決定はナディアルが行うが、“緩衝地帯クィダム”への追放処分になると予想する」

 慌てて目をやれば、たしかにリコーは穏やかな寝息を立てているだけだった。他に何も異常はないことに、オージェはとりあえず安堵の息を吐く。
 オージェの表情を確認して、ツヴィットも再び歩き出した。

「あ、待って。リコーちゃんは」
「別なものが適切な場所に連れて行く」
「本当に、大丈夫なんだよね?」
「安全は保障される」

 もう一度床で眠り込むリコーを確認して、オージェはきゅっとツヴィットを抱き締めた。

「ヴィト……わたし、ヴィトのこと、信じてるから」

 リコーはツヴィットからヴィトの匂いがすると言った。
 だから信じてもいいはずだ。


 * * *


 オージェが連れて来られたのは、宮殿のようなきらびやかな部屋だった。
 石組みの壁はタペストリーや絵画で飾られ、床には毛足の長い上等な絨毯が敷かれ、天井には鮮やかなフレスコ画が描かれている。
 題材は、創世神オルと、そのしもべたる三柱の神々の継承の神話だろう。

「そいつが“オリジン”か」
「はい」

 だだっ広い大広間の奥、数段高くなった台座には立派な椅子が置かれていた。彫刻と象嵌で装飾された、布張りのきらびやかな椅子だ。
 椅子には、王冠を被り毛皮で縁取りをした立派なマントを纏った神王が座り、膝に女神の御使いを抱えている。手に持っているのは王笏だろう。
 いつか話に聞いたとおり、歳はオージェよりも少し上にしか見えない。
 何より、ツヴィットと兄弟だとしてもおかしくないくらいによく似ている。
 その、神王の前の床にオージェを降ろして、ツヴィットは数歩後ろに下がった。ひとり取り残された心細さに、オージェはぐっと歯を噛み締める。

「わたしに、いったい、どんな用があるんですか」

 許しを得ることもなく問い掛けたオージェを不敬と断じたのか、神王のすぐ近くに立つ近衛騎士が腰の剣に手を掛けて一歩進み出ようとする。神王は片手でそれを制して笑みを浮かべた。

「知っているはずだ。お前は二番目ツヴィットから聞いているだろう?」
「管理の、キーって……でも、わたし、そんなの……」
「ねえ、ナディアル。さっさとメインモジュールを取り出して記録を精査しましょうよ。そうすれば、すぐわかるわ」
「いや、壊れてしまってはいけない。それは後からいくらでもできる」

 神王と御使いは、オージェを“モノ”としか見ていない。そんな扱いを受けるいわれなんて、無いはずなのに。

「こっ、壊れるとか、どうしてそんな酷い扱いを……」
「無駄だ」
「――え?」
「この部屋は、デーヴァの管理から切り離してある。お前が何を要求しようと、デーヴァが応じることはない」
「どういう……」

 ふん、と神王が口角を上げたまま、目を眇めた。

「知らないふりはやめろ。お前はここを知っているはずだ。お前はここで造られたのだからな」
「そんな、造られた、なんて」
「では、己が人間だと主張するか? 化け物が」

 ひくっとオージェの頬が引き攣った。

「化け物、って」
「化け物は化け物だろう。何百年も老いず、飲み食いは不要。首を切っても腹を捌いても死なないものを、“化け物”以外に何と呼べばいい?
 それとも、お前は自分が“生きて”いるとでも言うつもりか」

 何かを言い返そうにも言葉が浮かばず、オージェはただ唇を噛み締める。

「お前が“生き物”だと言うなら、生命を造ったラザン・マイスルとかいう人間は紛うことなき神だということになるわけだが」
「ナディアル。そんなつまらないこと話していてもしかたないわ」

 退屈そうな声が割り込んだ。
 とてもつまらなそうに、けれどオージェを睨みながら御使いが続ける。

「“オリジン”を分解しないなら、まずは中を確認スキャンしないと。ねえ、さっさと済ませてしまいましょう?」
「――ああ、そうだな」

 スキャン? 中?
 意味がわからなくて、オージェはふるりと震える。
 今からどんな目に遭わされるのか。

「ツヴィット」
「はい」
「連れて行け」
「はい」

 背後から足音が聞こえる。
 振り返ると、ツヴィットが手を伸ばすところだった。オージェの腕を掴んで立たせようとするが、うまく立てないのを見て取るとすぐに抱き上げた。

「ヴィ、ヴィト」

 ツヴィットを見上げても、視線は合わなかった。ただ神王に一礼して、オージェを抱いたまま無言で部屋を出る。

「ね、ヴィト。わたし、化け物なの?」
「ナディアルのカテゴライズ基準によれば、“化け物”に分類される」
「死なないって、本当?」
「活動停止という意味の死はあり得る。だが、自己の存続という意味では、保存記録バックアップデータがある限り死とは断定されない」
「……よく、わからないわ」

 保存記録がある限りというなら、消されてしまったヴィトは、つまり死んでしまったということなのだろうか。
 リコーは、ヴィトの匂いがするって言ったのに……。

 オージェはハッと顔を上げる
 完全に消さなければ死なないということなら、どこかに“ヴィト”が残っているということじゃないのか。
 たとえほんの欠片だとしても、ヴィトの何かが残っているのではないか。

「ヴィト……ねえヴィト、お願い、顔を見せて」
「その行為にどのような意味があるのか」

 視線も合わせず、ツヴィットは素っ気ない言葉を返す。
 だが、オージェは食い下がる。

「意味なんて、わたしが見たいから見せてって言ってるの」
「この仮面は非常時以外に外すなと厳命されている」
「今が非常時なのよ。つべこべ言わず取って」

 オージェはさっと手を伸ばして、少し乱暴に仮面を剥ぎ取った。驚いたのか、ツヴィットはわずかに瞠目してオージェを見た。
 両手でしっかりと頬を挟み込み、思い切り顔を近づけて、オージェはツヴィットの目を覗く。

「ねえヴィト。まだ消えてないんでしょう? まだそこにいるのよね?」
「私は“二番目ツヴィット”であり――」
「あなたには聞いてない。私はあなたじゃなくてヴィトを呼んでるの」

 口を噤むツヴィットの目を、オージェはひたすらに見つめる。それから大きく息を吸い……言い聞かせるようにゆっくりと言葉を続ける。

「ヴィト、わたし待ってるから。あなたのことをちゃんと待ってるから、早く戻ってきて」
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