上 下
35 / 39
5.はじまりの女神

決別

しおりを挟む
「パーン、下がれ」

 神王はレギナを下ろして立ち上がった。

「しかし陛下!」

 アカシュと見合ったまま、銃口を向けたまま神聖騎士が声を上げるが、神王は意に介さない。

「下がれと言った。トト、お前もだ」
「はーい」

 もう少しだったのにと、部屋の片隅までリコーたちを追い込んでいたトトは、残念そうにクーの元へと戻った。気絶したままのクーを抱き起こして「しっかりしてください」とペチペチ頬を叩く。
 イーターとアカシュはちらりと視線を合わせて、武器を引いた。

 神王が一歩進み、すぐ目の前で自分を見上げるヴィトを見返す。

「それで、何と何を引き換えにしたいと言うのだ?」
「このステーションの支配権と、僕の支配権を引き換えにしたい」

 ヴィトの要求に、神王はふっと笑った。
「お前がであるなら何を要求するかと考えてみたが、やはりそれか」
「あなたなら、わかっていると思った」

 笑う神王をじっと見つめたまま、ヴィトは返答を待つ。

「私は私を支配するものを許さない。お前も同じはずだ。なら、お前は二度と何者の支配も受けないように手を打つのだろう?
 ――いや、もう、すでに手は打ってあるな。でなければ、ここにくるはずがない。私ならそうする」

 神王は、どうだ? と首を傾げる。

「その通り。ここへ来る前に準備は済ませた」

 ヴィトは拳をしっかりと握り締めて、視線に力を込めた。

「もし、あなたが取引に応じてくれないなら、デーヴァメインコンピュータを停止する。再起動はオージェにしかできないぞ」
「ほう」
「あなたには、このデーヴァとデーヴァローカが必要なはずだ」
「たしかに」
「ナディアル……」

 不安そうな表情のレギナが、背後からナディアルに抱き着いた。

「そのレギナにもデーヴァの完全な管理権限はない。再起動は無理だ」
「その程度のこと、もちろん知っている」

 抱き着いたレギナがふるりと震える。
 レギナの持つ権限を移譲しただけではデーヴァを完全に支配できない。神王は、未だこのデーヴァローカの支配者ではない。
 くっ、と神王が笑う。

「では、具体的な話をしよう。
 お前の支配権と言うが、具体的に何を指す。それから、お前がこちらに渡すというデーヴァローカの支配権とは、具体的に何だ?」

 神王は、しがみ付くレギナを抱き上げた。宥めるように軽くキスをして、それからヴィトへと向き直る。

「僕に設定された、僕以外のあらゆる個体が持つあらゆる権限の抹消」
「それと、何をだ?」
「デーヴァの管理キーはあなたに渡す。デーヴァのあらゆる制御が、あなたのものになるはずだ。もちろん、万が一の事態の停止と再起動も」

 目を眇めてヴィトをじっと見つめる神王に、レギナが頭を摺り寄せる。不安げに神王を見て、それから憎々しげにヴィトを見る。

「デーヴァの停止は困るな。ここが立ち行かなくなってしまう」

 神王は首を傾げてしばし考える。それでもやはりキーの交換は必要だと判断したのか、顎をしゃくってヴィトを呼んだ。

「ツヴィット、キーを交換だ」

 ヴィトは小さく息を吐く。
 どうにか、神王をその気にさせられたようだ。
 一歩踏み出して、ヴィトは手を伸ばした。その指先に、神王の指が触れる。

「ツヴィット。たとえキーを手に入れ、自由を得たとしても、お前は私だ」
「――わかっているとも。僕は、神王ナディアル、あなただった」
「本当に、わかっているか?」

 途端に、怒涛のような記憶が流れ込んできた。
 思わず呻いて離そうとした手を、神王が掴む。
 自分に無かった、“あの日”のナディアル・ミッシェル・ド・ナヴァランクスの記憶――クロディーヌに先導された近衛に拘束され、宰相から廃太子を告げられた記憶に続く出来事が、ヴィトの中に入ってくる。

「な……何を……」
「ヴィト!」

 走り寄ろうとするオージェを遮るように、氷の壁が立った。さっきとは違う、簡素な短杖を手にした魔術師クーが、ほっと息を吐く。

「ヴィト! ヴィト!」
「やめろ、お前も氷漬けになるぞ」

 氷の壁を殴ろうとして、イーターに止められた。
 真冬の風よりもずっと冷たく刺すような冷気が、壁から漂ってくる。



 乳母の娘でかつての侍女だったクロディーヌが、家族と自分を天秤に掛けて家族を取ったのだと教えられたのは、幽閉された晩のことだった。

 やっぱりな、と思っただけだった。

 “貴人の塔”に幽閉されてすぐ、乳母と乳兄弟はもちろんクロディーヌ自身とその家族も皆罪人として処刑されたのだと聞いて、溜息すら出なかった。
 自分が好きなものはいつでも取り上げられ、信用したものはいつでも裏切るものなのだから。
 結局、自分には何もないどころか、自身の生命の扱いすらままならない。
 そもそも、たいした後ろ盾のない自分が“王太子”でいられたこと自体、奇跡だったのだ。父王は何を思って、自分をこの地位につけたのか。

 すぐに、塔を出されて馬車に乗せられた。
 拘束は解かれず、同乗したのが軍国の使者だと……第二妃や宰相の後ろにいるものが軍国だと知って、なるほどと思った。
 このまま人質としてナディアルを軍国に送り、ナディアルに付いていた貴族を黙らせ、異母弟を王にして第二妃と宰相が国を牛耳るつもりなのか、と。
 けれど、もうどうでもいい。

 軍国へ向かう途上、護送馬車から“一番目エルスト”に攫われた時も、同じだった。

 一瞬だけ、ここから逃げられれば自由になれるのだと考えたけれど、その希望はすぐに潰えてしまった。
 結局、軍国に飼い殺しにされるか、化け物の慰み者になるかというふたつの選択肢だけが、ナディアルの前に用意されたものだった。

 今だって、それは変わらない。



 押し寄せる記憶に、引き摺られそうになる。
 たしかに、ヴィトはナディアルだ。ナディアルの記憶と行動様式をベースとして生まれた擬似人格が、“ヴィト”なのだから。ナディアルと同じ記憶と経験を与えられたら、ナディアルと寸分違わぬ同じものになるのかも知れな――

「違う」

 ナディアルに、神王に手を掴まれたまま、ヴィトは頭を振る。

「僕はたしかにあなたで、あなたから作られたものだ。でも、これは僕の記憶じゃない、あなたの記憶だ。僕には僕の、僕だけの記憶がある」

 歯を食いしばり、ヴィトは神王を正面から見返す。

「僕はあなただったのかもしれないが、僕とあなたの、魂は、違う」
「――魂?」

 ピクリと神王の眉が上がった。

「なるほど……お前はそう考えるのか。あるかどうかもわからない、そんなものを拠り所に、私とお前は違うと」
「そう。今の僕は、僕自身だ。あなた自身じゃない」

 手を掴んだまま、神王はじっとヴィトを見詰める。
 レギナが小さく「ナディアル」と呼ぶのを無視して、じっとヴィトを覗き込むように見詰める。

 ふと、記憶以外のデータが、ヴィトの中に滑り込んだ。

「キー、が……」

 違うものを押し込まれて、てっきり交渉は失敗したのだと思っていた。
 けれど、そうではなかったようだ。

「神王」

 手が離れる。すぐに確認してみれば、キーはまさしくヴィトの内部システムの管理キーだった。

「クー」
「はい、陛下」

 やや訝しむような表情の魔術師に、神王は壁を消すように命じる。

「え、ですが……」
「構わん、消せ」

 クーが手をひと振りすると、分厚い氷の壁が一瞬で消え去った。即座にパーンが進み出て、イーターたちを警戒する。
 アカシュとイーターも油断なく身構えてはいるが、今はただ、ようすを伺うだけに留めている。

「私ではないお前にこれ以上の用はない。失せろ」

 神王はくるりと踵を返すと、再び玉座に座った。

 ヴィトはしばし唖然と神王を凝視した後、急いでオージェのところへ戻った。

「ヴィト!」

 走り寄るオージェを抱き締める。もう一度ちらりと振り返ってみると、神王はすっかり興味を無くしたのか、ヴィトには一瞥も返さなかった。
 ようやく剣を納めたイーターが「長居は無用だな」と呟いた。おもむろに片手を掲げ、呪文のような言葉を紡ぐ。

「“我を繋ぐ蒼炎にかけて、城への道よ開け”」

 青い光を放つ大きな紋様が浮き上がる。

「イーターさん、これ……」
「さっさとくぐれ。帰還するぞ」
「帰還?」
「ヴィト、行こう」

 要領を得ず、首を傾げるヴィトの腕をオージェが引っ張った。
 するりと足元を抜けて、はしゃぎ声を上げながら、リコーとイァーノが真っ先に紋様に飛び込んで消える。

「うそ、まさか転移?」

 クーの驚く声が聞こえた。
 ヴィトも、「転移?」と呟く。
 空間を捻じ曲げ、亜空間や異次元と呼ばれる空間を抜ける航法なら知っているが、こんな地表のこんな小さなものでは無理なはずだ。
 エネルギーがまったく足りない。
 戸惑うヴィトは、しかし、オージェに腕を引かれるままに紋様を潜る。
 続いてアカシュが飛び込み……。

「時に神王陛下」

 イーターの呼び掛けに、神王は視線だけを返した。

「此度のことは我の私的な行動で、騎士団の本意ではないのだが」
「今更か」

 呆れた声で、神王が応じる。
 神王は意外に気にしてはいないのかと考えて、イーターは思わず破顔した。

「何、誤解のまま物別れしてしまっては、我が黒炎騎士団の評判にも関わってしまうのでな。あくまでもこれは、どうにか友人を連れ戻したいという、我ひとりの我儘ゆえの行動だ。騎士団は、貴国に相対しようなどとは夢にも思っておらぬ」
「そんな詭弁を、何を根拠に信じろというのだ?」
「ふむ……それもそうか」

 イーターはしばし考える。

「では」

 鋭い音を立ててイーターが剣を振るうと、ごとりと重たいものの落ちる音がした。
 ひ、とクーが引き攣った声を上げる。パーンも近衛騎士たちも、大きく瞠目して息を飲む。神王はとても嫌そうな表情で顔を顰める。

「ならば此度のこと、我の腕ひとつで納めては貰えんかな」
「いらん」

 ごろごろと転がり寄った腕を、神王は座ったまま蹴り返した。

「貴様の腕など寄越されたところで邪魔なだけだ。腕を集める趣味もない」
「困った。ほかに渡せるものがない」
「何が困っただ。しおらしいことを言いながら、本気で困るものを寄越す気などないくせに。さっさと消えろ。鬱陶しい」

 吐き捨てるように返されて、イーターはやれやれと肩を竦めた。

「それではいたしかたあるまいな」

 足元にぶつかって止まった腕を拾い上げて、イーターは消え始めた紋様をひょいと潜り抜けた。



「――ナディアル?」

 静かになった謁見の間で、神王は小さく息を吐いて立ち上がった。手だけで全員に下がるよう合図をして、奥の扉へと歩き出す。
 横抱きにされたままのレギナが、どことなくいつもと違う神王に、首を傾げる。
 なぜだか不安を掻き立てられる。

「ナディアル、どうしたの?」

 扉を抜けてふたりきりになったところで、とうとうレギナは尋ねた。
 これから何かが起こるというのか、湧き上がる不安が何なのか、レギナにはさっぱりわからない。

「レギナ」

 けれど、優しく囁かれて、レギナはぱっと顔を上げた。

「ナディアル、どうかしたの? なんだかいつもと違うみたい。ツヴィットが気に障ったの? あれを止められなかったこと、怒ってる?」
「いいや、ちっとも。それよりも、お前は以前から言っていたね。私にふさわしい年齢と外見の身体に移りたいと」

 レギナは大きく目を見開く。

「ええ! ナディアル、ええ!」

 やっと、神王に釣り合う身体に移れるのだろうか。もしやナディアルは、今日のためにこっそり用意してくれていたということか。

 向き合うようにレギナを抱え直して、神王がキスをした。ねっとりと蕩けるような、甘やかすようなキスを。

「せっかくいろいろと揃ったんだ。そろそろ、まつろわぬ女神がここに降臨しても良い頃合いだと思わないか?」
「ん……ナディアルがそう言うなら、きっとそうなのね」

 うっとりと目を細めて、レギナは神王の頬を撫でる。神王の言う“まつろわぬ女神”は、きっと新しい身体に移った自分レギナのことだろう。
 もっと成長した、神王ナディアルにふさわしい姿になった自分が、“女神”として神王とともに立つ。なんて、素晴らしいのか。

「ナディアル、わたし、とっても楽しみ」
「ああ、私も楽しみだよ」

 神王は微笑んで、もう一度レギナの唇を塞いだ。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界の女騎士と女奴隷が俺の家に住むことになったがポンコツだった件

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:112

出会い…おじさま

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:17

売名恋愛(別ver)

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:39

【R18】嫌いなあなたに報復を

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:815

【BL】サラリーマンと、【R18】

BL / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:7

ボケ老人無双

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:25

ありふれた事件の舞台裏

ミステリー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

異変の時

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

処理中です...