蛮族嫁婚姻譚その3:一番強い男と第二夫人志望

ぎんげつ

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狩ってきてくれる?

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 今日は一日刺繍の予定だ。
 ついこの前、ようやくスカートの部分が終わって今日からは身頃の刺繍に入る。
 一緒に刺すのは三軒隣の家の二番目の娘、イーリスだ。アイニよりふたつ歳は上で、来年結婚することが決まっている。それまでにアイニから教わった刺繍で、服や持ち物を存分に飾りたいのだそうだ。
 マルタは出かけてしまったから、しばらくはふたりきりだ。

「ねえねえアイニ」

 板に描いた刺繍図面をしっかり確認しながら、イーリスが楽しそうにアイニを呼ぶ。

「コンラードって、アイニになんか言った?」
「なんかって?」

 コンラードとは、相変わらず送迎の時にあれこれと話をしている。アイニの取り留めのないお喋りを黙って聞いてくれるうえに、ときおり有用なことも教えてくれる、そんな間柄だ。
 けれど、イーリスがわざわざ聞きたがるような何かをアイニに言ったことは、無いような?

「コンラードは、いつもいろんなことを教えてくれるけど……」
「それだけ?」
「うん。他に何かあるの?」

 イーリスとコンラードは、生まれた時からの付き合いだという。コンラードのほうが三つほど年上だけど、そんなの誤差の範囲でしかない。

 つまり、イーリスはコンラードのことをよく知っている。
 どの女の子に対しても通り一遍の態度を崩さなかったコンラードが、最近になってやけにアイニを意識するそぶりを見せるようになったのだ。これはもしや、何かそれらしいアプローチでもしているのかと思えば……どうやらとんだ期待はずれだったらしい。
 毎日毎日きっちりと、アイニがどこに行くにも送迎役だと付いて回ってるくせに、いったい何をしているのか。

「コンラードって、肝心なところが抜けてるのね」
「肝心なところ?」
「そうそう。昔っから優等生ぶりたがるっていうか、いい格好したがるっていうか、言い訳を欲しがるっていうか……だから顔はいいのに何も進まないのよ」
「そうなんだ」

 ふうん、とアイニは首を傾げる。
 優等生がどういうものなのかはよくわからないし、何が進まないのかもよくわからない。だが、たしかにコンラードの顔はきれいだ。もし谷に生まれていたら、“女王”の神子候補に選ばれていたかもしれないほどには整っている。
 でも、顔の良さは強さとあまり関係ないしと、アイニはもう一度首を傾げた。

「でも、腕はちょっと細いよね」
「そう? あのくらいでちょうどいいと思うけど」
「弱そうじゃない?」
「まあ……谷の人たちに比べたら、そうかもね」

 くすくす笑いながら、イーリスは選んだ糸を針に通す。
 アイニも布を枠にはめて、ぷつりと針を刺した。

 この時間だけは、谷にいた頃みたいだと思う。
 何日かに一度、女たちで集まってお喋りをしながら皆で刺繍や機織りをするのだ。
 婚礼の近い娘がいるときは皆で婚礼衣装に少しずつ祝紋様を刺して、もうすぐ子供が産まれる家があれば赤児の服を作って……今はイーリスとふたりきりだけど、少し懐かしくて楽しいと思う。

「でもあんなに細くちゃ、きっと大角鹿ムースは獲ったりできないと思うの」
「え、大角鹿? たしかに、コンラードはあんまり狩りに出たことはないと思うけど……でも、その気になれば結構狩れちゃうんじゃないかしら」
「そうなの?」

 意外だった。
 町の男としてはさほど華奢というわけではないけれど、谷の男と比べたらどうしたって線は細い。だから、コンラードには狩れないんじゃないかと、アイニは勝手にそう考えていたのだ。
 それに、マルタの予想にもコンラードは入っていなかった。
 きょとんと目を丸くするアイニに、イーリスは笑いながら肩を竦める。

「ま、その気になったところで本当に狩れるかはわからないけどね」

 それもそうか。
 そもそも、大角鹿は足も速い。いかに獰猛だといっても、危なくなればすぐに逃げてしまう。コンラードが強かったとしても、さすがに大角鹿ほど足は速くないだろう。

「――コンラードって、戦うのは上手なのかな?」
「んー、上手なほうなんじゃない? だって、聖騎士になったしね。聖騎士って、頭と身体の両方の出来が良くないとなれないのよ」
「そうなの? 聖騎士ってすごいの?」
「なかなかなれるものじゃないのは確かよ。それに、コンラードはああ見えて小さい頃からずっとニクラス小父さんに扱かれてたしね」
「じゃあ、何年かしたらニクラス様みたいに強くなる?」
「なるんじゃないかな?」

 アイニはぽかんと口を開けてしまう。
 たしかに、父親が息子を鍛えるのはとてもあたりまえのことだ。現に、谷でもあたりまえのことだった。
 それなら、コンラードの戦いの技はニクラス仕込みということになる。強くなる素地はできているんじゃないだろうか。

「もしかして、コンラードは本当に大角鹿を狩ってこれるってこと?」
「んー……アイニに狩ってきてって言われたら、がんばって狩ってくるんじゃない?」

 ぽん、とアイニの顔が赤くなった。

 娘の結婚は家長が決めることだけど、例外もある。
 男が条件のいい娘に求婚をする場合は、娘にふさわしいと思う獲物を狩り、その成果をもって家長の許可をもらうのだ。
 男からの求婚が複数重なった場合には、一番価値のある獲物を差し出した者が娘を得ることができる。だから、娘自身が、結婚したいと願う男に一番いい獲物を狩ってくるようにと、頼むことだってあった。
 大角鹿や雪熊は、その「一番いい獲物」に当たる。伝承では、その昔、どうしても長の娘を娶りたい戦士が、その「一番いい獲物」よりいい獲物を得るために氷竜を狩った……なんて話もあるくらいだった。

 町に来てからの家長であるイェルハルドが「好きな男と結婚していい」と言ったから、こうしてアイニも自分で探してはいたけれど……。

「アイニ?」
「あのね、男に獲物を狩ってきてって頼むのは、自分に求婚してってことになるの」
「え?」
「だから、男が申し出を受けて狩りに出るのは、結婚したいって返事をすることになるんだよ」
「へえー……」

 氷原の民に、そんな決まりがあるなんて。
 イーリスは目をぱちくりと瞬かせる。でも、それはコンラードにとって願ったりかなったりなのではないだろうか。

「ねえ、アイニ。アイニは、もしコンラードがアイニのために大角鹿を狩ってきたら、結婚する?」
「えっ!」
「もしもの話よ」

 もしも、もしもとブツブツ言いながら、アイニは考える。
 コンラードは戦う男だし、聖騎士で戦いの神の奇跡を使えると言うし、そのうえ大角鹿が狩れるとなれば、すごくいい結婚相手となるのではないか。

「――私、私、結婚する! コンラードなら私が母さんにお土産を送っても怒らないだろうし、大角鹿が狩れるほど強いなら申し分ないよね!」
「そうね」

 イーリスはにんまりと笑った。
 この調子なら、コンラードを焚き付けさえすればうまくいくのではないだろうか。


 * * *


 ふああと欠伸をしながら、いつものようにコンラードはアイニを送る。
 ――いつもなら昼間の出来事を取り留めなく喋るのに今日に限ってなぜかおとなしいアイニは、いつものように手を引くコンラードをちらちらと盗み見ている。
 一日中イーリスと刺繍をしてたとは聞いたけれど、そこで何かあったのだろうか。

「アイニ」
「えっ」

 びくんとアイニの身体が跳ねた。
 コンラードが驚いて立ち止まる。

「今日は口数が少ないからどうしたのかと思ったんだけど、何かあったか?」
「あっ、あのね、あのね、何にもないけど……」
「うん?」

 どこか逡巡するような表情で、アイニはきょろきょろと視線を彷徨わせる。

「あのね、コンラード」
「うん」

 口を開きかけては言い淀むアイニは、明らかにおかしい。イーリスと喧嘩でもしたのか……いや、喧嘩するような何かがあったとも考えにくいのだけど。

「どうかしたのか? 俺に言いづらいことなら、母さんに……」
「違うの。そうじゃなくってね……あのね、コンラードは、私がお願いしたら、大角鹿を狩ってきてくれるのかな?」
「――は?」

 いきなり何なのか。狩ってくれそうな奴がいないから、手っ取り早くコンラードで済ませようということなのか。
 “お願い”にしてはあまりかわいくないし、少し無茶が過ぎないだろうか。

「なんだよ、仕送りが必要なのか? そんなの、イェルハルド様に言って用立ててもらえば……」
「そうじゃなくって、コンラードは、狩りに行くのは嫌?」
「嫌ってわけじゃないけど……今すぐってわけにはいかないし、正直難しいな」
「難しいんだ……」

 アイニはしゅんと萎れたように俯いてしまう。
 コンラードは「いや、ほら、だってさ」と少し慌ててアイニの頭をぽんぽんと撫でた。

「仕事もあるし、それに、俺、そんなに狩りの経験ないしさ、頼まれたからってほいほい狩りに出たところで、ちゃんと狩ってこれるかわからないだろ? だったら、この町にだって大角鹿狩りの経験のある狩人はいるんだし、そっちに頼んだほうがいいんじゃないかとさ……」
「――うん。わかった」

 コンラードはほっとする。
 大角鹿はご馳走だと前に言ってたし、だったら確実に狩れる者に依頼するのがいいだろう。

「私、コンラードならいいかなって思ったし、イーリスもコンラードならきっと引き受けてくれるって言ったんだけど……でも、コンラードは難しいんだよね」
「え? イーリス? いや、まあ、ちょっと、難しいかなと……」
「わかった。じゃあね」

 アイニはパッと手を振りほどいて、見えてきた地母神教会の灯りに向かって走り去ってしまう。

「――大角鹿狩りって、もしかして、何かすごく重要なことだったとか?」

 アイニの背中を呆然と見送って、コンラードは首を捻った。



 バタン、と扉が開いて入ってきたアイニを、「おかえり」とタラーラが迎えた。けれど、いつもなら元気よくただいまと返すはずのアイニは、黙ったままだった。

「アイニ、どうしたの?」
「私、コンラードに、大角鹿を狩ってきてくれるかって訊いたの」
「アイニ、それ……」
「でもね、難しいから他の人に頼めって、断られちゃったの」
「え……?」

 アイニの目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。

「それが、なんだかすごく悲しいの」
「アイニ……」

 タラーラは立ちあがって大きく両手を広げると、アイニを思い切り抱き締めた。
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