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灰色の世界の天上の青
19.女神のお膝元
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誓いなど役に立たない。
ヴィエナに必要なのはそんなものでは無い。
オーウェンは、ひとつ小さく息を吐く。
「司祭が神の名に懸けて誓ったというのに」
「いくら誓った本人がそうでも、ヴィエナがそこに価値を見出してないのなら無意味なんじゃないの?」
「たしかにそうかもしれんが、こうも正面から否定されるとさすがに堪える」
仰ぐように宙を睨み、オーウェンはもういちど息を吐く。それから、イレイェンへと視線を戻す。
「それで、オーウェン司祭の答えは何?」
色を付けた爪の先にふっと息を吹き掛けながらイレイェンは促した。
「我が神の猛き御名と輝ける剣に掛けての誓いと……」
イレイェンが身体を起こし、「まだ言うの?」と、驚き呆れたように片眉を上げた。オーウェンは、そんな彼女に笑ってみせる。
「何より、私が望んでだ。私自身がヴィエナを護りたいと望んでいる。だから、私はヴィエナを追いかける。ヴィエナのそばにあり、ヴィエナを護り、ヴィエナがそうありたいと望むなら……いや、ヴィエナが望まずとも、私が彼女を幸せにしたい」
イレイェンは軽く目を瞠り、眉間をわずかに寄せた。「馬鹿じゃないの」と小さく呟いて、立ち上がる。
「何なのよもう。だったら最初からそう言いなさいよ。これだから、脳味噌まで筋肉が詰まってる神のお固い司祭は始末に負えないわ」
「私は戦神の司祭なのだ。まずは司祭らしく答えねば格好がつかないだろう」
「肝心なところで置き去りにされてるくせに、今さら格好をつけたところで何かあるっていうのかしら」
「そこを突かれると痛い」
肩を竦めるオーウェンに、イレイェンは目を眇める。
「まあいいわ。いらっしゃい」
肩に引っ掛けていただけの長衣の袖に腕を通して、イレイェンは立て掛けてあった杖を拾った。そのまますたすた壁際の扉の前へと歩き、オーウェンを振り向く。
「あの子の元へ連れて行ってあげる。
けれど、あの子に印を付けた悪魔は、事実上、悪魔王に次ぐ力を持つ悪魔大公だってことはわかってるわね?」
「もちろんだとも」
「私やダーリンでも、正直言って相手をするには力不足よ」
イレイェンはわずかに緊張をはらんだ声音で続ける。
「それこそ、正攻法で印を消せても、あの子の懸念どおりにあなた自身が大悪魔に対して禍根を残すことになるわね。奇跡でも起きない限り、よ」
「もとより承知の上だ。それに、我がカーリス家の家訓は“勝ち取れ”なのだよ。かの悪魔大公であれば相手として不足はない。奴との“賭け”に勝てたとあれば、いつか神の御許へと昇った暁には、我が祖父にも胸を張って報告できよう」
「猛きものに仕える脳筋に、聞くだけ野暮だったわね」
呆れて吐息を漏らすイレイェンに、オーウェンは眉を上げた。
「なんと失敬な。ヴィエナはそれだけの価値がある娘だということだぞ」
「わかったわよ。それじゃ、“門”を開くから下がって」
イレイェンは杖を掲げ、奇妙な抑揚の呪文を唱える。長く複雑な力ある言葉を紡ぎ終えると同時に、扉を縁取るように輝きが現れた。
「さあ、猛きものの司祭オーウェン」
かちゃりと小さく音を立てて扉が開く。
向こう側には光溢れる、ここではない世界が広がっていて……。
「ダーリンがヴィエナを連れて向かった場所、十天国界の聖なる空と聖なる海の交わる、麗しの女神のおわす場所へと案内するわ」
* * *
不思議な場所だった。
空に太陽はないのに空気そのものがキラキラ輝いて、光っているようにとても明るかった。風は微かに花の香りでも乗っているかのように芳しく、誰かの歌いさざめく声までが聞こえてくるようで……。
「ここ、天国なの?」
「そう。善き神々の御座がある、十天国界だ」
ヴィエナは傍らのトーレに尋ねながら、輝く光の玉が、どことなく忙しそうに行き来するのをぼんやりと眺める。
「あれは“光霊”だよ。善き神々を信仰する善き魂は、死後、この十天国界に召され、ああやって光霊として天使の下働きを行い、修練を積む。神が十分だと思えるほどに修練を積めるまで、何度も何度も転生を繰り返しながらね。
そうやっていつか天のものへと変化し、天使となるんだ」
「天使って、もとはひとだったの?」
「そういう天使もいるし、生まれながらにして天使であるものもいる」
「ふうん」
この悪魔祓いがうまくいけば、囚われている母や祖母たちの魂も、ここで光霊になることができるのだろうか。
じっと光霊たちを見つめるヴィエナの手を引いて、トーレは歩き始めた。
「このあたりは愛と情熱の女神の治める領域だよ。だから、彼らは皆、女神の信徒だった者たちの魂だ」
トーレはくすりと笑う。
「君の抱えている魂は夜の女神へ祈りを捧げていたから、本当なら夜の女神の領域へと向かうはずだったんだ」
「夜の女神の領域?」
「そう。永遠の夜の帳に囲まれた、安らかなる眠りの地に」
「ずっと暗いの?」
「夜の女神の領域だからね。地平に薄暮か黄昏の光が見える、永遠に続く夜の地だ。けれど、恐ろしい闇ではない。女神に召された者は、その腕に抱かれて安らかな眠りにつくことができるというよ」
ヴィエナは胸元に下がったふたつの護符を見下ろした。もし、自分が悪魔憑きではなくなれたら、死後はいったいどちらに向かうのだろう。
「戦神の領域は、勇猛な戦士の魂が集う戦いの原だと聞いている。来たるべき戦いに備え、その力と技を永遠に磨き続ける場所だ。
君の愛しい司祭は、ゆくゆくはそこへと向かうのだろうね」
戦神の印と聖句が刻まれた護符を見つめながら、それはとてもオーウェンらしいとヴィエナは思った。鍛えた身体は見た目よりもずっとがっちりしていたし、彼は柔和に見えて、その実とても戦士らしい考え方をするひとだから。
ゆっくりと、トーレに手を引かれるままに歩いて東屋に着いた。海岸を見下ろす高台に作られた、色とりどりの花に囲まれた小さな東屋だ。
屋根の下には、ひとが横になれそうな大きさの石のテーブルがあった。
その周りにはぐるりと取り囲むように石のベンチが設えてあり、どれもが花や鳥の美しい彫刻で飾られている。
「トーレさん、ここでやるの?」
「いや?」
不思議そうに見上げると、トーレはにっこりと微笑んだ。
「“印”を剥がすのは、少し休んでからにしよう」
「でも」
「悪魔に抵抗するというのは、とても体力を使うことなんだよ。ここまで結構な気を張ってきたんだろう? さあ、ここで少し休もう」
たしかに、慣れないことに気疲れはしていた。トーレのところへ行こうと決めてからずっと、本当にこれでよかったのかという自問も続いていたのだ。
オーウェンは今ごろとても怒っているだろう。彼を信用してないからこんなことをしでかしたのだとすら、考えているかもしれない。
きりきりと締め付けられるように胸が痛む。
むしろ、オーウェンなら悪魔などものともせずに立ち向かうと思ったから、トーレのところに来たというのに。
ヴィエナはおずおずとベンチに座った。
海へと抜ける風にさやさやとそよぐ草の葉の音が、まるで子守唄のようだ。
自分は何もものを知らず、何も持たない、魔法もたいして使えない非力な子供でしかなくて……悪魔なんて関係なかったら、せめてあと三年大人だったら、自分は彼に釣り合う人間だと言えただろうか。
これからの悪魔祓いに耐えて、終わったあとも自分を保てていたら、彼に相応しい人間だと思えるだろうか。
今朝の、オーウェンとのあの出来事から感じたものは、自分の錯覚でも間違いでもなんでもないのだと思えるだろうか。
メイサの言うように、自分が保護すべき子供ではない、ひとりの女として見てくれるようになるだろうか。
ベンチに座って、天上の、どこまでも澄んだ空と海の青を眺めながら、取り留めもなくそんなことを考える。
天界の天上の青は思っていたよりも淡い青だった。オーウェンの瞳のようなはっきりとした濃い青い色ではなく、もっと淡い青で……。
ぱさりと軽い音がして、ヴィエナの身体を翼が絡め取った。
「膝を貸してあげよう。もう少しゆっくりとお休み」
「でも」
「大丈夫。ここは恋の護り手たる女神の領域だよ。女神の目を盗んで君に何かするものなんて、ここにはいない。それに、時間はまだあるだろう?」
「でも……」
「ここは女神のお膝元だ。悪いものは来られない。大丈夫だよ」
少しだけなら。
たしかに、少し疲れてしまった。
トーレの翼に包まれて、ヴィエナは目を瞑る。
* * *
「ここが、“十天国界”か」
「そうよ。ダーリンの故郷にして、善き神々の住まう次元。十天国界の中の、愛と情熱の女神の領域よ」
話には聞いていたが、実際に来たのはこれが初めてだ。
たとえ、次元渡りの可能な高位の魔術師や司祭であっても、他の次元のようにおいそれとは足を踏み入れることは無いという、“十天国界”。
感慨深くはあるが、ぐずくずはしていられない。
オーウェンは、すぐに指輪に向かって“言葉”を唱えた。しばし集中し、ヴィエナの居場所を確認する。
「こちらか」
オーウェンは迷わず、海の方向へ早足に向かう。
軽く肩を竦めたイレイェンも、後について歩き出す。
ほどなくして、海岸へと続く道の向こうに、小さな東屋が見えて来た。
光霊がいくつか、あたりを舞うように行き来していて……目を凝らすと、色とりどりの羽根で彩られた翼が見えた。
オーウェンの足が、今にも駆け出しそうなほどに速まる。
「トーレ殿!」
オーウェンの呼び掛けにトーレが顔を上げ、にっこりと笑った。東屋の前に出て、「来たんだ?」と小さく首を傾げる。
「トーレ殿、ヴィエナは」
「まだ無事だよ。その前に……ハニー、ありがとう。君にも足労かけてすまないね。疲れたろう?」
「大丈夫よダーリン」
トーレはようやく追いついたイレイェンを抱き上げて、キスを贈った。大切な宝のようにそっと横抱きにして、「潮風に冷えてしまうよ」と翼でその身体を丁寧に包む。
トーレの行動に諦めたような溜息を吐いて、オーウェンは東屋に入る。
「トーレ殿、これは……ヴィエナは、いったい」
その中の石のテーブルの上で、花に埋もれるように横たえられて目を閉じたままのヴィエナを、オーウェンは呆然と見つめた。
ヴィエナに必要なのはそんなものでは無い。
オーウェンは、ひとつ小さく息を吐く。
「司祭が神の名に懸けて誓ったというのに」
「いくら誓った本人がそうでも、ヴィエナがそこに価値を見出してないのなら無意味なんじゃないの?」
「たしかにそうかもしれんが、こうも正面から否定されるとさすがに堪える」
仰ぐように宙を睨み、オーウェンはもういちど息を吐く。それから、イレイェンへと視線を戻す。
「それで、オーウェン司祭の答えは何?」
色を付けた爪の先にふっと息を吹き掛けながらイレイェンは促した。
「我が神の猛き御名と輝ける剣に掛けての誓いと……」
イレイェンが身体を起こし、「まだ言うの?」と、驚き呆れたように片眉を上げた。オーウェンは、そんな彼女に笑ってみせる。
「何より、私が望んでだ。私自身がヴィエナを護りたいと望んでいる。だから、私はヴィエナを追いかける。ヴィエナのそばにあり、ヴィエナを護り、ヴィエナがそうありたいと望むなら……いや、ヴィエナが望まずとも、私が彼女を幸せにしたい」
イレイェンは軽く目を瞠り、眉間をわずかに寄せた。「馬鹿じゃないの」と小さく呟いて、立ち上がる。
「何なのよもう。だったら最初からそう言いなさいよ。これだから、脳味噌まで筋肉が詰まってる神のお固い司祭は始末に負えないわ」
「私は戦神の司祭なのだ。まずは司祭らしく答えねば格好がつかないだろう」
「肝心なところで置き去りにされてるくせに、今さら格好をつけたところで何かあるっていうのかしら」
「そこを突かれると痛い」
肩を竦めるオーウェンに、イレイェンは目を眇める。
「まあいいわ。いらっしゃい」
肩に引っ掛けていただけの長衣の袖に腕を通して、イレイェンは立て掛けてあった杖を拾った。そのまますたすた壁際の扉の前へと歩き、オーウェンを振り向く。
「あの子の元へ連れて行ってあげる。
けれど、あの子に印を付けた悪魔は、事実上、悪魔王に次ぐ力を持つ悪魔大公だってことはわかってるわね?」
「もちろんだとも」
「私やダーリンでも、正直言って相手をするには力不足よ」
イレイェンはわずかに緊張をはらんだ声音で続ける。
「それこそ、正攻法で印を消せても、あの子の懸念どおりにあなた自身が大悪魔に対して禍根を残すことになるわね。奇跡でも起きない限り、よ」
「もとより承知の上だ。それに、我がカーリス家の家訓は“勝ち取れ”なのだよ。かの悪魔大公であれば相手として不足はない。奴との“賭け”に勝てたとあれば、いつか神の御許へと昇った暁には、我が祖父にも胸を張って報告できよう」
「猛きものに仕える脳筋に、聞くだけ野暮だったわね」
呆れて吐息を漏らすイレイェンに、オーウェンは眉を上げた。
「なんと失敬な。ヴィエナはそれだけの価値がある娘だということだぞ」
「わかったわよ。それじゃ、“門”を開くから下がって」
イレイェンは杖を掲げ、奇妙な抑揚の呪文を唱える。長く複雑な力ある言葉を紡ぎ終えると同時に、扉を縁取るように輝きが現れた。
「さあ、猛きものの司祭オーウェン」
かちゃりと小さく音を立てて扉が開く。
向こう側には光溢れる、ここではない世界が広がっていて……。
「ダーリンがヴィエナを連れて向かった場所、十天国界の聖なる空と聖なる海の交わる、麗しの女神のおわす場所へと案内するわ」
* * *
不思議な場所だった。
空に太陽はないのに空気そのものがキラキラ輝いて、光っているようにとても明るかった。風は微かに花の香りでも乗っているかのように芳しく、誰かの歌いさざめく声までが聞こえてくるようで……。
「ここ、天国なの?」
「そう。善き神々の御座がある、十天国界だ」
ヴィエナは傍らのトーレに尋ねながら、輝く光の玉が、どことなく忙しそうに行き来するのをぼんやりと眺める。
「あれは“光霊”だよ。善き神々を信仰する善き魂は、死後、この十天国界に召され、ああやって光霊として天使の下働きを行い、修練を積む。神が十分だと思えるほどに修練を積めるまで、何度も何度も転生を繰り返しながらね。
そうやっていつか天のものへと変化し、天使となるんだ」
「天使って、もとはひとだったの?」
「そういう天使もいるし、生まれながらにして天使であるものもいる」
「ふうん」
この悪魔祓いがうまくいけば、囚われている母や祖母たちの魂も、ここで光霊になることができるのだろうか。
じっと光霊たちを見つめるヴィエナの手を引いて、トーレは歩き始めた。
「このあたりは愛と情熱の女神の治める領域だよ。だから、彼らは皆、女神の信徒だった者たちの魂だ」
トーレはくすりと笑う。
「君の抱えている魂は夜の女神へ祈りを捧げていたから、本当なら夜の女神の領域へと向かうはずだったんだ」
「夜の女神の領域?」
「そう。永遠の夜の帳に囲まれた、安らかなる眠りの地に」
「ずっと暗いの?」
「夜の女神の領域だからね。地平に薄暮か黄昏の光が見える、永遠に続く夜の地だ。けれど、恐ろしい闇ではない。女神に召された者は、その腕に抱かれて安らかな眠りにつくことができるというよ」
ヴィエナは胸元に下がったふたつの護符を見下ろした。もし、自分が悪魔憑きではなくなれたら、死後はいったいどちらに向かうのだろう。
「戦神の領域は、勇猛な戦士の魂が集う戦いの原だと聞いている。来たるべき戦いに備え、その力と技を永遠に磨き続ける場所だ。
君の愛しい司祭は、ゆくゆくはそこへと向かうのだろうね」
戦神の印と聖句が刻まれた護符を見つめながら、それはとてもオーウェンらしいとヴィエナは思った。鍛えた身体は見た目よりもずっとがっちりしていたし、彼は柔和に見えて、その実とても戦士らしい考え方をするひとだから。
ゆっくりと、トーレに手を引かれるままに歩いて東屋に着いた。海岸を見下ろす高台に作られた、色とりどりの花に囲まれた小さな東屋だ。
屋根の下には、ひとが横になれそうな大きさの石のテーブルがあった。
その周りにはぐるりと取り囲むように石のベンチが設えてあり、どれもが花や鳥の美しい彫刻で飾られている。
「トーレさん、ここでやるの?」
「いや?」
不思議そうに見上げると、トーレはにっこりと微笑んだ。
「“印”を剥がすのは、少し休んでからにしよう」
「でも」
「悪魔に抵抗するというのは、とても体力を使うことなんだよ。ここまで結構な気を張ってきたんだろう? さあ、ここで少し休もう」
たしかに、慣れないことに気疲れはしていた。トーレのところへ行こうと決めてからずっと、本当にこれでよかったのかという自問も続いていたのだ。
オーウェンは今ごろとても怒っているだろう。彼を信用してないからこんなことをしでかしたのだとすら、考えているかもしれない。
きりきりと締め付けられるように胸が痛む。
むしろ、オーウェンなら悪魔などものともせずに立ち向かうと思ったから、トーレのところに来たというのに。
ヴィエナはおずおずとベンチに座った。
海へと抜ける風にさやさやとそよぐ草の葉の音が、まるで子守唄のようだ。
自分は何もものを知らず、何も持たない、魔法もたいして使えない非力な子供でしかなくて……悪魔なんて関係なかったら、せめてあと三年大人だったら、自分は彼に釣り合う人間だと言えただろうか。
これからの悪魔祓いに耐えて、終わったあとも自分を保てていたら、彼に相応しい人間だと思えるだろうか。
今朝の、オーウェンとのあの出来事から感じたものは、自分の錯覚でも間違いでもなんでもないのだと思えるだろうか。
メイサの言うように、自分が保護すべき子供ではない、ひとりの女として見てくれるようになるだろうか。
ベンチに座って、天上の、どこまでも澄んだ空と海の青を眺めながら、取り留めもなくそんなことを考える。
天界の天上の青は思っていたよりも淡い青だった。オーウェンの瞳のようなはっきりとした濃い青い色ではなく、もっと淡い青で……。
ぱさりと軽い音がして、ヴィエナの身体を翼が絡め取った。
「膝を貸してあげよう。もう少しゆっくりとお休み」
「でも」
「大丈夫。ここは恋の護り手たる女神の領域だよ。女神の目を盗んで君に何かするものなんて、ここにはいない。それに、時間はまだあるだろう?」
「でも……」
「ここは女神のお膝元だ。悪いものは来られない。大丈夫だよ」
少しだけなら。
たしかに、少し疲れてしまった。
トーレの翼に包まれて、ヴィエナは目を瞑る。
* * *
「ここが、“十天国界”か」
「そうよ。ダーリンの故郷にして、善き神々の住まう次元。十天国界の中の、愛と情熱の女神の領域よ」
話には聞いていたが、実際に来たのはこれが初めてだ。
たとえ、次元渡りの可能な高位の魔術師や司祭であっても、他の次元のようにおいそれとは足を踏み入れることは無いという、“十天国界”。
感慨深くはあるが、ぐずくずはしていられない。
オーウェンは、すぐに指輪に向かって“言葉”を唱えた。しばし集中し、ヴィエナの居場所を確認する。
「こちらか」
オーウェンは迷わず、海の方向へ早足に向かう。
軽く肩を竦めたイレイェンも、後について歩き出す。
ほどなくして、海岸へと続く道の向こうに、小さな東屋が見えて来た。
光霊がいくつか、あたりを舞うように行き来していて……目を凝らすと、色とりどりの羽根で彩られた翼が見えた。
オーウェンの足が、今にも駆け出しそうなほどに速まる。
「トーレ殿!」
オーウェンの呼び掛けにトーレが顔を上げ、にっこりと笑った。東屋の前に出て、「来たんだ?」と小さく首を傾げる。
「トーレ殿、ヴィエナは」
「まだ無事だよ。その前に……ハニー、ありがとう。君にも足労かけてすまないね。疲れたろう?」
「大丈夫よダーリン」
トーレはようやく追いついたイレイェンを抱き上げて、キスを贈った。大切な宝のようにそっと横抱きにして、「潮風に冷えてしまうよ」と翼でその身体を丁寧に包む。
トーレの行動に諦めたような溜息を吐いて、オーウェンは東屋に入る。
「トーレ殿、これは……ヴィエナは、いったい」
その中の石のテーブルの上で、花に埋もれるように横たえられて目を閉じたままのヴィエナを、オーウェンは呆然と見つめた。
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