8 / 59
不協和音はぞろりと
しおりを挟む
スマホが振動する音で、恵叶と紗美は目を覚ました。リズミカルな振動音。緊急用にだけ設定しているこの音に、恵叶は飛び起きる。
えっ、何?
急いで画面を確認すると、ライリーからだった。
至急本部に来るように、とだけ書かれたメッセージが、暗闇の中で浮かび上がる。
内容は何もないが、その簡潔さが逆に文面で伝えられない深刻さを表しているようで、恵叶はひやりとしたものを感じた。
少なくともこの五年、午前四時に呼び出されたことはない。
着替えていると、ベッドの向かい側で、紗美も同じように着替えを始めていた。
「紗美、ねえ」
何て言い訳しようか考えていると、紗美は目も合わせないまま言った。
「ごめんね、恵叶。私、行かなくちゃ。仕事で呼び出されちゃった」
「そう。実は私もなの」
「え? 恵叶も?」
驚いたように、紗美が動きを止める。
紗美は旅行会社に勤めている。こんな時間に呼び出しがあるとは思えないが、それについて恵叶が追求することはできなかった。
自分が仕事について全てを偽っている以上、職場の話題を出したくない。
「異世界で何かあったのかしら」
紗美が髪を梳きながら言う。二人とも異世界に関わる仕事をしており、同時に呼び出しがあった以上、至極当然の疑問だった。
「そうかもね」
「恵叶のところには何て?」
「さあ。ただ早く来るようにって。……見積もりに重大なミスがあったのかも」
「そうなの? 災難ね」
「うん」
不手際で呼び出されたと思わせるために、恵叶はネクタイを手に取る。
昔の人の感覚はわからないが、これは首輪をかけられた犬を連想させるため、今の時代、謝罪の場や犯罪都市、レトロファッションでしか見かけないアイテムとなっている。
「恵叶、こっち」
振り返ると、紗美がネクタイを軽く引っ張った。慣れた手つきでネクタイを結んでいくのを見て、恵叶は驚く。
「……どこで覚えたの?」
「趣味よ」
きゅ、と紗美が結び目を調節し終えると、上目遣いで恵叶を見上げた。
「……できたわ」
「ありがとう」
「うん……」
「……?」
やるべきことは終えたのに、紗美はその場から動こうとしない。何か言いたそうに、恵叶のネクタイを指でいじっている。
「紗美? どうかした?」
紗美がネクタイから手を離した。
「ううん。……私、そろそろ行くわね。上司に怒られちゃうから」
「そうね、私も」
身支度を終えると、二人同時に家を出た。
夜明け前の住宅街は暗く、警備ロボが巡回する、静かな稼働音だけが響いている。
車庫に向かい、紗美が乗り込もうとしたところで、恵叶は思わず彼女の手をつかんでいた。
ふわりと黒髪が揺れて、紗美がきょとんとする。
「……恵叶?」
「あ、えっと」
恵叶はぱっと手を離すと、ぎこちない笑みを向けた。
「……気をつけてね、紗美」
「うん、恵叶も。いってらっしゃい。終わったら、連絡してね」
「紗美も連絡して。待ってるから」
ふわりと笑った紗美に微笑み返すと、わかれて車を出す。別れ際に見た彼女の笑みが、何故かしばらく脳裏に焼き付いて離れなかった。
『建設デザイン DWプロジェクト』
そう社名の入ったダミー会社に着くと、恵叶とほぼ同じタイミングで、実務を主とする精鋭たちが揃ってやってきた。
「おはよっす、ケイティ」
「ケイティ、おはようございます」
「おはよ。……おはようって時間かな」
一人がふわあと欠伸した。
「勘弁してほしいな、こんな時間に。彼女をごまかすのも大変で」
「仕方ない。行くわよ」
恵叶たちはスマホを取り出してパスポートを起動すると、異世界にジャンプして本部へと移動する。
中に入ると、すでに技術班ばかり勢揃いしていた。
彼らは恵叶たちより早くに呼び出されていたらしく、誰も顔すら上げようとしない。
これは……思っていたよりマズいかもしれない。
何よりそう思わせたのは、真剣な顔で膨大なデータを操るライリーの姿だった。あんな真剣な顔は、明るいダンス映画が実はホラー映画だと知り、観ようか迷っていたとき以来だ。
『いや……嘘だろ。絶対そんな怖くないて。昔の人怖がりすぎじゃん。ねえ、ケイティも一緒にこのミッドサ……』
『観ない。タイトルも知りたくない』
「ああケイティ、来たか」
ボスが手を叩いて注目を集め、一度スタッフの作業を中断させる。
「皆、呼び出してすまない。時間がないので、すぐに説明させてくれ」
ボスが指示すると、エアスクリーンの映像が切り替わった。映し出されたのは、CASのシステムのアクセスログだ。
細々とした数字と管理者名が並ぶなかで一つだけ、真っ赤に塗り潰された行があった。
「不正アクセスがあった。……九十分前のことだ」
はっと息を呑む気配がした。恵叶は知らず知らずのうちに、拳を強く握りしめていた。
不正アクセス?……そんな馬鹿な。
「えっと……うちの職員がアクセスに何度も失敗したとか、そういう意味ですよね?」
おそるおそる、訊ねる声が上がった。違うとわかっていても、訊かずにはいられなかったのだろう。
ボスは無念そうに首を振ると、
「……違う。外部から被害に遭った」
本部内が、水を打ったように静まりかえる。鳥肌が立ち、恐怖がぞろりと恵叶の背筋を伝った。
「……軍事レベルで暗号化されている、CASのシステムが破られた」
えっ、何?
急いで画面を確認すると、ライリーからだった。
至急本部に来るように、とだけ書かれたメッセージが、暗闇の中で浮かび上がる。
内容は何もないが、その簡潔さが逆に文面で伝えられない深刻さを表しているようで、恵叶はひやりとしたものを感じた。
少なくともこの五年、午前四時に呼び出されたことはない。
着替えていると、ベッドの向かい側で、紗美も同じように着替えを始めていた。
「紗美、ねえ」
何て言い訳しようか考えていると、紗美は目も合わせないまま言った。
「ごめんね、恵叶。私、行かなくちゃ。仕事で呼び出されちゃった」
「そう。実は私もなの」
「え? 恵叶も?」
驚いたように、紗美が動きを止める。
紗美は旅行会社に勤めている。こんな時間に呼び出しがあるとは思えないが、それについて恵叶が追求することはできなかった。
自分が仕事について全てを偽っている以上、職場の話題を出したくない。
「異世界で何かあったのかしら」
紗美が髪を梳きながら言う。二人とも異世界に関わる仕事をしており、同時に呼び出しがあった以上、至極当然の疑問だった。
「そうかもね」
「恵叶のところには何て?」
「さあ。ただ早く来るようにって。……見積もりに重大なミスがあったのかも」
「そうなの? 災難ね」
「うん」
不手際で呼び出されたと思わせるために、恵叶はネクタイを手に取る。
昔の人の感覚はわからないが、これは首輪をかけられた犬を連想させるため、今の時代、謝罪の場や犯罪都市、レトロファッションでしか見かけないアイテムとなっている。
「恵叶、こっち」
振り返ると、紗美がネクタイを軽く引っ張った。慣れた手つきでネクタイを結んでいくのを見て、恵叶は驚く。
「……どこで覚えたの?」
「趣味よ」
きゅ、と紗美が結び目を調節し終えると、上目遣いで恵叶を見上げた。
「……できたわ」
「ありがとう」
「うん……」
「……?」
やるべきことは終えたのに、紗美はその場から動こうとしない。何か言いたそうに、恵叶のネクタイを指でいじっている。
「紗美? どうかした?」
紗美がネクタイから手を離した。
「ううん。……私、そろそろ行くわね。上司に怒られちゃうから」
「そうね、私も」
身支度を終えると、二人同時に家を出た。
夜明け前の住宅街は暗く、警備ロボが巡回する、静かな稼働音だけが響いている。
車庫に向かい、紗美が乗り込もうとしたところで、恵叶は思わず彼女の手をつかんでいた。
ふわりと黒髪が揺れて、紗美がきょとんとする。
「……恵叶?」
「あ、えっと」
恵叶はぱっと手を離すと、ぎこちない笑みを向けた。
「……気をつけてね、紗美」
「うん、恵叶も。いってらっしゃい。終わったら、連絡してね」
「紗美も連絡して。待ってるから」
ふわりと笑った紗美に微笑み返すと、わかれて車を出す。別れ際に見た彼女の笑みが、何故かしばらく脳裏に焼き付いて離れなかった。
『建設デザイン DWプロジェクト』
そう社名の入ったダミー会社に着くと、恵叶とほぼ同じタイミングで、実務を主とする精鋭たちが揃ってやってきた。
「おはよっす、ケイティ」
「ケイティ、おはようございます」
「おはよ。……おはようって時間かな」
一人がふわあと欠伸した。
「勘弁してほしいな、こんな時間に。彼女をごまかすのも大変で」
「仕方ない。行くわよ」
恵叶たちはスマホを取り出してパスポートを起動すると、異世界にジャンプして本部へと移動する。
中に入ると、すでに技術班ばかり勢揃いしていた。
彼らは恵叶たちより早くに呼び出されていたらしく、誰も顔すら上げようとしない。
これは……思っていたよりマズいかもしれない。
何よりそう思わせたのは、真剣な顔で膨大なデータを操るライリーの姿だった。あんな真剣な顔は、明るいダンス映画が実はホラー映画だと知り、観ようか迷っていたとき以来だ。
『いや……嘘だろ。絶対そんな怖くないて。昔の人怖がりすぎじゃん。ねえ、ケイティも一緒にこのミッドサ……』
『観ない。タイトルも知りたくない』
「ああケイティ、来たか」
ボスが手を叩いて注目を集め、一度スタッフの作業を中断させる。
「皆、呼び出してすまない。時間がないので、すぐに説明させてくれ」
ボスが指示すると、エアスクリーンの映像が切り替わった。映し出されたのは、CASのシステムのアクセスログだ。
細々とした数字と管理者名が並ぶなかで一つだけ、真っ赤に塗り潰された行があった。
「不正アクセスがあった。……九十分前のことだ」
はっと息を呑む気配がした。恵叶は知らず知らずのうちに、拳を強く握りしめていた。
不正アクセス?……そんな馬鹿な。
「えっと……うちの職員がアクセスに何度も失敗したとか、そういう意味ですよね?」
おそるおそる、訊ねる声が上がった。違うとわかっていても、訊かずにはいられなかったのだろう。
ボスは無念そうに首を振ると、
「……違う。外部から被害に遭った」
本部内が、水を打ったように静まりかえる。鳥肌が立ち、恐怖がぞろりと恵叶の背筋を伝った。
「……軍事レベルで暗号化されている、CASのシステムが破られた」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
13
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる