女暗殺者の嫁もまた暗殺者

とも

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鑑賞会

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 ジャンプしたアリアは、魔法界の中心部にいた。
 道行く親子連れをすり抜けて、通りのお菓子屋さんに入る。その上階、アパートの一室に帝夜はいた。
 1LDKのリビングに、犯罪都市から持ってきた機械をごちゃごちゃと繋げている。壁には複数のエアスクリーンがあり、宙にはウインドウが表示されていた。
 帝夜は、その真ん前で椅子に座って、それらを眺めていた。
 ここは、御門帝夜名義の物件じゃない。帝夜は非公式に借りた家をいくつか所有しており、これもその内の一つだった。
「……帝夜」
 声をかけると、帝夜がゆっくりと振り返った。
「ああ、アリー。おかえり。帰ってこないから、心配したんだよ」
「ごめんなさい……」
「危うく、見逃すところだった。ほら、もうすぐ始まりそうだ」
 アリアはぎゅっと服の裾を握り、勇気を振り絞ろうとしていた。
 どうしよう……。
 話したいこと、訊きたいことは色々あるが、何から話せば良いかわからない。もじもじしていると、「それで」と帝夜がエアスクリーンから目を離した。
「アリー……どこに行っていたんだ?」
「あ……」
 口調こそ優しいが、どこか責めるような声色に、アリアの肩がびくりと跳ねる。
「あ、あのね、けい……CASと守護天使とね、一緒に過ごしてたの。少しの間だったけど。ちょっとした事故で……」
 怒られるかな。そう思ったが、帝夜はアリアから視線を外しただけだった。
 アリアは話を続ける。
「その……そんなに悪い人じゃなかったよ。足痛くて歩けないとき、おんぶしてくれたし、ご飯も食べさせてくれたの。あ、そ、そうだ。ヘキ邪にも会ったんだよ。ほら帝夜、生き物が好きだよね……。それで、それでね、もういいかなって思って……」
「……もういい?」
「だ、だから、思ったより、あの人たち怠惰じゃなくて……」
 父の教えがよみがえる。
『今ここで逃げたら、アリアは悪い子のままだ。それを一番許せないのは、結局のところアリアなんだぞ』
 恵叶が言った。
『自分のしたことに向き合うと約束して』
「やり過ぎちゃったかなって、今はそう思うの……」
 肩から力を抜く。固く握った拳が解けて、服がしわしわになっていた。
「……つまり、思いのほか良い奴らだったから、もう計画を中止したいと?」
 冷めた声色だった。怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもなかった。
「……僕は間違っているのかい? 僕は良い人じゃないのかな、アリー?」
「も、もちろん良い人だよ! 帝夜以上に優しい人なんて……」
 そう、帝夜は優しい。アリアに対して、怒ったことがないぐらいだ。
 それに比べたら、恵叶と紗美は怒りんぼだった。
 漫画を読みふけっていたら、恵叶に引きずり出された。銭湯で走ったら、すぐに紗美が注意してきた。
 ライリーなんて、初対面からボロクソに言ってきた。もうあれは、ただのいじめだと思う。それでも三人とも、命を賭してアリアを守ろうとしてくれた。
 パパやママと同じだ。
 パパもママもよくアリアを叱ったけれど、それはアリアを想っての行動だった。
 きっと、怒る側も嫌な気持ちになるに違いない。でも、それでもアリアに必要なことだから、嫌われ役を引き受けるのだ。
 帝夜はアリアを怒ったことがない。学校に行くかどうかの相談もしなかった。六歳のアリアに全てを任せた。
 怒られないのは、とても心地がいい。当たり前だ。
 でも、それは……私にとって本当に良いこと?
「あのね……二人が、犯人を捜してくれるって言ったの。だからもうこれ以上、天使とCASには……」
「……やはり子どもは単純だな」
「帝夜?」
 エアスクリーンを見つめていた帝夜が、がたりと椅子を蹴って立ち上がる。
「ああ、ようやくかかったか。見ていろ、アリー」
 帝夜が顎でエアスクリーンを示す。そこには、帝夜が所有する家が映っていた。
「僕の家に取り付けた、旧型の固定カメラだよ。映像を中継して、ここに送るだけのシンプルな物だけど、画質はなかなか綺麗だね」
「帝夜……」
 アリアは、ひどく嫌な予感がした。





 時間は少し前に巻き戻る。CASの本部では、慌ただしく人が動いていた。
「鑑定結果が出ました。犯行声明を書いたのは、御門帝夜です!」
「随分かかったな」
 白髪がつまらなさそうに言った。
「デジタル筆跡だけでは、なかなか絞りきれませんので」
 子どもが書いたわけじゃなかったか……。
 レオはコーヒーを飲みながら、報告を聞いていた。
 ケイティの抹殺をあらためて任されてはいたが、しらみつぶしに異世界を回るのは効率が悪い。
 足で情報を集める役は他にいるため、レオは本部で待機していた。
 ……これで、歪な悪意の謎が解けたぜ。
 二人以上が犯行に関わっていたから、行動とそこに潜む悪意が釣り合っていなかったのだ。
 凍り幽霊や偽の足場を実際に出したのは少女だが、立案したのは彼女じゃない。だから、現場での状況に耐えられなかったのだろう。
「けど、子どもは何のためにいんだよ……。どうせ、ホログラム作ったのも御門だろ? 子どもができるわけねーし。……最後までテメーでやれよな」
 呟くと、ボスが答えた。
「警戒心を解かせるためだろう。テロ行為では、女や子どもに爆弾を巻く奴もいたそうだ」
「うぜえ」
 紙コップを握りつぶすと、レオはサリエルズを睨み付けた。
「おい、子どもは被害者の可能性が高いぜ」
「だから何だ。スーパープリンターを起動させたのはガキだろう。自業自得だ」
 マジでうぜえ……。
 サリエルズが来てからというもの、イライラが収まらない。
「それで、御門帝夜の職場は」と白髪。
「数日前から、有給を取っているようです」
 ポニーテールがふふんと笑った。
「におうな。自宅は?」
「現世に一つありますが、もう何年も帰っていませんね。異世界には……三つ家を持っているようです」
 白髪は本部を見渡すと、威圧的に言った。
「全ての家に急行して、引っ捕らえろ。裏切り者の抹殺は、守護天使に任せる」
 精鋭たちがレオとボスを見る。小さく頷いてやると、彼らは準備に取りかかった。
「お前も行け。犯罪都市にある家だ」
 白髪に命令され、レオはイライラと動き出す。
「チッ……。三班に分かれろ。現場での細かな指示は順位に従え。ブレア、ディーン、キーリー、俺と一緒に来い」
「はっ」
 レオはパスポートを起動して、指定された地点にジャンプした。
 犯罪都市の外れだ。開けた場所で、めぼしいものは何もない。
 目標は私有地のため、まだ歩かなければならない。どこまでも続く稲畑を横目に移動し、ようやく帝夜の家が見えてきた頃には、昼過ぎになっていた。
「ちっちぇー家」
 額の汗を拭いながら、レオは呟く。
 随分な金持ちらしいが、ただの一軒家に見える。稲畑を前に、ぽつんと寂しく建っていた。
「到着したぜ。ナビゲーター、ボスに繋げ」
「了解」
 少しして、ボスが出た。
「レオ、もう少し待て。他の班の到着がまだだ。一斉に突撃する」
「おう」
 ブレア、ディーン、キーリーと顔を見合わせて、肩をすくめる。腹減ったな、と太陽の位置を確認したときだった。
 張り詰めていた糸が少し緩んだせいだろうか。ふいに、レオは疑問を覚えた。
「おい、ディーン」
「はい」
「犯行声明文ってのは、自分の気持ちを伝えるためのモンだよな? つまり、見せなきゃ意味がねえ」
「はい、そうです」
「けど、それは壊れたファイルの中にあった。妙だと思わねーか?」
「……確かに」
 犯行声明を書いたのは、御門帝夜。では、壊したのは?
 考えられるとしたら、あの子どもしかいない。じゃあ、どうして壊した。犯行に至った理由を伝えるだけの物なら、壊す必要はない。
 他に、何か別の意図が潜んでいたのだとしたら。自分がやろうとしていることに、恐れを抱いたのだとしたら。
「……あの声明文が、デジタル筆跡鑑定にかけられると、わかってたのかもしれねえ」
「だとすると……」
「ああ。罠だな」
 くそっ、とレオは頭をガシガシ掻いた。
 ケイティなら、もっと早くにその可能性を疑っただろう。一時間も、稲畑を歩かなかったはずだ。
 だから、戻って来いってんだよ……。あのボケ。
 結果として、上位組織を引っ張り出したことも嫌な予感がする。レオは通信機に手を当てると、
「ボス、他の奴らにも繋げ! ナビゲーターを引っ込ませろ! これは罠だ。ひとまず撤退を……」
「さっきから、ぐだぐだとうるさいぞ」
 レオは口をつぐんだ。それは、ボスの声ではなかった。
「ふん、敵を前に怖じ気づいたか。ビビリは、色々な言い訳を考えつくものだな」
「とっとと行け。お前らはそのためにいる」
「そんなんじゃねえ!」
 レオは怒鳴った。
「ケイティがいねぇ以上、俺がこいつらの命を預かってる! 現場にいるのは俺たちだ! 俺が『突入しろ』と言えば、こいつらはそうしちまうんだよ!」
「一時間歩いて、今更何を言っている」
「ジャンプされたら面倒だ。その前に引っ捕らえろ」
 チィッ、俺がもっと早くに気付いてりゃあ……!
 いつの間にか、他の班とも通信が繋がっているようだった。全員が配置についている。ブレアが複雑そうな顔をして、白髪だかポニーテールだかの命令に従おうと動き出す。
「待て、ブレア」
「レオ」
 レオはブレアの肩をつかむと、自身が前に出た。
「俺が確認する」
 扉の隙間に鏡を差し込む。何も仕掛けられていないか、妙な音はしないか。神経を研ぎ澄ませて、扉の向こうを探る。
「何をしている。そんなことをして、バレたらどうする! いいから、とっとと突入しろ!」
 キーリーが怒鳴り声に逆らえず、慎重な動きで扉に触れる。と、鏡に奇妙な配線が映った。扉に張り付くようにして、巡らされている。
 レオは手を引っ込めて叫んだ。
「おい! 突入を中止しろ!」
「突入しろ!」
 正反対の指示が鼓膜を打ち、その瞬間、異世界の三カ所で同時に爆発が起こった。

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