女暗殺者の嫁もまた暗殺者

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めちゃくちゃぐちゃぐちゃ

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 CAS本部はめちゃくちゃになっていた。
 高い機材はぐちゃぐちゃ。床には細かな破片と粉じんが積もり、デスクや椅子は粉々。物理的に誰とも連絡がつかなくなって、十数分が経つ。
 それでも、誰も逃げなかった。逃げればそのぶん、仲間が狙われる危険性が増すのをわかっているからだ。
 せめてもの抵抗で、何とかまだ無事なデスクを探し出すと、それを盾に構えた。
 戦闘に慣れないながらも、仲間がやられそうになると、「こっちだ!」と恐怖に震えながら声を絞り出した。
 麒麟は闘牛のように、デスクに角を突き立てては、うっとおしそうに頭を振る。怪我人は複数いるが、死者がまだ出ていないのは奇跡としか言いようがなかった。
 麒麟が椅子の山に頭を突っ込む。身動きできないのを見て、壁際に張り付いたサリエルズの二人が声を上げた。
「おい、やれ! 獣をぶっ殺せ!」
 ……駄目だ。
 ボスは一度だけ、金槌を握り直した。だが、駄目だった。どうしても、麒麟を傷つけるなんてできない。
 普段は温厚で、殺生を許さない生き物。天の裁判官といわれる彼に、乱暴な真似はできなかった。
 アレックスと協力して、麒麟に布をかぶせて目隠しをする。落ち着かせようと、頭から抱え込んでみるが、麒麟はじたばたと暴れ、後ろ脚で二人を跳ね飛ばした。
「うぐっ……」
「ボス!」
 背中の痛みに呻きながら、立ち上がる。
 アレックスは頭から血を流し、誰よりボロボロになっていた。
 ナビゲーターというのは、パートナーの気質が伝染するのかもしれない。仲間がやられそうになると、彼は果敢に助けに入った。
 誰も、拳銃を取りに行こうとしなかった。口にはしないが、皆わかっている。
 麒麟本人が一番、悔しいはずだ。こんなふうに、暴れ牛のように使われて。
 一斉にパスポートを使い、離脱する方法も考えた。だがそうすれば、麒麟が次に何を襲うかわからない。民間人を傷つけてほしくない。
 ここなら、せめて皆が防御に徹する。
 それに、CASのメンバーなら「正義を気取ったから、裁きが下ったんだ」と、あとで皮肉っぽく笑うぐらいはできる。あくまで、生きていればの話だが。
「死ぬな、誰も死ぬんじゃないぞ!」
 二つ、助かったことがあるとすれば、他の生き物は手を出してこない点だ。彼らはCASの壁を壊すだけ壊すと、どこかへ行ってしまった。
 多分、帝夜は精神的にじわじわ追い詰めたいのだろう。
 もう一つは、ボスたちの戦い方は洗練されていないため、麒麟の動きが良くなることはないところだ。
 これだけは精鋭にも真似できない、技術班ならではの戦い方。自嘲っぽく、そんなことを思った。
 また、麒麟が突進してくる。三人ほど投げ飛ばしたあと、デスクに角が引っかかった。無事な者がよろよろと集まり、麒麟に目隠しをすると、今度こそ横倒しにする。
「よ、よし」
「やった」
 麒麟が暴れるが、複数に体重をかけられて思うように動けない。
「ボス、どうしましょう。縛りますか?」
「空き部屋に閉じ込めては?」
 口々に問われるが、正解がわからない。と、角がボロボロに削れているのに気付いた。
「とにかくこの体勢を保って……。誰か、包帯を取ってこい。角に巻いてやれ」
「はい」 
 ばたばたと応急処置に動いていると、白髪が怒鳴った。
「何を躊躇っている! 今のうちに殺せ! 相手はただのAI仕掛けだぞ! 人間じゃない!」
 わかっているさ、そんなこと。だが、無理なんだから仕方ない。神社の賽銭箱に、しょんべんを引っかけられるか? それと同じだ。
 もうボスには、ケイティやレオたちを信じて待つほかなかった。
 数人がかりで麒麟を手当てしていると、ふらふらとポニーテールと白髪が近づいてきた。
「い……今ならいける。今なら、いける……」
 ポニーテールがぶるぶる震えながら、金槌を構えている。ボスははっとした。
「よせ、止めろ!」
「早くやれえ!!!」
 白髪に背中を押され、ポニーテールが金槌を振り上げる。危険を察した麒麟が身をよじり、大きく暴れた。
 技術班が飛ばされ、蹄がめちゃくちゃに動く。麒麟が身を起こしたことで、角が下方から突き上げるように動き、鮮血が散った。
 そんな。
「あああああ! 腹が破れた! 腹が、痛いいいいい!!!」
 ポニーテールが叫んだ。角に深々と刺し抜かれたらしく、血だまりができている。白髪はというと、頭を蹴られて気絶していた。
 血を見て興奮したのか、麒麟が鼻息荒く前脚を振り上げる。ボスはかろうじて避けると、真正面から首を抱え込んだ。
「ボス!」
「ううっ……」
 角がゾリゾリと脇の下と腕をえぐる。肉が削られる、鮮烈な痛みが走る。ぼたぼたと血が落ちていくが、それでもボスはしっかりと抱え込んだ。
 ケイティもレオも頑張っている。俺が身を削らないでどうする……。
「ボス! 手を離してください!」
「平気だ」
 言って、麒麟に向かって語りかける。
「落ち着きなさい……。お前は人を殺してはいけない。わかっているはずだ、お前自身がどれほど貴い存在か……」
 麒麟が黒い瞳を向ける。その目は深い色をしているのに、体だけが別物のように暴れている。
「ば、馬鹿かぁ、貴様は……。はや、早く、その獣を殺せえぇ……」
「麒麟の責務を思い出しなさい。いたずらに人を傷つけてはいけない……」
 痛みで気が遠のきそうになりながら、それでもボスは語りかけ続けた。



 ヘキ邪がふわりと浮き上がるようにして、屋根に上ってきた。
 恵叶はそれを確認したが、何も考えなかった。先ほどから体が、血が、燃えるように熱い。ずっと動き続けていて、手足が焼き切れそうだ。
 ……右腕は、本当にちぎれそうな感じがするけど。
 一度でも足を止めたら、もう動かない予感はある。だから恵叶は何も考えず、動き続けていた。
「凄いね。攻撃がどんどん正確に……」
 帝夜の言葉は続かなかった。左手一本で斬りかかり、不死鳥が悲鳴を上げる。赤い羽根が舞い、赤い飛沫が弾ける。
「土壇場で、君まで進化するのか。全く、全く……」
 屋根に降り立つ。不死鳥が痛そうに体を傾け、恵叶はまた踊るように振り返った。相手の動きが鈍い。
 跳ぶ。ヘキ邪が邪魔だ。鹿の角をこちらに向けてきたので、大剣で受け流す。
 隙を突こうと考えていたはずなのに、いつの間にか真正面から連撃していた。
「そろそろ面倒だな」
「私も」
 不死鳥が炎を吐こうと、体を膨らませる。ヘキ邪がまたも、恵叶に向かって突進してくる。その二つを同時に目にして、恵叶は迷いなく動いた。
 ヘキ邪の背に手を突き、ぽんと跳ぶ。そのまま尖塔を飛び越え、炎の障壁にした。気道が焼けそうなほどの熱気に襲われる。真っ赤な炎が、体のすぐ側を舐めていく。
 ぐら、と炎の道が揺れた。不死鳥がダメージを負っている。恵叶は尖塔の窓をつかむと、傾斜のきつい屋根に跳び上がった。滑り降り、頭をかがめて炎を避ける。
 タタタッと屋根を駆けていくと、
「ま、まさ……!」
 躊躇なく、不死鳥の喉元に大剣を突き刺した。
 ギャアアアアア。
 断末魔が響く。骨と肉を断つ嫌な感触がして、大量の体液が降りかかった。素早く引き抜くと、大きな音と共に、不死鳥が屋根の上にのびた。
 びくびくと痙攣する不死鳥から、よろめきながら帝夜が下りてくる。
 ……っと。
 ヘキ邪が恵叶に襲いかかろうとしたので、バシリと足を引っかけてやる。彼女はいとも簡単に落下しまった。
 戦闘に向いている生き物でないのはわかっていた。軽い生き物だから大丈夫だろう。……そう思いたい。
 目に入った体液を拭うと、恵叶は大剣の切っ先を帝夜に向けた。
「降参して」
 帝夜の鳩尾からは、おびただしい血液が溢れていた。不死鳥ともども貫いたのだ。
 あの体では、もうAI仕掛けの生き物を乗り回せない。それだけの体力がない。
 パスポートを使って逃げても、付き添いジャンプで一緒に行く。
 もう帝夜にうつ手はない。……勝った。私の勝ちだ。
「スマホを渡して」
「ふ、ふふ」
 額に脂汗を浮かべ、鳩尾を押さえながら、帝夜はかろうじて笑った。
「思い通りにいかないのは、本当に腹立たしいよ。このままじゃ、終われない……」
「スマホを壊すつもり?」
 恵叶は静かに訊ねた。
「そんなことしたら、AI仕掛けの生き物の暴走は止まらない。パニック状態じゃ、医療行為は受けられないわよ。死にたくなかったら、さっさと……」
 帝夜が目を細めて、不気味な笑みを浮かべた。肺が傷ついたのか、口から血が流れ出ていく。
「君たち全員、子どもを持っていないだろう……」
 意図の読めない問いに、恵叶は眉をひそめた。
「パスポートには、未就学児対象の有料サポートがあってね。迷子防止ジャンプっていうんだけど……。これには穴があって、六歳になったときに申告をしないと、ずっとサポートを受け続ける設定になるんだ……」
 何を……言っている。
「アリーに……僕は一度出し抜かれてる。スマホで、守護天使に助けを求めやがってね……。それなのに、僕がアパートにスマホを置いておくなんて、おかしいと思わなかった……?」
 ぜえぜえと呻きながら、帝夜は続ける、
「本人から取り上げているのを見て、そこで思考が停止したかな……? 壊さないのは妙だ、とそこまで思わなくちゃ……」
 ライリー! と恵叶は呼びかけた。
「アリアにスマホを手放すよう……」
「遅いよ」
 一瞬だった。恵叶が通信に気をやったその瞬間、帝夜がスマホをタップした。
「迷子防止ジャンプを使うとね、子どもを強制的に呼び寄せられるんだ……」
 バチィ! と閃光が走り、聞き慣れたジャンプの音がする。ジャンプ指定地点でもないのに、異世界を渡ろうとする人物がいる。
 現れたのは、こんなところで一番会いたくなかった子。
「アリア……」
 恵叶は消え入りそうな声で、彼女の名前を呼んだ。


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