女暗殺者の嫁もまた暗殺者

とも

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だからこそ

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 くっ付くものね……。
 呆れた思いで、恵叶は右腕を白い天井にかざした。ぷらぷらしていたから、もう駄目かと思ったが、ちゃんと神経は通っているし痺れもない。
 現代医療こそ、本物の魔法かもしれない。
 グーパーしていると、紗美がいやらしい手つきで指を絡ませてきた。
「指、動いてよかったわね。色々できなくなるところだったわ」
「紗美が言うと、なんかエロいんだけど……」
「恵叶がエロいことばっかり考えてるから、そう聞こえるの」
「そう……かなー……?」
 異世界に天使が舞い下りて、一週間が経った。
 恵叶はあれからすぐ、現世の病院に搬送された。適切な治療を受けて、麻酔で朦朧とした日々を送り、目が覚めたのが昨日のこと。
 複数の骨が粉々に折れていたせいで、それを繋げるのに時間がかかったらしい。
 治療には深く感謝しているが、今こうして命があるのは、ひとえにワルキューレのおかげだ。
 ワルキューレがあの場で処置してくれなければ、そもそもジャンプの負荷に耐えきれなかったらしい。もしあのままジャンプしていたら腕は間違いなく落ちていたと、治療ロボや医者に言われて、恵叶はぞわりとした。
 ようやく会話できるようになると、紗美がベッドに潜り込んできた。甘えるようにすり寄ってきて可愛い。
「ここ、病院だけど……」
「いいじゃない」
『よくありません』
 ガーガーと怒る治療ロボを無視して、紗美は、恵叶が眠っていた間に何があったのかを教えてくれた。
 まず、AI仕掛けの生き物への命令は、まだ解かれていないとのことだった。
 天使が全てのAI仕掛けの正気を取り戻し、おかげで暴走は止まったが、命令自体はまだ残っている。
 危険だということで、異世界は現在、専門の調査チーム以外は立ち入りできない。パスポートの修理自体は、時間さえあれば難しくないので、一般人の避難は完了した。
「バックドアを埋めたり、今後の予防策をとったりで、大変らしいわよ。私にはよくわからないけど、アリアもずいぶん働かされてるって」
「そのほうがいいわ。反省を見せられるから」
「あと三日ぐらいで、命令を取り消せそうだって。ミカエルが教えてくれたわ」
 その間に、AI仕掛けの生き物たちは、自発的に壊れた街を直し始めた。最初は本能的に暴れ出したりしないか、警戒されたらしいのだが、その心配はないとすぐにわかった。
 AI仕掛けの生き物の本能は、誰かを思いやることだった。
 その映像はリアルタイムで全世界に流されており、ちょっとした娯楽コンテンツになっている。
 恵叶からすれば『今回のことで異世界を閉鎖したくない』という、金持ちやお偉方の意図をひしひしと感じてしまうが、世論はわりと単純なもので、『無理やりに人を襲わされたが、本当はこんなに優しいのだ』と感動と同情を買っていた。
 ……これを経て、異世界への旅行需要が高まったのは、本当に意味がわからない。
 サリエルズの四人は辞職した。
「……四人?」
「ええ。異世界安全保障理事会と世界情報管理事務局から、それぞれツートップが」
「責任を取って辞めたの?」
 くす、と紗美がおかしそうに笑った。
「ううん。怖くて辞めちゃったって」 
 四人とも命はあったが、守護天使とCASの本部で四神に襲われたらしい。それですっかり恐怖を覚えたらしく、全員辞職してしまった。
「うちには鳳凰が、CASのところには麒麟が来ていたんだって。正気に戻っても、血を洗い流すまで留まってくれたらしくて、あなたのボスが嬉しそうにしてたわよ。『麒麟と心が通じた』って」
「珍し」
 ボスが嬉しそうにしているところなんて、見たことがない。明日は天使でも降るんじゃないか。
「ミカエルたちは?」
「平気よ。とにかく、恵叶よりは軽傷。ミカエルは『オーディンと写真が撮れなかった』って、ずっとぼやいてるけど」
「紗美も平気?」
 さらさらの黒髪を触っていると、紗美が小さく頷いた。
「ええ。神様と戦うなんて、もう二度とごめんだけど」
 紗美が恵叶の耳をくすぐる。それを見て、病室の隅にいた治療ロボが怒り始めた。
『病院内では、セックスは禁止されています』
「しないったら。うるさいわね」
『体温の上昇、興奮具合から、あなたは患者にセックスを望んでいるものと解釈します』
「黙れ。廃棄願望と解釈するわよ」
 紗美はフルーツバスケットにあったリンゴを取ると、治療ロボに向けて投げた。そのとき、病室の扉が開いて、レオとライリーが顔をのぞかせた。
 治療ロボに当たる直前で、レオがばしりとリンゴをキャッチする。
「おう、元気そうだな。ケイティとケイティ嫁」
 シャク、とリンゴをかじりながら、レオは壁にもたれかかった。
「話がある」
「何?」
 紗美がベッドから下りた。
「まずは仕事についてだ。俺らも守護天使も、今まで通り働けるようになった。お前らへの抹殺命令も処分も、完全に取り消された」
「そう」
 ライリーはベッドに腰掛けると、バスケットからリンゴを取り出した。包丁で、器用にリンゴを剥いていく。
「だけど、仕事を続けるには条件があってねー」
「バックドアがあった事実を口外しないこと?」
「その通りー」
 薄い布のように垂れ下がった皮をくわえながら、やっぱりね、と恵叶は頷いた。
「ケイティ、皮食べるの……? 皮を取ってる意味よ……」
 流れるように出てくる皮をむしゃむしゃ追いかけながら、
「私たち、だいぶ一般人に姿を見られたと思うけど、それでも今まで通りなの? 今まで通り、異世界の極秘機関って?」
「おかしな話だがな。公然の秘密、暗黙の了解」
「誰だって、薄々気付いてはいたんだと思うよー。異世界の犯罪を取り締まる人間はいるって。じゃなきゃ、犯罪都市を創るまでもなく、全部が無法地帯でしょ」
「それを公に認めるかどうかは、また別の問題ってわけだ。……意味わかんねえことにな」
 見たい情報しか見ない、ということか。
 政府には管理されたくない。CASがいるのは認めない。でも、治安は維持してもらわないと困る。
 だから、守護天使の存在を信じて、異世界の存続を望むと。
 ライリーがリンゴを丸裸にすると、芯を取り除いて四等分した。四人で一つずつ手を伸ばす。
「仕事を続けるかどうかは、また正式に聞きに来るとして。……問題はアリアね」
 しゃくしゃくとライリーがリンゴをかじりながら、
「帝夜の命令が解除され次第、あの子は入院させられる」
「……そう」
 徳を育まず知を育めば、社会の脅威となる。そんな言葉を、恵叶は思い出していた。
「それで、穴は?」
「あの子の場合、監督責任者がいないっていうのが大きいんだよ。叔母は引き取るのを嫌がっているし。ちゃんとした引き取り手が現れれば、強制入院の猶予期間が与えられるとさ」
 そっか、と恵叶は軽く頷いた。
「じゃ、何とかなりそうね」
 はあ、と三人が呆れたように笑った。
「いいのかー、ケイティ。子どもを育てるって大変だぞ」
「まあ、私たちなら大丈夫でしょ。ね、恵叶」
「もちろん。……スリの仕方とか教えないでね」
「教えないったら! もう、信用ないわね!」
 恵叶は紗美に笑ってから、
「ところで……。全然関係ないんだけど、CASにIDがないせいで、特別危険手当の申請ができないんだけど……」
「確信犯だよな。あれ、申請期間は一週間らしいぜ」
「はっ!?!?」



 それからさらに二週間が経ち、恵叶は深く悩んでいた。
 今の自分の選択は正しいのか。他人に言われるまま、流されて動いてやしないか。いや、そもそもこれは、人生に必要なことなのか。
「ううん……。うーん……」
 ベッドに座り、腕を組んで考える。すぐ横には、裸で眠る紗美がいる。起こさないようにしながら、恵叶は再び室内AIとの問答を始めた。
「よし、それじゃ……始めて」
『本当に視聴されますか?』
「します」
『これは恵叶さん自身の意思で間違いないですか?』
「間違いないです」
『エチケット袋の用意はいいですか?』
「うん、まあ……」
『お手洗いは済ませましたか?』
 恵叶は腕を組んだまま、眉をひそめた。
「……ねえ、そんなに怖いの? その『ゴーストバスターズ』って映画は」
『レベル9には辛い描写がございます』
「レベル9言うな」
 発端は、守護天使との会話だった。数日前、現世のカフェでミカエルとお茶をしていたとき、彼女が思い出したように言ったのだ。
「そういえば、私も凍り幽霊を見てみたかったな。凄い出来だったと聞いたが」
「……ホラー大丈夫なの?」
「まあ、平気なほうだ」
「レベルは?」
「最高で78だから、たいしたことはないが」
「へ、へえー……」
 ホラー映画には、それぞれ恐怖レベルが振り分けられている。恵叶は、レベル9までしか観たことがなかった。
 10が最高レベルだと思っていたんだけど……!
 それで悔しくなり、レベル15の映画に挑戦しようと思い至った。
「よし、よし。それじゃ……」
 視聴開始、と言おうとしたところで、玄関から元気な声がした。
「ただいまー!」
 アリアが学校から帰ってきたのだ。紗美が起き上がり、のろのろと着替えを始める。いったん映画はおいて、恵叶は玄関で出迎えた。
「おかえり」
 アリアは「ただいま」と、にぱっと笑った。年相応の笑みで、靴下が泥だらけになっている。今日も、どこで道草を食ってきたのやら。
 最初は、その特殊すぎる生い立ちと頭脳で、どのクラスでもハブられるのではないかと心配したが、案外上手くやっているらしい。
「ねえねえ、このにおい何?」
 アリアが鼻をひくひくさせた。
「家事ロボが、ポップコーン作っててね。一緒に映画観る?」
「観るー!」
 きゃあ、とはしゃいで、アリアが手を洗いに洗面所に行く。その姿を見送ってから、恵叶はボウルにポップコーンを山盛り入れた。
「いいにおーい」
 運んでいると、紗美とアリアが同時に言って、ポップコーンをパクついた。二人をリビングに誘導しながら、恵叶は言う。
「……やっぱり、明るくて皆でダンスするような映画に変更で」
『ホラー映画でしたら、『ミッドサマー』があります。これはレベルが8……』
「ああ、じゃあそれでいいわ」
 アリアがミルクシェイクを持ってきて、三人でソファに座る。
 異世界は、常にスリルに満ちている。危険に心臓を高鳴らせるのは、もはや生まれついた性だが、こうして家族で集まって、ゆったりまったり怖くない映画を観るのも悪くない。
 信じた結婚相手は嘘にまみれていて、子どもは強制入院の執行猶予中で、全く思い通りにいかない人生だが、少なくとも倦怠期とは無縁だ。
 ぱくぱくとポップコーンを食べながら、恵叶は笑みをこぼした。
「……視聴開始」


 終わり。

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