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第33話

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 同僚の祖母が言うには、町から20キロほど離れた西の森には不老不死の魔女が住んでいるらしい。なんでも、何百年も前から生き続けているというすごい魔女だ。
 魔女のつくる薬は『魔女の秘薬』と呼ばれて、飲めばどんな難病でもすぐさま快復させてしまうとか、失った手足でも瞬く間に生やしてしまうとか……とにかく、物語にありがちな万病を治す薬なのだと言う。

 もし仮にそんな都合のいいものが実在するとしたら、この世から医者が消えてしまうに違いない。傷病が原因で亡くなる人も居なくなるし……いや、「不老不死」と言うからには、もしかすると人の寿命まで操れるのではないか? それどころか、死人すら生き返らせてしまうかも?

 ――なんて、同僚があまりにも真剣な表情で話すから、私まで真剣に考察してしまった。魔女が存在するという話だけでも抱腹絶倒なのに、その上で万病を治す秘薬と来たらもう笑うしかない。

「じゃ、じゃあ次の休み、検査しに病院へ行くわね。秘薬は――ふふ、高そうだから……」

 必死に笑いを堪えながら告げたけれど、声が震え過ぎていたため同僚に「あーあ、言わなきゃ良かったわ!」とそっぽを向かれてしまった。
 本気で心配してくれていただろうに、申し訳ない。申し訳ないけれど、さすがに20歳を超えた大人の口から『不老不死の魔女』はないだろう。私は悪くない。

 とにかく、病院へ行く時間をつくるためにも働かないと――今は忙しいけれど、倉庫整理さえ済めば少しは落ち着くはずだ。別に無理をしたい訳でも体に鞭を打ちたい訳でもなくて、やはり商会長たちから頼られると嬉しくなってしまうし、期待には応えたい。

 実家の両親には期待の『き』の字も掛けてもらえなくて、学校で過ごしている間にもこれと言った特別感はなかった。社会に出てもそれは同じだったけれど――私に役割を与えて活かしてくれるのは、いつだってこの商会だけなのだ。
 公私ともに散々助けてもらっているし、受けた恩は死にもの狂いで返さなければ気が済まない。

 なんの取り柄もない「年齢の割にはしっかりしている」だけの子供に子守という役職を与えて、受付に立たせて――仕事で忙しい母の代わりに、商会長夫人が私の相手をしてくれた。あの人だって経理として忙しかっただろうに、子供が好きだからと帳簿を計算するやり方まで教えてくれた。そのお陰で、初等科学校では算数が得意だった気がする。

 そうしてゴードンが生まれてからは――言うまでもない。彼と結婚したあとに増える役割は『妻』と『経理』、そして『母』だ。もう秋口までひと月ない。

「……となると、確かに検査ぐらいしておいても損はない――か」
「だから言っているじゃないの。そう高いものでもないんだし、絶対にしておいた方が良いって」

 若いから検査なんて必要ないと思っていたけれど、同僚の言う通り、若いからこそ必要なのかも知れない。子宮に限らず病気なんてものは早期発見できるかどうかに懸かっている。病気ではないにしろ、不妊に繋がるリスクがあると大変だ。
 いくら商会長夫妻が私を可愛がってくれているとは言え、それは将来的にゴードンの妻として女の役割を果たすことを期待してのことだ。私に対する先行投資とも言える。

 もし子を産めないとなれば、その先はもう事前に商会長夫人から忠告された通りだ。お飾りの妻になるか、それが無理なら初めから結婚しないか――。

 なんだか途端に恐ろしくなってきた。魔女の秘薬なんて突拍子もない話を聞かされたせいだろうか? 我慢できる痛みだから全く問題ないなんて、言い切れないのではないか。
 やはり今日の残業は断って病院へ行こうか。一度でも検査して「健康そのものです」と太鼓判を押されたら、その先は安心して生きられる気がする。私の個人的な事で残業を断るのは忍びないが、きっとゴードンに話せば、過保護な彼は味方してくれるだろう。

 そんなことを本気で悩んでいると、途端に商会の入り口前が騒がしくなった。何やら聞き覚えのある甲高い泣き声がすると思って外に出れば、なぜだか人だかりができている。
 その中心にはゴードンと、彼に抱かれて背中を擦られているカガリの姿があった。

 一体何があったのかカガリは大泣きしていて、あれだけ嫌っていたはずの彼の首筋にしがみついて離れない。

「……ゴードン? 何があったの?」
「ああ、セラス! ちょっと、大変なことになっているわよ!」

 思わず呟けば、人だかりの中から商会の先輩が振り返って説明してくれる。

「実はさっき、カガリちゃんに手を出そうとしたバカ男が居てね――」
「えっ!?」
「前からしつこく話しかけたり、ちょっかいをかけたりしていたらしいのよ。毎日ここに来ていることも把握済みで、今日なんて学校から商会までの道をずっと追いかけてきたみたい……たまたまゴードン――次期商会長が外回りから戻って来たところで、男は無事に追い払えたんだけど」

 先輩はそのまま「次期商会長、この町で一番迫力あるものね……そりゃあ、犯罪者も裸足で逃げ出すわよ」と肩を竦めた。けれど正直私は、それどころではなかった。
 まんまと私が危惧した通りになっているではないか。まさか、こんなにも早く暴漢に襲われるとは思いもしなかったけれど。

 私は人混みをかき分けながらゴードンとカガリの下へ急いだ。

「ゴードン! 聞いたわ、妹を助けてくれてありがとう。――カガリ、平気? 怖かったでしょう……」
「セラス……」

 泣いてばかりで離れようとしないカガリに、ゴードンは困った様子で眉尻を下げている。カガリがあまりにも泣くからどんどん人だかりが増えているし、下手をすれば母の耳にもこのトラブルが届くかも知れない。
 もしそうなったら、カガリは家に軟禁されてしまうのではないだろうか? それはさすがに可哀相だ――いや、身の安全を守るためには有効なのかも知れないけれど。

「……ひとまず、中へ入りましょう。ここじゃあ落ち着けないわ」
「ああ、分かった。――おいカガリ、もう平気だ。大好きなお姉ちゃんに抱っこしてもらえ」

 ゴードンは「その方が安心できるだろう」と続けたけれど、カガリは嗚咽を漏らしてぶんぶんと首を横に振るだけだった。
 彼は、自分が頼り甲斐の塊であるという自覚がないのだろか? 私としても――例え背後から誰かにタックルされたって――絶対にカガリを取り零さないと言い切れる、ゴードンに保護してもらっている方が遥かに安心だ。それはカガリ本人とて同じことだろう。

 私はゴードンと彼に抱かれたカガリと共に、商会の中へ入った。
 途中、人だかりから「やっぱりゴードンって怒らせると怖いんだな」「ついノリが良いからってセラスにセクハラじみた冗談を言っていたけど、今後は辞めよう」「あーあ、アンタ殺されるわよ」なんて言葉が耳に届いて、嬉しいようなそうでもないような、とにかく複雑な気持ちにさせられた。
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