上 下
149 / 451
第5章 奈落の底で絆を深める

6 光に長けた者

しおりを挟む
「道理で妙な寒気がすると思ったんだよ……あたしが居ないところで、勝手に面白いイベントもぎ取って来やがって! なに、繊維祭? ファッションショー? 最早懐かしさすら感じるね!」
「怒ってるのか喜んでるのかどっちなの、オネーサン」

 呆れ顔の右京はいまだに大人の姿のまま。マナの吸収を抑制する魔具のせいで、耳と尻尾は違和感が満載――浮かれお祭りスタイルのままだ。その隣に立つ陽香もまた、目立ちすぎる素顔を隠す為なのか、側頭部に付けていたアルミラージのお面を被っている。

 傍目から見れば、祭り帰りのえらく身長差のあるバカップル――いや、これでは年齢差のある兄妹と言ったところだろうか。身長についても年齢についても、下手に弄ると怒りを買うため胸中で思うだけに留めた。

 颯月は正妃と王太子と別れた後、天幕の外で待機していた幸成達へ、祭りの後始末と街の外の片付けをそれぞれ言い付けた。そして次に、どこかへ身を隠しているはずの陽香を探した。

 しかし意外とすぐ近くに潜伏していたのか、綾那が名を呼べばすぐに「お疲れィーす」と現れた陽香。そうして彼女不在の内に決まってしまった、繊維祭の出演依頼を伝えた所――意気揚々と冒頭のセリフを吐いたという訳だ。

「だって右京! お前、ここ二か月――いや、もう三か月ぐらいになんのか!? あたしもアーニャもまともに仕事してねえし、撮影はろくにできてねえし、ほぼ廃人だぜ!?」
「廃人は言い過ぎなんじゃないの」
「そこへ、ようやく飛び込んで来た仕事! しかも『広報』らしく服の宣伝塔になるとか、受ける以外の選択肢が――アレ? てかあたし、そんな顔を売るような事して平気なのか? そう言えばまだ、『広報』として騎士に挨拶すらしてねえような」

 こてんと思い切り首を傾げた黒兎に、颯月は頷いて見せた。

「むしろ、その日をアンタの披露目ひろめ式にしたい。詳しい事はよく分からんが、何やらアンタ「街の女に刺されるかも」と心配して、騎士団の宣伝動画に映る踏ん切りがつかないんだろう?」
「……いや、どう考えたって刺されるだろ。颯様、騎士団の訓練場に集まるハゲワシ――違った、街の女を見た事ないのかよ? 正直あれはマジでヤバい。骨までしゃぶり尽くす屍肉しにく漁りの目をしてる」
「街の女性をハゲワシに例えるのはやめよう、陽香」

 やんわりとツッコミを入れた綾那に、陽香は「でも、明日は我が身だぞ? 少しでも隙を見せれば、こっちがしゃぶり尽くされちまう」と言って、ぶるりと震えた。
 颯月は小さく「あんなスケルトンの大群、誰が好き好んで視界に入れるか」と呟いてから、咳払いをする。

「とにかく繊維祭で、アンタが正妃サマとすれば良いだけの話だ。悪魔憑きの俺でさえ、正妃サマと懇意にしているらしいというありがたい噂のお陰で、舐められずに済んでいる。アンタも正妃サマと仲睦まじい姿を領民に見せれば――騎士団の広報として動画に映り込んだとしても、誰も文句は言わんだろう」
「共演――正妃の姉さんと、コラボするって事? なんか虎の威を借る狐って感じだけど、でもまあ……アリだな。スタチューでも影響力のある先輩とコラボして、それがキッカケで無名の新人がバカ売れするって風潮、割とあるし」

 ふむ、と感心したように頷く陽香に、颯月は続ける。

「そもそもアンタただえさえ『正妃サマの再来』だから、なんの心配もないと思うがな。あの人も若い時分はこうだったのかと思うと、本当にゾッとする――」
「ゾッとするってなんだ? ふざけんなよ、オイ。そこは普通、あの人にも小娘の時代があったと思えば、可愛げがあるな――だろうが。いや、まあとりあえず、分かった。こっちのショーがどんな感じなのか全く分からん事には、場当たり的な部分あるけど……やってみる」

 出演依頼を引き受けた陽香は、おもむろにお面を外すと「てか、その話は良いんだけどさ」と言って、大きな猫目をじとりと細めた。

「さっきからちょっと、距離が近すぎるんじゃねえのか。指導だぞ、シドー」

 まるで柔道の審判のように手をくるりと動かして、指導のジェスチャーをする陽香。彼女はそのまま、終始やたらと距離が近くぴったりと寄り添う綾那と颯月を引き離そうと、手を伸ばした。しかしその手が到達するよりも前に、颯月が綾那の腕を引いて自身の背に隠した。

「――颯様?」

 ぴくりと片眉を上げた陽香は、「なんのつもりだ」と言いたげな表情をしている。何を答える訳でもなく、ただ首を横に振って渡さないと意思表示する颯月に、陽香は大きなため息を吐き出した。

「あのさあ……確かに、アーニャの大出血サービスは衝撃的だったけど」
「大出血サービス……」
「ここは街中で魔物も眷属も居ないんだから、そんな神経質にならなくたって良いだろ――あ、いや、そういやゼルは? アイツ今どこで何してる? 四重奏カルテットのお色気担当大臣に、こんな真似をした落とし前をつけさせねえとな」

 言いながらゴキゴキッと手の骨を鳴らす陽香に、綾那は苦笑した。
 確かに今回起きた様々な面倒事は、全て悪魔ヴェゼルが「ルシフェリアが構ってくれないなら、もう良い」と自棄を起こした結果である。祭りを楽しむ領民に被害はなかったものの、街の外で魔物や眷属と対峙していた騎士は、多くの負傷者を出した。

 その罰は受けさせるべきだろうが――しかしヴェゼルに「痛い遊びはもうナシにしよう」と説いた手前、陽香が彼に対して手酷い制裁をするのは、避けたい所である。

(そもそも、今どこに居るんだろう。後で説教するとは言ったけど、無視してに帰っているかも)

 どうするべきかと思いつつ、綾那はふと空を見上げた。すると、上空高くを漂っていたサッカーボール大の光球――ルシフェリアが、ぴゅーんと降りてくる。

『ねえねえ、君。その傷、今すぐ消したい?』
「――へ? 傷ですか? 消すって……」

 ヴェゼルの処遇についてアドバイスをもらいたかったのに、思いもよらない言葉を投げかけられた綾那は、ぱちくりと目を瞬かせた。今この場でルシフェリアの声と姿を見聞きできるのは、綾那だけだ。オウム返しした言葉に、すかさず陽香が反応した。

「うん? シア居んのか? ――え、もしかしてアーニャの傷、シアなら治せるとか!? 治せ治せ! こんな顔じゃお色気も半減だっつーの!」
「何? できるならすぐに治してくれ。傷があってもこの上なく魅力的だが、はやり俺の綾に傷があるのは耐えられん」
「まだ『颯様のアーニャ』じゃないけどな」

 胡乱な目を向ける陽香に苦笑いしつつ、綾那は改めてルシフェリアを見やった。右へ左へ揺れる光球は、何やら機嫌が良さそうだ。

「私、「解毒デトックス」のせいで回復魔法が効かないみたいなんですけど……治せるんですか?」
『当然! 何せ僕が使えるのは魔法だけじゃない、天使の力もあるんだからね。「表」でギフトを配るカミサマの力なんて、僕の前では無意味さ』
「はあ。ああ、もしかして――シアさんが「解毒」を吸収すれば、私にも薬や魔法が効くようになるとか?」

 綾那は言いながら、つい先ほどギフト全てを吸収されたせいで、瞬く間に生まれたての仔馬に変えられた陽香を一瞥する。

 ヒール十五センチの厚底靴からぺったんこなサンダルに変えたお陰で、かなりマシにはなっているが――しかし、それでもまだ体が重たそうな陽香。
 彼女にいつもの軽快さはなく、億劫そうだ。何故「軽業師アクロバット」を常時発動してしまうのかは分からないが、本人に全く自覚がない事や、周囲の教育者も揃って異常に気付かなかった事からして、恐らく産まれついた特殊な個性か何かなのだろう。

 今まで無意識に、さも当然のようにバランス感覚や身体能力を向上させていたギフトが消え失せたのだ。それは、まともに身動きがとれなくなってもおかしくない。

『いや、「解毒」はなくしたところで、そう都合よく普通の体にはならないんだよ。たぶん、アレを配るカミサマの性格か――頭が悪いんだね』
「普通の身体にはならないって……じゃあ、どうなるんです?」
『薬や回復魔法は効かないままに、今までギフトで打ち消せていたモノまで一切打ち消せなくなるだけ』

「意味分かんないよねえ」と続けたルシフェリアの言葉に、綾那は黙り込んでしまった。

 今まで打ち消せていたモノが一切打ち消せなくなると言う事は、つまり毒物や有害物質、アレルギー物質にアルコール――人体に害のある薬物などの効果が、何一つとして打ち消せないという事だ。
 その割に、人体に有用な薬や回復魔法だけは律儀に打ち消してしまうとは、それは一体どんな嫌がらせだ。デメリットしかないではないか。

(いや、まあ普通「表」で暮らしていたら、誰かにギフトを吸収される事なんてないだろうし……本来は起こり得ないバグか)

 会った事もない神様の悪口は言いたくないが、これは確かにやや性格が悪い――または、設定が雑と言わざるを得ない。

『魔法じゃなくて、僕の力で君の傷痕を消してあげる。ただ、ちょっとだけ力が足りないから、君のギフトも全部預けて欲しいな』
「……え? でも、その説明を聞いた後に「解毒」がなくなるのは、ちょっと――あと「怪力ストレングス」がなくなるのも、不安というか」
「なんだよ? シア、アーニャのギフトも全部よこせって?」
「うん……」

 正直、ハズレの「追跡者チェイサー」ならばいくらでも預けられるのだ。
 しかし、今しがた聞いたばかりの、預けたところでデメリットしかない「解毒」は身の安全のため保持していたい。いや、アルコールに関しては、「人生で一度くらい酔ってみたい」という願いが叶えられるのでそう悪い事でもないのだが――。

 それに、またいつ魔法封じが出てくるか分からないのだから、いざという時に「怪力」がないのも困る。
 まあ、曲がりなりにも「余所者の行く末がある程度読める」と言うルシフェリアが薦める事なのだから、恐らく預けたところで大した問題にはならないのだろう。

 ただし、天使の力とやらが弱まると、途端にその前提も覆される訳で――。
 不安いっぱいの表情で悩む綾那に、右京が小首を傾げる。

「でもだけで、また戻ってくるんでしょう?」
「あたしが預けた分、まだ一つも返って来てないんだけど?」
『僕の力が戻ったら、ちゃんと返すよぉ。君は「軽業師」が消えてる間に、思う存分マシュマれば良いじゃないか』
「陽香。シアさんが「ちゃんと返すし、今の内にマシュマりなさい」って」
「……マシュマるけども!! ――けども、よくよく考えりゃ「軽業師」もなしにランウェイ歩くなんて、無理無理のムリな気がしてきた……背丈ある方が見栄えするし、ヒールの高い靴は外せねえのに……歩ける気がせん」
「確かに、その顔でその身長じゃあ……いくら『正妃様の再来』と言ったって、子供にしか見えないよね」
「シツレーな事を言うな!」

 憤慨した陽香は右京を叩こうとしたが、しかし彼は陽香の頭を押さえるようにして、グッと片腕を突っ張った。身長差からどうしても腕のリーチに違いがあるため、陽香の手は右京まで届かずに空を切る。

 ムキー! と殊更憤慨した陽香は、「クッ、この……反抗的な狐め! テメー、うーたんに戻ったら覚えてろよ、飼い主が誰か、分からせてやるからな!!」と言って、右京の腕をバシバシと叩いている。
 見ていて微笑ましいんだか、ヒヤヒヤするんだか分からない二人のやり取りに、綾那は眉尻を下げた。

「綾、アンタが力を失っている間は何があっても俺が守る。だから、今すぐに傷を治してくれ……頼む」
『――ほら、この子もこう言っている事だし。君どうせ、この子の頼み事は何一つとして断れないんでしょう?』

 颯月に同調するように被せられたルシフェリアの言葉に、綾那はグッと言葉を飲み込んだ。確かに、綾那は神と仰ぐ男の頼み事を断れない。
 ウゥと呻く綾那へ、「もう一押し」と言わんばかりにルシフェリアが続けた。

『それに、きっとこの子がこれからた~くさん眷属を倒してくれるからさ。きっと、すぐに返せると思うんだよね』
「一体、何を根拠に……いや、まあいるのでしょうけど――」
『うん、僕はとっても凄い天使だからね!』
「そこまで仰るなら――ああ、でも。私までギフトが全部なくなってしまったら、シアさんと話せる人が居ません」

 ギフトを吸収された途端、陽香がルシフェリアを視認できなくなったという事は、綾那もそうなるのだろう。その点について不便はないのかと思ったが、ルシフェリアは間髪入れずに否定する。

『まだ青龍が居るじゃないか。あと、君に遊んであげる気があるなら、だけど――おバカのヴェゼルにでも、僕の通訳を頼むと良いよ』
「ヴェゼルさん? まだこの街にいらっしゃるんですか?」
『あそこの建物の陰で、コソコソこっちを窺っているよ。あとで試しに声でもかけてみたら?』
「は、はぁ」

 気の抜けた返事をした綾那は、やがてああだこうだと考える事に疲れると「うーん……なんかもう、良いか。全部預けちゃおう」という結論に至った。

「――分かりました。ではギフトを全部預けますから、傷を治して頂けますか?」
『お安い御用さ!』

 明るい返事をしたルシフェリアは、ぐるりと綾那の周りを旋回した。パァアと少しずつ光球が大きくなっていくと同時に、それが段々と薄れて見えづらくなっていく。「ああ、本当にギフトが吸収されていってるんだなあ」なんて、綾那はまるで他人事のように、薄れゆくルシフェリアを眺めた。

 そして、もういよいよ完全に光が見えなくなる――というタイミングで、ルシフェリアは「あ、そうそう!」と思い出したように、綾那の眼前でぴたりと止まった。

『君を囮にするためにかけた魔法さあ――眷属が君を光に長けた者だと勘違いするヤツ。アレの効果、たぶん少なくとも一、二週間は続くから気を付けてね』
「…………うん!?」
「……綾?」
『眷属は夜中に活発になって悪戯しにくる。死にたくなければ、いついかなる時も颯月この子の傍を離れない事をオススメするよ。あと、たぶんそろそろ――……』

 後半はフェードアウトするように遠い声で全く聞き取れず、完全にギフトを吸収し終えたのか、ルシフェリアは綾那の視界から忽然と消えてしまった。

「はっ、いやっ、ちょっ、待ってください!? それが分かっているなら、どうして私から「怪力」を取り上げるんです!? 為す術がっ、為す術が無くなったんですけど!? ……シアさーーん!?!?」

 いくら呼びかけても、ギフトを失った綾那にルシフェリアの姿は見えず、声も届かない。いきなり激しく取り乱す綾那に、陽香と右京はびくりと肩を跳ねさせて目を丸めている。
 颯月は訳も分からぬまま、綾那を落ち着かせようと肩を撫でるが――平静を取り戻すには、まだ時間がかかるだろう。

 ただ、「シアさん、酷い――」と両手で顔を覆い、打ちひしがれる綾那のこめかみの傷は、いつの間にやか綺麗に消えていたのであった。
しおりを挟む

処理中です...