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第8章 奈落の底で大騒ぎ
15 ヨモギ
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渚が部屋を出ると、ちょうどテンションがぶち上がりまくりの陽香が廊下を駆けて来た。
「ナギ、ナギナギ! なんだよお前、しっかり傷む前にあたしの部屋のモノ移動してくれてたんだな! さすがツンデレ担当! 気遣いのできるイイコ!!」
姿を見るなり飛びついてきた陽香に、渚は眠そうなジト目のまま――至極迷惑そうに――彼女の額に手を置いて、グッと押し返した。
「何? やめて、暑苦しい」
「照れんなよ~可愛いヤツめ! お前のお陰で、弾倉のストックが増えたよ」
「あ、そう。良かったね」
「てか、ナギだったら「化学者」で火薬作れたりする? 雷管や薬莢は、アリスの「創造主」使えば見よう見まねで作れそうじゃん? なんとか自力で供給できねえかなって思うんだけど――」
陽香の問いかけに、渚はこてんと首を傾げた。そしてややあってから小さく首を振る。
「硝石があれば作れるかもだけど……とりあえず、雨の多いセレスティンにはないと思う。しかも天使曰く、確かリベリアスってそもそも日本ベースに作られてるんだよね? 天然採掘はまず無理だと思って良いんじゃあないかな……乾燥地帯――砂漠でもあれば、話は別だけど。いや、硝酸塩を培養すれば――でも培養土を作るだけで四、五年はかかりそうだしな……」
特に陽香の意見を求めている訳ではないらしく、渚は一人でブツブツと熟考し始めた。
陽香はひくりと口の端を引きつらせると、「いや、なんかもう、難しいっぽいなら良いわ……話聞いてるだけで頭痛え」と、すっかり意気消沈している。
「いっその事、銃ごと一新した方が良いんじゃない? 銃弾じゃなくて、ビー玉ぐらいの魔石を撃ち出せるものを設計すれば――」
「バッ! いやいやナギ、お前アレ一個いくらすると思ってんだよ!? 魔獣の核どころじゃあねえんだぞ、コスパ悪すぎるわ!!」
「そうなの? なんかいっぱい貰えるから、安物なんだと思ってた」
「そうだよ、あの大きさで一個十万はするって話――ん? いっぱい貰えるってなんだよ」
渚は無言のまま陽香を手招くと、とある部屋の扉の前に立った。ここは元々、渚の私室だったはずだ。
怪訝な表情をする陽香を尻目に渚が扉を開けば――部屋の中は、床が抜けるのではないかと思う程膨大な量の魔石で溢れかえっていた。その異様な光景に、陽香があんぐりと口を開く。
「――なんじゃコレ、どうやってこんなに……」
「ほとんど、トラが持ってきた」
「トラ……え、何? でかい猫とは言ってたけど、泥棒猫的なアレなのか? 守り神だって言ってなかったっけ……?」
「いや、今までに領民から貢ぎ物として貰ったものだって言ってたかな。アイツ常に領民の貢ぎ物で生活してるらしくて、物もお金も必要ないみたい。持ってても仕方ないからって渡してくれたんだけど、私が貰ってもね。雷魔法の……供給ケーブル? 当然ウチには通ってないしさ」
渚はそのまま「まあ、水が出たり火が出たりって魔石は便利で、料理に使わせてもらってるんだけど」と続けて、ぱたんと扉を閉めた。陽香は信じられないモノをみるような目で彼女の横顔を見つめる。
「なんか、やっぱナギってそういう所まで――」
「……そういう所まで、何?」
「いや、まあ、金と余裕がある事は良い事だよな、うん……」
陽香は、まず間違いなく「そういう所まで颯様に似てる」と言いたかったのだろう。しかし渚の視線が若干鋭くなったため、慌てて茶を濁したのである。
陽香はそのまま、強引に話題を変えた。
「あー、でさ、アーニャどうよ、起きた?」
「うん、起きた。でも、またすぐに寝た」
「そっか、大丈夫そう?」
「たぶん。でも念のため、モグサでも作ろうかな――この辺りやたらと植生が豊富だから、たぶん川辺に生えてると思うんだけど」
首を傾げる陽香に、渚は「ヨモギだよ、灸にするの」と説明した。
モグサとは、ヨモギの葉の裏にある綿毛を精製したものである。
日干しや粉砕、陰干しなど、非常に多くの手間暇がかかる上に、元となるヨモギから二百分の一程度しか抽出できない代物だ。主に灸の材料として使われる。
渚は何事か逡巡すると、僅かに口の端を引き上げた。
「あの男さあ――」
「ん? 颯様の事か?」
「うん、アイツ綾の男なんだよね? なんか綾から聞いた話じゃあ『悪魔憑き』とか言って、色んな魔法を使えるらしいじゃん。ヨモギ採りとモグサの加工、全部あの男に任せても良いのかな」
「いや、まあ本人は良いって言うだろうけど……もしかして、何か企んでるか?」
「別に? ただ単に、魔法でも使わなきゃ時間がかかり過ぎてダメって事。今すぐ解熱したいのに、悠長に天日干しなんてしていられないし――本当に綾が大事なら、手伝って当然だよね?」
まるで威圧するような笑みを浮かべる渚に、陽香は僅かに目を眇めると「あんまり、無体な事はするなよな」と軽く諫めた。
――渚の心中を占める思いは、ただ一つだけだった。
綾那をどこぞの馬の骨に奪われた事と、三か月間彼女に蔑ろにされた事による、このぶつけ先に困る怒りをどうにかして発散したいのだ。
颯月に雑用を頼むのは、オマケのようなものである。渚はただ単に、「次に綾が起きた時、あの男を寝室に用意してたまるものか」と思っているだけだ。
あわよくば、目が覚めた時にもう一度ぐらい「やっぱり颯月が居ない」「まだ夢から覚めない」と言って泣けば良いのだ。そのくらいの罰は与えたって許されるだろう。
決して綾那が嫌いになった訳ではないが、それとこれとは話が別である。
渚もやられっ放しで終わってはいられない。たまの反撃ぐらいは、可愛らしいものだと思ってもらわねばなるまい。
――まあ実際、後で渚が謝れば綾那は間違いなく笑って許すだろう。それが「怪力」もちであり、生まれながらに底なし沼のような包容力をもつ、綾那という人間なのだから。
◆
「ヨモギを――? 別に構わん、どれくらい必要なんだ」
すっかり夜の帳が降りた家の外に出ると、相変わらず颯月は落ち着きなく敷地内を歩き回っていた。彼は渚におつかいを頼まれるなり、二つ返事で要請を受け入れる。
渚はぴくりと眉を顰めると、若干面白くなさそうな顔をした。
「颯様、ヨモギ分かるんだ。なんかロイヤルな血筋だから、そういう草とか知らなそうと思ってたわ」
「昔、正妃サマに読まされたから……植物辞典に載っているものなら分かる。確かセレスティンは、ヨモギの収穫量が全国一位で薬湯も有名だ。探せばいくらでもあるだろう、俺には「分析」もあるしな」
「相変わらず、ムチャクチャな記憶力してんな。ええと……ナギ、どのくらい要るんだ?」
「――――今後も使う可能性が高いので、多めに採って来ていただけると助かりますね。どうぞ、あなたが綾を想う気持ちの数だけ採って来て下さい」
渚の思惑としては、とにかく颯月がヨモギ採取に掛かりきりになってくれれば、数量などどうでも良かった。
彼が席を外す時間が長くなれば長くなるほど、綾那が目覚めた時に寂しがる時間が増えるからだ。少なくとも、数時間は目の届かぬ所へ消えていて欲しい。そんな思いでもって、必要な収穫量についてあえて判断に困るような事を告げた。
――告げたのだが。
「それだと、この森からヨモギが消える事になる」
「………………陽香、マジでなんなの、コイツ?」
大真面目な顔をして首を傾げる颯月に、渚はこめかみに青筋を立てて露骨に苛立った表情を浮かべた。
陽香は二人の間に飛び出すような勢いで割って入ると、「と、とにかく行ってこい! 颯さマグロ! エコバッグ貸してやる、エコバッグ!」と言って、三角に折り畳まれたポリエステル製の袋を三つほど颯月に押し付けたのであった。
「ナギ、ナギナギ! なんだよお前、しっかり傷む前にあたしの部屋のモノ移動してくれてたんだな! さすがツンデレ担当! 気遣いのできるイイコ!!」
姿を見るなり飛びついてきた陽香に、渚は眠そうなジト目のまま――至極迷惑そうに――彼女の額に手を置いて、グッと押し返した。
「何? やめて、暑苦しい」
「照れんなよ~可愛いヤツめ! お前のお陰で、弾倉のストックが増えたよ」
「あ、そう。良かったね」
「てか、ナギだったら「化学者」で火薬作れたりする? 雷管や薬莢は、アリスの「創造主」使えば見よう見まねで作れそうじゃん? なんとか自力で供給できねえかなって思うんだけど――」
陽香の問いかけに、渚はこてんと首を傾げた。そしてややあってから小さく首を振る。
「硝石があれば作れるかもだけど……とりあえず、雨の多いセレスティンにはないと思う。しかも天使曰く、確かリベリアスってそもそも日本ベースに作られてるんだよね? 天然採掘はまず無理だと思って良いんじゃあないかな……乾燥地帯――砂漠でもあれば、話は別だけど。いや、硝酸塩を培養すれば――でも培養土を作るだけで四、五年はかかりそうだしな……」
特に陽香の意見を求めている訳ではないらしく、渚は一人でブツブツと熟考し始めた。
陽香はひくりと口の端を引きつらせると、「いや、なんかもう、難しいっぽいなら良いわ……話聞いてるだけで頭痛え」と、すっかり意気消沈している。
「いっその事、銃ごと一新した方が良いんじゃない? 銃弾じゃなくて、ビー玉ぐらいの魔石を撃ち出せるものを設計すれば――」
「バッ! いやいやナギ、お前アレ一個いくらすると思ってんだよ!? 魔獣の核どころじゃあねえんだぞ、コスパ悪すぎるわ!!」
「そうなの? なんかいっぱい貰えるから、安物なんだと思ってた」
「そうだよ、あの大きさで一個十万はするって話――ん? いっぱい貰えるってなんだよ」
渚は無言のまま陽香を手招くと、とある部屋の扉の前に立った。ここは元々、渚の私室だったはずだ。
怪訝な表情をする陽香を尻目に渚が扉を開けば――部屋の中は、床が抜けるのではないかと思う程膨大な量の魔石で溢れかえっていた。その異様な光景に、陽香があんぐりと口を開く。
「――なんじゃコレ、どうやってこんなに……」
「ほとんど、トラが持ってきた」
「トラ……え、何? でかい猫とは言ってたけど、泥棒猫的なアレなのか? 守り神だって言ってなかったっけ……?」
「いや、今までに領民から貢ぎ物として貰ったものだって言ってたかな。アイツ常に領民の貢ぎ物で生活してるらしくて、物もお金も必要ないみたい。持ってても仕方ないからって渡してくれたんだけど、私が貰ってもね。雷魔法の……供給ケーブル? 当然ウチには通ってないしさ」
渚はそのまま「まあ、水が出たり火が出たりって魔石は便利で、料理に使わせてもらってるんだけど」と続けて、ぱたんと扉を閉めた。陽香は信じられないモノをみるような目で彼女の横顔を見つめる。
「なんか、やっぱナギってそういう所まで――」
「……そういう所まで、何?」
「いや、まあ、金と余裕がある事は良い事だよな、うん……」
陽香は、まず間違いなく「そういう所まで颯様に似てる」と言いたかったのだろう。しかし渚の視線が若干鋭くなったため、慌てて茶を濁したのである。
陽香はそのまま、強引に話題を変えた。
「あー、でさ、アーニャどうよ、起きた?」
「うん、起きた。でも、またすぐに寝た」
「そっか、大丈夫そう?」
「たぶん。でも念のため、モグサでも作ろうかな――この辺りやたらと植生が豊富だから、たぶん川辺に生えてると思うんだけど」
首を傾げる陽香に、渚は「ヨモギだよ、灸にするの」と説明した。
モグサとは、ヨモギの葉の裏にある綿毛を精製したものである。
日干しや粉砕、陰干しなど、非常に多くの手間暇がかかる上に、元となるヨモギから二百分の一程度しか抽出できない代物だ。主に灸の材料として使われる。
渚は何事か逡巡すると、僅かに口の端を引き上げた。
「あの男さあ――」
「ん? 颯様の事か?」
「うん、アイツ綾の男なんだよね? なんか綾から聞いた話じゃあ『悪魔憑き』とか言って、色んな魔法を使えるらしいじゃん。ヨモギ採りとモグサの加工、全部あの男に任せても良いのかな」
「いや、まあ本人は良いって言うだろうけど……もしかして、何か企んでるか?」
「別に? ただ単に、魔法でも使わなきゃ時間がかかり過ぎてダメって事。今すぐ解熱したいのに、悠長に天日干しなんてしていられないし――本当に綾が大事なら、手伝って当然だよね?」
まるで威圧するような笑みを浮かべる渚に、陽香は僅かに目を眇めると「あんまり、無体な事はするなよな」と軽く諫めた。
――渚の心中を占める思いは、ただ一つだけだった。
綾那をどこぞの馬の骨に奪われた事と、三か月間彼女に蔑ろにされた事による、このぶつけ先に困る怒りをどうにかして発散したいのだ。
颯月に雑用を頼むのは、オマケのようなものである。渚はただ単に、「次に綾が起きた時、あの男を寝室に用意してたまるものか」と思っているだけだ。
あわよくば、目が覚めた時にもう一度ぐらい「やっぱり颯月が居ない」「まだ夢から覚めない」と言って泣けば良いのだ。そのくらいの罰は与えたって許されるだろう。
決して綾那が嫌いになった訳ではないが、それとこれとは話が別である。
渚もやられっ放しで終わってはいられない。たまの反撃ぐらいは、可愛らしいものだと思ってもらわねばなるまい。
――まあ実際、後で渚が謝れば綾那は間違いなく笑って許すだろう。それが「怪力」もちであり、生まれながらに底なし沼のような包容力をもつ、綾那という人間なのだから。
◆
「ヨモギを――? 別に構わん、どれくらい必要なんだ」
すっかり夜の帳が降りた家の外に出ると、相変わらず颯月は落ち着きなく敷地内を歩き回っていた。彼は渚におつかいを頼まれるなり、二つ返事で要請を受け入れる。
渚はぴくりと眉を顰めると、若干面白くなさそうな顔をした。
「颯様、ヨモギ分かるんだ。なんかロイヤルな血筋だから、そういう草とか知らなそうと思ってたわ」
「昔、正妃サマに読まされたから……植物辞典に載っているものなら分かる。確かセレスティンは、ヨモギの収穫量が全国一位で薬湯も有名だ。探せばいくらでもあるだろう、俺には「分析」もあるしな」
「相変わらず、ムチャクチャな記憶力してんな。ええと……ナギ、どのくらい要るんだ?」
「――――今後も使う可能性が高いので、多めに採って来ていただけると助かりますね。どうぞ、あなたが綾を想う気持ちの数だけ採って来て下さい」
渚の思惑としては、とにかく颯月がヨモギ採取に掛かりきりになってくれれば、数量などどうでも良かった。
彼が席を外す時間が長くなれば長くなるほど、綾那が目覚めた時に寂しがる時間が増えるからだ。少なくとも、数時間は目の届かぬ所へ消えていて欲しい。そんな思いでもって、必要な収穫量についてあえて判断に困るような事を告げた。
――告げたのだが。
「それだと、この森からヨモギが消える事になる」
「………………陽香、マジでなんなの、コイツ?」
大真面目な顔をして首を傾げる颯月に、渚はこめかみに青筋を立てて露骨に苛立った表情を浮かべた。
陽香は二人の間に飛び出すような勢いで割って入ると、「と、とにかく行ってこい! 颯さマグロ! エコバッグ貸してやる、エコバッグ!」と言って、三角に折り畳まれたポリエステル製の袋を三つほど颯月に押し付けたのであった。
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