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第9章 奈落の底に永住したい

2 後片付け

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 何事もなく四重奏ハウスまで戻ってきた一行は、早速「転移」の準備に取り掛かった。騎士はまず、野営地と化した庭の片付けを。綾那達は、王都まで運ぶ荷物の選別作業だ。
 とは言え、メンバーは綾那が寝込んでいる間に大まかな選別を終えていたらしい。皆して綾那の私室に集まって、ああだこうだと談笑している。

「いやー、しかし傑作だったな、アーニャ……「表」でもこんな動画は撮ったことねえぞ、最高だ」

 床に座り込んでスマートフォンの画面を注視している陽香に、綾那は荷物の仕分けをしながら、憮然と「そりゃあ、撮ったところでサイトに投稿できないからね」と独りごちた。
 陽香は恐らく――いや、確実に洞窟内で撮影した蜘蛛の動画について言っている。

 スタチューは誰でも投稿できるサイトであるため、利用条件が厳しいのだ。
 性的なものは言うまでもなく、暴力的なもの、命を軽んじるような内容のもの――どうも、生き物の踊り食いはコレに該当するらしい――などは、投稿したところで即座にBAN (動画の強制削除、酷い時にはアカウントの凍結や利用停止もあり得る)されてしまう。

 陽香は「てかお色気担当大臣アーニャが映って良いなら、大抵の事は許されるんじゃね?」なんて嘯いていたが、綾那としては自身が「性的なもの」として捉えられているなど、遺憾以外の何ものでもなかった。
 いくらソッチ方面の需要が高かったとはいえ、そういったものに特化していたのは写真集であって、普段の動画内で色気を振りまいた覚えはない。

 ――あくまでも個人の感想であって、実際に周囲の捉え方がどうであったかは、綾那のあずかり知るところではないが。

「でも、これで結婚できるじゃない、本当に良かったわね。渚も、綾那と颯月さんのこと認めたんでしょう?」
「綾があれだけ頑張ったからね。ちゃんと誠意を見せてくれたから良いよ、こっちの気も晴れたし」
「ええと、なんか、ごめんね……皆すごく怒ってたんだ……自分勝手で、本当にごめんなさい――」

 段々と居た堪れなくなってきた綾那は、もにょもにょと謝罪の言葉を口にした。
 陽香は「今更かよ」と目を眇めたが、すぐにスマートフォンをポケットにしまい込むと、立ち上がった。そうして、本棚の辺りを物色しながらため息を吐く。

「とは言え、アーニャ自身が「怒る」って感情に疎いんだから、こればっかりは仕方がねえのよなあ……これだから「怪力ストレングス」もちは」
「うーん、「怪力」もちだからどうとかこうとか言う以前に、綾那の生まれ持った性格のような気もするけどね。だって、同じ「怪力」もちの師匠は、ここまでおっとりまったり穏やかじゃあなかったわよ」
「それもそうか。じゃあ、やっぱりアーニャが悪いな」

 アリスの意見を聞いて即座に手の平を返す陽香に、綾那は項垂れた。

 我を通して颯月と添い遂げようとするのが褒められた事ではないとは、分かっていた。
 綾那は四重奏として、陽香達と共に活動するスタチューバー。しかも、本来住んでいた場所だってリベリアスではなく「表」の世界だ。それら全てを投げうって颯月を取ったのだから、非難されて当然だろう。

 元々綾那が怯えていた理由は、「自身にとって鬼門の顔である、絢葵あやき似の颯月にまんまと惚れてしまうだなんて――メンバーにバレたら、どうなる事やら」というものだった。
 それがいつの間にか、「惚れた」ではなく「結婚したい」にすり替わった結果が今である。

(もし、陽香達がいきなり「スタチューバーを辞めて誰かと結婚する」って言い出したら……私どうするかな? 驚きはするだろうけど、でも……普通におめでたい事だから、祝福するんだろうな)

 それは、やはり綾那のもつ「怪力」の性質と、生まれ持った性格による考え方なのだろう。そんな事では怒らない。それぞれが幸せなら、別に良いのではないか。『四重奏』の事は、どうにでもできるのではないか――その程度の大らかな考え方しかできないからこそ、悪気なく自分勝手な振る舞いをしてしまうのだ。

 自分は大抵の事では怒らない。だから皆も、同じ考えに違いない。大袈裟に言えば博愛主義者と言えるかも知れないが、一歩間違えれば、ただの優しい精神病質者サイコパスである。紙一重だ。

 正にこういった性質がルシフェリアに好かれているなど露ほども知らぬ綾那は、「シアさんにも指摘されたものね。今後は気を付けないとな……」と反省した。
 自身の振る舞いが原因で蜘蛛の踊り食いなんて罰を科されたのだから、いくら綾那でも反省くらいする。

 ただしその反省がいつまで続くかは、神のみぞ知る――だが。

「アーニャ。颯様が喜びそうだから、この辺のモンも持ってって良いか?」
「うん? 颯月さんが喜びそうなものなんてあった? ……私、颯月さんの趣味はおろか、好きなものすら把握していないんだって思ったばかりなんだけど……」
「お前、マジで言ってんのか? 颯様が好きなものなんて、アーニャ以外にないだろ。趣味もアーニャ、全部アーニャだよ」

 陽香が手にしているのは、綾那が過去発刊した写真集である。
 綾那は目を瞬かせると、白い頬をほんのりと赤く染めながら「わ、私も全部、颯月さん……!」と告白して、無事陽香に肩パンチされた。パンチされた事で途端に頭が冷えて、肩を擦りつつ「いやいや、て言うか、そういうのじゃあなくて」と続ける。

「その、颯月さんずっと仕事してるから、いまだにプライベートが謎だなって。甘いものが好きだって事にも、さっき気付いたぐらいで……」
「ああ~言われてみれば確かに、甘いモンばっか食ってたな! アーニャがバカみたいに甘党だから、なんとも思ってなかった……そう言えば、野郎にしては甘いモン食ってるわ」
「私は単に、事務仕事続きで脳の糖分が不足してるだけなのかと思ってたわ」

 陽香とアリスもまた、颯月の嗜好に気付いていなかったのか――まあ、颯月に対して盲目の綾那が気付かなかったのだから、彼女らが気付くはずもない――なるほど、と頷いている。

「でも、これからゆっくり知っていけば良いか」

 颯月を思い浮かべてうっとりとした笑みを浮かべる綾那に、横で衣類の選別をしていた渚が――下手に残して、空き巣が入った際に下着類を持ち出されるのが我慢ならず、不要なものは全て燃やして行こうという話になったのだ――口を開いた。

「――意外と、深く知れば知るほど理想と現実のギャップが開いて簡単に破局したりしてね」
「えっ!」
「ていうかあの男、綾に愛され過ぎてムカつくから、普通に振られて欲しいな」
「えぇ……っ!?」
「ナギお前、アーニャの前で取り繕うのやめたのかよ」
「綾は好きだけど、別にあの男の事は好きじゃないし? なんかこう、お見合い的な質疑応答の時間でも設けると良いんじゃあないかな。それで、アイツの事嫌いになれば良いと思う」

 笑顔で明け透けに話す渚に、綾那は衝撃を受けた。試練を乗り越え、メンバーの公認を受けたからと言って、全てが丸く収まる訳ではないのだなと。

 ――とは言え、お見合いのような質疑応答とは分かりやすく確実で良い案だ。王都へ戻って落ち着いたら、やってみるべきだろう。
 綾那は、渚と颯月の確執について何とかせねばと思いつつも、ひっそりと「帰ったら質問リストを作ろう」と考えた。
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